16.リゼット視点:ノアの本音
教会の鐘が遠くで響いている。
ゆっくりと目を開けると、くすんだ天井が目に入った。
――ノアちゃん、大丈夫かな。
昨日のことを思い出して少し憂鬱になった。
体を起こし、毛布を丁寧に畳む。乱れたシーツを軽く整える。
いつもの癖。これをやらないと、どうにも落ち着かない。
カーテンを開けると、朝の光が差し込み、思わず目を細めた。
椅子に座り、髪を櫛で梳かす。
鏡を見ながら紐を口にくわえ、手慣れた動きで髪を二つに結ぶ。
たまには違う髪型にするのもいいかもしれないと思いながらも、手が勝手に動いていた。
出来上がったいつもの自分に、小さく苦笑した。
パジャマを脱ぎ、いつものシスター服に袖を通す。
胸元のリボンを結び、白布に刺繍してある太陽の紋様にそっと触れる。
でも、他の服も一着くらい持っておいた方がいいよね……。
ノアちゃんに「それしか持ってないの?」と驚かれたことを思い出し、鏡の中の自分が少しだけ唇を尖らせる。
それに――あの人だって。
浮かび上がった顔を振り払うように、軽く頭を振った。
でも失敗。鏡の中の自分は、口元が緩んでいた。
杖を手にして下の階へと降りた。
「おはよう、リゼットちゃん」
「おはようございます、女将さん」
肉付きのいい中年女性が食堂のテーブルを拭いている横で、給仕の女の子がお皿を片付けていた。
女の子は粗末な衣類を身にまとい、良くミスをしては女将さんに怒られていた。そのためか、いつも表情は暗かった。
「リゼットちゃん、今日も迷宮へ行くのかい?」
「いえ、今日はお休みなので施療院に行こうと思ってます」
顔なじみの先輩冒険者に声をかけられ、元気よく返事をする。
彼は無精ひげを生やし背中に大きな剣を背負っていた。剣は所々刃こぼれがあるが、よく手入れが行き届いていた。
「リゼットちゃんは偉いねえ。でもあんまり無理しちゃダメだよ」
「いえ、好きでやってるんです。習慣……というか、趣味みたいなものですから」
冒険者のおじさんと相席し、最近のことなどを話しながら朝食を済ませた。
カチカチのパンをスープに浸して噛みちぎる。粗末な食事だがリゼットにとってはそれで十分だった。
宿を出て貧民街へと足を運ぶ。
中心街から外れるにつれ、簡素な家が目立つようになり、貧相な服装の住民が多くなってきた。
貧民街の教会へ着いた。
壁に掲げられた太陽の聖印に向かって跪き、祈りを捧げた。それから施療院へと向かった。
施療院。ルクス教が運営する小さな救護施設だ。
貧民に治療費を払えるものは少なく、備品や消耗品は寄付金で賄っていた。
施療院に着くと、院長がリゼットに声をかけた。
「院長、おはようございます」
院長は人の良さそうな白髪の女性だった。
彼女は列をなしている人々を診断して、直接処置をしたり、手伝いの女性たちに指示を出していた。
リゼットは列に並んでいた親子に声をかけた。
「どうされたんですか?」
「昨日、この子が遊んでたら転んで怪我をしたみたいで……」
「なるほど。ちょっと診てみますね。診療記録」
男の子の肩に触れた瞬間、生命の流れが淀んでいた。
「骨が折れていますね。治療します」
杖の矛先を男の子に向けた。
「ヒール」
淡い光が男の子の肩を包み、肩から小さな音が鳴ると、表情が和らいだ。
一度、みんなに求められるがままに限界までヒールをかけ続けたことがあった。だがその結果、その場で倒れてしまった。
それ以降は、施療院での回復魔法は一日五人までと決めている。
「リゼット!」
ノアが手を振りながら駆け寄ってきた。
ノアもよく貧民街を訪れる。ただ、ノアはどちらかと言うと孤児院の方の手伝いをしていることが多かった。
「もう来てたんだ? 早いね」
昨日の帰り道、リゼットがノアを誘ったのだ。
それは、純粋に施療院の手伝いをしたかったのもあるが、昨日先生に色々言われたノアが心配だったからだ。
午前中の診療を終えひと段落ついたので、院長に断りを入れ孤児院へと向かった。
孤児院の近くまで行くと、中から泣き声が聞こえてきた。
門の前の道では子供たちが鬼ごっこをしている。
庭の隅では女の子がしゃくり上げていた。
扉を開けると、そこはまさに無法地帯だった。
髪を引っ張り合う子、木製のベッドに寝かされて泣き叫ぶ幼子、悪さをしたのか大人に叱られている男の子――
泣いたり笑ったり忙しい子供たちを見て、思わず笑みがこぼれた。ここに来るといつも元気をもらえる。
「リゼット! いい所に来てくれた。みんなの相手してやってくれ」
小さい子を背負ったノアが、リゼットに駆け寄り助けを求めた。
子供たちはリゼットに気付くと、一斉に駆け寄り、裾を引っ張った。
「ねえねえリゼットおねえちゃん! 冒険の話聞かせてよ!」
「そんなことより、ガルドとセラはどうなったの? ねえ、リゼット教えて!」
男の子は、いつも魔物の倒し方の話ばかり聞きたがる。
女の子は、それよりも恋の話の方が気になるらしい。
ガルドとセラは、リゼットが前に組んでいた冒険者仲間だ。彼らが幼馴染だということを伝えると、女の子は目を輝かせた。
リゼットは子供たちを集め、ガルドとセラは冒険者を辞めて田舎に帰ったことや、新しく先生とパーティを組んだことを話した。
リゼットが話しているときだけは、子供たちは喧嘩の手を止め熱心に話に聞き入っていた。
孤児院が少しだけ平穏を取り戻す。大人たちはその平穏を利用して掃除をしたり、洗濯ものを取り込んだりしていた。
「お姉ちゃんはその『先生』のことが好きなの?」
女の子が無邪気な顔でリゼットに質問する。
「ええ!? わ、私は好きとかそういうのじゃなくて……」
顔が熱い。その問いに、リゼットは上手く答えられなかった。
この気持ちが憧れなのか、それとも――
「えー! お姉ちゃんもう帰っちゃうのー? もうちょっと遊ぼうよ」
夕暮れ時、子供たちに別れを告げると、まだ帰らないでと手を引っ張られた。
「うん、ごめんね。また今度、遊ぼうね」
優しくその手を引き離し、小さく手のひらを振った。
「おーい、ボクも帰るんだけどー?」
リゼットに群がる子供たちに向かって、不満げに唇を尖らせるノア。
「ノアもばいばーい」
「おい! なんだその態度の差は! リゼットと全然違うじゃないか!」
ノアが近づくと、悲鳴を上げながら子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ノアは逃げた一人を追いかけ、あっという間に追いついた。
捕まえた女の子の脇をくすぐると、一層高い声を出して抵抗した。
ノアは子供たちと距離が近い。あんなふうに遠慮なく接するノアが、少しだけ羨ましかった。
貧民街を出てしばらく歩いたところで、リゼットはノアを酒場に誘った。
「ノアちゃんは先生のことどう思ってる?」
酒場のテーブルで、ノアの分のパンをナイフで切り分けながら尋ねた。
「嫌な奴。でも――」
ノアはテーブルに肘をつき遠くを眺めた。
「でも?」
「間違ったことは言ってない。だからムカつく」
ノアは皿にあった骨付き肉に手を伸ばし、豪快にかぶり付いた。
「そっか」
無言で肉を頬張るノア。
「明日、私は先生と組んでまた迷宮に潜るつもり。ノアちゃんもよかったら一緒に行かない?」
「……誘われてないし」
ノアは骨付き肉を皿に置き、テーブルに視線を落とした。
ノアは何か言いかけて、口を閉じた。
「ノアちゃんはどうなの? 一緒に迷宮探索、もうやりたくないの?」
「……したい」
「だったら――」
「でも、ボク、わがままだし、思ったことそのまま言っちゃうし、色んな人から嫌われてるし――」
ノアはさらに何かを言おうとして声を詰まらせた。あふれてきた涙を荒っぽく拳で擦った。
「エリクにも嫌われてる」
いつもの何倍も小さな声だった。
「先生はあんなことくらいでノアちゃんのこと嫌いになったりしないよ。それは私が保証する」
「でも、ボクなんかより優秀な盗賊なんていっぱいいるし――」
「ノアちゃん」
ノアが顔を上げた。その目は真っ赤で垂れてきた鼻水をノアは啜った。
「ノアちゃんはどう思ってるの? 先生と一緒にいたいの? いたくないの?」
再び目を擦り、涙を拭う。
少しの間の沈黙。
「――いたい」
リゼットはノアに微笑みかけ大きく頷く。
「じゃあまた明日、先生に一緒にパーティ組もうって言ってみようよ」
「……わかった。リゼットも一緒に言ってくれる?」
「もちろん!」
リゼットは元気よく返事をした。
ノアは素直で優しい子だ。
だからこそ報われてほしい。
少し悩んだ後に、ノアが口を開いた。
「リゼット、ボクはもう子供じゃない。だから『ちゃん』付けはやめてほしい……」
「うん、わかった。ノア、これからもよろしくね」
ノアは目に涙を溜めながら嬉しそうに返事をした。
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