第二話 〜死後に行くところ その①〜
「どうやら若い男の子が来るようですよ」
「そうみたいだね。これまた、結構悲惨な運命を辿ってしまったようだ」
「最近増えてますよね、若い方の事故死」
「ああ、本当に……やるせないな」
命が終わる瞬間は、思っていたよりも苦しくなかった。
死因は交通事故による即死。不幸中の幸いというべきか、苦しまずにあの世に逝けたことは、唯一の救いだったのかもしれない。
「……」
死を理解して、意識も途絶えたはずなのに、なぜかまだ”考える”ことができた。
脳って死んだ後もちょっとは働いてるんだっけ。
なんて、科学的な理由を探してみたけど、これはもっとはっきりと”意識”がある。そんなレベルじゃない。
正直、これ以上深く考えたら、今際の苦しみがまたぶり返してきそうで怖かったが、それでも、俺は──ゆっくりと”目を開けてみることにした”。
“何もないとしか言い表せない空間”
音も気配も、寂しさすら感じない。そんな不思議な場所にいた。
──ああ、死んだ後って天国に行くとかじゃなくて、こういう感じなんだ……。
そんな風に思っていたその時。”何もない”はずの空間に、こちらを除いている女性の姿が浮かんできた。
「……あれ? もしかしてもう起きてる?」
彼女は、俺に向かって何もない空間をゆっくりと歩いて近づいてくる。
視界はあるのにまばたきができず、喋ることも何故かできない。
よく考えると、俺の”身体の感覚”も一切なかった。
「すごいね、もうこんなにはっきりと、自分を認識できるなんて。」
そう言って、女性が俺に指先で「つん」と触れた瞬間──
手足の感覚、まぶたの動き、髪の毛、そして身にまとっていたずぶ濡れのスーツの感覚までが、一気に戻ってきた。
「ほとんどの子たちは、君みたいに突然死んじゃったらパニックになって、自分を傷つけちゃったりするんだけど……君は、大丈夫そうだね」
女性は優しく微笑んで、俺の髪をそっと撫でてくれた。その瞬間、なぜか涙が零れてきた。
何年も抱いてこなかったはずの感情が、全身をなだれ込むように満たしていく。
俺が泣き続けている間、女性は……いや、女神様はずっと優しく頭を撫でてくれていた。
「……なんか、すいません。子供みたいにわんわん泣いちゃって……」
落ち着いたころ、少し気恥ずかしさを覚えながら、俺は女神様に向き直る。
「俺、きっと死んだんですよね。ここは、天国とか……そういう感じの場所なんですか?」
前から気になっていたことを、聞いてみた。
「天国……とはちょっと、違うかな」
「天国に行くか、地獄に行くか、君の生前の行いを評価するための場所、って言えばわかるかな?」
「なるほど、じゃああなたは閻魔様ですか?」
「ま、そんなところかな」
女神様、もとい閻魔様がふん、と胸を張っていると、背後から白衣姿の男性が声をかけてきた。
その男性は、いかにも”神様”らしい雰囲気を纏っていた。
「その子、まだ研修中なんだけど……。失礼なことされてない? 大丈夫だった?」
神様と女神様はしばらく言葉を交わし、俺のほうに向き直ると、俺に起こった出来事を説明してくれた。
──12月25日、クリスマスの夜。
会社で仕事を終えて帰宅途中だった俺は、飲酒運転の車に撥ねられてほぼ即死。
肉体から離れた魂が、数日間あちらの世界を漂っていたところを回収役が発見し、この場所へ運ばれてきたらしい。
生前の記憶をもとに再現された”肉体”はあるが、今の俺は魂だけの存在になっているという。
「それにしても、……君、早かったね。目覚めたの」
神様が少しテンション高めに言った。
「えっと、それって……そんなにすごいことなんですか?」
俺の質問に、女神様が表情を曇らせながら答えた。
「若いからっていうのもあるけど……一番の理由は”生前の心労”かな」
「君、どうしてそこまで自分を追い詰めていたの?」
俺は、自分の人生をゆっくりと、卒業アルバムをめくるように思いめぐらせる。
決して裕福でとは言えない家庭で、三人兄弟の長男として生まれた。
仕事で忙しい両親に代わって、弟たちの面倒を見て、家事の手伝いをして……働くことが”当たり前”の子供時代を過ごした。
中学生の頃には「早く働いて弟たちの学費を稼がないと」なんて考えていたほどだった。
専門学校を卒業し、公務員になってからは仕事に忙殺されるような日々を送っていた。
それでも、俺はそんな毎日が“幸せ”だと思っていた。
友人はいたし、弟たちは俺を尊敬してくれていた。
両親も、そんな俺をひとりの人間としてしっかり向き合ってくれていた。
……なのに。
どうしてだろう。
死んだ今になって、悔しくてたまらない。
充実した毎日だと思っていたすべてが、どうでもよかったことのように思えてきて。
その代わりに湧いてくる感情が、ずっと押し殺してきた欲望が。
悔しさが、俺の空っぽな心をじわじわと蝕んでいく。
俺の様子を見て、神様は静かに言った。
「大丈夫、もう我慢する必要はないよ。──君が本当に望んでいたことを言ってごらん」
望み。
願い。
願望。
もう仕事にも行く必要はない。
弟たちのために何かを我慢することもない。
今更、かっこつける意味なんてない。
俺は二人に向き直ると、女神様と目があった。
……やばい、さっきのことを思い出して、また恥ずかしくなってきた。
あれだけ子供みたいにわんわん泣いたのに、また我儘を言ったら、流石に男としてダメなんじゃないか?
俺は、自分の気持ちに正直になって、
ほんのちょっとだけかっこつけて、こう言った。
「──せめて、努力した分だけでも、報われたかったですね。」
3年ぶりに働きます。
2025/04/16 投稿