第四章(全四章)
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「これ、返してくれーーって」
突然、翌朝になって昨日のタクシー代の釣り銭を畠伸一郎が三上宅に、届けに現れた。
「いや、いいのに・・」
三上は一旦は断っていたのだが預かってきた畠の手前を考えると、やはり受け取らない訳には、いかなかった。
「電話くれーーってさ」
畠は三上に景子の声明を、さらりと告げた。表面上は返金の名目だが、彼女の目的は・やはり復縁らしい。
三上は少し気持ちを揺さぶられていた。
届けに来た畠は地域で一番の都立高校を出たカタブツ男で今まで一度も女にゆかりの無い文化系気質なタイプだ。
三上は景子が畠に、この件を依頼した所以まで読み取れてしまう・・
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「あ、もしもし、香坂チカさんですか?」
まるで逃げるかの様に三上はチカのほうに、電話を入れた。
「今度、バンドの懇親会を河川敷でやろうと思ってるんだけど、友達三人位・呼べない?」
「何で?」
「”何で?” って何で?」
「アタシが三上君に電話してーーって、そういう意味じゃない」
三上は完全にチカに叱られてしまった。
「アタシさァ、何か最近、結婚したいなァって・・」
チカは話を変えてきた。
どう考えてもイケイケタイプに見える彼女が ”結婚” という枠には到底、はまり難いーー
「でも実際に子供の世話とか大変だよ・・」
三上はやや説教めいた形で、反論していた。それを受けてか、会話も更に沈滞してゆく。彼は胸中、彼女との相性は可成、良くないであろうと独り強く感じてしまった。
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「もしもし、佐藤さんの御宅ですか・・」
それでも三上は景子の居ないであろう月曜の午前に電話を入れていた。その時間なら、彼女はゼミで自宅には滅多に在宅しない。
これなら約束も果たせたし、誰も傷付かない。
「釣り銭のほう、受け取りましたので」
「判りました」
電話には景子の母親がでていた。割と、大人しい人で従順な印象を与える。三上はひとつ、事を片付けた心持ちに辿り着けていた。
あの、夕方にもう一度・掛け直して貰えます?ーー景子の母が今日に限って己を表してきた。
「いや、伝言で結構ですが」
「御願いします」
「いやァ・・」
「夕刻の十八時には戻ると思いますので!」
彼女の普段・見せない強引さに三上は圧倒されてしまう。いざという時、ひた隠された感情というモノはより効力を発揮し、まわりに強い印象を与えるというものだ。
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ねェ、十五分後に掛け直してーー折角、景子の為に仕事を休んだのだからと三上は再びチカに電話を入れ、そう返答されていた・・
「いいけど、誰か居るの?」
「居たりして」
「ーーなら、別の日にするよ」
「バカね。居ないわ」
前回、チカは谷森祐司に接近されたと云っていた。今の今まで、その事をすっかり三上は忘れていたのである。
ごめんねーーそう云いながら十五分後、チカは受話機を取っていた。ねェ・・何か音がするよーー三上は彼女の部屋から、芝刈機の様な小さな騒音を聞き取っている。話が進むにつれ、それが更に増幅し激しくなり泥沼を歩く靴音の様なモノまで、混じる趣となってきた。別に、しないと思うけどーー 一貫して彼女は、そう答え何故か急に怒り始める。
この時、三上は彼女が自身の躰を慰めているなどという想像は夢にも出来てはいなかった。
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「ーー奴とは上手くいってる?」
ようやく十八時になり三上は景子に電話を入れた。 "まぁね” と答える彼女は、三上がゼミで居ないであろう時を見計らって掛けてきた事から心持ち半分は諦め気分となっている。
「三上君は恋人、出来た?」
「いや、これからさ」
そのセリフは、彼女をより落胆させるモノとなっていった。彼女にとっては何れ他の誰かとという意に取れてしまうが故だ。
「じゃあ、今度スタッフの打上げやるから小春沢とふたりで来てよ」
三上は紳士的に問い掛けていた。
「ーー」
「また、連絡する」
「ーー」
「宮城さん経由で・・」
「さようなら」
景子は泣きながら、そう発し受話器をそっと所定の場所へ置き恋の終りを肌で感じていた。
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「やはり来ないか・・」
例の打上げには景子、小春沢ふたり揃って出席は、なされなかった。
” 切ないな” もう二度と会えないと思うと、彼の心には強烈な孤独感が襲来する。先日、掛け直した電話で最後の台詞となった”さようなら” の”な” の辺りで景子の声は、涙ながらとなっていた。切ないから恋なのかーー破れたから切ないのか・・三上は初めて、景子の立ち場で恋愛を思い直していた。
ーー息がつまる・・翌朝の出勤は、三上にとって強烈に辛いモノとなっていた。
太陽は出ているのに吹雪でもないのに、心が妙に凍てつく。
それは失恋の苦よりも二度と会えないという絶縁の悲しみであろう。それだけに彼にとっては、景子は友人に近かったのかもしれない。
「でも、好きではあったのだ・・」
三上は、自分本位な、ひと言をポツリ呟いて仕事場へと、自身の躰を押し出していった。
----- エピローグ -----
「ライブ、上手くいったみたいね」
プラット・ホームでの景子は半年前の成功を称えていた。
誰から聞いたの?・・と、ようやく会話らしい言葉を三上は吐き出せている。そう尋ねるのも、その筈で公演当日、彼女は客として其処には招かれてはいなかった事実が存在したのだ。
”彼女が霊だろうと、もう、この際どうでもいい” 三上は景子が自身の音楽活動を気使っている事に気付けていた。
(好きだったら抱いておけばよかったんだ)
三上も自身の将来を思い保守的だった欲望をついに確認している。
ようやく、ふたりは互いの懐を理解し、接する事が大切だーーと確信・出来たようだ。
一人称だった思いを客観視に変え、やっと、ふたりは恋愛を体得し始めたのかもしれない。
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じゃぁ、行くねーーそう云って幻かもしれない景子は反対路線の東行きの列車に乗って、一瞬のうちに消え去ってしまった。
”プロになれるんでしょう・・ガンバッテ”
去り際の彼女の言葉が胸を熱くする。
当然、親友にも漏らしていない重要機密なのだが、なぜか彼女だけは知っていた。
”ありがとう”
胸中そう呟いて彼は駅の階段をひとつずつ、噛みしめながら希望と共に駆け上がっていった。
”まさか!” 改札を出た辺りで三上は気付いてしまった。昔、景子から手紙が届いた折、封筒に差出人の名が無いのに彼の母が ”景子さんから手紙だよ” と云った過去を思い当ててしまう。彼はこの日、母に荻窪から電話を入れ何時頃、最寄駅に着くと通達していた。そして更に母から最後尾の車両に乗る事まで促されている。景子は生きている。あれは霊では、ない。彼は何故か胸を撫で下ろす自身を把握し、自転車の鍵を開けホっと、ひと息ついていった。
(了)
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