前編
三之助は陸奥国(後の磐城国)磐城郡新妻村に生まれ、両親を亡くし、面倒を見ていた叔父が持てあまして、祖父が江戸の芝増上寺にいた関係で12歳で増上寺の檀通上人に弟子入りして祐典と名乗った。
だが、叔父が持て余したように祐典は物覚えが悪く、本人がどんなに一生懸命やってもお経の一つも覚えられなかった。
彼にはただ一体の妖が付いていた。
その妖は彼がまだ寺に入る前の三之助の時に出会った妖であった。
子供の格好をして、貧しい着物を着た目が三つある妖は叔父に怒鳴られてしょげかえって座り込んでるときに佑典の前に現れた。
「やっと、見つけたぞ。お前こそ、わしが探していた人物じゃ」
「お前は何を言っておる? 」
「お前には才能がある。それも、あらゆる妖魔や怨霊を除霊する力を持っておる。今、この世は妖魔が溢れておるのだ。お主しかそれを払えるものはおらん。これは血筋も関係しておるからな」
「何を馬鹿な事を……」
「ふふ、いずれ分かる。三之助、お前は僧になる。これは決まった事なのじゃ」
そう妖は嘯くと姿を消した。
妖はそうやって、三之助が困ったときには現れて、お前はただものではないから心配するなと元気づけだ。
「わしだけはお前を信じておる。妖のわしがじゃぞ」
それは祐典となった今も現れて、そう元気づけていた。
それは何も能力が無い、愚かな自分だと自らを蔑み見ていた祐典の唯一の心の支えとなっていた。
だが、いつまでたっても祐典は経本が覚えれなかった。
いつまで経ってもだ。
いつしか、皆はそんな祐典を蔑み見るようになっていて、妖だけが祐典が傑僧になると言うだけとなった。
だが、ある日聞いてしまった。
「祐典はどうにもならん。仕方ないの。あれを叔父の元に返すと致すか」
「破門と言う事ですか? 」
兄弟子が檀通上人に聞いた。
「そうじゃ」
檀通上人が頷いた。
師である檀通上人が祐典を見捨てたのだ。
祐典は震えた。
真っ青な顔で、寺より少し先にある海に向かった。
増上寺の裏から当時は海が見えた。
ふらふらとして足元も覚束ない様子で祐典は歩いていた。
すでに叔父には見捨てられたから、この寺に来たのだ。
祐典には帰る場所は無かった。
「どこへ行く? 」
それを察した妖が現れた。
「お前も、もう諦めろ。わしは僧侶にはなれない事になった」
震えながら祐典は妖に話す。
「どういう事じゃ? 」
「破門される事になった」
「それはあり得ん! お前はこの国の最強の僧になるのじゃ! あらゆる妖魔達を退かせるのはお前しかおらん! 」
「それを言うのはお前だけじゃ……」
「わしが妖ぞ。わしを信じぬか? 」
「信じれんわ……」
そういうと祐典は涙をポロポロと流した。
どこに行っても邪魔にされて、どれだけ必死にやっても使い物にならぬと馬鹿にされて泣き続けてきたが、常に妖が言う、お前は傑僧になると言う言葉だけが佑典の心の支えになっていた。
だが、それが無くなるのだ。
破門されてしまう。
僧になれない。
そうなれば、この妖にも見捨てられる事になる。
それは祐典にとって耐えられない事だった。
ただ、この妖だけが自分を認めてくれたのだ。
それが居なくなってしまう。
「よせっ! 」
妖が叫んだ。
だが、祐典の目には海しか見えていなかった。
消えよう。
消えてしまおう。
何もかもが間違っていた。
わしは破門されて僧にはなれない。
妖にすら見捨てられる。
それは恐怖よりも祐典に虚無をもたらした。
彼は無言で海に入って行った。
死ぬ為に。
「死なせはせぬ! 我等、善良たる妖ですら、悪しき妖魔どもによってまともに暮らせぬのだ! お前は我らの希望なのだ! 」
妖はそう叫ぶと、増上寺に激しい揺れと音を起こした。
祐典が海に向かった場所でだ。
そして、祐典は海に沈む寸前で、それに気が付いた兄弟子達に救われた。
泣きながら、布団に横たえられた祐典はこの状態であるのに、僧が自殺とはと檀通上人にその場で破門された。
叔父が迎えに来るように手紙が送られたのを知ったのが余計に情けなかった。
「祐典、祐典。あまりにお前が覚醒できないのはやはり妖魔に恐れられて封印されているようじゃ」
枕元に妖が来て、そう告げた。
「ふふふ、今更。破門されたのじゃ。もはや、何も変わらぬ」
そう祐典が乾いた涙を流した。
「実はの、我等妖が懇意にしておる御方がおる。お主が断食して21日間参篭すれば、その根性を認めて力を貸そうとおっしゃっておる」
「妖の大将がか? 」
「違う違う、成田山新勝寺の不動明王様じゃ」
「はああああ? 何故、不動明王が妖の味方をする? 」
「いやいや妖と言えども悪いものばかりではない。そもそも聖天尊などのように魔王から改心して仏に御仕えする方もおられるでは無いか。実は不動明王様は御姿は恐ろしいが、心優しい御方なのじゃ。我等、妖達の懸念も存じておられる。どうだろか? お前が参篭して根性を見せれば助けるとおっしゃってくださったのだ」
「それは本当か? 」
祐典はがばっと布団から起きると必死に聞いた。
「わしがお前に嘘をつくはずなかろう。わしだけはお前が最強の傑僧になると信じておる」
妖はそう三つの目をくりくりっとさせて笑った。
祐典はすぐに起き出すと妖と成田山新勝寺の不動尊の元へ向かった。
当時、参篭は良く行われていた。
何が何でも参篭することで仏の慈悲に授かり、助からぬ自分を助けて貰おうとするものが参篭した。
寺で泊まり込んで、本堂で寝泊まりして夢枕に仏が現れて御利益を得られるのを待つのだ。
有名なわらしべ長者は実は奈良の長谷寺に参篭した男の本当の話だ。
だから、祐典は勇んで向かった。
最初は寺側があまりの事に拒否した。
理由は絶食して参篭すると言ったからだ。
寺側も参篭で死なれたら困る。
だが、それは結局佑典の気迫か成田山新勝寺の不動尊の力のお陰か通してもらった。
祐典は必死だった。
勿論、妖もだ。
祐典は何も食べず、起きている間は不動明王に祈り続けた。
妖も横で必死にお願いをしてくれた。
それは逆に祐典を勇気づけて、さらに必死に断食を続けて祈り続けた。
それを実に21日間も祐典はそれを続けた。
その日、うとうととしていると目の前に業火を背負った不動明王が現れた。
「お前の根性を認めて、我が知恵たる、この長い利剣か短い利剣のどちらかをやろう」
そう不動明王は祐典に語り掛けた。
祐典はもはや、死を恐れていなかった。
いや、ただ、横で祈りをともに続けてくれる妖に何としても報いたかった。
この妖だけは自分を信じてくれたのだ。
「長い利剣をいただきます」
そう祐典は答えた。
「良し」
そう不動明王は裂ぱくの気合いとともに長い利剣を祐典の口を開けさせると喉の奥にそのまま突き通した。
その剣によって祐典は大量の血を吐いた。
それが他の参篭者に見られて騒ぎになった。
横で妖が涙を流して暖かく笑っているので、祐典は大量の血を吐いても恐怖しなかった。
やって来た僧侶は不動明王の話を聞いて、慌てて経本を持ってきた。
祐典はそれをすらすらと読んだ。
知恵を授かったのだ。
涙が出た。
不動明王だけでなく信じてくれた妖に。
ただ、この妖だけが信じてくれたのだ。
その話を聞いた僧侶達も泣いた。
それは不動尊の偉大さに泣いただけで、祐典のものとは少し違うものだったが。
祐典は経本を読めるようになったので、妖とともに僧上寺に向かった。
「お前は本当に不動尊と付き合いがあったのだな」
「当り前だ」
妖は得意そうに笑った。
「しかし、不動明王へのお経を聞いても綺麗に消えないとは、お主も大したものだな」
祐典がそう笑った。
「ああ。わしは仏にも敬愛を持って祈っておるからの。だが、もし、お前のような傑僧が阿弥陀仏に祈れば、わしは阿弥陀様の本願によって成仏してしまうであろうな」
そう妖が呟いた。
「どういう事じゃ? 」
「あの御方は御仏にお仕えする妖のようなものを、妖魔になるゆえ、本来はそのままこの世界にはお残しにならない。普通の僧が阿弥陀様にお祈りしても問題ないが、傑僧の祈りは違う。わしのような妖でも仏様を敬愛している以上、傑僧の祈りならばそれに応じて成仏させてしまうじゃろうよ」
「そ、それは初耳じゃ」
「うむ、初めて話した。だが、わしはお前に成仏させられるのなら悔いはないぞ」
「いやいや、そんな事は冗談ではない」
「冗談は言っておらんがな」
そう妖は楽しそうに笑った。
この話は祐典に大きな大きな影響を与えた。
妖を大事に思うあまりに彼は無意識に阿弥陀様を祈るのを避けた。
僧上寺に戻ったが祐典は経本をすらすらと読んだが、阿弥陀様を拝むのはしなかった。
その結果、彼の破門は檀通上人には解かれなかった。
何しろ、浄土宗の僧上寺にいるのだ。
阿弥陀様を拝まねばどうにもならない。
檀通上人もこれには困って祐典の気持ちが変わるのを待つために、仕方なく寺男として置いた。
だが、不動明王の利剣の話が拡がる事で彼に多くの除霊の話が持ち込まれた。
彼はそれを浄土宗なのに阿弥陀様には祈らず、不動明王の真言と祈祷によって次々と撃退した。
名声が広がるにつれて、とうとう師匠である檀通上人も根負けして破門を解いた。
そして、名前を祐典から祐天に変えた。
これがのちに羽生村(現在の茨城県常総市水海道羽生町)の累という女の怨霊を成仏させた累ヶ淵で有名な江戸時代最強の呪術僧である祐天上人である。
後編は明日零時で投稿します。