4.狼口の瞬《ディスペア》
着の身着のままな、|戦う姿勢が見られない少年《捕食する対象》を見つめ、唸る狼の狩人。地に伏せるほどに姿勢は低く、しかしその腹は接地していない。
「…………」
後ろ足の根元にある地面がわずかに沈む。少年にも目前に”その時”が迫っていることが理解できたが、どうすることもできない現実にただ息を飲むことしかできなかった。
(く、喰われる……!!)
しかしこの時、少年の頭は動揺する心模様とは正反対に、驚くほど冷静だった。
どうすればこのマルキウルフから逃げることができるか、
どうすればこの獣の狩人の猛攻を躱すことができるか、
どうすればこの狼に諦めてもらうことができるか、
彼の全神経は”その機会”をうかがうマルキウルフの一挙手一投足を睨みながらもこの窮地を脱するための方策を絞り出すことに注がれていた。
「グルルッ……!」
「…………」
巨大な狼の後ろ足の土がひと際深く沈む。
眼前の敵が見せた、攻撃の意思を少年は見逃さなかった。
(来る――)
「ガワァッ――」
彼がそれを理解するのと、マルキウルフが地を蹴ったのは同時だった。
頭の中で描いていた何通りかのシミュレーションのなかから最も近い展開を読み出し、少年の体は想像の通りに走り出す。
吼声とともに振り上げられる狼の前足。
獲物を一撃で仕留めんとするその猛爪を見据え、少年は走る足に力を込める。
振り上げた勢いを乗せて下ろされるマルキウルフの爪襲を飛び躱し、少年は再び走る。
予測していた現実通りに少年の体は地を駆け、マルキウルフの爪は大地を抉る。
ここまでは彼の想定した通りの結果だった。
ただ一点、彼のイメージの中にも予測していなかった出来事――誤算は存在していた。
「ぎぃにゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
それは初めて見るマルキウルフに自身の精神が耐え切れなかったということだった。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!! 死ぬー!!」
本来、獲物を仕留めそこなったマルキウルフからの追撃が想定され、彼もそのことを理解していた。
背後から来る狼は少年がどれだけの俊足の持ち主でも、どれだけ全速力で逃げ続けようと、ものの数秒で彼に追いつき、そしてその身に爪を立てることができる――それが少年の導き出していた予測だった。
そのため、ほんのわずかな可能性――奇跡的な確率を小さくする、体力を無駄に消耗する行動は絶対に避けなければならない。
しかし、実際にマルキウルフからの殺気をはらんだ攻撃を目の当たりにして彼の心は限界を迎えていた。
「誰か助けてーっ!! 殺されるーっ!! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
力の限り叫び、そして走る。
自らの居場所を大々的に知らせ、体力を著しく消費する――少年が最も避けなければならない行動。
頭ではわかってはいるものの、そのすべての行動を彼は止めることができなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「グワァァァッー!!」
少年の背後から聞こえるマルキウルフの叫び声。
その声は少年を取り損ねた怒りが込められており、追いつかれれば次がないことを宣言していた。
「死ぬ、死ぬーっ!! 誰でもいいから助けてくれーっ!!」
枯れかけた草と拳よりも小さな石しかない平野で少年は叫ぶ。
そこに存在しない、救世主に助けを求め――叫ぶ。
自分を助けろ、救えと、残りわずかな体の力を声に変え、叫び続ける。
「誰かたす……ゲホッ、ガハッ――」
吐き出しきった息に胸を押さえる少年。駆けていた足は動きを止め、体を崩さないように支えるので精いっぱいになっていた。
「――ゴホッ、ぁ……はぁ……はぁ……!」
「ガァァァァァッ――」
最後の力を振り絞り、振り返った少年。
その目に映ったのは、大きく口を開けて自分を飲み込もうとする大きな狼の姿だった。
(ああ……終わった――)
体中の力を使い果たし、立っているのがやっとの少年は自らの終わりを悟り、顔を背けて目を閉じた。
はじめての方、はじめまして。そうでない方、ご無沙汰しております。氷雪うさぎと申します。この度は本作品をお読みいただき、ありがとうございます。
この作品はラノベ大賞作品を書くにあたって、準備運動や長らく作品を書いていなかった自分の文筋(作品を書く力)を鍛えなおす一環で書いています。
だいたい60分を目安に執筆時間を区切って書いていますので、文量は多少バラついてしまいますが、できるだけ毎日書く形でお送りしようと思いますので、どうか最後までお楽しみください。
ようやく四話ですね。相も変わらず少年については殆ど書かれていませんね(もはや開き直っているのではないかとも思えるほどです)。
今回は昨日分が体調不良で書けなかったので二話更新になりました。毎回夜中に書いているのでそういうフィジカルな部分に左右されやすいのが悩みの種ですね……気を付けます。
それではまた次回の後書きでお会いいたしましょう。
氷雪うさぎ