第十三話『欠落した記憶』
「……寝るか」
側に置いてある時計の針が十時を回ったのを見て、深く息を吸い込んで──吐いた。
冷たい空気が肺を満たし、清涼感が身を包む。
体が熱に浮かされたみたいで、沈み込むようにベッドの上に仰向けになった。
耳に入るのは雪の音のみ。
この大陸に住むものならば毎日のように聞く環境音であるが、今だけはどんな事があっても変わらない雪の音に安心感を覚えていた。
(この見慣れない天井も、すぐに慣れてしまうのかな)
未来がどうなるのかは分からない。
漠然とした不安が前へ進む足を掴んで離そうとしない。
(それでも俺は……絶対に…………)
おもむろに天井に伸ばした右手が途中で力が抜けてベッドに落ちて弾む。
──どうやら、ベッドに腰掛けた時点で俺の体力は限界を越していたらしく、前借りした体力を精算するかのように俺の意識は急速に暗がりへと落ちていったのだった。
◇◆◇
パチリと目が開く。
眼前に広がるは一面真っ白の空間。
そう、ここはヒイロのいる『白日』の中なのである。
だが、前回と大きく異なる点が一つ。
「ねむ……い……」
それはもう強烈な睡魔が俺を襲っていたのだ。
今すぐ床に寝転がって瞳を閉じてしまいたい気分。
だが、眠気に抗ってまで検証すべき点がある。
「ヒイロ……何処……」
この空間は広い。
そのくせ白一面なせいで方向感覚が掴めず、頼りになるのは足元に広がる波紋だけ。
今自分が真っ直ぐ進めているのかすら怪しいのだ。
せめてヒイロを見つけてから寝よう。
そう、何度も頭に言い聞かせて歩みを進めて五分が経つと、前方から黒い点が段々大きくなっているのに気がついた。
「見つけた……」
安堵感で一瞬寝かけたが、左手で頬を叩いて耐えてみせた。ナイス左手。
「ラピス〜〜!! 今行くからの〜〜!」
「……」
段々とヒイロのよく通る、凛とした高い声が聞こえてきた。その方向をよく見ていると、ヒイロの姿が段々とあらわになったのだが……
(え、あれ飛んでるよね? 完全に浮いてるけど……?)
ヒイロは地面を駆けておらず、白装束をたなびかせながら低空飛行していたのだ。
でも、ツッコむ余力など一切残ってないし、恐らく俺も知らない高度な魔法なのだろうな、と納得しておいた。これからヒイロとも長い付き合いになるのだから、これぐらいで驚いていたら心臓がもたないだろう。
ふらつく俺の近くに華麗に着地した彼女は、俺の体を支えるように背中に手を回した。
遅れるように赤みがかった白い髪がパラパラと揺れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ふむ……これは魔力欠乏症の第一段階じゃな。心当たりはないかの?」
「魔力……欠乏症……?」
ヒイロの口から出た言葉を聞いて、俺は驚きを隠せなかった。
(確か、魔力欠乏症って残存魔力が二割を切ってから出る症状だったと先生が言ってた気がする……まさか、杖に魔力を吸われて……?)
「その認識で合ってるようじゃの! 恐らく、杖が張り切りすぎたんじゃろう。持ち主が見つかって吸いすぎちゃったってやつじゃ」
「そんな、事……あるんですか?」
「無論じゃ。強い効果を持つ杖ほどその傾向があるのう。杖は基本、使用者の魔力に順応するために魔力を吸う。その過程で吸いすぎてしまったんじゃろう」
なるほど、そう言われるとあの杖が可愛く見えてきた気がする。
だが、そのせいで体が怠くなっていたのか……
「うぅむ……おかしいのじゃ」
「何が、ですか?」
「別にお主の魔力量が少なかった訳ではないし、なんなら常人の数十倍……わっちに届く程の魔力を内包しているはずなんじゃがの……」
そう言いながら右目に輪っかを作り、片目を瞑りながら俺の瞳を覗き込んでくるヒイロ。
その口から発せられた事実に俺は首を傾げる。
「そんなに、魔力があるんですか?」
「うむ。わっちの目に間違いはないからのう。考えられる線じゃと、無意識にリミッターがかかっておるかもしれぬ。大き過ぎる魔力に身体が耐えきれないから? いや、それじゃと何故こんなにも魔力を内包しているのじゃ……?」
どうやら、ヒイロですら分からないような現象が俺に起きているらしい。
それからは小一時間程身体の魔力の流れがおかしくないか調べ上げられたのだが、途中で眠気が本当に限界に達したので、境界の外に出ることにした。
別れ際にヒイロから声がかかる。
「それと、言い忘れておったが……少し顔を近づけてくれぬかえ?」
「は──」
「ふむ、やっぱりそうじゃの。もういいぞ〜」
返事をする前に顔をガッシリと掴まれ、瞳の奥をガン見された。そして、パッと手が離されたかと思えば、目の前にはニタリと微笑むヒイロの姿があった。
「やはり、ラピスは祝福を保持しておるの! それも低く見積もって『中級』じゃ」
「祝福……!? それも『中級』!?」
俺が驚いたのには理由があった。
そもそも宿ること自体が珍しい『祝福』。
それにはおよそ三段階の区分が存在している。
下から『下級』『中級』『上級』と。
全世界祝福保持者のおよそ五割が下級と言われており、次いで中級が三割、そして上級が二割だ。
多いと感じるかもしれないが、そもそも母数が小さいため、想像よりもずっと中級以上の人は少ない。
「まさか自覚してなかったのかえ?」
「は、はい……」
「何か…………おかしいのう。普通、祝福を授かった瞬間に、本能的にその効果を理解するはずなんじゃがの……ならばラピスが祝福を得たのは《《今回の》》流灯ではない……? それならば今自覚していない説明がつくが……それじゃと幼少の頃には自覚しているはずじゃが」
「幼少の……頃?」
その言葉に強い引っかかり……いや、胸がざわめくのを感じた。俺が突然口を挟んだ事にヒイロは驚いたが、何と言おうとしたのかを聞かれ、俺は答える。
「──流灯を見て洞窟に落ちる直前に、六歳ぐらいの俺が知らない少女と笑い合ってる映像を見た……」
「そこはわっちも見たのう」
「でも、俺はそんな記憶なんて知らない。横にいた少女の名前も……そもそも裏森に入った事自体ないはず……それに──」
カトレアの、屋根裏で見せた泣きそうな表情が頭を過ぎる。
彼女は言っていた。
義務学校で俺から魔法を教わっていたと、あだ名で言い合うような仲であったと。
しかし、俺にそんな記憶はないし、魔法を他人に教えた覚えはない。
矛盾している。
そう、矛盾しているのだ。
──それを理解した瞬間、筆舌し難い気持ち悪さが頭を襲う。まるで思い出そうとするな、と体が言っているようで──
「六歳から十歳までの記憶が、欠けて……る?」
荒唐無稽な結論へと至った。
自分でも何を言っているのか、そんなに長い期間の記憶が欠けているはずがないじゃないか、と頭の中で告げる声があった。
でも、俺の直感が言っている。
あの記憶は本物だと。
「──それなら、説明がついてしまうのう……まさか、わっち達記憶喪失コンビでもあったのか!?」
そんな状況でもヒイロの明るさは変わらない。
それには、この膨れ上がった焦燥感すらも吹き飛ばしてくれそうな程の力があった。
「まだ、確証は持てないけど。多分そうだと思う」
六歳から十歳までの四年間。
その間に何かがあったのは間違いない。そうとしか言えないのだから、今はそれ以上を考察することはできない。
でも、もしその記憶を思い出す事ができれば?
「わっちも同じ考えじゃな。恐らく魔力と祝福の件もそれに関わっておろう……じゃがの」
「ふぇっ!?」
考え込んで俯いていた俺の左耳を、ヒイロの吐息が撫でる。ゾワッとした感覚を覚えて思わず飛び上がってしまった。
「まずは寝て休み、食べて力を付け、魔力を杖に慣らすのじゃ。話はそれからじゃの」
「そう、だね。その通りだと思う」
俺の顔色はかなり酷かった。
無理に欠落した記憶を思い出そうとした痛みで気持ち悪くなっていたのもあるが、やはり疲れが原因の九割を占めている。
大人しく境界へ落ちる事にした。
「次来た時は万全で頼むのじゃ! わっちの名にかけて、必ず解き明かせて見せよう!」
「ありがとう……ヒイロ……」
「あ!? もう一つ言い忘れた事があったのじゃ。……聞いてくれるか?」
「勿論」
「──今度、洞窟を出てからの事を細かに聞かせて欲しいのじゃ」
ヒイロの問いに俺は首を傾げる。
確かヒイロは、俺と初めて出会った時に外の状況を完全に理解していたはず。何故分かっている事をもう一度聞くのだろうか?
「あれ……確か俺の目を通して外の事を見れるんじゃなかったんですか?」
「あれ以降外が見れなくなっての。恐らくラピスの許可なしには見れなくなったかもしれないのじゃ」
「なるほど……」
「まあ、ぷらいばしー……? の尊重とかいうやつもあるし、常時見れるのはどうかと思ってたところだったからのう。だから、今後はラピスの許可で視界を共有できるということを覚えておくのじゃぞ?」
「分かりました」
「よし。それじゃまたの!」
「おわあっ!?」
「またかよ……」と呟きながら、ヒイロに腕をブン回されて境界の外へ落ちていく。
……うん。やっぱり落ちるのは慣れないな。
◇◆◇
「さあラピス君!! 朝ですよぉ!! 今すぐ起きてランニングに行きますよぉ!!」
「──はっ!?」
カンカンと金属同士が衝突する音が聞こえてベッドから飛び起きる。
すると、そこにはオタマとフライパンを両手に持って笑うハレスさんの姿があった。
あれ……おかしいな。
糸目でにこやかに笑ってるはずなのに……怖く感じる……
「さぁ!! 着替えてください!!」
「っ、はいっ!」
俺の想定する授業とは全く異なるハレス先生独自のカリキュラム、早朝五時のゴングとともに華麗(?)なスタートをキメたのだった…




