18.ノアのリベンジマッチ
7階層。
先日の出来事が脳裏をよぎった。
見慣れた通路を、ノアの後ろについて歩いた。
6階層までと違って会話はほとんどなかった。
7階層に入ってから、ノアの歩幅が狭くなった。
暗闇の奥に目を凝らし、耳を澄ませている。
小石が俺のつま先に当たって転がった。
瞬時にノアが身をひるがえし、身構える。
「ノア、もう少しリラックスしたほうがいい。それじゃあ疲れるぞ。巨大猪を警戒してるなら心配するな。あいつは通路には入ってこない。基本的に大広間を縄張りとしてるからな」
「……わかった」
ノアがナイフを下ろし、再び前に歩き始めた。
少しだけノアの肩の力が抜けた気がした。
ノアの足が止まった。
「奴だ」
いつも巨大猪が待ち構えている大部屋の前だ。
ノアはどうすればいいか俺に視線を投げかけた。
「どうだ? やるか?」
「……やる」
「やります」
ノアが頷く。リゼットも続いた。
「巨大猪は壁にぶつけるように誘導するんだ。あと、壁に突進してぶっ倒れても油断するな。あとは――」
「もういい。わかったから、大丈夫だ」
まだまだ言いたいことはあったが、ノアに止められてしまった。
ノアが小さく笑う。
「任せろ。リゼット、行こう」
それだけ言い残すと、俺を置いて大部屋へ向かった。
大部屋に入ると、ノアはリゼットと作戦会議をしていた。
「リゼット、巨大猪がボクに釣られなかったまたこの前みたいに頑張って避けてほしい」
リゼットは大きく頷いた。
部屋の中心には巨大猪が鼻を鳴らしながらうろついていた。こちらにはまだ気づいていないようだ。
ノアの指示で俺たちは壁際へ移動した。
「こっちだ!」
ノアが地面に落ちていた小石を拾い、巨大猪に向かって投げた。
小石が床に転がる。
奴の耳がぴくりと動いた。
ノアは右へ、俺とリゼットは左へとゆっくり移動する。
巨大猪は顔を左右に揺らした。
蹄が土を抉り、土煙が舞った。
小さな二つの目が俺たちを捉えた。
「ピギイイイイイイイ」
――突進。
ノアと目配せする。
突進と同時にリゼットと俺は右へと駆け出した。
ノアは衝突地点を読んで、壁際を走る。
衝突まで残り数メートル。
巨大猪が鼻先をさらに下げ突撃体勢を取った。
リゼットが手を伸ばし前方へ跳んだ。俺もそれに続く。
四肢を広げお腹から着地。大胆な回避行動だった。
俺は地面に手をつき前転する。
一回転した後、すぐに巨大猪に目を向けた。
ノアは一瞬俺たちを見ると、胸の前で小さく拳を握った。
巨大猪が、蹄を踏ん張る。
だが巨体は止まらない。
奴は、無様な悲鳴を上げながらその鼻先を石壁に思いきり叩きつけた。
ぐらりと揺れる巨体。
足をもつれさせ、ゆっくりとその身を地面に横たえた。
――今だ。
ノアが一瞬で距離を詰めた。
刃が首元を切り裂いた。
「避けろ!」
奴にトドメを刺し損ねたときのことを思い出し、大声で叫んだ。
だがノアは盗賊だ。
俺よりはるかに速い。
俺の声より先に、ノアはバックステップで回避していた。
直後、巨大猪が意識を取り戻し、頭を振り回す。
周囲に血をまき散らしながら、ゆっくりと奴が立ち上がった。
ノアがナイフを振ると、血が地面に飛び散った。
「リゼット、もう一度行けるか?」
ノアが巨大猪に視線を向けたまま、こちらへ近づく。
「だ、大丈夫です」
リゼットは鼻頭に手をやりながら頷く。
巨大猪は、頭を乱暴に振って再び蹄を地面に突き立てた。
俺たちは急いで壁際へと寄り、同じように二手に分かれた。
巨大猪は、ノアから目を離さなかった。
先ほどよりも激しく、土を後ろに蹴り上げている。
さっきは10メートルは離れていた。
だが、今は7メートルほどしかない。
「ピギイイイイイイイ」
巨大猪は、ノアに向かって一直線に突き進んだ。
ノアは突進の軌道を横切るように駆けた。
ノアの背後、三歩ほどの距離を巨大猪が猛スピードで通り過ぎた。
石壁にぶつかった奴は、痛々しい悲鳴を上げながら再びその場に倒れた。
牙にはひびが入り、奴が通り過ぎた後には血の跡が続いていた。
ノアが喉元に張り付いた。
両手でナイフを握り締め、刃先を下に向ける。
「あああああああああ!」
喉元に深々と刃が突き刺さる。
巨大猪の口から大量の血が噴き出した。
瞬時にナイフを抜き、距離を取る。
巨大猪が二度頭を振った。
だが、起き上がる様子がない。
ノアは今度は腹へ近づき、斬りつけた。
巨大猪は悲鳴を上げるだけで反撃できない。
ノアは何度も腹を切り裂いた。
刃が振り下ろされるたび、巨大猪の悲鳴が小さくなる。
ノアが最後の一撃を振り下ろした。
巨大猪の体が、びくりと跳ねる。
それきり、動かなくなった。
ノアはナイフを構え、動かなくなった巨大猪を睨み続けている。
俺はノアに歩み寄り、肩を軽く叩いた。
「よくやった」
ノアは腰が砕けたようにへたり込み、仰向けに寝転がった。
「――やった」
ノアの目尻から涙がこぼれた。
俺はノアに背を向け、胸の前で拳を握った。
リゼットと目が合う。
太陽のような暖かい眼差しで俺たちを見つめていた。
巨大猪から出てきた魔結晶を拾う。
「ノア、リゼット、こいつの肉食べるか?」
「食べる」
ノアは即答だった。
「……いただきます」
リゼットは少し間があった。
そういえば、ルクス教は解体にも作法があったような気がする。
まあ、本人がいいなら気にすることでもない。
俺は魔法の小袋からナイフを取り出し、巨大猪の喉を大きく切り裂き血抜きをした。
雑な血抜きを終えると今度は背に刃を入れ、皮を剥ぐ。
背骨を避けて肩の肉を切り取っていった。
分厚く切り分ける。
魔法の小袋からおがくずを取り出し、地面に盛る。その上に薪を並べ、火打石で火をつけた。
薪に火が移ったところでフライパンを出す。
ナイフの背で肉を軽く叩いてから、フライパンに乗せた。
じゅう、と脂が弾ける音がした。
迷宮内はなぜか空気の流れがあった。煙も天井や壁へ吸い込まれるように消えていく。
それと、魔獣は迷宮内で死ぬと、地上より早く土に還る。
だから死体を放置しても大きな問題にはならない。
この場所は巨大猪の縄張り内だ。他の魔物が来ることはまずないだろう。
「ノアよくやった。正直、勝てるとは思わなかったよ」
木のカップを取り出し、二人に渡した。
革袋に入った水を三つのカップに注いだ。
「ボクだってやるときはやるんだよ」
ノアは煙を立てているステーキを見つめながら、そう呟いた。
「それに――」
「それに?」
「な、何でもない!」
ノアは何か言いかけたようだが、なぜか口を閉じた。
「まだ焼けないのか?」
ノアが気まずさを誤魔化すように焼き加減を俺に尋ねた。
フライパンの上で肉がちりちりと音を立てている。
頃合いだろう。
ナイフで肉をひっくり返す。
いい色だ。
「もう少し待て」
猪肉は脂が多い。蒸し焼きにしなくても火は通るだろう。
肉の焼ける香ばしい匂いに、誰かのお腹がぐうと鳴った。
俺じゃない。
ノアを見た。
勢いよく首を振った。
残った一人を見つめる。
犯人はお腹を押さえながら顔を真っ赤にしていた。
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