10.最下層の地獄蠍
ゴーレムの大部屋と似た雰囲気だった。
違うのは広さ。明らかに狭かった。
それでも50メートルはあるだろうか。
部屋は薄暗いが、地面と壁はぼんやりと明かりが灯っている。
部屋の中央に目を凝らすと、真っ黒な甲殻と巨大なハサミを持つ地獄蠍が横を向いていた。
尻尾の先をゆらゆらと揺らしている。まだこちらには気づいていないようだ。
奴の顔よりも大きいハサミは、普通の人間なら一撃で潰してしまいそうなほど凶悪だった。
盾と剣を構え、ゆっくりと地獄蠍に近づいていく。
地面を踏みしめる音が、やけに大きく聞こえた。
高さは3メートル、体長は8メートルほどだろうか。
足元で小さな音がした。
俺が小石を蹴った音だった。
その瞬間。
暗闇に光る二つの赤い眼が、ギロリとこちらを向く。
盾を持つ手に力が入った。
地獄蠍は右のハサミを振りかぶり、勢いよく迫ってくる。
左手に構えた盾を前へ突き出し、衝撃に備えた。
奴がハサミを振り回す。
ハサミと盾がぶつかり、乾いた音が大部屋に響いた。
腕に衝撃が走る。
――だが、ボアほどじゃない。
もちろんそれだけでは終わらなかった。
地獄蠍は、ハサミを振り回した勢いのまま、今度は左のハサミを振り下ろしてきた。
だが、予想通りの攻撃だ。
俺はその一撃を、落ち着いて盾で防いだ。
わずかな隙が生まれる。
俺は挨拶代わりの一撃を地獄蠍の頭に振り下ろした。
手応えはない。
刃が黒光りする甲殻に弾かれた。
俺の攻撃じゃまだ通らないか……
――仕方ない。
「限界突破!」
胸が軋んだ。
血が沸き立つ。
地獄蠍が尻尾を持ち上げ、狙いを澄ますように尻尾の先を揺らしている。
踏み込むべきか?
いや、ここで待ち受ける。
来い。
尻尾に合わせて盾を動かす。
一瞬でも動きがずれれば、あの毒針に貫かれてしまう。
瞬間、毒針が一直線に俺を串刺しにしようと向かってくる。
盾に針がぶつかる瞬間、その勢いをいなして右に逸らす。
鋭い風切り音が通り過ぎていった。
その勢いのまま地面に針が突き刺さる。
俺は剣を横に構え――
甲殻の隙間めがけて真一文字に振り抜いた。
黒い甲殻の一番脆い部分。
その狭間に刃が入り、肉を断つ感触が手のひらに伝わった。
最後まで振り切る。
地面には尻尾の先端が刺さったまま、行き場をなくした尻尾が空中で揺れていた。
すぐさま盾を構え直し、次の攻撃に備える。
地獄蠍が距離を詰める。
巨体が迫るたび、視界が黒に覆われていく。
右のハサミが振り上がる。
盾を頭上へ。腰を下ろして衝撃に備える。
3メートルはあるハサミが頭上から降り注いだ。
ひび割れた盾がみしりと音を立て、
限界が近いことを知らせてくる。
「先生! もう一本来ます!」
リゼットが声を上げ危険を告げた。
俺は横へ跳ぶ。
着地と同時に盾を滑らせるように構え直す。
地面に右のハサミが突き刺さり、土が跳ねる。
入れ替わるように、左のハサミが横薙ぎに迫る。
間一髪。
盾が間に合った。
ハサミの重さを感じながら受け止める。
左のハサミを弾き上げ、一歩踏み込む。
右のハサミの付け根へ、剣を叩き込んだ。
鈍い手ごたえと共に、ハサミが地面に落ちた。
残すは左のハサミだけだ。
地獄蠍が、後ろに下がった。
かと思えば、左のハサミを何度も地面に振り下ろす。
地面を叩きつけるその姿は、焦っているようにも見えた。
直後、先ほどよりも速いスピードでこちらへ突っ込んできた。
左のハサミを振り上げ、速度を加えた渾身の一撃。
衝撃の瞬間、俺はその攻撃を盾で受け流す。
ハサミが地面にめり込んだ。
剣を振りかぶり、全力で薙ぎ払った。
切り落とすというより、関節ごと引きちぎる感触。
鈍い音がして、ハサミと腕が切り離された。
ハサミと毒針を無くした蠍だが、それでも退かなかった。
蠍は頭を傾け、全力でぶつかってきた。
「シールドバッシュ!」
衝突の瞬間、盾を叩きつける。
完璧なタイミング。
カウンターの一撃が入り、蠍がふらついた。
盾を捨て、蠍の側面へと回り込む。
奴が体勢を立て直す。
だが、奴はまだ状況を把握できていない。
その足に飛び乗り、背へと駆け上がった。
地獄蠍は真上が見えない。
必死に体を揺すり振り落とそうとするが、俺は四つん這いになりながらも頭部に向かって前進する。
あと少しで急所だという所で、奴が急にターゲットを変えた。
目の前にいるのはリゼットだった。
リゼットに迫る地獄蠍。
対するリゼットは杖を構えてはいるが、脚が震えている。
もう少し……!
間に合え!
蠍がリゼットに迫り、ハサミのない腕を振りかぶった。
届いた!
「はあああああああああ!」
リゼットを傷つけはしない。
剣を黒いオーラが包んだ。
そんなこと初めてだった。
だが、今はそんなことどうでもいい。
俺は剣先を下へ向け、振り上げる。
関節部に全力で刃を突き立てた。
一瞬の静寂。
「ギィイイイイイイイイ!」
切り裂くような断末魔と共に、地獄蠍の巨体が地に伏した。
蠍の背中から飛び降りると、リゼットが駆け寄ってきた。
「解除――限界突破」
ゆっくりと立ち上がり、体の調子を確認する。
胸の痛みはある。だが、この程度なら問題ないだろう。
それよりも、あの黒いオーラの方が気がかりだった。
「先生!」
リゼットが抱き着いてきた。
柔らかな感触を押し付けられ、嫌でも意識してしまう。
「お、おい……」
「やりましたね! 迷宮制覇です!」
その弾けるような笑顔に思わず俺も嬉しくなった。
「ああ。テルン南迷宮初制覇おめでとう」
「ほ、ほとんど先生のおかげですけど……」
リゼットは我に返ったように離れ、照れくさそうに髪の毛いじる。
「そんなことない。リゼットの位置取りは、完璧だった。
おかげで戦闘に集中できたよ」
「それならよかったです」
戦利品の魔結晶を拾う。
背中の甲殻を剥ぎ取り、魔法の小袋に入れた。
宝物庫の扉も開いたが、今の俺たちには関係ないだろう。
「さあ帰ろうか」
「はい!」
ボス部屋を抜けると、女神像と転移陣が待っていた。
「テルン南迷宮を攻略するまで」
リゼットは確かにそう言っていた。
目を閉じ、祈りを捧げるリゼット。
この姿を見るのも、今日で最後かもしれない。
俺は女神像を見つめる。
そして、初めて願った。
――リゼットが、これからも笑顔でいられますように。
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