少年法第61条を破った記者
僕は、まぁ、同じ大学の鈴谷さんの事が大好きだ。色々な意味で素敵だと思っている。だから、彼女に会う為の口実を普段から色々と探している。
だけど、極まれにそれ以外の理由で彼女に会いたいと思う事もあって、実を言うのなら当に今がその時だった。そして、それで困ってしまっているのだった。オオカミ少年の寓話じゃないけれど、普段が普段なものだから、邪な気持ちがあると彼女から誤解されてしまうのではないか、誤解されずに相談をするにはどうすれば良いのだろう? と。
「――で、佐野君。何か相談があるのじゃないの?」
悩んでいると、不意に彼女がそう話しかけて来た。
「よく分かったね」と、それに僕。
「“分かった”も何も、サークル室に入って来るなり何か言いたそうな素振りでチラチラと顔を見られたら誰だってそう思うわよ」
「君に会う口実に相談事を持って来た訳じゃないよ?」
「何を言っているの?」
彼女は少しだけ呆れた顔をしていたけれど、それ以外は特に問題がなさそうだったので僕は説明を始めた。
「少年法第61条って知っている?」
彼女は少し考えるような顔を見せた後で、「確か、少年が犯罪を行った場合、氏名、写真などは報道で流してはいけないって法律だったわよね?」と答えた。
「その通り。対象年齢で色々と揉めている法律でもあるのだけど、実はそれを破ってしまった記者さんがいてね。
17歳の少年の実名と写真を週刊誌に掲載してしまったんだ。詳しい経緯は知らないけれど、その記事を担当していた記者の独断だって事になっている」
そう言い終えると、僕は彼女に向けてノートパソコンの画面を開いた。それを一目見て彼女は眼鏡の奥の鋭い目をしかめる。
多分、そのページで、件の記者が叩かれていたからだろう。
「少年法第61条の目的は、可塑性…… つまり、まだ未熟な少年が更生し、真っ当に生きられるようになるという未来を奪わないようにする為よね?
実名や写真が報道されてしまったら、社会的制裁によって生き辛くなる…… 将来を潰されてしまうかもしれない」
彼女のそのまるで自分自身に確認するかのような説明に僕は頷く。
「そうだね。この記者を叩いている人達の主な観点もそれみたい。現在社会はインターネットの普及によって一度流された情報が極めて消えにくい。少年の未来をどう考えているのか?って。
もっとも、擁護している人達もいる。“悪い事をやった奴にはそれ相応の罰が下って当たり前”ってのがその主な内容みたい」
「難しい問題ね」とそれに彼女。ゆっくりと。
「そうなんだ」とそれに僕。
「だから僕は擁護も批判もしていない。どうするべきか分からないから」
そう言った僕の様子を見て、彼女は「何か分からない事があるの?」と訊いて来た。
そう。彼女の言う通りだった。僕には分からない事がある。
「実は、この記者、少年法第61条を破った理由を一切述べていないんだ。この法律には罰則がないから軽い気持ちで破ったとも考えられるけど、どうもすっきりしない。何か言い訳をしてくれればまだ擁護もできるのだけど……」
「擁護したいのね? 佐野君は」
「一人の人が複数人から責められているのを見るのは、あまり気持ちが良いもんじゃないよ。それに、なんかすっきりしない」
軽く顔を傾けると、それに彼女はこう返した。
「ねぇ、冤罪ってあるわよね?」
「あるね。まさか、鈴谷さんはこの事件が冤罪だって言うの?」
「違うわ。ネット上で、犯罪者を特定しよとする人達がいるでしょう? ところが、それが冤罪、勘違いだったってケースも多い……
犯人の実名や写真が報道されれば、寝れ衣だって分かるけど、実名や写真が報道されない少年事件の場合はいつまでもその濡れ衣が晴れないなんて事もあるみたい。
これは飽くまで想像だけど、もし仮に、その記者さんが、そんな人を助ける為に実名報道に踏み切ったのだとしたら?」
僕はその推理に目を大きくした。
「なるほど。でも、それなら何故、記者さんはその事を言わないのだろう?」
「もし、その冤罪で苦しむ人が、記者さんの知り合いや身内だったら、言い難いのじゃないかしら?
仲間の為に彼は法律違反をした事になるもの。その冤罪で苦しんでいた人も、それで責められてしまうかもしれない」
それを聞くと僕は大きく頷いた。
「うん。そうかもしれない」
擁護するべき理由を得て喜んでいる僕を見て、鈴谷さんは少し笑ったように思えた。
「断っておくけど、単なる想像よ? これ?」
「分かっている。けど、それでも嬉しいんだ。どちらにせよ“彼のお陰で冤罪に苦しんでいる人が救われた”というのは、事実なのだと思うから」
それから僕はネットに彼を擁護する書き込みを始めた。“悪い奴は罰せられて当然だ”とか、そんな意見にはあまり同意できないけど、その代わりに冤罪に苦しみ続ける人がいるのはやっぱり嫌な気分だ。
……もっとも、それを踏まえても、この少年法第61条は取り扱いが難しいと思う。
インターネットが普及した現代という時代には、適合が難しい法律や効果的に働かない法律が色々とあるけれど、果たしてこの法律の場合は、どんな帰結が望ましいのだろう?