報復三昧
狩野紅緒は依頼人から受け取った『日常記録』、と赤い文字で表紙に記されたノートを脇に抱えると、瞳を細くし鋭利に光らせた。
『日常記録』ノートは全てのページが傷んでおり、破れている部分も多く見られる。
破ったのはそのノートの持ち主……本人が残した、常に起きている日々の出来事への感情がコントロール出来ずにいた反動だろう。
「刻まれた……みみず腫れのような文字、このノートは彼の心だ……」
ノートの持ち主の少年、雨居猛の日常を思い浮かべ、彼の両親から預かったそれを胸に抱き締める。
その時、紅緒の脳内へと向けて間接的に呼び掛けが届いた。
「……そうか、そちらは今片付いたのか」
呼び掛けに応える紅緒の唇が小さな笑みを見せる。
『後は兄さんが受け持つ親玉がラストですぜ』
紅緒に呼び掛けているのは仲間の一人。
呼び掛けを行うのは狩野一族のうちの一人……依頼された任務を遂行する彼らは『闇の裁き人』としてターゲットに裁きを下すのだ。
『屑の中の屑の後始末、ド派手に片付けて下さいねえ』
「ああ、了解した。
害虫駆除は得意中の得意なんだ。
おもっくそ、ズタズタにしてやんよ」
『ヒューッ♪』
脳内通信を切断すると、紅緒の瞳に再び鋭さが戻った。
「屑の気配……後方五メートル。
俺の背後にまわるなんて……良い度胸してんなあ」
紅緒の背後から五メートルの位置に、ターゲットの野田賢がこちらに向かって歩いてくる。
(親玉屑、野田賢……職業、教師。
はっ……反吐が出る!)
紅緒は眉間に皺を寄せ、野田が近付くよりも速く歩み寄り、曲げた肘をターゲットにぶつけた。
日頃から筋トレで鍛えている紅緒の肘鉄を喰らった野田の身体は、一瞬にして数メートル吹き飛び塀に激突した。
「う……っ‼」
野田が低い呻き声を洩らし、その場に倒れ込んだ。
「なっ……!」
「あっぶねえなあ……何処に目ん玉くっ付けてんだあ?」
野田が声を出すより瞬で速く、紅緒の方が絡み出した。
「おっさんよ……人にぶつかっておいて、謝罪の言葉の一つも無いのかよ?」
「おっさ……?
何を云うか、ぶつかってきたのは……」
野田が言葉を返そうとすると、紅緒はその言葉をはね除けた。
「うるせえ口だな‼
裂けろや‼」
「…………!」
紅緒の怒声が響き渡ると、野田の唇が大きく裂け始めた。
唇は縦に横にと裂け、その唇から野田の叫び声のようなモノが轟いた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!」
濁った叫び声が空中を走り抜け、野田はその場にうずくまる。
『先生の方から僕に体当たりをしてきたのに、ぶつかってきた僕が悪いといわれ、身体を叩かれました』
「人にぶつかったら、先ず頭を下げて謝罪すんのが普通だろうがよう‼
そんな事も分からねえのか、この屑野郎がようっ‼」
〈グアツッ……!〉
紅緒の片足が野田の頭を踏みつけ、地面へと押し付ける。
見た感じ、年下の少年の力は有り得ないくらい強いものでなすがままだ。
「ほら……」
踏みつける力がますます強まり、野田は抵抗出来ない。
「あ!」
〈ガッ!〉
「や!」
〈ガツッ……!〉
「ま!」
〈ゴッ!〉
「れ!」
〈グシャア!〉
「やああああっ!」
〈ブォ……キィィィ……!〉
何かが折れる音がしたが、紅緒の怒りは治まらない。
ただただゴミを見るような目で野田を見下げ、彼の頭を踏みつけ続ける。
「ぺ……っ!」
見下げたままの顔付きで、紅緒は野田の顔に唾をかけた。
『倒れ込んだ僕に、先生は水をかけました』
野田の目が紅緒を睨み付ける。
「何だよ、その目は。
お前が悪いんだろう?
お前の顔にかかった唾の方が汚れるわ‼」
「ほんわ……ほほほいべ……ひいひほおお……」
「きたねえ声を出してんじゃねえ‼
何云ってんのか、わかんねえよ‼
はっきりモノ云えやああ‼」
〈ズボウッ!〉
紅緒は空間の狭間から召喚した黒電話の受話器を、野田の口から奥へと力いっぱいに突っ込んだ。
「う゛お゛え゛え゛……っ‼」
受話器を吐き出そうとした野田の口を、現れた狩野一族の光輝が押さえ付けた。
「吐くんじゃねえ……それ入れたまま、吐きやがれ(云いたいことをだよ)!」
光輝は華奢ながらも毎日の筋トレの成果があり、野田を軽々押さえ付ける。
「助太刀しますぜ、兄さん」
「おお、助からあ。
この屑なかなかしぶとくてな、てこずってたんだよ」
「親玉とは、そんなモンですぜ」
黒電話の受話器から、濁った声が絞り出された。
「こんな事して、良いと思うか⁉
複数で一人を虐げるなんて、卑怯な行為だ‼
この世でしてはいけない事だ……」
「「うるせえわ‼
この害虫がよ‼」」
〈ガキイイイッ‼〉
二人同時に蹴りをいれ、野田を黙らせた。
「お前の行為こそ卑怯な行為だろうが‼
一人を数十人で攻撃していただろうがよ‼」
「人にはやられる側が悪いとほざく癖して自分がやられたら、やる側が悪いって……どこまで性根が腐ってんだよ‼
お前はよう‼」
〈グシャアアアア!〉
野田の周りに、いつの間にか『日常記録』ノートを手にした狩野一族たちが佇んでいた。
『先生は僕に…………………………………』
破れたページの先は読むことが出来ないでいた。
〈お前なんかが教壇に立つんじゃねえ‼〉
狩野一族が一斉に野田の身体を怒りで貫いた。
ー数時間後……任務を遂行した事を依頼人に報告した狩野一族は、静かに帰宅した。
紅緒は自室で黄昏ていた。
(彼が今回、未遂で済んだ事が幸いだな。
どうか、苦しいことがあっても自ら命をたつことだけは考えないで欲しい……)
そう願う紅緒の表情には、儚い物が見え隠れしていた。