毒姫の逆襲~わたくしからもいくつか、よろしいでしょうか?~
「キトリ・モリーナ!俺は貴様との婚約を破棄する!」
煌びやかな広間に木霊するテノールボイスに、皆が一斉に振り返る。
(あぁ……やっぱり今年も現れたのか)
俺は小さくため息を吐きながら、声の主を覗き見た。
広間の中央を陣取り、下卑た笑みを浮かべているその男は、名をアロンソという。俺の中でさして印象に残っていないが、同級生の一人のはずだ。
というのも今日、この場で開かれているのは、俺たちの卒業パーティー。広間に集まっているのは同級生のみ、ということになる。
「ふっ……おまえのような女でも、さすがに婚約破棄は堪えるのか。何故、という顔をしているな。ならば教えてやろう。俺は真実の愛を――――ネリーンという素晴らしい女性を見つけたんだ!」
いやいや。
俺の見る限り、キトリはとても堪えているようには見えない。平然と冷めた目をしているし、もの言いたげな様子だってない。
大体、真実の愛が云々って、言葉にした時点で薄っぺらすぎて笑えてしまう。こんな風に人前で婚約破棄を断行するような人間に、理解できるような代物とは到底思えない。
俺は笑いを噛み殺しながら、ゆっくりと目を細めた。
「ネリーンはお前とは正反対の理想的な令嬢だ。花のように美しく可憐で上品で、いつだって笑顔で。いつもガミガミと口うるさいお前とは大違いだ」
アロンソはそう言って、彼の傍らに佇む女性をウットリと見つめた。
ネリーン・クルーズ公爵令嬢。俺のクラスメイト。
ストロベリーブロンドの豊かな髪の毛に、翠色の大きな瞳。薔薇色の頬に鮮やかな紅色の唇は、確かに美しい。アロンソの花のように、という表現はあながち間違っていないように思う。口数が少なく美しい彼女は、クラスの中でも高嶺の花として扱われていた。
「俺はお前との婚約を破棄し、ネリーンと婚約する!彼女も俺の想いを受け入れてくれた。お前の出る幕はもうないのだ」
アロンソはそう言って勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
(……ふぅん、なるほど。結局はネリーンも、婚約者がいると知っていて、アロンソの求婚を受け入れた性悪女なのか)
ここ数年、まるで伝統のように続いてきた、卒業パーティー会場での婚約破棄。人伝にその様子を聞くたび、馬鹿だなぁなんて思ってきたのだけれど。
実際に現場を目の当たりにしたら、予想以上。吐き気すら覚える。
親が決めた結婚とはいえ、未来を約束した令嬢を裏切る男も。
そんな男との幸せな未来を夢見る女も。
どちらも馬鹿だ。馬鹿すぎる。
(キトリ嬢は――――っと。珍しいな。いつもなら反撃しても良い頃合いだけど)
キトリはアロンソが言及した通り、とても口の達者な令嬢だ。良いことも悪いことも、全て正直に口にするタイプで、裏表がないともいえる。
けれどその分、彼女を恐れる同級生は多い。下手に意見をすれば、言い負かされることが分かっているからだ。
(あーーぁ。早く終わらないかなぁ、これ)
この場の被害者は、アロンソに裏切られた令嬢キトリだけではない。
一生に一度の卒業パーティーを妨げられ、いつの間にかこの茶番劇の『群衆』という役を割り当てられている俺たちだって、ものすごい被害者だ。
このままキトリが何も言わなければ、この茶番劇はグダグダに長引いてしまうかもしれない。
(めちゃくちゃ面倒だけど)
俺が一肌脱がなければならないのだろうか。そう思ったその時だった。
「あの――――わたくしからもいくつか、よろしいでしょうか?」
それまで黙っていたネリーンが、躊躇いがちに口を開いた。
三年間の学園生活の中で、俺は彼女が喋るのを初めて見た。そのぐらい、彼女は口数が少ない。正直言って驚いた。
「……もちろんだとも!なんだい、ネリーン?この性悪女になにか言ってやりたいのかい?」
完全に己に酔っているアロンソは、ネリーンの頬を撫でながら、キラキラと瞳を輝かせる。
(性悪はお前だろう)
そんなことを思っていたら、思わぬことが起こった。
「いいえ。わたくしは目の前の『性悪バカ男』に、いくつかモノ申したいのです」
ニコリ。
極上の笑みを浮かべながら、ネリーンは真っ直ぐにアロンソを見つめる。
「……へ?」
アロンソは目を真ん丸にしながら、首を小さく傾げた。
思わぬ展開だ。
少しばかりの期待を胸に、俺はそっと身を乗り出した。
「まずはその、汚らしい手を退けてください。不愉快です。鬱陶しいです」
「えっ!?やっ……えぇ!?」
ネリーンはアロンソの手を振り払いつつ、ふぅ、とため息を吐いている。
ひとことだけではとても信じられなかった、ネリーンの毒舌。けれど、ふたこと続けば、それが実際に起こっていることだと皆が気づき始める。周囲からざわめきが起こった。
「それから、わたくしはあなたと結婚する気はございません。あなたの想いを受け入れた覚えもございません。それなのに、どうしてこのようなことになっているのですか?」
「えぇ!?いや、だってネリーン……」
「もしかして先日、『ネリーン――――もう少しだけ待っていてほしい』って仰っていましたが、これが求婚のつもりだったのでしょうか?正直、意味が分からないなぁってイライラしながら聞いていました。勝手に付きまとわれて迷惑していたので、ようやくそれが終わるのかなぁって期待していたのですが」
ネリーンは花のような笑顔を絶やさぬまま、矢継ぎ早に言葉を重ねる。
アロンソを含めて周囲は唖然。誰もがネリーンの豹変っぷりに度肝を抜かれていた。
「大体、このようなお祝いの場で婚約破棄を言い渡すなんて非常識すぎます。数年前から伝統行事のようになっていたことは存じ上げていましたが、まさか今年も断行なさる殿方がいらっしゃるなんて思いませんでしたわ。キトリ様に対してあまりに失礼ですし、パーティーを妨げられた皆さまの迷惑です。……それに、わたくしたちの同級生には王太子殿下もいらっしゃいますのよ?」
そう言ってネリーンはチラリと俺の方を見る。
(あっ、俺ってちゃんとこの子に認識されてたんだ)
苦笑いを浮かべながら、小さく手を振ると、ネリーンはふふ、と含み笑いを浮かべた。
「あなたの愚行を事前に防げなかったのは、わたくしの落ち度でもありますけど……さすがに想像もできませんでしたわ。王太子殿下がいらっしゃるのに、卒業パーティーを我がもの顔で婚約破棄のために使う人間がいるなんて、ね」
その途端、俺の背後でビクリと身体を震わせた人間が数名いた。
彼等はバツの悪そうな表情をして、隣に立つ令嬢からそっと顔を背けている。
(えぇーーーー、マジか。こいつらもここで婚約破棄するつもりだったの?)
脳足りん連中がこんなにもいたのかと思うと、呆れてモノも言えない。俺の視線にビビッたらしく、彼等は逃げるようにして会場を抜け出した。
「まさかご自分が、この学園の頂点にでも立っているおつもりなのでしょうか?普通はできませんよね。王太子殿下の御前で、こんなバカな真似。とんだ不敬だと、そう思いませんこと?」
「いっ……いや、その…………!そんなつもりでは!」
アロンソは顔を真っ青にしながら、俺とネリーンを交互に見ている。ようやく自分が何をやらかしたのか、自覚したらしい。
(しかし、俺のことを利用するとは)
確かに俺自身が不快に思ったことは事実だし、言っていることは全て的を射ている。
一応俺はこの国の王太子で、卒業パーティーでも華となるべき人間だ。別に俺自身がそうしたいわけじゃないけれど、そういう立場にいる。
(まぁ、アロンソへのお咎めは、側近の内の誰かが勝手に上手いことやってくれるだろう)
若干気の毒に思うが、自業自得だ。貴族社会における体面はアロンソが思う以上に重い。家族への影響が少ないことを祈るばかりである。
(それにしても)
これまで『頑な』と形容できるほどに、ネリーンは何事にも口を噤んできた。そんな彼女が口を開いてみれば、想像を絶するほどの毒舌で。おまけに表情はいつも通りの上品な笑顔だから、中々に理解が追い付かない。
俺と同じ気持ちらしいアロンソが、絶望的な表情でネリーンに縋った。
「どっ、どうしたんだネリーン?いつもの君はどこへ行った?美しくて慎ましい、俺のネリーンはどこに――――?」
「そんなもの、最初から存在しません」
ネリーンはそう言って、ゆっくりと目を細める。
「全部あなたが勝手に抱いた幻想です」
その笑顔は、身体をゾクゾクと震え上がらせるぐらい冷たい。何故だか俺は、口の端が上がってしまった。
「だっ、だけどネリーンはいつも笑顔で、滅多に口を開かなくて……!」
「母からきつく言いつけられていましたの。『必要以上に口を開かないように』と。ひとたび口を開けば、延々と毒を吐き続ける――――わたくしはそんな娘でしたから。けれど、想いを呑み込んだまま、顔に出さないでいるのは難しい。そう伝えましたら、『どんな時でも笑顔でいなさい。そうすれば、どす黒い感情もこの毒舌も、何もかも全てを隠し通せる』と、そう教わったのです。ですからわたくしは、この3年間、ずっとこの笑顔で平和な学園生活を守り通してきました。――――最後の最後で、救いようのないバカ男に台無しにされましたけれども」
なるほど、これまで俺たちが見てきたネリーンは、彼女の努力によって作り上げられた仮の姿だったらしい。
(結構大変なんだよな……笑いたくないのに笑うのって)
王太子として、俺は『不快な時ほど笑え』と幾度も教わって来た。相手に本心を悟られないよう、付け入る隙を与えないように。それこそが、人を統べるものに必要なスキルなのだと。
「じゃぁ、どうしてこのタイミングで!?」
「……そんなこと、少し考えれば分かりますでしょ?今日がこの学園最後の日だからです。もう己を取り繕う必要も、嫌なことに無理して付き合う義理もございませんから」
そう言ってネリーンは大きく深呼吸をする。
憑き物の堕ちたかのような彼女の表情は、これまでの造り物のような美しさとは違って魅力的に映る。心臓までドキドキと騒ぎ始めた。これはヤバい。
「ところで、キトリ様」
ネリーンはそう言ってキトリの方を向いた。
見ればキトリは、婚約破棄を言い渡された令嬢とは思えない程、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。
「あなたはこの展開を――――狙っていらっしゃいましたね?」
「…………え?何のことかしら?」
ふふ、と笑いながら、キトリはそっぽを向く。声に悲痛の色はなく、むしろ歓喜に弾んでいるように思えるのは、きっと俺だけじゃない。これは確信犯だ。
「アロンソ様がわたくしの周りをウロチョロしている様子を黙認し、その間に婚約破棄の決定打になる事を仰いましたでしょう?――――あなたは以前から、愚かなアロンソ様との結婚を憂いていらっしゃいましたものね」
「それは当然でしょう。私が何を言っても聞く耳を持たない。妄想ばかりで地に足も付いていない。無能なくせに努力も何もしない。良識も良心の欠片すら存在しない。――――そんな男と結婚したいと思う令嬢がいると思います?」
(毒姫が二人に増えてしまった!)
思わず口元を押さえながら、俺は必死で笑いを堪えた。
キトリの毒舌は知っていたけれど、そんな人間が二人も集まる機会は中々ない。しかも一人の人間を集中砲火するなんて、希少だ。
既にアロンソの気力ゲージはゼロだろう。けれど、彼女たちの口は、留まることを知らなかった。
「いいえ、おりません。いるはずがありませんわ。それに、わたくし以前から、アロンソ様がキトリ様に相応しいとは、とても思えませんでしたの。もっともっと、聡明なキトリ様に相応しいお相手がいるはずだって。こんな、衆人環視の中での婚約破棄になったことは気の毒に思いますが……」
「良いのよ!これでこのバカが宮廷で日の目を見ることは無いし、私たちがこれだけこき下ろしたんだもの。今後アロンソの毒牙に引っかかる様な、気の毒な令嬢もいないでしょう?それに、私はフリーになったことが皆に知れ渡ったわけだし」
晴れ晴れとした笑みのキトリに、アロンソは呆然と座り込む。
(あぁ、とんだ茶番――――喜劇だった)
幻想に憑りつかれた哀れな男。アロンソがこれから辿る道は、確かに険しいものになるだろう。
こうして劇は終幕を迎えた。
(だけど――――)
劇が終わったその後にも、現実の物語は続いていく。
俺の瞳は、先程からネリーンに釘付けだった。
あれ程までに激しい意見や感情を持ちながら、それを綺麗に隠し通したこと。最後に思い切り毒を放ったその様が、痛快だった。あまりにも美しくて、惚れ惚れする。
これまでの3年間、ネリーンへの関心は特に無かったけれど、今はとんでもなく興味を引かれているのが分かった。
すると、俺の視線を感じたのだろうか。ネリーンがこちらを見た。
知らず心臓が大きく跳ねる。ドキドキと高鳴って息も上手くできない。
なにを言われるんだろうか。そう思っていたら、ネリーンは静かに微笑んだ。
「……ご機嫌よう、殿下。また、お会いするその日まで」
ネリーンはそう言って、颯爽とパーティー会場を後にする。
凛とした後姿。瞳にはネリーンの笑顔が焼き付いている。
(参ったな)
背筋を駆け巡る甘さ。他では味わえない強い刺激。うずうずと痺れるような快感。
ネリーンの毒はアロンソだけでなく、俺にも回りきっていたらしい。
(これは……癖になりそうだ)
頬が熱く火照るのを自覚しながら、俺は盛大に頭を抱えるのだった。