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婚約破棄しようとしたら壇上で靴が飛んだ

作者: 宵二咲ク

※婚約破棄(未遂)&ざまぁです。擦りむく程度の流血あり。元鞘系が苦手な方はブラウザバックプリーズ。

 セルディオ・ラスフィーリは、貴族であることを誇りにしていた。名門ラスフィーリ侯爵家の次男、剣もたしなみ、口も立つ。

 外見ももちろん申し分ない。ファッションセンスもまた然り。彼が何より心を配っていたのが靴だ。足元まで気を抜かないことで洗練された印象を与えるのだ。そう、彼は何より自分が「映える」ことを重んじていた。

「大切なのは、常に舞台の中心であること。そのために添えられる花瓶や背景は、派手すぎず、地味すぎず、控えめであるべきなのだ」

 彼の婚約者であるレリシア・エステラは、まさにそういった「控えめな飾り」としては最適な存在であった。家格も釣り合い、学もあり、品もあるが、特に際立ったところがない。無難な存在。


「だが、それももう不要だな」

 セルディオの目下の関心は、貴族院に現れたばかりの新星、ユランナ嬢。金髪碧眼で笑顔がまぶしく、社交界の寵児。

「婚約者としてふさわしいのは、もはやレリシアではない。ユランナ様こそ、私の隣に立つべきだ」

 ユランナ嬢と私なら、掛け算で映える。彼はそう確信し、決意する。

 レリシアとの婚約を破棄しよう。できるだけ盛大に、華やかに、みんなの前で。そしてユランナ嬢に交際を申し込むのだ。



 その前日。セルディオは、形式的な事前通告のために、エステラ家の庭園を訪れた。レリシアは温室にいた。読書をしていたらしい。いつも通り、地味だった。

「レリシア。君も気づいているだろう? 私たちは釣り合わなくなった。君は良妻になれるが、私にはもっと……華やかな人生がある。理解してくれたまえ」


 彼女は何も言わず、本を閉じて顔を上げる。

「それは……そうですか」

 ただそれだけ。驚きも悲しみも、ほとんどない反応。

 セルディオはやや拍子抜けしながら、ふと背後に気配を感じた。温室の奥、鉢植えの隣に座っていた老婆が、不気味に笑っていた。

「よう言うたな、坊主。飾りとしか思うておらん相手に、よぉもまあ好き勝手抜かしたもんじゃ」

「何だ、貴様は。庭師か?」

「いや、昔は靴職人をやっとった。王宮付きの、な。今はエステラ家のお抱えじゃよ」

 老婆は、足元の小さな鉢植えを撫でながら言った。

「レリシア嬢には昔、良い靴をこさえたもんじゃ。主の品格に合わせて、道を選ぶ靴をな。じゃが、おぬし……今の言葉、あまりに見下げ果てておっての。わしの古傷が、疼いたわい」

 セルディオが何か返すより先に、老婆の指先が鉢植えに触れた。それは魔法草スリッパー・ポピー。花弁がふわりと広がった瞬間、セルディオの足元から不思議な冷気が立ち上り、足元を絡め取ったかのように感じられた。



「……大切な場でだけ、靴が脱げる呪いをかけといた。まあ、気づく頃には、靴ごと誇りも脱げとるじゃろ」



 翌日、決戦の舞台。

 貴族院の晩餐会。多くの貴族が集う前で、セルディオは壇上に立った。レリシアは招かれた席で静かに友人たちと談笑している。

「この場を借りて、皆にお伝えしたいことがある!」

 皆の注目が集まる。彼は胸を張り、満面の笑みで叫ぶ。

「令嬢レリシア・エステラとの婚約を──!」


 ポフンッ


 右足の靴が、宙を舞った。

「…………」

 会場に微妙なざわめきが走る。セルディオは無理やり続ける。

「このセルディオ・ラスフィーリは、今ここに──!」


 ポフッ!


 左足の靴が、飛んだ。

 つるり。

「ぬあっ!?」

 両足を滑らせたセルディオは、派手に尻もちをついた。麗しのユランナ嬢がドン引いている姿が視界の隅に入る。

 予定していた豪奢な演説は台無し。壇上に、白靴下のまま正座させられたセルディオの姿だけが残った。


 セルディオの話題が出るとき、人々は言った。

「ああ、あの靴のーー」

 あの靴の、が彼の枕詞となった。


 そして、その晩餐会の日以降も、彼の靴が脱げる呪いは続くのだった。

 その日以来、彼は何度も試した。

 鉄の靴を履いて再挑戦した。脱げた。

 編み上げブーツを履いてみた。駄目だった。

 足袋を履いて試した。無駄だった。

 素足は……彼の貴族としての誇りがそれを許さなかった。

 ついには婚約破棄を諦め、黙って婚約を継続するしかなくなった。

 両家の合意のもとに、事前通告そのものがなかったものとして扱われた。レリシアも淡々とそれを受け入れた。


 そしてある日のこと。王城にて、レリシアとセルディオが並んで歩く姿が見られた。

 彼は下を向き、靴を慎重に履いて歩を進めていた。 

 レリシアは相変わらず地味な笑顔で言う。

「セルディオ様。最近、ずいぶんと……腰が低くなりましたね」

「……うるさい。靴のせいだ」



 呪いは解けなかったが、彼の中の何かが少しずつ変わり始めていた。





 温室の中には、熟れかけた果実の香りと、干したハーブの穏やかな匂いが漂っていた。レリシアは手袋を外し、ささやかに咲いた紅茶色の花を指で摘む。

「この子、去年より背が高くなったようですね」

「そうじゃな。主が変わると、花も気を張るんじゃよ」

 老婆は細い指で土をほぐしながら、かすかに笑った。その背は、昔より少し丸くなった気がする。

 レリシアは摘んだ花を小さな籠に入れ、隣に腰を下ろした。

「彼と……お話しされたんですね」

「ふん、何度も何度もあんな転び方をしたら、誰でも靴屋に泣きつくもんじゃ。膝も、鼻っ柱も擦りむいておった」

 老婆の目尻が深く笑む。どこか厳しさよりも、温かみがあった。

「“いい靴は、主の歩むべき道を選ぶんじゃ”」

 老婆は懐から、古びた靴型をひとつ取り出した。

「だがあの坊主は、どうやら転んで学ぶ道らしかった。……まあ、それもひとつの品格じゃよ。若いうちに転んでおけたのはあやつにとってよかったのかもしれん」

 レリシアは小さく息を吐いた。乾いた笑みと共に。

「彼は誇り高い方でした。見栄にまみれていたけれど、それでも……」

 少し言い淀んで、静かに言葉をつなげる。

「どんな靴より、呪いの方がよくフィットしていたようですね」

「ほっほっ、足元が崩れれば、歩き方も変えざるを得んじゃろうなあ」

 老婆は肩を揺らして笑った。

「あれは効果てきめんだった」

 しばらく、風が葉を揺らす音だけが満ちる。

 やがて老婆が土の匂いを嗅ぐように目を閉じて、ぽつりと言った。

「だが、呪いを履きこなせたなら、坊主は靴より立派になれるやもしれん。自分の歩き方を見つけたらな」

 レリシアは、花籠の中の紅茶色の花を見つめた。そして静かに、優しく言う。

「そのときには、彼の隣を、もう少し歩いてみたいと思うかもしれません」

 老婆は何も言わず、土に小さな種をひとつ落とす。それがどんな花になるかは、まだ誰にもわからない。






『誇りが脱げたその日から』

 

――レリシア・エステラ視点――


 靴が脱げる──それだけの呪いだと、彼は思っていたのかもしれません。でもそれは、貴族が貴族でなくなるために、じゅうぶんな代償でした。


 セルディオ・ラスフィーリ様は、誇り高き方でした。その誇りの中身が何だったかというと──美貌、家柄、社交性、知性、衣装、そして……靴。


 特に靴にはこだわっていらっしゃいましたね。艶のある黒、金の刺繍、絶妙なヒールの高さ。流行の最先端でいながら、決して騒がしくない。足元まで完璧でなければ、舞台の中心に立つ意味がないと、彼はいつもおっしゃっていました。


 私は、彼にとって「飾り」でした。派手すぎず、地味すぎず、他の光を邪魔しない、控えめな器──花瓶のような存在。そのことに気づいていなかったわけではありません。……でも、私はそういうものになるために育てられましたし、それを恥じるつもりもありませんでした。


 ──あの日までは。


 温室にいた私のもとに、彼が現れたとき。それは、予感していた別れの通告でした。

「君は良妻になれるが、私にはもっと……華やかな人生がある」

 なるほど、と思いました。きっと彼は、私を見た目通りの人間だと思っているのでしょう。何も言い返せない、地味で、穏やかで、影のような人間だと。

 だから、私は黙っていました。けれど、彼の後ろにいたあの人──靴職人の老婆は、そうではありませんでした。


「呪いをかけたよ」と、彼女は耳打ちしてくれました。

「大切な場でだけ、靴が脱げる。誇りごと脱げ落ちるようにな」と。

 その言葉に、私は何も返せませんでした。ただ、胸の奥に、わずかな熱が灯ったのを覚えています。


 そして翌日。貴族院の晩餐会。舞台の中心で、彼は私との婚約を──派手に、華やかに、皆の前で破棄しようとしました。

 ……結果は、皆様ご存知の通りです。


 一足、脱げました。もう一足、脱げました。つるりと滑って、盛大に転びました。

 白靴下で壇上に正座する彼は、まるで少年のようでした。完璧な装いも、華やかな言葉も、足元がなければ支えられない。靴が脱げただけで、あの方はすっかり崩れてしまったのです。


 その後、彼は何度も挑戦しました。鉄の靴、編み上げブーツ、足袋、結界付きのインソール。けれど、結果はすべて同じ。滑って転んで、涙目で帰っていく。

 ──ええ、何度か、うちの靴職人に相談していたそうです。膝を擦りむき、鼻っ柱を折りながら。


 そして今。私たちは、婚約を継続しています。誰にも派手に知られることのなかったまま。

 けれど、舞台の中心から降りた彼の歩き方は変わりました。つま先に気をつけて、かかとを踏みしめて。もう二度と転ばないようにと、慎重に、丁寧に。まるで、足元だけでなく、相手のことも見ようとしているように。

 いつの間にか彼の人を見下す癖は、すっかり脱げ落ちてしまったようです。

 そして彼は、私の言葉にも耳を傾けるようになりました。


「最近、ずいぶんと……腰が低くなりましたね」

 そう言った私に、彼は少しむくれながら答えました。

「……うるさい。靴のせいだ」


 ──ええ、靴のせいですね。

 けれど、呪いを履きこなせるようになったのなら。自分の歩き方を見つけられたのなら。

 そのときには、私も彼の隣を、もう少し歩いてみたいと……そう思うようになるかもしれません。


 温室の片隅。あの紅茶色の花は、去年より、すこしだけ背が高くなっていました。私はそれを摘んで、小さな籠に入れました。

 どんな色になるかは、まだ分からないけれど。それもまた、歩いてみないと分からない道の先に、あるのかもしれません。


超くだらないざまぁが書いてみたかった。

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