8.山田太郎《アラン・スミシー》
人里を目指して歩く男と少年。二人の存在は”共に旅をする者”としては異例づくめであった。
「…………」
口を真一文字に閉ざし、先ほど襲い掛かったマルキウルフのような驚異の襲来に備えて、重い歩みの少年。
「ふんふっふふーん♪ ふふっ、ふんふ、ふっーん♪」
それに対して、鼻歌まじりに軽快な足取りで先を進む男。
(この人、いったい何考えてるんだ……?)
套の端に傷みが見られる、着古されたマント。
そこから顔をのぞかせている佩剣はいつでも抜き放つことができると、その存在を主張していた。
マントの下に見える黒橡色の衣服に施された金の装飾。詰襟をはじめとするアクセントのおかげで、黒を基調としていながらも見るものに安粗な印象を抱かせず、少年が男の身分の高さを想像するのにそう時間はかからなかった。
「そういえば、君のその恰好……この世界のものじゃあなさそうだけど、最近はやりの『いせかいてんせいしゃ』ってやつなのかい?」
「これは……」
男に質問に少年の視線が自分の服に落とされる。
襟のついたシャツに、テーパードパンツ。
外套や上着もなければ、身を守るための武器や道具を付ける余地のない装いに少年の表情が曇った。
「わから、ない……?」
「わからない?」
予想外の少年の返事に男も戸惑いを隠せない。
しかし、少年は静かに頷いた。
自分と男の服装の違い。
それがどこからきているのか――
それ以前に、自分はどうしてこの格好をしているのか――
少年には皆目見当がついていなかった。
その困惑は自身の存在についても及んでおり、少年の運ぶ足がピタリと止まってしまう。
この服はどこのもので、自分は何者なのか。
説明しようと言葉を探しても、少年の頭にその答えが出てくることはなかった。
「そもそも、俺はいったい誰なんだ……?」
人間、その存在を示す言葉は数多ある。
学術上の名称、カテゴリ、属するコミュニティ、俗称やあだ名――様々なものの中で、最もそのものの存在を明確に表すことができ、なおかつまず忘れることのない名称――名前。
少年は自分自身を表すその”名前”を見つけることができずにいた。
「誰って……もしかして、自分の名前がわからないのかい?」
男の問いに少年は静かに首を縦に振る。
「自分の名前もそうだけど、親がどういう顔だったのか……兄や弟がいたのかもわからない。そもそも、どうやってここに来たのかもわからないんだ」
「これはまた……」
気が付いたらここにいたと述べる少年に、男は返す言葉を失ってしまった。
自分がどこの誰で、何を目的としているのか。
その正体や行く先についても不明な少年に、男もどうしたものかと困ることしかできなかった。
「…………」
「…………」
互いに口を閉ざし、ただ歩みを続ける。
高かった太陽が傾き、土色ばかりの地平を朱く染め上げるまで、その沈黙が破られることはなかった。
「……山田太郎」
「え?」
「このまま名無しってのも色々と面倒だし、とりあえず山田太郎って名乗ることにするよ」
「山田、太郎ね……あはは。なんか村に一人はいそうな名前だけど」
少年――山田太郎の申し出に、男は苦い笑みを浮かべる。名は体を表すという言葉があるように、その人間を表す”名前”の重要性を思うと、耳に覚えがありそうな一般的な名前に笑わずにはいられなかった。
「ま、名前がないよりかはマシか。俺はカイト。よろしくな」
「よろしく。山田、太郎だ」
屈託のない顔で笑い、手を差し出すカイト。
その手を握り、名前を失くした少年――山田太郎は小さく笑った。
はじめての方、はじめまして。そうでない方、ご無沙汰しております。氷雪うさぎと申します。この度は本作品をお読みいただき、ありがとうございます。
この作品はラノベ大賞作品を書くにあたって、準備運動や長らく作品を書いていなかった自分の文筋(作品を書く力)を鍛えなおす一環で書いています。
だいたい60分を目安に執筆時間を区切って書いていますので、文量は多少バラついてしまいますが、できるだけ毎日書く形でお送りしようと思いますので、どうか最後までお楽しみください。
今回で八話。話数だけならそこそこの長さになってしまいましたが、ようやく山田太郎君の名前が出てきました。パチパチパチ。
これからどんな話になっていくのか、作者としても楽しみで他なりません。
最近は子供の泣くタイミングによって書く時間が大幅にズレたり増減してしまうので、少し間隔が空いてしまうかもしれませんがなんとか書き続けていきたいと思います。
それではまた次回の後書きでお会いいたしましょう。
氷雪うさぎ