後編
祐天となった後も次々と怨霊や妖魔を彼は成仏させていった。
そして、浄土宗であるのに彼は阿弥陀如来には祈らなかった。
不動明王の真言と祈りで除霊するのだ。
これが浄土宗全体の問題になった。
何故、阿弥陀様を拝まないのかと。
今日も、それを浄土宗の大僧正にちくちくと嫌味を言われた。
だが、彼は頑なにそれを曲げなかった。
理由も黙して言わなかった。
ただ、次々と祈祷の験を現わして、ますます評判は上がっていった。
それは将軍家にも届いた。
僧上寺は将軍家の菩提寺である。
彼の名声が高まるにつれ浄土宗では深刻な問題になっていた。
彼は南無阿弥陀仏を頑なに言わない。
将軍家が彼を大僧正に推し、さらに僧上寺の住職にしようとした。
大僧正と言えば門派のトップである。
つまり阿弥陀如来の誓願を信じて南無阿弥陀仏を唱えるのが教義の中核の浄土宗のトップが南無阿弥陀仏を唱えないのだ。
「そろそろ南無阿弥陀仏を唱えればよかろう」
昔と変わらず、子供の姿で三つ目の妖がそう祐天に話す。
「いや、わしを導いてくださったのは不動尊ゆえにな」
祐天は眉も動かさずに答えた。
「いやいや、わしを気にしておるのだろう? 別に南無阿弥陀仏を唱えたことでわしが消滅する訳でなく、成仏して消えるだけじゃぞ」
「じゃから、お主は関係ないと言っておるに」
祐天は妖に言われても、常ににべもなく、そう答えた。
「このままでは宗門も困るであろうに」
「そんな事は無い。大僧正になる僧は他にもおる」
祐天はにべもなく答えた。
彼は破れ衣に破れ袈裟で贅沢とかには全く興味が無かった。
そして、寄進されればそれは廃寺の復興に回した。
明応七年(1498年)から雨ざらしになっていた荒廃しきった鎌倉大仏を再興したのは彼だった。
荒廃した東大寺の大仏を再興したのも彼だった。
名声で奢ることなく、自らが浪費することもなく、ただひたすら仏道に励む彼を将軍家も江戸の庶民も崇拝した。
祐天は祈祷も素晴らしいだけでなく、説法も凄かった。
最初は汚い身なりの僧が祐天と知り、訝しんだものも彼の説法を聞けば涙を流して最後は皆が拝むほどだ。
苦しみ抜いた人生を歩んだので、人の苦しみが分かるのだ。
祐天は誰の苦しみにも親身になって話を聞いて、方策を練り元気づけた、あの妖が自分にしてくれたように。
その人気ゆえに、何故、大僧正にならないのか? と皆が騒いだ。
その人望ゆえに、何故、僧上寺を継がないのか? と皆が訝しんだ。
でも、宗門にとっては南無阿弥陀仏を言わない祐天を門派のトップにするわけにはいかなかったのだ。
浄土宗の根幹である阿弥陀の誓願たる南無阿弥陀仏を拝まない男なのだ。
「わしはな。お前が居て仏道に邁進できれば、それで良いんじゃよ」
祐天は冗談交じりに妖にそう話す。
だが、それは彼の本音だった。
妖の彼だけが信じてくれた。
それは祐天にとって家族に等しいものだった。
だが、ある日、それは唐突に来た。
祐天が不動尊に祈り続けるがいつまでたっても除霊できないのだ。
目の前の少女は唸るような顔のまま祐天を睨んだままだ。
「おかしい。何故、こうなる」
祐天が祈りながら珍しく愚痴った。
「これはわしと同じものだ。わしと同じく、阿弥陀様に祈らないと成仏しないものだ」
そう妖が呟いた。
「ならば、お主は遠くへ離れよ。わしはその間に阿弥陀様に祈る」
そう祐天が頼んだ。
「それは無理じゃ。わしはこの世に残るために、お前と深く関わっておる。いくら距離が離れてもこれはかなわぬ。お前が唱えればわしも成仏するだろう。良いのじゃ。お前のおかげで、かなりの妖魔も怨霊も消えた。わしの目的はすでに達成されておる。察するに阿弥陀様がわしがこちらに来るように動いておられるのだろう」
妖がそう笑った。
「良い。不動尊にさらにお願いしてみる」
祐天は頑なに不動明王の真言の慈救呪を唱えた。
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン……」
だが、全く反応は無かった。
今度は全ての悪魔を焼き尽くす火界呪を唱えた。
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」
そして、それも駄目で不動明王加護住所真言も唱えた。
「ノウマクサンマンダ バサラタンタラタ アモキャセンダマカロシャダ ソハタヤサラバビキクンナン ママソバシャチセンチシバンメイ アサラトウ クロタラマヤ タラマヤ ウンタラタカンマン」
だが、今日に限って悪しきものは去らなかった。
「諦めろ。これは運命なんじゃ」
そう妖が笑った。
「黙れっ! 」
初めて祐天が怒鳴りつけた。
妖と話すときは囁くように話すので周りに聞かれなかった。
でも、これは違った。
周りの信徒達が動揺した。
「そこまで、わしを大事に思ってくれていたか。ありがとうの。でも、そろそろ頃合いじゃ」
妖は祐天を赤子を諭すように優しく話しかけた。
「お前だけだった。父も母もおらんのに、わしを信じてくれたのはお前だけだった。わしは金も要らん。物も要らん。だが、お前だけは……」
祐天の目から涙が零れ落ちた。
「だがな、このままでは、その娘は助からん。だから、良いのじゃ」
「お前が良くてもわしが駄目じゃ。お前だけがわしの傍にいてくれたのに……」
祐天が初めて恥も無く首を子供のように左右に振った。
「では、こう言い返そう。わしも、実は良くないのじゃ。このままでは妖でなく妖魔になってしまう。だからこそ、お前に成仏させてもらいたい。頼むよ三之助」
妖が着物の肩肌を見せて隠していた妖魔になろうとしている部分を見せた。
「どうしてもなのか……」
祐天が泣きながら聞くと妖は笑って頷いた。
「頼む。わしを妖魔にしないでくれ」
妖が静かにもう一度頼んだ。
「……な……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
祐天が泣きながら唱えた。
身を震わせて唱え続けた。
少女に取り付いていた妖魔が静かに溶けていなくなった。
少女の表情は静かに穏やかに戻っていった。
そして、祐天の傍にいつもいた妖も透けていった。
「妖よぅ……妖よぅ……」
そう泣きながら祐天が呟いた。
「また、阿弥陀様の元で会えるからのぅ……」
そう妖は笑って消えた。
綺麗に消えた。
祐天はがっくりとなって涙を流し続けていた。
次の日から祐天は不動尊ではなく阿弥陀様に祈るようになった。
今迄、抵抗していた怨霊も妖魔も、祐天の南無阿弥陀仏で皆、浄土に消えていった。
そして、彼は消えた妖の為にも阿弥陀様に祈り続けた。
その結果、彼は阿弥陀様を拝むようになったので、増上寺を継ぎ大僧正になった。
そして、あらゆる人々に尊崇される僧になった。
でも、彼の祈りは自分が浄土に行くためで無く、妖の為であった。
彼の事を信じてくれた妖の為に祐天は祈り続けた。
そうして、大僧正になっても祐天は変わらなかった。
贅沢どころか、破れた衣や袈裟のまま困った人達の為に祈り廃寺の再興を続けた。
そして、阿弥陀様に祈り続けた。
それは祐天が傑僧になると信じてくれた妖に恥じぬ傑僧になる為だった。
そうして、祐天が老齢で病に伏せた時は、江戸の人々が心配した。
だが、祐天は少し幸せそうだった。
もうすぐ妖に会えるのだ。
沢山の信徒と弟子に見守られながら、祐天は静かに笑っていた。
そうして、ある日に病床の祐天が静かに目を閉じた。
いよいよ、彼の命が終わる時が来たのだ。
「三之助、やっと会えたな」
そこには光り輝く妖が待っていた。
祐天も子供の姿に戻っていた。
「阿弥陀様は? 」
「特別のお計らいでわしが迎えに来た」
そう妖が笑った。
「そうか。これで同じ阿弥陀様の弟子と言う事だな」
子供に戻った祐天が笑った。
「いやいや、わしが兄弟子だからな」
妖が嬉しそうに笑った。
「ぬかせっ」
子供の祐天が嬉しそうに笑った。
そうして、二人は笑いながら浄土に走っていった。
息を引き取った祐天は信徒や弟子が見守る中で本当に嬉しそうに笑って亡くなっていた。
前回が厨二全開だったんで、少し抑えてみました。
どうか、面白いと思ってくださる方がいらっしゃいますように(人)