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貴方の知る私はもういない

作者: 藍田ひびき

「エルヴィラとは、君が思っているような関係ではないよ」

 

 ヘンリック様は微笑みながら私の手を取った。金髪碧眼の麗しいヘンリック王子は、私の婚約者だ。

 彼に手を触れられただけでも、大抵の令嬢が胸をときめかせるだろう。しかし今の私は何も感じない。まるで心が凍っているみたいだ。


「ローゼマリー、君にそんな心配をさせてしまった俺を許してくれ。だがそうやって嫉妬を見せる君も愛らしいな」

「嫉妬をしているわけではございません、ヘンリック様。彼女をお傍に置くなとは申しませんが、過度な触れ合いはお控え下さいと言っているだけですわ」

「ちょっとした戯れだよ。心配せずとも、俺が妻にしたいのは君だけだ」


「ですからそういう事を言っているのではございません。お振る舞いが目に余ると、生徒たちの間でも噂になっているのです。王太子候補であるヘンリック様のご評判に傷が付くことを、私は恐れているのですわ」

「言わせておけばいいさ。俺は王位に興味が無い。王に相応しいのは俺ではなく、姉上だ」


 ヘンリック様が肩をすくめながら城の方へと目を向ける。彼の目線の先にあるのは、姉君であるエルフリーデ王女殿下の部屋だ。その仕草を目にした途端、心の氷に少しだけひびが入り、ちくりと胸を刺す。

 

 

 大国ダルロザとグラドネリア帝国に挟まれた位置にある小国レクイオス。その国王には三人の子供がいる。

 長子がエルフリーデ王女殿下、その下に第一王子ヘンリック殿下と第二王子フィリベルト殿下。

 

 我が国は女性の継承権も認められており、過去に女王が即位したこともある。とはいえ、男性の方が尊重されるのも事実。そのため貴族たちは長子が相続すべしというエルフリーデ派と、王位に就くのは男子にすべしというヘンリック派に割れている。

 さらにエルフリーデ殿下を可愛がる王太后と、長男を溺愛する王妃の嫁姑争いまで加わり、陛下も決めかねている様子だ。

 

 私の父、ファインベルグ公爵はヘンリック派である。

 幼い頃のヘンリック様は神童かと言われるほどに頭が良く、父は彼こそが王太子に相応しいと期待した。私が婚約者になったということ、それはつまりファインベルグ公爵家が彼の後ろ盾になったことを意味する。そのためヘンリック様の立太子は確実だろうと言われていた……かつては。

 

 父の思惑に反し、ヘンリック派は最近その勢いを失いつつある。その原因はヘンリック様自身だ。

 素行が悪いわけではない。成績も上位には入っており、生徒会長も務めている。

 生徒から相談を受けて一肌脱ぐような面倒見の良い面も見せるため、それなりに人望も高い。

 

 しかし学院在籍時代は生徒会長として様々な改革を行ったエルフリーデ殿下に比べれば、いまひとつ弱いというのが周囲の評価だ。

 生徒会にしろ執務にしろ、前例に倣って淡々とこなしているだけ。

 王族としては及第点だが、国王として仰ぐにはリーダーシップに欠けている。そんな噂が広がるにつれ、ヘンリック派から離れる者も現れ始めた。


「仕方ないだろう、向いてないものは」

「ですがヘンリック様は才のある方。王になれば良い治世を行われると、私は信じております」

「幼い頃は天才かと騒がれた子供が、長じると凡人になるというのはよくある話だよ」


 ヘンリック様は気にする様子も無い。

 周囲には彼が野心の無い平凡な王子に見えているかもしれない。だけど、傍らでずっとヘンリック様を見つめていた私は知っている。

 

 ヘンリック様はエルフリーデ殿下を慕っている――恋慕している。崇拝といっていい程に。


 エルフリーデ王女殿下は女の私から見ても、見惚れるほどに美しい方だ。

 艶やかなハニーブロンドの髪にエメラルドの瞳、透き通るような白い肌。唇から紡がれる麗しい声は聴く者を魅了する。洗練された物腰と気品あふれる姿に、立場を問わず恋焦がれる殿方は山のようにいると聞く。

 

 国内の高位貴族は元より、他国からも縁談は引く手数多。国力の弱いレクイオスにとって、エルフリーデ殿下は大国と縁を結ぶために最高の駒だ。


 ヘンリック様はそれを防ぎたいのだろう。

 王子という立場を保ちつつも、王太子には相応しくないという評価を得る。そうすればエルフリーデ殿下が女王になり、ずっと彼女の傍に居られる……。なまじ頭が切れる故に、彼にはそれが出来てしまうのだ。


 ヘンリック様がここ最近、エルヴィラ・ボーデ子爵令嬢をお気に入りとして傍らに置いているのも布石の一つに違いない。

 人目もはばからず触れ合う二人の姿に、誰もがエルヴィラ嬢はヘンリック王子の寵愛を受けていると思っている。そして当然、そんな王子は国王には相応しくないとも考えるだろう。

 それこそが彼の目的だと知らずに。

 

 だって。彼がエルヴィラ嬢に注ぐ瞳に、エルフリーデ殿下へ向けるほどの熱は無いのだもの。

 

 少し稚気な所もあるが争いを好まず、気さくで面倒見が良い平凡な王子。それが、皆が思い描くヘンリック様の姿。

 しかし柔和な仮面の裏に、見え隠れする狡猾な顔――きっと、それが彼の本質なのだ。


 

「ローゼマリー。婚約を解消して欲しい」

「妻にするのは私だけと仰っていませんでしたかしら?」

「済まない。俺はエルヴィラを愛してしまったんだ」


 ……嘘ばかりね、貴方は。

 哀しげに見えるよう顔を伏せた陰で、こっそりと溜息を吐く。

 

 グラドネリア帝国の皇太子がエルフリーデ殿下を求めているらしい。皇太子には既に正妃がいるため、側妃として。

 

 レクイオスは数年前、国土を襲った嵐と長雨により大きな被害を被った。その際に多大な支援をしたのがグラドネリア帝国だ。そして復興が成った今、帝国は支援の見返りに様々な要求をしてきている。正式な婚姻の申し出があれば断り切れない。

 ヘンリック様は焦ったのだと思う。縁談が来る前に、エルフリーデ殿下を王太女にしなくてはならないと。

 

 しかも婚約解消を言い渡す場を、王宮ではなく学院のカフェテリアを選ぶ念の入れようだ。

 周囲にいた学生たちは固唾をのんで私たちを盗み見ている。この話は今夜にでも貴族たちの間を駆け巡るだろう。


「ローゼマリー様。申し訳ございません。私のせいでこんなことに……」


 へンリック様の傍らで涙を浮かべているのはエルヴィラ様だ。

 美しい金の髪を震わせて泣く可憐な姿は、男性ならば庇護欲をそそられるだろう。しかしその瞳には愉悦の色が浮かんでいる。毒蛇のような、邪な色。


 ヘンリック殿下に選ばれ公爵令嬢(わたし)に勝利したと、内心ではほくそ笑んでいるのでしょうね。

 なんて滑稽なのかしら。

 貴方だって代わりに過ぎないのよ。

 ただエルフリーデ殿下に髪と瞳の色が似ているというだけの、代用品。

 

「婚約解消を受け入れますわ。陛下や父の説得は、ヘンリックさ……殿下が責任を持って行ってくださいませ」

「ああ、無論だ。ローゼマリーには非が無い事は、きちんと説明する。それと君の縁談についても、王家で嫁ぎ先を用意するように進言するつもりだ」

 

「……その件は、謹んで辞退申し上げますわ。父の意向も確認しないとなりませんし」

 

 ヘンリック様の魂胆は分かっている。

 公爵令嬢である私は、この国でエルフリーデ殿下の次に高貴な身分の女性だ。王女殿下の代わりとして、グラドネリア帝国へ私を差し出す気だろう。

 

「いや、俺の身勝手のせいで君を放り出してしまうのは、いささか収まりが悪い。国外になってしまうかもしれないが、王族かそれに準ずる相手となる。悪い話じゃないだろう?ファインベルグ公爵家にとっても、益となるはずだ」

「そうですわ。お気持は分かりますが、そのように意地を張らないで下さいませ。このままでは嫁ぎ先を探すのも大変でしょうから」

 

 少し慌てた様子のヘンリック様へ、被せるようにエルヴィラ様が発言した。

 婚約を解消されたという瑕疵のついた令嬢など、嫁ぎ先はないだろうと言いたいらしい。

 その原因の一端を担った者が、何を言うかという話だ。


「いいえ。陛下のお手を煩わせなくとも、父が相応しい嫁ぎ先を見つけてくれますわ。ですからお気になさらず。お二人の幸せを、心より祈っておりますわ。エルヴィラ様、これからは貴方がヘンリック殿下をお支えになって下さいましね」


 肩を震わせる私に、居合わせた生徒たちが気の毒そうな視線を向ける。

 ヘンリック様とエルヴィラ様が気まずそうな顔で黙った隙に、私は足早にその場から立ち去った。


 

 ◇ ◇ ◇



 幼い頃から、俺が他者より優れていることは自覚していた。

 

 王子という生まれ、見目麗しい容姿、そして知能の高さ。

 大抵の人間は思い通りに動かせた。純真な少年、優秀な生徒、母親思いな息子……相手の望む姿を演じてやればいいだけだ。

 

 欲しいものは何だって手に入る。

 だけどそんな俺にも一つだけ、どうにもできないものがあった。


 俺の姉上、エルフリーデ王女。


 賢くて美しくて誇り高い、最上の女性。だがどんなに恋い焦がれたところで、彼女は俺のものにはならない。

 なぜ姉弟では結婚出来ないのだろう。あの美しい身体に他の男が触れるなど、考えただけで気が狂いそうになる。


 結婚以外で俺が彼女の傍に在るには、姉上を王にするしかない。

 幸いにも我が国は女性でも王位継承権がある。姉上が女王となり、俺が摂政となればいい。

 

 それから俺は自分の実力を隠し、平凡な王子を演じるようになった。

 とはいえ、あまりにもダメ王子では将来女王を支える立場になれない。ある程度のところで手を抜き、そこそこの評価を保つように尽力した。

 

 弟のフィリベルトも王位継承権を持ってはいるが、あいつは何をやらせても俺より下だから気にする必要はない。

 しかし念のため、俺や姉より目立つ振る舞いをしないよう脅しつけた。侍従や使用人のいない所で殴ってやったら、びくびくして俺に従うようになったのは面白かったな。


 姉上を欲しがる身の程知らずの男たちもいたが、全て手を回して陥れてやった。

 実際に事を行ったのは取り巻きの奴らだが。特にファクラー侯爵令息ギルベルトは使い勝手の良い駒だ。いずれ王配にしてやると言うと奴は喜んで従った。

 

 勿論、あんな男に姉上を渡すつもりはない。

 初夜の前に薬を盛って不能にしてしまうつもりだ。形だけの王配でも、男避けくらいにはなるだろう。

 姉上には清らかな身でいて欲しい。美しくて賢くて、俺だけの姉上のままで……。

 

 婚約者のローゼマリーに興味はなかったが、俺が摂政となって国政を握るためには、ファインベルグ公爵家の助力はあった方がいいだろう。それに万が一にも弟と結びつかれては困る。

 優しい王子様を演じてやれば、ローゼマリーはすぐに俺を慕うようになった。


 いずれはローゼマリーとの子供を姉上の養子にするのもいい。

 そうすれば姉上と俺は、王太子の父と母として並び立てる……そんな、甘美な妄想に浸る日々。


 エルヴィラ・ボーデ子爵令嬢を側に置いたのは、本当に気まぐれだった。

 姉上どころかローゼマリーの足下にも及ばない、下賤な女。妻にする気など毛頭ない。だがハニーブロンドの髪に顔を埋めれば、まるで姉上を抱きしめているようで気分が良かった。


「グラドネリア帝国の皇太子が姉上を?しかし彼には妃がいたはずだが」

「は。ですから側妃にと」

「姉上ほどの方を側妃だと!?無礼にも程がある!」


 側近から、グラドネリアの皇太子が姉上を望んでいるという情報が入った。

 重臣たちの一部も賛同しているらしい。どうせグラドネリアの利権目的だろう、馬鹿どもが。次期女王たる姉上を他国へ嫁がせるなど、損失でしかないと何故分からないのか。

 

 俺はローゼマリーへ婚約の解消を言い渡した。

 多少強引だが一刻も早く姉上を王太女にする必要がある。

 グラドネリアには、代わりにローゼマリーを嫁がせればいい。姉上ほどではないにしろ、ローゼマリーは公女で容貌も良く教養も高いのだ。皇太子も彼女を見れば気に入るだろう。


 次の縁談を用意すると言ったのに、ローゼマリーは拒否した。

 慕っていた俺に振られて拗ねているのかもしれない。女と言うのはこれだから面倒だ。嫌がるようなら、父上から王命を出して貰おう。

 


「フィリベルトを王太子とする。お前はいずれ王族から除籍し、爵位を与える」

 

 それから数週間後、父からそう申し渡された。

 突然の事に頭が回らない。

 弟が王太子で俺が王族から除籍?どうしてそうなる?

 

「は?次期国王は姉上でしょう?」

「エルフリーデはダルロザの第二王子との婚約が内定しておる」

「なっ……」

 

 グラドネリアからの縁談は回避したはずなのに。ダルロザからも縁談が来ていたなんて話は聞いてない。

 しかも内定だと!?俺に知らせもせず、何を勝手なことを……!

 

「父上、正気ですか!?フィリベルトなんかに王が務まるわけがない。王太子に相応しい人間は、姉上だけです」

「フィリベルトは帰国してのち様々な献策を行い、国政に貢献している。今や貴族の半数以上がフィリベルトを推しているのだ」


「し、しかし。姉上や俺をさしおいて弟が王になると言うのは、筋が通らないのでは」

「お前は国王になりたくないとさんざん言ってきたではないか。それに臣籍降下すれば、あの子爵令嬢との結婚を認めてやる。ファインベルグ公爵家を敵に回してまで、あの娘と添い遂げたかったのだろう?」


 色々と言い訳をしたが、父上は「もう決めたことだ」と取り合ってくれなかった。

 クソっ。エルヴィラは子爵令嬢だ。俺の妃に出来るような女じゃない。姉上の縁談を回避するための大義名分が、まさか足を引っ張ることになろうとは……。


 

「立太子を辞退しろ。お前なんぞに国王が務まるわけないだろう、身の程知らずめ」

「私利私欲で跡継ぎ選びを混乱させている兄上にだけは、言われたくありませんね」

 

 俺は弟をこっそりと呼び出して脅したが、奴は全く動じない上に口答えまでしてきた。いつも怯えて俺に従っていたくせに。

 

「王に相応しいのは姉上だ。お前じゃない」

「姉上はユストゥス殿下へ嫁ぐことを望まれているんですよ。弟なら、姉の幸せを喜ぶべきでは?」

「政略結婚の駒にされて、幸せなわけがあるか!姉上はこの国で、清らかなまま女王として君臨するんだ。それこそが彼女に相応しい、輝かしい未来だ!」


 フィリベルトが冷ややかな視線を向けてきた。可哀想なものを見るような、見下した目で。


「今や貴族の半数近くが俺を支持しています。姉上の嫁ぎ先が他国に決まったこと、そしてローゼマリーとの婚約でファインベルグ公爵が俺に付いたと知れば。ほとんどの貴族が俺に付くでしょうね」

「は?ローゼマリーがお前と婚約?あいつがお前を選ぶわけない」

「彼女との婚約を解消したのは下策でしたね。大人しくしていれば、侯爵位くらいは与えられるよう手配してあげますよ、兄上」

「この……出来損ないのくせに!」


 目の前が怒りで赤くなる。

 俺はフィリベルトの襟をつかみ、殴り掛かった。留学先で持ち上げられて、いい気になったんだろう。俺には敵わないのだと思い知らせてやらねば――。

 

 しかし次の瞬間、俺は地面に転がっていた。


「え……?」


 頭がふらふらする。弟に投げ飛ばされたのだと理解するまで、しばらく時間を要した。


「やれやれ、この程度ですか。ずいぶんと鍛錬を怠っていたようですね、兄上」

「貴様……兄に向かってこんなことをして、良いと思っているのかっ」

「先に手をあげたのはそちらですよ。話がこれだけなら失礼します。この後、来賓との会食があるので」

「ま、待てっ」


 俺の制止に耳を貸すことなく奴は去っていった。その背中を呆然と眺める。

 こんなのはおかしい。

 弟は出来損ないのはずだ。俺の下にいるべき人間だ。こんなこと、あっていいはずがない。


 

「俺が間違っていた。ローゼマリー、やはり俺には君が必要だと気付いたんだ。俺ともう一度婚約してくれ」

 

 俺はローゼマリーに求婚した。

 この女はずっと、俺を慕っていた。俺が愛を囁けば喜んでフィリベルトとの婚約を解消するに違いない。

 ローゼマリーが強く願えば、ファインベルグ公爵もまた俺の派閥へ戻ってくるだろう。そうすれば、フィリベルトの立太子を阻止できる。


「婚約を解消なさったのはヘンリック殿下ではありませんか。エルヴィラ様はどうなさるのです?」

「俺が愛しているのはローゼマリーだ。エルヴィラは王族の妃として何もかも足りない。あの女へ入れ込んだのはひと時の過ちだ。寛大な君なら、許してくれるだろう?」

 

 優しくローゼマリーの手を握り、唇に押し当てる。しかし彼女は表情を変えることなくその手を振り払った。


「私はもう、フィリベルト様との婚約が決まっておりますわ」

「公表はされていないだろう。今なら間に合う。君だって不本意だろ?フィリベルトなんかと婚約させられて」

「いいえ。フィリベルト殿下は夫として、敬愛に足る人だと思っております」

「意地を張らなくていい。ローゼマリー、君だって俺を愛していた筈だ」


 あんな男より俺の方がいいに決まってるだろう。

 さあ、早く「はい」と言え。あの生意気な弟に、思い知らせてやるために。

 

「貴方を慕っていたこともありましたわね。ですがそれは過去の事。私はフィリベルト様と結婚致します。私自身がそう決めたのです。ヘンリック様も、エルヴィラ様とお幸せに」


 

 ◇ ◇ ◇



「兄上が議会に乗り込んだようです。何やら改革案を出そうとしたとか。陛下(ちちうえ)の指示でつまみ出されましたが」

「往生際が悪い方ですわね」


 向かいに座るフィリベルト様が、端正な顔に微笑みを浮かべた。

 

 彼と再会したのは一年ほど前。

 「お前に会わせたい人がいる」と父が連れてきたのが彼だった。


 幼い頃の弱々しい印象と違って、今の殿下は長身の堂々とした青年に成長していた。

 四年前にダルロザ国へと留学してからは優秀な成績を修め、向こうの貴族たちと積極的に交流を持ち高い評価を得ていたそうだ。


 父は早い段階でヘンリック様に見切りを付け、フィリベルト様へコンタクトを取っていた。

 そしてフィリベルト様もまた、憤っていたそうだ。私利私欲で跡継ぎ争いに混乱を招く兄も、彼を甘やかす王妃様にも、優柔不断な国王陛下にも。

 

「混乱した国政を立て直す為にも、俺は王位が欲しい。そのためにファインベルグ公爵家の力が必要です。それと貴方の力も」

「……私もですか?」

「ローゼマリー嬢、貴方は貴族たちの間でも評価が高い。元々の資質もあるでしょうが、それは王子妃となるべく日々研鑽を重ねられた結果。今この国で、貴方ほど次期王妃に相応しい女性はいないと言っても過言ではない」

「お世辞が過ぎますわ」

「事実を述べているだけですよ。いずれ王となった暁には、共に支え合って立てる相手だと考えています。どうか、俺の手を取って欲しい」


 ――私はずっと、ヘンリック様に恋をしていた。


 実姉への道ならぬ恋を胸に秘めていたとしても。

 彼が真っ当に王として在ろうとするのならば、支えようと思っていた。あるいは女王となった姉を支えて傍に立つのなら、王弟妃として夫へ尽くそうと思っていた。

 愛する女性にはなれなくとも、愛する家族にはなれるだろうと信じて。

 

 あれはいつだったか……。

 「姉上は何でも出来るように見えるだろうが、王族として血のにじむような努力をしてきた結果なんだ。そんな姉上を俺は本当に尊敬している」とヘンリック様が仰ったことがある。

 

 ならば私は何なのか。貴方を支えるために寝る間も惜しんで自らを磨き、淑女の規範たるべく自分を律してきた私は?

 そう叫びたかった。

 

 だけどヘンリック様の目はエルフリーデ殿下だけに向いていて、私の方を見ようともしなかった。

 そしてあっさりと私を切り捨てた。彼は私の恋心だけでなく、私の積み重ねた努力をも否定したのだ。

 

 もう恋は真っ平だわ。

 共に生きるのなら、私の資質や努力を正当に評価してくれる人がいい。


 だから私はフィリベルト様の求婚を受け入れ、共闘することに決めたのだ。



 留学から戻ってきたフィリベルト様は精力的に動いた。

 各領地を回り、食料生産量向上に関する改革案を上げたり、新規事業を提案したり。

 在学中に培った人脈を使い、ダルロザとの取引を広げたい国内貴族たちの橋渡しをしたり。

 そしてフィリベルト様の評判はどんどん上がっていった。これは父や我が派閥の者たちのおかげもある。

 父は表向きヘンリック派を装っていたが、裏ではフィリベルト派を増やすべく暗躍していたのだ。


 エルフリーデ殿下の婚約を押し進めたのも、私とフィリベルト様だ。

 

 ダルロザのユストゥス王子殿下は見目麗しい美丈夫だが、身分と容姿のせいで擦り寄ってくる多くの令嬢たちに辟易していたそうだ。だから彼女たちに立ち向かえるような優秀で美しく、身分の高い女性を求めていた。


 だけどヘンリック様に知られれば、当然妨害しようとするだろう。

 そこでまず、グラドネリア帝国の皇太子が姉を求めているという噂を流した。実際は皇太子が、酒の席で冗談がてら言っただけの話。それを針小棒大に広げて、ヘンリック様の耳へと届くようにした。

 

 それでヘンリック様は焦って私との婚約を解消したってわけ。予想通り過ぎて、笑いをこらえるのが大変だったわ。

 

 そしてヘンリック様の目がそちらへ向いている隙に、エルフリーデ殿下とユストゥス殿下との会合を実行した。ダルロザとの国境付近にある我が家の別荘へ、避暑の名目で王女殿下をお呼びし、偶然を装ってユストゥス殿下と会わせたのだ。二人はすぐに意気投合した。

 麗しい二人が並んで立つ様は、絵画のように美しかったわ。ヘンリック様が見たら歯ぎしりして悔しがったでしょうねえ。


 エルフリーデ殿下の婚約が決まったこと。ほとんどの貴族がフィリベルト様を支持したこと。

 その事実により、陛下はフィリベルト様を王太子にと決断した。反抗した王妃様と王太后様は離宮に押し込まれたらしい。遅すぎるくらいだと思う。

 

 再婚約を打診し、私に断られた時のヘンリック様の顔ときたら……今思い出しても愉快だわ。

 自分に惚れている私に愛を囁けば、すぐになびくと思っていたのでしょうね。

 

 エルフリーデ殿下を駒扱いするなと憤っていたらしいけれど、自覚はないのかしら?

 貴方こそ、私を……いいえ、自分と姉以外の人間全てを、自分の手駒扱いしていたのでしょうに。

 だけどね。駒にだって、意志も意地もあるのよ?


 ヘンリック様を一途に慕っていた私はもうどこにもいない。

 ここにいるのは、王妃となって生涯この国へ尽くす目標と覚悟を定めた女よ。

 


 最近のヘンリック様は、自分の評価を上げてフィリベルト様を引きずり降ろそうと懸命になっているらしい。

 ヘンリック派の貴族なんてもうわずか。それに彼の側近のうち、有能なものはフィリベルト様が引き抜いた。

 いま彼の側にいるのは、男に媚びを売ることしか能のない下品な女と、主君の言うことに諾々と従う無能な側近だけ。

 

 せいぜい頑張って下さいな。そんなか細い手駒で、状況を覆せるとは思えないけれどね。



 

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有難いことに他視点のエピソードも読んでみたいというお声を頂きましたので、連載版を始めました。フィリベルト王子やエルフリーデ、エルヴィラ視点などを追加していく予定です。

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― 新着の感想 ―
もしもエルフリーデが女王になっていたら、王配に薬を盛って不能にするって言ってましたが、それが成功していたら…自分が陰の夫になろうとしたんじゃなかろうか、この気持ち悪い王子は。 その気は無かったようです…
典型的な.見たいモノだけ見てるタイプかな?窮すればネズミとて猫を噛むのに。机上の空論乙です(^^)
周りを馬鹿にしてたら一番のバカが自分だったでござるw
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