お母さん、愛って凶暴なのですか?
第十二章
鏡花市の自治体としての機能は、市の中心部から少し離れた場所にある。そこは八ツ竜川の堤防の脇に建てられた、いわゆる官庁街だ。市庁舎、市民芸術館、図書館などである。保健所もその中の一つで、本所の横には野良犬・野良猫、飼い主に持ち込まれたペット等の殺処分場が隣接されていた。
夜になると、近々殺される動物達の悲鳴とも思える鳴き声が漏れて来る。
剣先狂火は、今や復讐の怨霊と成っていた。深夜の市庁舎の屋上にそびえる電波塔の先端に立って、保健所の方に視線を向けていた。そのいで立ちは全身太い包帯で巻かれていて、所どころ綻びがある。そして、漆黒のマントを翻していた。右手には、柄が彼女の頭の上まである大鎌を持っている。
「聞こえるぞ、聞こえているぞ! 殺されしモノ共の叫び! お前達も虫けらのように殺された我らと同じじゃ! 無念のその叫びを、恨みを我によこせ!! ワラワがその恨み晴らしてやろう!」狂火は電波塔から一気に保健所の玄関口に飛び降りた。まるで、ムササビが両手両足を広げて舞い降りるようだ。
保健所の玄関口には、20台位の駐車スペースがある。狂火はそこで大きく手を広げると叫んだ。
「ここで殺されしモノ共よ。我と来て復讐をせん! 今ワラワが体を与えようではないか! 出て来いモノ共!」
それから狂火は口から黒い毒気を吐き出した。
「カ~~~~~ッ! カ~~~~ッ!」
見る見るうちにその黒い毒気は辺りに充満した。
すると、今までに殺処分された犬、猫、馬、牛などの霊魂が次々と現れ始めた!
「いいぞ! いいぞ! 出て来い、出て来い。恨みを晴らそうぞ! ワラワと仇を討とうぞ!」
狂火は醜い笑顔でよだれをダラダラと垂らしながら笑い始めた。
「カ~カカカカ~カ~~! なんと、数の多い事よの―。これだけのモノを殺すとはの~!
集まれ集まれ! カ~カカカカカ~~!」
狂火は幾千の数え切れない程の動物達の霊魂を前に、その成果を誇るように高笑いした。
「サ~~! 我が友よ! 我が戦士よ! これからもっと仲間を増やそうではないか! 我に従い我と共に行こう!」
狂火はそう宣言すると、漆黒のマントを翻して化けキツネに跨り、深夜の町の空に舞い上がった。すると、動物霊達も次々とその後を追って、暗黒の空に列をなして舞い上がった。
狂火の次のターゲットは、隣の市の保健所だった。そこでも狂火は数千の動物霊を集めた。
やがて、狂火はいくつかの市の保健所や、屠殺センターを巡り、そして類は友を呼ぶとばかりに、動物霊達が各地からも続々と合流して来たのだ。遂に数万もの動物霊を集める事に成功した。
彼女は、それらの動物の怨霊を一か所に集めた。その場所は鏡花市の隣、桜花市にある県立の総合病院で、既に5年前に廃業していた。
その広大な敷地の廃病院に、狂火は動物達の怨霊を集合させたのだ。
「見たかこの有様を! 我が同志たちよ! 人間どもはお前たち動物を、好き勝手に殺しまくるが、この廃病院に巣食っている人間の怨霊はどうだ! 人を、命を救うはずの場所に、これだけの人の怨霊が居るのはどうしてだ!? 人間どもの驕り高ぶりに相違あるまい!」
狂火が言い終わると、動物の怨霊たちは一斉に「そうだ~!!」と大合唱した。
狂火が廃病院の人の怨霊達に向かってアジを飛ばした。
「お前達人間の怨霊達も、我らと共に恨みを晴らさないか! え~?」
狂火が手を耳に立てて返事を待つと、そこの廃病院に居る人間の怨霊達は一斉に声を上げた。「何を言っているんだ~! 動物共と一緒にするな~!」
大合唱して狂火に反抗の姿勢を表した。
「人間の馬鹿共め、お前らなんかいらんわ! 動物霊達よ~! 我に従って人間どもを蹴散らしに行くぞ~!!」
「お~~ッ!!」狂火が右手を突き上げて叫ぶと、そこに居るすべての動物霊達は雄叫びを上げた。
「今からそなた達に武器と体を与えよう! そこに控えて居れ!」
狂火は、数万枚の人型に切った紙を空中に撒き散らした。そして数千年前から伝承されている秘伝の「呪文」を唱え始めた。
すると、人型に切った紙が怨霊達一つ一つに取り付き、見る間に人の形になり始めた。やがて全身太い包帯だらけの人間が形成された。
次に狂火は、廃病院の周囲に沢山植生している熊笹に目をやった。狂火は自分が持っている大鎌を構えると、その熊笹に向かって急降下した。大鎌を振り下ろすと、ズバズバと熊笹を斬り払った。
空中に熊笹の葉が舞い上がると、狂火はまた違う呪文を唱えた。すると、次々と熊笹の葉が大鎌に変化した。そしてそれらの武器は包帯だらけの怨霊達の手に与えられた。
「サ~ッ! 準備は整ったぞ~! 攻める所は決まっているぞ! 鏡花市の上白川邸だ。
そこには最強の槍、金剛槍がある! これさえ手に入れれば、正に鬼に金棒であるぞ!
いざ参るぞ、皆のモノ~~!」
狂火は猛り狂って先頭に立ち、上白川邸に進軍を始めた。
第十三章
高校の夏休みも終盤に近づいた頃、鏡花市周辺に大雨洪水警報と、竜巻注意報が出た。気象庁の雨雲レーダーに厚い積乱雲が映し出されたからだ。その雨雲は局地的でゲリラ豪雨をもたらすと予想された。他の地域ではそのような事は全く無く、鏡花市周辺だけの事だった。
上白川二三四は、自分の霊能レーダーに異変を感じ取っていた。テレビから報じられる大雨洪水警報と竜巻注意報が、自分の霊能レーダーとリンクしている事を察知していた。
「これは・・・。みんなに知らせないと・・・!」
二三四は急いで香庫の部屋に行き、ドアをノックもせずに開けた。
「お母様、どうしたの? そんなに急いで・・・」
香庫は、余りの母親の血相を変えた顔に驚いた。
「香庫! 至急清秀君を呼び出して頂だい! 緊急事態よ!」
二三四は、いつもは出さない声を発して、娘に危機を伝えようとした。
「わかったわ! お母様、すぐに知らせる」
香庫は、即座に迫りくる危機を察した。そしてスマホを取り出すと、清秀に電話を掛けた。呼び出し音にもどかしさを感じながらスマホの裏側を指で叩いた。
「早く、早く出て、キヨ!」香庫は右足でトントン床を叩いて苛立ちを隠さなかった。
「あっ、もしもし~香庫? どうした」
いかにものんびりした声で清秀が電話に出た。
「キヨ! 緊急事態よ! すぐに来て!」
香庫のメッセージはほとんどメールだけれど、切迫した危機の時は電話と決めていたので、清秀は体が硬直する程それを実感した。
「わかった! すぐに行く」
清秀は、自分の部屋を飛び出ると、夕陽の部屋を開けて声を掛けた。
「夕陽! 夕陽!」部屋中を見回したが、夕陽はいなかった。
「チッ! どこへ行ったんだ、夕陽のヤツ!」
急いで階下に降りて、母親に夕陽の行き先を尋ねた。
「夕陽ちゃんはね、今日友達の家に行くって、朝から出掛けているよ」
母親の日出世と父が、ワイドショーを見ながら、お茶を飲んでいる。
「そうか、そんなら良いや。母ちゃん、ちょっと香庫んち行ってくらァー」
清秀は、アッと思い出して、母親の元に戻って来た。
「母ちゃん! この前ウチに来た子、覚えているか?」
清秀が戻って来たので、日出世は驚いた様子でお茶を飲むのを途中で止めた。
「あ~ッ、覚えているよ。かわいい子だろ。その子がどうしたって?」
日出世が上体だけ清秀の方に捻った。
「その子が尋ねて来ても、絶対ウチに入れちゃー駄目だからね。そいつ、危険人物なんだ。人殺しするかもしれないんだ。だから、絶対ウチに入れちゃダメなんだ!」
日出世と父親が何が何だか分からない風に、二人で湯飲み茶碗を持って清秀を見詰めている。
「何だいそれは、その子はお尋ね者かい? おっかねーな、まったく!」
母親はそう言うと、テレビに向き直った。
「分かったよ! キヨ! お前を信じているから、大丈夫だよ、ね~父ちゃん!」
「あー、そうだ。大丈夫だ」父親がお茶をすすり、新聞を広げた。
清秀は二人の姿を見て、なぜかとても愛おしくなり、涙が出そうになった。
清秀は店を飛び出すと、店の正面に立ちスマホを取り出すと、香庫に電話した。ワンコールで香庫が出た。
「香庫、悪いけど頼みがあるんだ。青太と白子を貸して貰いたいんだ。ウチの店を守って欲しいんだ。頼めるかな?」清秀は空を見上げて真っ黒い雲に眉をひそめた。
「何を言ってるの! 良いに決まってるでしょ! すぐに行かせるわ。安心して! キヨ!」
数秒待つと白子が清秀の前に滑り込むように現れた。
「二人とも、今日は頼ん・・・、青太はどうした?」
「後で来ますから大丈夫で御座いますわ、清秀様! 任せて下さいませ!」
「これで良し! っと」清秀は、一目散に上白川邸に向かって走り出した。
清秀が上白川家の門に着くと、既に香庫が待っていた。
「キヨ! 早かったわね。中に入って!」香庫は、清秀の背中を押す様に家の中に誘った。
「ありがとな、香庫!」
「何言ってるの! 早く入って」香庫は少し顔を赤くして、清秀の後ろから脇に腕を入れ、恋人同士がする格好になった。
居間に入ると、二三四がソファーに座っていた。架純は今正に、テーブルに紅茶をセットしている所だった。
「ごめんね、清秀君、急いで来て貰って。さあ香庫も一緒に座って」
「またあいつですかね。剣先狂火、しつこいですね、まったく!」
清秀は、右手で作った拳を左手にぶつけた。
「清秀君、その剣先って子が、あなたは二五〇〇年前からの仇だって言ってたのよね?」
「そうなんです。オレがなぜ二五〇〇年も前に、あいつらの仲間を殺さなきゃならないんだと、そう言ってやったんです」
清秀が答えている間に、架純が会釈をして、部屋から出ようとした。
「架純さん! あなたも居てちょうだい」二三四は架純をソファーに座るように促した。
「海水浴場での事は、私のレーダーの範囲外だった事もあって、よく剣先達の攻撃を耐えたと思うわ。まさか砂の中に潜んでいるとはね・・・。それで清秀君、剣先は今度大軍を率いて来ると言ってたのよのね」
「そうです、お母さん。今度の招集はその事ですよね?」
「テレビの緊急速報で、色々な警報が出ていたけれど、私のレーダーにもそれとリンクするように、たいそうな数の妖気が感じられたの。もうすぐそれがここにやって来るわ。それで、その対策だけれども、清秀君が主役になりそうなのよね。剣先も言っていたけれど、二五〇〇年前にあの部族とあなたの毘沙門ね、大戦争になったのよ」
「何でそんな事分かるんですか?! お母さん」清秀は不思議そうな顔をした。
「この件は、私の事から話さないといけないわね。私、実はカーリテイモと言って、日本では鬼子母神って呼ばれている者の生まれ替わりなの。そして、その娘が吉祥天と言って、私の娘香庫がそれなの。記憶は消してあるわ」
清秀は二三四が話しているのを、まるで手品を見ている観客の様に聞いていた。
「え~ッ、って事は二五〇〇年前の親子が、再現されているという事ですか?」
「まー、そう言う事になるわね。それから、吉祥天には夫が居たのよ。それが、あなた清秀君なのよ」清秀は、飲みかけの紅茶を噴き出した。
「エ~~! マジですか? 香庫とオレが夫婦だったんですか?」
清秀と香庫は顔を真っ赤にして目を合わせた。
「一応、お母様からは何と無くだけど、キヨと私は過去では夫婦だったって、聞いてはいたけど・・・。それに・・・、それに今生でも結婚するって聞いていたの、未来に!」
香庫は目をウルウル潤ませた。
「エ~! マジかよ! そんな事初めて聞いたぞ! 香庫!」
「清秀君、黙っていてごめんね。あなたにその事を早く言っても信じないし、香庫との仲がギクシャクすると思って、言わなかったの。だけど、今回の剣先達の攻撃は、あなた達二人にとても深く関係しているのよ」
「それは一体どういうことですか?」
「二五〇〇年前の事は、わたしカーリテイモが記憶に残してあるの。その時は釈迦族に対して、羅刹女族から物凄い攻撃があって、仏の教えが消滅するかもしれない事態だったのね。そこで清秀君、毘沙門天の力でその攻撃を退けようとしたの。その力を更に強くするために、嫁である吉祥天の宝珠のパワーを足して、二人で数百倍の力を出させようとした訳なの。圧倒的な数の羅刹女族は、完全に勝てると思っていたみたいね。ところが毘沙門天吉祥天連合軍は、たった二人で数万の軍を全滅させたのよ」
誇らしげに語る二三四は、のどを潤そうと紅茶をすすった。
「そんなすごいパワーを持ってたなんて、オレ聞いてないから。今どこにそんな力があるんですか? オレがそんなすごい数の連中と戦えるんですか?」
「清秀君、この前私の部屋で同級生の為に、ツハウズ ディア グレイヒジールへ行ったでしょ? その時使ったモノ、覚えているかしら?」
「えー、え~、覚えています。絶対に触らないでって、念を押されましたけど・・・」
「その時のモノが、実は清秀君の即ち毘沙門天の持ち物なの。それこそが金剛槍と言って、何でも願いが叶う槍なのね。でも私はあなたの両親と話し合って、その槍のパワーを封印したの。今の時代戦争は70年起きてないし、強いて言えば経済戦争ね。この槍があればどんな企業だろうと、財閥だろうとそれこそ蹴散らして、清秀君の会社が完全勝利するわ」
二三四は一息ついて、また話し始めた。
「でも凄いパワーには、必ずマイナスの面があるの、まず一つは次々と成功する為に、上ばかり見て自分の足元を見るのを忘れてしまうって事ね。それに、これは特に清秀君には悪いけど、英雄色を好むの諺有って事なの。この槍のパワーを持って成功すると、必ずお妾さんを沢山持つの。10人、20人って数のね」二三四は残念そうに清秀を見た。
「エッ! そうなんですか? 嬉しいような~・・・、良く分からないけど・・・」
顔を赤くして、香庫の方を見て頭を掻いた。
「お母様、今そんな事言わなくても良いじゃない! 戦いの話をしてよ!」
香庫は今の話を打ち消す様に早口でまくしたてた。
「でも、清秀君の為には大事な事なのよ。今日金剛槍を使うに当たって、注意事項を教えているのよ、分かるはね? 清秀君!」二三四は清秀の目を覗き込んだ。
「え~と、そうですね。分かります、良く分かります。お母さん。結局この戦いが終わったら、その槍は没収って事ですね?」清秀は残念そうに下を向いた。
「良く理解してくれたわね、清秀君! うれしいわ。お互いの幸せの為よ」
二三四は嬉しそうに言いながら、清秀の手を握った。
「お母様。スキンシップはいいから、作戦はどうなの、作戦は!」
香庫は、二人の間に潜り込むように、割って入った。
「作戦は簡単明瞭よ。清秀君に金剛槍を持って貰って、それを香庫がフォローするって事ね。後は私と架純さんで援護するわ。それで良いわね、架純さん?」
今までソファーの隅で黙って座っていた架純が初めて喋った。
「えぇ、奥様! そのように致します」
「オレの両親や夕陽は大丈夫でしょうか? それが心配で仕方がないのですが・・・」
「それは心配無いと思うわ。龍達もお店の方に守護に行ったと聞いているし、剣先達の狙いは清秀君と香庫への復讐と、金剛槍を奪う事だと思うのね。清秀君の家にも剣先は行ったと聞いているけど、槍田家には金剛槍が無かったから、あっさり引き上げたんだと思うわ。大昔から羅刹女族は動物的に鼻が利く連中だからね。金剛槍の匂いを嗅ぎつけようとして、清秀君の家に行ったのよ。それに、動物霊を使うのもあの連中の特徴ね。今回もその手を使ってくる可能性が高いわね」
「そうですか。それなら戦いに集中して居られますね。香庫も、架純さんも宜しくね」
清秀は二人に向かって頭を下げた。
「キヨ! 良いわよ私にそんな気を使わなくても。バッチリフォローするからね!」
香庫はウインクした。そして近づく戦いに打ち振るえながらも、清秀の緊張をほぐそうとしていた。
「お母様。お父様は大丈夫なの? 今何処にいらっしゃるの?」
「それは大丈夫よ。お父様は私達をいつも見守って下さっているのよ!」二三四は自信たっぷりに答えた。
「お母さん、オヤジさんはオレの事知っているんでしょうか?」
清秀は、この際とばかりに尋ねた。
「そうね。清秀君の事を心配して、槍のパワーを隠そうと言い出したのは、実は私の夫一が最初なの」
第十四章
「エエ―! そうなんですか? 今初めて聞きました」何だか今日は初めてが多い日だと思って、返ってテンションが上がった。
「それは私も初めて聞いたわ!」香庫もテンションが上がって来た。
「彼は実は、釈迦族の正統な血統を継ぐ人なのよ。しかも特殊な人でね、私と同じで古い記憶を残しているの。人間の脳は10パーセントも使っていないって言われているけど、私と彼は2500年前からの生まれ変わった記憶を全て残しているの。だから、その当時に起きた事、耳にした事もほとんど記憶に残している訳。以前清秀君が何でも知っていると、私を褒めてくれたけど、カラクリは記憶が消えない体質だったって事になるわね」二三四は少し自慢げに腕を組んだ。
「それでね、清秀君が生まれる時、毘沙門天の魂がこの鏡花市の上空を飛んでいるのが分かったの。私のレーダーと彼の霊眼でね。それから急いでその魂が降りた処に向かったのね。そこが槍田青果店だった訳ね。槍田青果店のご夫婦に丁寧に説明したのだけれど、ご夫婦共に同じ夢を見たのね。自分達の家にめがけて飛んでくる毘沙門天の魂が、奥様のお腹の中に入るのをご夫妻共々同じ時間に見たそうよ。から、私達の説明もすぐに呑み込めたって、仰っていましたわ。ホントに良いご夫婦よね、清秀君のご両親!」二三四は懐かしく楽しそうに言った。
「その夢、オレがちょくちょく見る夢と、ほとんど同じです! お母さん!」
清秀は、増々テンションが上がって来た。
「あいつらと戦っている場面と、鏡花市の空を飛んで自分の家の屋根の上まで来ると、目が覚めてしまうって夢! 全く同じです!」
清秀は、今までの疑問が解けて、頭がすっきりと晴れ渡った気分だった。
その時、廊下をパッパッパッと歩く音が近づいて来た。部屋のドアの近くまで来て、足音がピタッと止まった。
部屋のみんなは息を殺してドアノブに意識を集中した。
すると、ドアノブがゆっくりと回って、ドアがスーッと開いた。そこには、この上白川家の当主上白川一が立っていた。
架純が間髪入れずにソファーから立ち上がった。
「旦那様!」一に深く頭を下げた。
「そのままそのまま! 座りなさい、架純さん」
「お父様!」
「あなた!」
「清秀君、香庫と二三四から話しは聞いていたからね。今回は色々面倒な事が続いたけど、これで終わりにしような。さあ、二三四、お前の部屋からアレを持って来てくれないか」
「ええ、ただ今持って参ります」
二三四はそそくさと居間を出ると、小走りに自室に行き、金庫を取り出して小さな机に置いた。
金庫をゆっくり開けると白い光が部屋中に広がった。二三四は金庫から慎重に金剛槍を取り出した。
「これから使わせて貰うはね。宜しく頼むわ」
二三四は、金剛槍を頭の上に頂く様にして、軽く会釈した。それは槍とは言い難い三〇センチにも満たない木の棒だった。
清秀達の部屋に向かう時は、廊下を摺り足で歩き、金剛槍を揺らさないように自分の赤ん坊を抱くように運んだ。居間の前には架純が待ち構えていて、ドアをサッと開けて二三四を部屋に入れた。
「さぁッ、持って来ましたよ! 皆さん!」
二三四は、自分の赤ん坊を初めて家族に紹介する様な仕草で、金剛槍を清秀達に見せた。
「ありがとう、二三四!」
上白川一は、妻にやさしい笑顔を向けると、彼女から金剛槍を受け取った。
それを脇から覗き込んだ清秀は期待外れのようだ。
「これが金剛槍ですか? すッげ~貧弱なんですけど」
「キヨ! お母様がどれだけ大事に持って来たか見たでしょ? 言葉に気を付けなさい!」香庫は顔を上気させた。
「あ~、ごめんごめん! でも、ただの木の棒にしか見えないんですけど」清秀は指を差しながら落胆の表情をした。
「清秀君、いかに貧弱に見えても、これは正に正真正銘の金剛槍なのだよ。本来この槍は君の物なのだが、私達が、勿論君のご両親もだが、君の将来を心配して君から引き抜いたのだよ。その事は分ってくれたまえよ」
「分かっていますよ、おじさん! その事は心配ご無用です」
「今日この日は、二三四が察知した様に、非常事態です。この槍を君に戻して本来の毘沙門天の力を発揮して貰わないと、この難局は乗り切れません。それに、香庫の力も借りないと、百パーセントの力は出ないのです。香庫、お願い出来るかな?」一は、香庫の方を向いて尋ねた。
「えー、勿論分かっていますわ、お父様!」香庫は弾むように答えた。
「二三四、時間も押し迫っているようだ。清秀君と香庫にこの槍の使い方を教えてやってくれないか」
一は、清秀に金剛槍を渡した。
「清秀君、今これから私が言う言葉を、そのままに唱えて頂だいね」二三四が清秀のすぐ近くまで寄って来て、清秀の目を見据えて言った。
「わ、分かりました! お母さん!」清秀は生唾をゴクンと呑み込んだ。
二三四は清秀の正面に立ち、両手を胸の前で合わせて、金剛槍に話し掛けた。
「最強最大で絶対の力を持ち、造物主より出でたる金剛槍よ!」
二三四はそこまで言うと、清秀に頷いて見せて復唱するよう促した。
清秀は思い出したようにハッとして二三四の言葉を復唱した。二三四は清秀が言い終わるのを確認すると、続きを言い始めた。
「清秀より抜き取りし金剛槍よ! 今ここに元の鞘に収まりし時は来ぬ」
二三四はここで又頷いて、清秀に復唱するよう促した。
清秀は毅然としてこれを復唱した。
「うん」と強く頷いた二三四は最後の言葉を奏上した。
「いざ金剛槍よ! 毘沙門天と共に勤めを果たせ!」
二三四は、グッと睨むように清秀を見て強く復唱を促した。
「あ~! いざ金剛槍よ~! 我毘沙門天と共に~! 勤めを~果たせ~!!」
清秀がそう言った時には金剛槍は二メートル以上に伸び、天井に届こうとしていた。その装飾はあの貧弱な木の棒とは見違える姿だった。
金・銀・瑪瑙・ダイヤモンド・珊瑚・琥珀などで飾られていて、本体は香木だ。槍の先端には刃は付いておらず、仏具の五鈷杵のような造りになっている。清秀の声はすでに野太くなり、彼のいで立ちもプラチナに輝く甲冑姿に成っていた。頭には装飾された兜が着けられて、甲冑の上には錦の陣羽織が足まで伸びている。
毘沙門天はその体から周囲に白い光を放ち、右手に持った金剛槍を床に「ドン!」と突き立てた。金剛槍の影響はすさまじく、その部屋に居た者達は、その背後に隠された霊格が次々と白日の下に晒された。
まず、香庫にその影響が現れた。清秀が毘沙門天に変身するや否や、香庫はその光を浴びて忽ち吉祥天に変身してしまった。両手で宝珠を持ち、それを胸の前に掲げて薄い笑みを浮かべ空中に静止している。
次に、架純が「うーッ」っと、低い声を発し、頭から順々に夜叉に変身していった。しかし、この「症状」が発症した頃の化け物のような顔では無い。手足の爪が獣のようになっている他は、普段の架純に近かったのだ。
とは言え、その体が普段の架純よりはかなり大きくなっているので、服はボロボロに破けてしまい全裸に近い姿だ。
「いやッ!」
架純は両手で胸を隠して座り込んでしまった。
それを見た二三四は架純に近づき、手近のカーテンをレールから一気に外すと、架純に素早く巻き付けた。
「これで大丈夫よ! 架純さん。一緒に戦って下さるわね?」
二三四は、架純の肩に手を置き、その目を見て言った。
「奥さま、有難う御座います。勿論一緒に戦わせて頂きます!」架純は目を輝かせながら答えた。
上白川一は一部始終を部屋の隅から見ていた。
「うん、これで良し!」と言うと、二三四に目をやった。
「私達もそろそろ・・・。なッ! 二三四!」
「分かりました、あなた!」
二三四は呪文を唱えながら、まるで伴奏の様に柏手を打った。
柏手の最後の音が合図の様に、二三四の体から閃光がほとばしり出た。
忽ち二三四の体はカーリテイモに変身!
それを確認するように上白川一も、両手で印契を結ぶと体の周りに渦巻きが出来た。まるで竜巻の様に渦巻いた空気の所為で、部屋中の紙などが巻き込まれてひどい有様になってしまった。
渦巻きが収まると、そこには憤怒相のゴンゲンが仁王立ち! 腰には三尺の大太刀、体には鎧・手甲、脛当てをし、頭は怒髪冠を衝く如くに髪の毛が盛り上がっていた。
第十五章
上白川邸は嵐の真っ只中にある。
剣先狂火はもうすでに完全に羅刹女に成り切り、ついに鏡花市の上白川邸の門の前に立っていた。辺りは幾重にも太い包帯姿の亡霊達が蠢く。
亡霊達は色々な動物霊が土台になっている為か、大きさは不揃いで身の構え方も様々だった。異様に興奮して息が荒いが、亡霊達の凄まじい数にしては冷気が充満して居て、まるで冷凍庫の中のような寒さだ。
「サア~ッ、ついにこの時が来たぞ~、皆のモノ~! この屋敷の中に我らの敵がいるぞ~! そいつらを蹴散らして、目的の金剛槍を頂こうではないか~! 皆のモノ~! 突撃~!」
羅刹女が号令を掛けると、皆一斉に雄叫びをあげ乍ら生け垣を飛び越えて邸内に雪崩込んだ。
羅刹女は傍らにいる一匹のキツネに耳打ちをすると、数匹の仲間と駆けだし、あっという間に暗闇に消えて行った。
「うまくやれよ~、お前達~!」そいつらを見送ると、クルッと身を翻して上白川邸の門を、自身の大鎌でぶち破った。
「討ち込め~!」
羅刹女が、自分の周りにいる亡霊達を従えて、邸内に津波の様に押し入った。
上白川邸の周りにいる亡霊達は、生け垣を次々に乗り越えて邸内に侵入し、その数たるや数万の為、正に大河の流れの様に見えた。
清秀達は屋敷の外での騒ぎはすぐに分かった。清秀と香庫は急いで庭に出て、外の動きを見張っていた。次々に侵入して来る亡霊達を確認すると、毘沙門天と吉祥天の夫婦コンビは、お互い頷き合った。
「頼むぞ、お前!」
「承知!」
吉祥天は両手を器の様に胸の前に構え蓮華印を形成。
「しゅりえ、しゅりえ、スバーハー!」
吉祥天が呪文を唱えると、蓮華印の中に光の玉が出来上がり、宝珠の形に成った。
「準備出来ましたぞ、お前様!」
「おお! 合点承知の助!」
毘沙門天は金剛槍を亡霊達に向けて構えた。
「行け――! 金剛槍! 奴らをやっつけろ~!」
毘沙門天が叫んで、グッと槍に念を送った。
がしかし、金剛槍の先からは薄い煙が透かされた様に「プス~ッ」と出ただけだった。
「どうなってんだ~?」
毘沙門天が金剛槍の先を覗き込んでいると、吉祥天がさっきとは違う呪文を唱えた。
「しゅたり、じゅたり、オ~ン!」
すると、宝珠が吉祥天の手から磁石で引かれたかの様に金剛槍の先に飛んで、ピタッと収まった。その途端、金剛槍からとてつもない光がほとばしり出た。
「ズバ~~~~~ン~~ン!!」
その衝撃は消防士が最大水圧の放水をしたかの様だったので、槍先を覗いていた毘沙門天が後ろにひっくり返りそうになり、大慌てで体制を立て直した。
しかし光線の反動がすさまじく、金剛槍をジグザグに振り回してしまった。
金剛槍から出た光線は屋敷の芝生を捲り上げ、庭の机・椅子やらを吹き飛ばし、立木をなぎ倒して、屋敷の一部を少なからず破壊してしまった。
「何してんのー、あなた! ちゃんと狙いなさいよー! もう!」吉祥天は拳を腰に当てて、目を吊り上げて怒心頭だ。
「悪かったよー、もう~勘弁してくれよ~、いきなり呪文言うからさ~、行くなら行くって言ってよ~」
「ハイ! やり直し! 行くわよ~! しゅたり、じゅたり、オ~ン!」
吉祥天が呪文を唱えると、しっかり構えた毘沙門天の持つ金剛槍から、凄まじい光線が発射された。間近に迫った亡霊達を一瞬で弾き飛ばしてしまい、飛ばされた敵は太い包帯が解けて粉砕され、元の動物霊に戻って成仏してしまった。
「すッげ~~威力! これカッケ―!」
毘沙門天は調子に乗って、金剛槍を右に左に振って、亡霊達を弾き飛ばした。
あっという間に、屋敷の庭に侵入した亡霊達を一掃してしまった。
「これ、すげーな! こんなにパワーあるとは思ってもいなかったぜ!」
毘沙門天は、まじまじと金剛槍を眺めた。
「でもさ、この光景って夢で何度となく、見た事あるかも・・・」
「そう! さっきから私もデジャブかしらって、思っていたの!」
二人が話をしている間に、屋敷の外からまたもや太い包帯姿の亡霊達が攻め込んで来た。
忽ち屋敷の庭が亡霊達で埋め尽くされてしまった。亡霊達が持つ大鎌を振りかぶりながら、次々と二人に襲い掛かって来た。
「来たわよー! あなたー! しっかり戦って頂だいねー!」
「一体全体、どの位の数が居るんだ! 撃ちまくっても、全然減らねーや!」
一方、上白川一・二三四夫婦と架純は屋敷の裏側を守っていた。
上白川一は、今正に襲い掛かろうとしている亡霊共に、大太刀の鯉口を切った。右手で鞘の半分まで抜くと、凄まじい速さで左手を鞘引きした。抜き身になった大太刀を、風切り音と共に振り上げると、先頭の一匹を二分した。後は当たるを幸いに愛剣を振るって、その一振り毎に発生する衝撃波で、亡霊達を薙ぎ払った。
「エーイ! トゥ! 忠信流の味は如何かな?」流派の宗家たる威厳たっぷりの戦いぶりだ。
二三四は一の背後を守っていて、襲い掛かって来る亡霊達を、自身の指の爪を一メートル以上に伸ばして切り刻んだ。指の爪は、ほんの少し動かすだけで先端に行くほど大きく振れる。
「キー! クエー!」奇声とも言える掛け声は、爪の威力を増加させていた。
一方架純は、縦横無尽自由に動き回って居た。まるでくノ一忍者の様に、庭の大きな置き石や立木を跳ね回り、両手の太刀で切りまくった。
三人とも、倒しても倒しても泉の様に湧いて出て来る亡霊達に、時々顔を見合わせてウンザリ顔だ。
上白川邸の敷地には、一本の大きなケヤキの木がそびえ立っている。風と大雨の中、そのケヤキの天辺に羅刹女は起立し、その右手には大鎌が握られている。
左手には何と! 槍田夕陽がぶら下っていた。狂火は夕陽の襟首を掴んで、清秀達にこれ見よがしにブラブラと振って見せた。
「カ~ッカッカッカッカ~~! ヒヨ~ッホッホッホッホ~! お前ら、これが見えないのか~い、え~?」そうホザキながら、増々夕陽を激しく左右に振り回し始めた。
「に~ちゃ~~ん! こわ~い! 助けて~~~!」
夕陽は目を回しながら、ありったけの声を出して清秀達に助けを求めた。
「ア~ッ!!」それを見て、二人は同時に叫んだ。
「あれは夕陽じゃないか! しまった~、ただ一つの気掛りが現実に成っちまった。オレとした事が~・・・」
毘沙門天は光線を発射していた手を止めて、木の上でぶらさがっている夕陽に釘付けになった。
ケヤキの木の下には、上白川邸の門の前で狂火から指示を与えられた亡霊達が居た。任務を成功させて狂火に褒められたのだろうか、ケヤキの周りを踊りながら、訳の分からない歌を歌ってはしゃぎ回っている。
「フフ~ン。お前達の事は一人一人見張りを付けて置いたのさ! この羅刹女サマには敵いっこないのさ! サァッ! 大人しくするんだ! お前達! 毘沙門はその槍を我に渡せ! さもなけりゃー、このガキをここから叩き落としてやるよ~、それでも良いのかえ?」
勝ち誇ったように右手の大鎌の柄を、ケヤキに「ドン!」と突き立てた。
上白川邸の庭にひしめき合う亡霊達は、この光景を見ると皆一斉に勝どきを上げ始めた。
「エイエイ、オ~! エイエイ、オ~~!」
そして皆お互いの顔を見合わせて笑い始めた。上白川邸の近く迄来たが、戦闘には躊躇していた亡霊達も、邸内の歓声を聴いて、みな一斉に勝ち馬に乗るべく、邸内に押し合い圧し合い雪崩込んだ。清秀達でさえ勝負あったと思っていたのだ。
上白川邸の裏側を守っていたゴンゲン・カーリテイモ・夜叉も、この異変に気付き直ちに表側に急行した。
駆けて来た三人はケヤキの天辺を見上げて、唇を噛んで悔しがった。
「ウ~ン、弱点を突かれましたねー」ゴンゲンが、いかにも残念と言う顔をした。がしかし、カーリテイモだけは口元を歪めて薄笑いをした。
「あなた、取って置きが来ますわよ、もうすぐ」そう言うと、ケヤキの天辺の羅刹女を見越す様に、さらにその上空に目をやった。
嵐の上空に、さらに黒い雲が湧き出して来て、その黒い雲が地上に向かって下降して来た。
すると、その音までもが聞こえるような距離になった。
「バサバサッ、バサバサッ!」
その音とは何かが羽ばたく音だった。
その下降する黒雲の先端が、羅刹女が夕陽をぶら下げている近くまで降りてくると、そこから手が伸びて、羅刹女の左手にぶらさがっている夕陽を奪い取った。
雲間からほんの少し顔を出した月の光に照らし出されたのは、カラス天狗のマロだった。
「お待たせしましたでおじゃる、皆の衆!」マロは、恐怖で無表情の夕陽を他のカラス天狗に渡すと、槍田青果店に連れて行くように命じた。黒雲と見えていたカタマリは、夥しい数のカラス天狗の集団だったのだ!
カラス天狗にしがみついた夕陽は、清秀達に笑顔で手を振っていた。
「オ~ッやった~! マロさ~ん! 久しぶりー! ありがとー! 夕陽~! 大丈夫かー?」
毘沙門天が、手を振ってマロと夕陽に声を掛けた。
「清秀さん、ゴブサタでおじゃります! 香庫さんも相変わらず仲良しでごじゃりますな!」
清秀達の近くまで舞い降りて来たマロが、二人に挨拶をした。
吉祥天は、顔を真っ赤にした。
「くそ~~! おのれ等また邪魔をしおって! 皆のモノ~~! こいつらを皆殺しにしろ~~!」羅刹女は怒りのあまり、毛髪から炎が立ち昇った。
カラス天狗達は次々と急降下して、手や足の爪で亡霊を引っかけて空中に引き上げると、下に居る亡霊達の群れの中に爆弾の様に投げつけた。
投げつけられた亡霊は、ボウリングの玉の様に他の亡霊達を跳ね飛ばしながら、最後は粉砕して動物に戻って成仏してしまった。
バッサ、バッサと野太い羽ばたきが聞こえて来た。北側の生け垣の上に巨大なカラス天狗が現れた。
それは腕組みしながら大きな羽を羽ばたかせてホバリングしている。その足下には隊列を組んだ狐達が行進していた。一糸乱れぬ行進は、まるで伴奏にでも合わせているかの様だ。
やがて巨大なカラス天狗が右手をサッと上げると、ピタッと行進が止まった。
しばしの間があって、その右手が前方にキレ良く振り下ろされると、狐達は亡霊ども目掛けて攻撃を開始した。狐達は三匹でチームを組んでいる。足、腕、首に嚙みついて、効率よく倒して行く。その光景を見ていた毘沙門天は感心しきりだ。
「マロさ~ん、凄いっすね! 狐達、良く訓練されていますね!」
「清秀さ~ん! 亡霊共とは野良犬と警察犬くらい違いますですよ」
「そんなもんかね~、たいしたもんだよ、マロさん!」
上白川邸の周りには、まだまだおびただしい亡霊達がひしめき合っていた。そして屋敷に侵入した亡霊達が毘沙門天等に成仏されてしまうと、まるで、パチンコの玉がスロープを流れて行くように、新たな亡霊達が邸内に吸い込まれて来た。
「いったいどのくらい居るんだ、こいつら! うんざりするぜ!」毘沙門天が金剛槍で亡霊達をなぎ倒しながら文句タラタラだ。
「それが目的かもね」
「エッ?」
「うんざりさせて、根気が無くなってくるのを待っているのかもね、って事!」
「それ、正解かもね! いかにこの槍に凄いパワーがあるからって、操っているのはこのオレだからな。オレにそんなに根気があるとは思っていねーって事だろ、要するに。剣先の野郎、オレを甘く見ちゃって、後悔するなよ! オレはソウダキヨヒデじゃなくて、毘沙門天なんだぞ! 今はな~!」毘沙門天は、金剛槍を以前よりも激しく扇状に振り回して、亡霊達を吹き飛ばし始めた。
吉祥天がふと道路沿いの生け垣に目をやると、亡霊達を弾き飛ばしながら突進してくる黒い物体を見つけた。その物体は、まるで高速で回転する独楽みたいだ。それが亡霊達を弾き飛ばしながら毘沙門天達に近づいて来た。
「あなた! あれは何?」
それが二人の周りにいる亡霊達をすっかりやっつけると、それはピタッと動きが止まった。
「こんばんは! おめーさん達! 助っ人に来たぜよ!」
そこに居たのは、毛むくじゃら大男の鼠小僧太郎吉だった!
「オー! お前いったい、どうして?」
毘沙門天はこの世にいるはずのない男がなぜここに居るのか、全く理解出来無かった。
「たまげただろ? オレもそうなんだが、こちらのお嬢さんのお袋さんに助けて貰ったのさ」
太郎吉は、親指を吉祥天の方に向けた。
「そうだったのかい! それは良かった! 兎に角ここは一緒に戦ってくれ!」
「でも、どうやって助けたのかしら? お母様」吉祥天が小首を傾げた。
すると、裏手に居た三人が毘沙門天達と合流した。
「お前達、大丈夫か?」額の汗を拭いながらゴンゲンが二人を気遣った。
「お父様、私達は大丈夫です。お母様と架純さんはいかがですか?」
「私達も大丈夫よ。助っ人達も良くやってくれたわね。夕陽ちゃんは槍田さんのお宅に届けたと、さっきカラス天狗の皆さんから連絡を受けたわ。清秀君良かったわね」
カーリテイモは毘沙門天に魅力的な笑顔を向けた。
「有難う御座います! お母さん! あの~、太郎吉君なんですけど、一体全体どうやってこの世に戻って来られたのでしょうか?」毘沙門天は、マジックで騙された客みたいに尋ねた。
「あ~、彼の場合はね清秀君、以前彼の手形を見たでしょ。二十万カーマとか書いてあったわね?」カーリテイモは、増々魅力的な笑みを浮かべて、毘沙門天に近づいた。
あわてて吉祥天が彼らの間に割って入って、カーリテイモにダメダメと首を振りながら両手で遠ざけた。
「え~、見ました。確かにそのように書かれていましたですね」毘沙門天は、吉祥天の手を退けるようにして、カーリテイモに近づいた。
「カラクリは簡単でね、手形の裏書きをしたのよ。太郎吉君の手形の二十万カーマの数字より多いバーチを持っていれば手形の裏書きが出来るのよ! まッ、彼の借金の保証人になったようなものよ。だから、私は太郎吉君の命の保証人て訳ね」カーリテイモは、急に大金持ちの金融関係の女社長みたいな雰囲気になった。
「その節はお世話になりやした。この御恩は命に代えましても、お返しいたしやす!」
太郎吉はカーリテイモの前につむじの様に行き、片膝を付いて家臣の様に礼をした。
「いったいどの位のバーチがあるんですか? お母さんは」あきれ返ってカーリテイモに尋ねた。
「それは、ひ・み・つ・よ!」
カーリテイモは、いたずらっぽい笑みを浮かべながら,人差し指を左右に振った。
その時突然、カーリテイモの肩の上10センチの所にバンカーが現れた。
「キンコンカンコ~ン! そろそろ別途積立の1千万バーチが満期になり・・・」
バンカーが最後まで宣言する前に、カーリテイモの「だまっとれ!」の言葉と共に裏拳が炸裂した。バンカーは鼻血を吹いて後ろに倒れながら消えた。
カーリテイモはすました顔で両手を揉んでいる。
「見えているんだ、お母さんは・・・、こえ~! って言うか、どの位バーチを蓄えているんだ? 1千万とか言ってたけど・・・」
毘沙門天は独り言を言って、肩をすくめた。そしてカーリテイモの底知れないパワーを感じた。
束の間の戦いの切れ目だったが、また亡霊達が敷地内に雪崩込んで来た。毘沙門天と吉祥天のコンビでの金剛槍攻撃、ゴンゲン・カーリテイモ・夜叉の遊撃戦、太郎吉の独楽攻撃、カラス天狗達の空中攻撃などなど、それらが再開された。
双方の激戦が続いていた時に、突然上白川邸の上方に稲光がし雷鳴が轟いた。
その中から現れたのは、巨大な白龍だった。体長は100メートルはあろうかと思われ、胴中は10メートルと言う巨大な龍だ。その白龍の頭近くを、遠目には蝶々がまとわりついているように見えたのは、可愛い白子だった。
白子が、毘沙門天と吉祥天の近くまで急降下して来た。
「清秀さーん、香庫さーん、霧の海の白龍様をご案内して参りましたー! 不詳私目も助太刀致します!」
「お前、ウチの守りは大丈夫なのかい?」毘沙門天が槍田青果店の事を心配して尋ねた。
「ご心配無用に御座います、清秀さん! 今は青太とカラス天狗の皆様が守って御座います」
すると、一瞬だが霧の海の白龍が美女の姿になった。
「清秀様、あなたのお蔭で元気になりました! 力に成らせて下さいね」美女は、ミニスカ・タンクトップ姿で、手を振りウインクした。
「オオ―ッ! これは美しい! よろしくお願いしま~す」毘沙門天は鼻の下を伸ばした。
すかさず吉祥天が目を吊り上げて、毘沙門天の脇腹に肘鉄を食らわせた。
「ゲボッ!」
毘沙門天はくの字になりながら金剛槍を撃ち続けた。
霧の海の白龍は「ウオ~~~ッ」と吠えると、その巨大な尾で当たるを幸いに亡霊達を蹴散らした。一瞬に数千の亡霊達を粉砕すると、同じ数だけの動物霊達が成仏してしまった。
次に、霧の海の白龍が大きな口を開くと、紅蓮の炎が巨大な玉となって放たれた。忽ち数千の亡霊達が炎で浄化され、同数の動物霊達が成仏した。
それらを何回か繰り返すと、あれだけ居た亡霊達があっという間に減ってしまった。
「ウヒョ~ッ! すげ~な、この威力! チョイの間だぜ。もう~、最初から来てくれればこんなに苦労しなくて済んだのに・・・」
「そうね、私から援助を頼んでおけばよかったかもしれないわね」
そこへカーリテイモがスーッと寄って来て言った。
「毘沙門天、いや清秀君! みんなの肩の上を見て御覧なさい。何が見える?」
「エッ?」
驚きながら近くにいるカーリテイモと香庫の肩の上を見た。
すると、二人の肩の上5センチの所にチェッカーが現れ、次々に宣言した。
「カーリテイモ様! 5万バーチ獲得で御座います! パンパカパ~ン!」
「吉祥天様、3万バーチ獲得で~すよ! カンカンカ~ン!」
「清秀様、6万バーチ獲得で御座ります。ハイです!」
「まさかこれって・・・、お母さんが仕組んだ事でしょうか?」
清秀はすっかり毘沙門天の姿から元の姿に戻ってしまい、驚きのあまり指の爪を噛んでいた。右手には、唯の木の棒に戻ってしまった金剛槍を握っている。
「清秀君、仕組んだ事とは失礼よ! 企画・演出って言って欲しいわね」
カーリテイモは両手を腰に当てて、誇らしげに言い終わるや否や、近づいて来た亡霊の一団を顔色も変えずに爪で片付けた。
そして続けて言った。
「こう言う荒れ事無いと、高得点獲得できないからね。でも、考えて御覧なさい清秀君! 私の貯金が無ければ太郎吉君だってこの世に戻って来られなかったのよ。それに、誰も犠牲が出ないように、細心の注意もしているのよ。あなたの事も生まれた時から気遣っていたのよ、清秀君」カーリテイモは又数体の亡霊達を片付けながら、まるで家事をこなし乍ら会話するようだった。
「お母様! 今のお話しは本当なのですか?」今まで傍で聞き耳を立てていた吉祥天も、香庫の姿に戻ってカーリテイモに食って掛かった。
「キヨ達を危ない目に合わせて、一体どう言うつもりでこんな事をしているの! 夕陽ちゃんだってもう少しの所で命が危なかったのよ! もう、信じられない!」
香庫は両耳を塞いでその場に泣き崩れてしまった。
上空では巨大な霧の海の白龍と白子は、亡霊達が疎らになった光景を見て満足そうに二匹で見合った。白子が下の皆に大きな声で小さな手を振った。
「それじゃー白龍様を霧の海に送って参りますので、失礼しま~す!」
そう言と白龍の首辺りにしがみついた。。
白龍はその巨体を捻りながら上昇した。加速したかと言う瞬間、稲光と雷鳴の中に消えた。
もうほとんどの亡霊は始末されて、残るはヒノキの天辺の羅刹女一人となってしまった。
「くそ~~~! 何て事だ! 亡霊共はなんてひ弱なんだ! あれだけの数が居ながら、あっという間に始末されてしまうとは・・・。今日の所は退散するとしようか」
そう言い終わるや、黒マントを広げて、中空へ飛翔しようとした瞬間、下方から光の網が伸びて来て、羅刹女の体を包んでしまった。
「アッ! 何をしやがるんだ!」
彼女は、網に掛かった魚みたいにもがくが、強力な光の網はビクともせずに更に締め付ける。
網を操っていたのは、ゴンゲンだった。漁師のように網を手繰り寄せて、自分の近くまで引き寄せると、憤怒の形相で言った。
「剣先狂火よ! お役目御苦労であった! そなたのお役はこれで終わりじゃ! 直ちにその肉体から離れよ! 巫女の体を開放するのじゃ!」人差し指と中指を剣の様にして、九字を斬った。
「バン! バク! ハ~ン!」
すると、剣先狂火の口が大きく開き、白い煙のようなものが出て来た。
「グワ~~!」
喉の奥から吐き出す様に白い煙が更に大量に出て来た。その煙は剣先狂火の体の上に溜まり出して、女の体を形成し出した。
人間狂火はぐったりとして、意識を無くした。
やがて、白い煙は完全に女の体になった。黒髪で全身黒タイツ、如何にも女スパイみたいな雰囲気を醸し出している。そして軽く会釈をするとおもむろに喋り出した。
「ゴンゲン様、いや、上白川一様! この度はお雇い下さいまして、深く御礼申し上げます! またの機会を期待致しまして、これにて失礼致します。なお、契約バーチはご指定の口座にお振込み頂きますよう、お願い致します。それではこれにて!」
そう口上を述べると、その白い霊体女は空の彼方に飛翔して行ってしまった。
それらの光景を見ていた清秀と香庫は、一目散にゴンゲンの傍に駆け寄った。そして、息を切らせながら先に喋り出したのは、清秀の口を右手で塞いだ香庫だった。
「お父様! 今のは一体何者ですか?! 雇うとか振り込むとか、どう言う事に成っているのですか!?」
混乱した頭をどう整理して良いのか、さっぱり訳が分からない様子だった。
「香庫、清秀君! 今まで黙っていて悪かったね」
ゴンゲンはそう謝ると、スーッと上白川一の姿になるや、シンクロする様にカーリテイモも上白川二三四に戻った。
続いて、夜叉姿の架純も元の姿になったが、身に着けていたカーテンがボロボロになっていたので、ほぼ全裸に近い状態になった。
「あら、いやだわ!」
そう叫ぶとその場に座り込んでしまった。
二三四が慌てて屋敷に飛び込んで、二三四の部屋から自分のコートを持ち出して、架純の肩に掛けてやった。
「奥様! 有り難う御座います」架純がコートで体全体を隠す様にして、立ち上がった。
それを清秀が、口をボ~っと開けて見ていたので、香庫が顎を下から手で押し上げた
「パコン!」庭中に響くド派手な音を立てて、口を塞いだ。
「あんたは、そっちじゃなくて、こっちを見るの!」清秀の頭を上白川一の方へ曲げた。
「いででで~!」香庫の手を振り解きながら、清秀は悲鳴を上げた。
清秀が顎をさすり乍ら上白川一に尋ねた。
「お父さん、これらは全て計画的な事だったと、そう言う事なんですか?」
「そうなの? お父様!」両手を胸の前で結んで、祈る様な格好で詰め寄った。
「うん、まあね。二三四は先程、バーチを稼ぐ為と言っていたがね。本当の狙いは増えすぎた動物の浮遊霊の浄化なのだよ。今のご時世、空前のペットブームなのだけど、飼えなくなったペットを捨てたり、殺したり、保健所に処理を依頼したりと、最後まで面倒を見ると言う、本来当たり前の事が出来ない飼い主が増えた事が、第一の原因になっているのだよ。そうした浮遊霊になるペットの数が、日本だけで年間数十万匹もいるのだよ。成仏出来ないで浮遊している数も、やがて溜まれば人間の生活にも悪影響を及ぼして来るのだよ」
「エッ! 人間にも影響が出て来るんですか?」
「もちろんだよ、清秀君! ちょっとでも霊感がある人ならば、不快感・不安感・異臭・頭痛まで訴える人もいるのだよ。そう言う人間への悪影響を取り除く為に、動物霊を一か所に集めて効率良く成仏させるために、今回の計画を実行したのだよ」
「お父様、あそこに気を失って倒れている女の子は、一体誰なのですか?」香庫は心配そうな顔で尋ねた。
「アッ! そうだ、忘れていた、二三四! 彼女を部屋に運んで手当してあげて!」
一はこの時ばかりは、慌てた体で少し大きな声を出した。
「あの子は我々釈迦族の子飼いの巫女なのだよ。あらゆる霊を纏う事が出来て、しかも演技力・隠密性・口の堅さも抜群なのだよ。清秀君の家に行った時は、ちょっとやりすぎの感もあったが・・・。彼女の行動は、動物霊達も見張っているのでね。基本的に人間の言う事は信用していないのだよ。酷い仕打ちを受けている動物が殆どなのでね」
「あっちへ飛んで行っちゃったスパイ風の女の子は誰なの?」
「フフーン、彼女は雇われ観世音さ。三十四変化出来るスキルを持っているのだよ。お観音様と言ったって、色々な種類の方々が居られるのだよ、香庫。巫女プラス観世音で完璧な役者が完成するのだよ。そして汚れ仕事もして貰わないとね、この世は綺麗にならないのでね。お前の知らない事も、まだまだ沢山あるのだよ」
「お父様、今回だけじゃなさそうですね。以前にもこのような事があったのですか?」
香庫はすっかり落ち着いたようで、言葉も和らいでいる。
「ウ~ン、そうだね。僕らみたいな事をしている人たちは、日本中、いや、世界中に居るのだよ、香庫。今回のプロジェクトは鏡花市周辺の数万匹の未成仏動物霊の浄化だけど、この規模の浄化作業を世界の各地区担当のエージェントが行っているのだよ。近頃では、人間の未成仏霊もかなり増えて来ているからね。第二次世界大戦後の日本でも、こう言うプロジェクトは各地で行われたのだよ。人間の場合特に悪霊化した未成仏霊は難しいのだよ、成仏させるのは・・・。まッ、今回は君たちの協力のお蔭で、上手く行った方の部類に入るね。本当に良くやってくれたよ、清秀君、香庫! ありがとう!」
一は清秀と香庫の手を取り、満面の笑みで握手した。
上白川邸のあちこちには、魔法が切れた笹の葉っぱが無数に落ちている。
嵐も遠ざかり、名残の風が吹いてそれらを舞い上げ、まるで勝利の紙吹雪のように空中を乱舞していた。
「清秀さん、それに上白川家の皆さん! マロ達これで帰るでおじゃる。また何かあったら、呼んで下されでおじゃる!」
「マロさん! 一緒にメシでもどうですか?」
「マロ達大勢! 二三四奥様にもお礼貰ったから、帰るでおじゃるよ。そんじゃサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」
そう言い残すと、カラス天狗のマロ軍団は、部隊ごとに整然と羽ばたいて去って行った。
「オイラもそろそろお暇するわい」
鼠小僧太郎吉は、毛むくじゃらの顔に満面の笑みで上白川一に近づいて行った。
「オイラにチャンスを与えてくだしゃり、誠に誠に感謝です! 何でも御用が有りましたら、じぇひ呼んでくだしゃい」
一の前に片膝をついて、家臣が城主に言うような言葉を放つと、疾風のごとく走り去った。
清秀は太郎吉が余りにも早く立ち去ったので、言葉を掛ける間もなかった。
二三四と架純が、疲れた顔をした巫女を気遣いながら清秀達の前に連れて来た。巫女は剣先狂火役の時とはまるで別人で、弱弱しく病的な美人だった。
清秀は、その病的美しさに目を奪われていた。香庫は、すぐにそれに気づいた。
「キヨ! どこ見ているのよ! こっちに来て居なさい!」
彼の袖を引っ張って自分の方に引き寄せた。
一は両手を広げて巫女を向かい入れた。
「巫女様! 今回はよーやってくれた、イヤー! 名演技! 名演技!」巫女を褒めそやした。
「いえ、皆様も・・・。わたくし、御子芝見映子と申します」消え入りそうな細い声の巫女は色白で、痩身だが胸は大きい。
その声に清秀はトロ~ンとした目になり、見映子の匂いを嗅ぐような恰好で、彼女に近づいて行った。
「ダメダメ! あんたはこっち!」
すかさず香庫は清秀の襟首を掴んで見映子から引き離した。
その光景を見ていた上白川一は、やれやれと頭を掻いている。
「御子芝見映子さん、でしたね。この度は大変お世話になりました」上白川二三四が頭を下げて、礼を言った。
「いえ、先程は手当をして下さいまして、誠に有難う御座いました」か細い声だが、はっきりと歯切れよく発音されている。
「今回私が派遣依頼したのは、全国観世音菩薩互恵連合会だったのだが、あなた、御子芝さんは観音系じゃなさそうだね」上白川一は御子芝見映子を、若干訝るように見た。
「はい、わたくしは全観連の方から頼まれまして、こちらに派遣されました。わたくしの所属している所は、全日本神道会議と言う所で御座います」見映子はうつむき加減に答えた。
「エエッ! 仏教系の団体から神道系の団体に依頼があったのですか?」
清秀は、何とか会話の中に入りたかったようで、タイミングを計ったように会話の隙間に入り込んだ。
「はい、清秀様。このような事は良く有る事なのです」見映子は清秀の目を見ながら答えた。
清秀は彼女が自分の方を見てくれたのがうれしくて、顔を真っ赤に染めていた。
清秀の傍らで香庫は目を吊り上げて二人を交互に睨んでいる。
「そうなんだよ、明治以前は本地垂迹と言ってな、神仏は密接に関係していたのだよ。ところが、明治六年に神仏分離令が明治政府から出されて、民衆はそれを誤解して受け取ってな、廃仏毀釈をしてしまったのだよ。つまり仏像の大量破壊をしてしまったのさ」上白川一は、非常に残念そうだ。
「でもね、霊界や裏世界ではしっかり手を繋いでいたのよ」二三四は、夫の後を続けて語り始めた。
「日本は霊界・裏世界では、世界中でも例が無い国なのよ。先程の戦いでも、白龍やカラス天狗が助太刀に来てくれたでしょ。あんなことは外国ではありえない事なのよ。龍はドラゴンと言って悪魔の手先だとされているし、天狗などの異形はモンスター扱いでしょ。でも日本ではこれらは主に民衆の味方なの。たまには悪い事をするモノ達はいるけど。大抵は偉いお坊さんとか、神様にお灸を据えられたり諭されたりして改心するのよね。だから日本は外国とは一味も二味も違うのよ」
「へ~! そうなんだ!」
「わたくし、そろそろお暇したく存じます」見映子は小さな声で目を伏せがちに言った。
「お~、そうですね。お疲れ様でしたな。二三四! 彼女を奥へお連れして、湯にでも浸かってもらって、一息ついて貰いなさい」
「エッ? でもわたくし困ります」見映子は後ずさりして断った。
「見映子さん! もう少し居ましょうよ。オレもまだここに居ますから。それに腹も減ったことだし、ねーお母さん!」清秀は下心を隠そうと、最大限に冷静に言ってのけた。
「キヨ! あなた見え見えなのよ! 目が変態っぽいわ!」すっかり香庫に見破られてしまった。
「やれやれ、困ったもんだ」一は頭を掻きながら妻と目を合わせた。
「そうですわね。お食事の用意も致しますので、どうぞごゆっくりしていって下さいまし」
二三四はカーリテイモの長い爪を、その名残と言って良いような爪の残骸を、両手を揉むようにして地面に落とした。
それから二三四は清秀に近づいて耳元で囁いた。
「清秀君、金剛槍を返してちょうだい」
「あッ、すみません! まだ持っていました。はい、どうぞ・・・」
無意識に握っていた金剛槍は、彼の汗で若干湿っていた。二三四は綺麗なハンケチでそれを包むと自室に向かった。
二三四を見送った清秀は、右手に違和感を覚えて明るい方に手をかざした。目を凝らして良く見ると、親指の付け根に極小さい棘が刺さっていた。
「何だ? これ!」
左の人指し指で棘を触ろうとしたら、それは生き物のように肉の奥に潜り込んでしまった。
「ありゃりゃ! 棘が無くなった?」痛みも無かったので、空腹で鳴っている腹の虫に急かされてキッチンに向かった。
「今日は有り難う御座いました。助かりました、これからも宜しくお願いします」
自室で二三四は金剛槍に向かって、まるで人にお礼をするように話し掛けた。
金庫にそれを仕舞うと、結界の呪文を唱えながらロックした。
鍵をペンダントに収めてから、ソファーに尻餅を着くように勢いよく座った。
「ふーッ」
二三四は激しい運動の後の心地よい脱力感に似たような感覚に暫く浸っていたが、思い出したようにみんなの所に向かった。
あれだけの戦いがあったのに、架純は短い時間で豪華な料理を揃えてしまった。余程時間が無かったのだろう、下着にエプロンを付けたような恰好で配膳している。
「うほ~!」
清秀は並んでいる料理を見て感嘆の声を上げたが、架純を見て1オクターブ越えの奇声を発した。
「ウヒョ~!」
目玉が飛び出るようにして架純の姿を追っていたが、香庫に見つかり大目玉を食らった。
架純は大急ぎでメイド服に着替えて来た。
見映子も含めて全員が食卓に着いた。
「今日は、皆ご苦労様でした。心から感謝いたします」
上白川一がねぎらいの言葉を述べると、乾杯の儀式に移り、食事が始まった。
清秀は餓鬼の様に料理を頬張り、口の周りにソースを付けて、それを拭う暇もない。香庫には保育園児と揶揄された。
見かねた架純が、清秀の首にナプキンを涎掛けみたいに着けると、自分のエプロンで口の周りを丁寧に拭ってくれた。
「ありがとう! 架純さん。もう、大好き!」投げキスをした。
顔を赤くした架純が小走りで厨房に下がると、香庫の手が清秀の太ももに伸びて、思い切りつねった。
「いで~~!」
それを見ていた上白川夫妻と見映子は互いに見合って、やれやれと首を振って、食事を続けた。
槍田青果店のお茶の間では、槍田夫妻と夕陽が夕御飯中だ。
「夕陽、今日はご苦労さんだったね!」
日出世は茶碗に御飯を大盛によそって娘に渡すと、指に着いたご飯を頬張った。
「どうって事無いよ、母ちゃん!」
「お前は偉いぞ! 良い嫁になる! 流石俺の子だ! さぁ! やれ!」
月男は晩酌の盃を一気に飲み干すと、夕陽に差し出した。
「何馬鹿な事をやってんだい! あんたは! およしよ!」
「母ちゃん! オラまだ飲めね~!」
夕陽が後ずさりしながら、両手でイラナイイラナイをした。
「そうかい、ダメかい?」
月男は自分で酌をすると、またグッと飲み干した。
「それにしても、上白川の奥さんのおっしゃった通りに事が運んだね。ねー母ちゃん!」
「あーそうだね。全く台本通りって言うのはこういう事言うんだね」
「ぷあ~ッ、うめ~な~今日の酒は! 奥さんが夕陽ちゃんをちょっとの間だけお借りします、全然心配いりません、こちらで手配した通りになりますから、ってね」
「そうだね、まさか青太ちゃんが夕陽に化けるなんて、そんな芸当誰も思いつかないわね」
日出世は飲んでいる湯飲みの茶柱を覗き込んだ。
「アタイね、モデルになった気分で青太ちゃんにポーズ取っていたんだよ!」
「そうくわい、偉いぞ~~夕陽! 声まで似せる様に練習しつぁんだって? ウヒッ!」
月男はウラウラしながら、コップに冷や酒を並々と酌んだ。
「あんた! いい加減に止めなよ! いったいどの位飲むつもりだい?」
目が据わって来た月男はもう何を言っているのか良く判らない。
「母ちゃん! 青太ちゃんはオイラとそっくりになるまで、何回も空中でデングリ返って変身したんだよ! 偉いのは青太ちゃんだよ」
それを天井近くで聞いていた青太は、蛍光灯の周りをグルグル回り出した。
「うれしいな、うれしいな、夕陽ちゃんに褒められた~、褒められた~!」
妙な節回しで歌い出した。
月男は目を回して仰向けにひっくり返ると、グーグーいびきを搔きだした。
「あんた! こんな所で寝るんじゃないよ! ちゃんと寝床に入りなさい!」
日出世は亭主の尻の辺りを小突きながら怖い顔をしたが、月男はいびきで返事をした。
「ダメだこりゃ! ・・・青太ちゃんや、そろそろお帰りなさい。香庫ちゃんも心配しているから、ね?」亭主に呆れて、青太の心配もする日出世だった。
「だめ! 青太ちゃんは今日泊って行くの! ね? 青太ちゃん!」
「オラ 泊ってく! オラ! 泊ってく!」
増々高速で回り出したので、部屋中の紙やほこりが巻き上がってしまった。
「あーあー! わかったから、止めて! 青太ちゃん! 泊っていきな。わたしが連絡しとくから」両手で押さえる仕草をして、その場を収めた。
「やったー、やったー!」二人は大喜びで抱き合った。
月男はホコリにむせて咳き込んでいる。
「やれやれ」日出世は腰に手を当てて、紙とホコリの中に居たが、滲み出るような幸せを感じていた。
第十六章
香庫は自室に居て、入浴後の髪のブラッシングに余念が無かった。その見事な黒髪にブラシが入る度に、顔を反らす様にする姿が美しかった。
一週間前に起きた、あの大戦争を思い起こしていた。清秀との事も次々と、スライドショーみたいに脳裏に映し出されていた。
ブラッシングが終わり、顔のお手入れも終わろうとしていた時に、あの光が部屋中を満たした。
「香庫殿、この度は大変な目に遭われたそうですね」
吉兵衛観音は会釈をしながら現れた。
「まあ! 吉兵衛観音様、随分会って無い様に感じますわね、こんばんは!」
「こんばんは! 挨拶が遅れました、香庫殿!」
「本当に大変でしたわ。お家も随分壊してしまいましたしね・・・。まあ、あれは清秀がやった事ですから、わたくしは何とも思って居りませんが・・・、父がキヨの腕前の向上を申していました」
「あ、あ~、あの破壊は清秀君でしたか。思いっ切りやらかしましたね。それでも数万の未成仏の動物霊を浄化しましたから、御父上もそんなにお怒りでは有りませんでしょうね」
「その点は、その通りですわ。父も母も褒めていましたわ」
「それは良かったです。鏡花市周辺がとても清々しく成りました。これも香庫殿のお蔭です」
「わたくしだけではとてもとても・・・、お観音様! 今夜は褒めに来たのでは無いのでしょ!」
「いや、参りました! 香庫殿。実はですね~、赤穂のあの方がですね、そろそろお返事を頂けないかと、お見えになっているので御座います」
「そうではないかと、思っていました!」
「では、今日お返事を頂けるのでしょうか?」
「そうですね。何とか私なりのお返事をさせて頂きます」
「これは有難い! では早速・・・」言うや否や姿を消すと、次の瞬間大石内蔵助と共に現れた。
「今宵お日柄も良く、香庫殿のご機嫌も宜しく、また美しさも眩い位で月が恥ずかしくて隠れてしまいました」大石の歯が浮く様なお世辞に、香庫はイラついて言った。
「今夜は新月です!」
「御見それ致しました! 香庫殿!」
平伏する大石に、香庫は手を伸ばして顔を上げる様に促した。
「それでは大石様、これからお話しさせて頂きますが、世間一般の考え方とは大分違うと思います。それだけは覚えておいて下さいね」
「ええ、勿論で御座いますとも。宜しくお願い致します」
香庫は正座したまま膝を動かして佇まいを正すと、語り始めた。
「わたくし思ったのです。討ち入りをしなかったらって。もしも、討ち入りをしないで、皆さんそれぞれ結婚なさって、お子様を生み育てていって、女の子だったら雛祭りのお人形や、綺麗な着物の事やら、沢山手が掛かると思うのです」
「それはその通りで御座います、香庫殿。特におなごは手も掛かるし金子も掛かります」
「大石様、それは男の子も一緒ですわ。鯉のぼりだとか羽織袴、武士ならば刀も持たせますでしょ?」
「そうです、元服ともなればそれはもう大変な出費で御座います」
「お子様の事に関しても、数えれば色々な事柄がいくつも出て来ますわね。目を転じて普段の生活も如何でしょうか。お家を建てれば御近所付き合い、その地区の自治会の活動やお祭りの準備やおもてなし、役員になればもっと忙しくなりますわね?」
「そうですね、浅野家はお家断絶、家来衆は日本中に散ってしまいました。武士をやめて商人や農民になった者も御座いました」
吉兵衛観音は黙って目をつむり、腕組みをしている。
「わたくしの聞く所によれば、討ち入りの時には随分と御家来の数が減ったと聞いて居りますが・・・」
「左様で御座います。当初は二百人と踏んで居りましたが、最終的に四十七人と相成りました」
「一、二年でこれだけ人数が減るのですからね・・・、所帯を持った方達やそれぞれの方が来られない立場になっていたという事でしょうね」
「皆には辛い選択をさせたと思います」大石は目に涙を浮かべて上を向いた。
「大石さん、以前ここに来られた時に、浅野のお殿様とはファミリーだったと、仰いましたよね?」
「おお、そうです! ハミリーですとも」大石は膝を手で打ちながら、パッと目を見開いた。
「わたくしは皆さんが討ち入りをした事で、赤穂は浅野の殿様を中心にした大事な家族だったという事を、ご自身にも世間の人達にも知らしめたのではないかと、そう思っているのです」
「なんと!」
「もし討ち入りをしなかったなら、年老いて自分の人生を振り返った時に、赤穂の事は煩わしい生活の中に埋もれてしまって、浅野ファミリーの記憶は薄まってしまったのでないかと思うの」
「う~ん、なんと言う斬新なお言葉でしょうか! 私が尋ね歩いた方々は、忠義だとか、武士の本懐とか、幕府に一泡吹かせた等と言う事柄ばかりでした」
「わたくしは、復讐はどうしても好きになれないけれど、吉良さんを討つ事も、時が決心を奪うと思いますわ」
「有難きお言葉を頂戴致しました。早速皆の元に帰りまして、この事を話して聞かそうと思います。この度は未婚のおなごの寝所に、しかも夜分に押し掛けまして誠に相済みませんでした」
大石は平伏をして、そのままスーッと消えた。
吉兵衛観音は一部始終を見終わると、香庫の前に正座した。
「香庫殿、今夜は貴重なご意見を頂きました。上にもこの事は伝えておきますので、宜しくお願い致します」吉兵衛観音は人差し指を上に向けながら言った。それから「では、これにて」と頭を下げる途中でスッと消えた。
「吉兵衛観音さま、今日はお一人でお出でましなのね。彼女とは上手く行っているのかしら?」
香庫が腕組みして独り言を言った途端、部屋中が光で満たされた。
「上手く行っていますよ! 香庫さん!」
二人で現れて、ハモッてから消えた。
「まあ! お幸せにねー!」
香庫は、今夜起きた事、自分が大石に告げた事を、反芻するように思い返していた。
しばらくボーっとしている時間を過ごすと、「ふーッ」と息を吐いた。
そして香庫は思い出したように掛け布団を捲ると、寝床に入って夢の中に落ちた。
第十七章
半年前の春の朝、矢馬崎純子と加東加名子は高校への道すがら、女の子らしい世間話に花を咲かせていた。
「ジュン! あなたキヨの事どう思っているの?」
「どうって、何とも思って無いわよ! 加名子こそどう思ってるのよ」
「私だって何とも思って無いわよ」
二人共少し頬をピンクに染めて、お互いの顔を見ながら噴き出した。
「やだ~、何で顔を赤くしてるの~」
「もう、止めよ、この話!」
「そうね! 止めよ」
「急がないと、遅刻しちゃうわよ!」
純子が腕時計を見ながら駆け出した。
「こら~! 待て~、置いてくな~」
加名子が追いかける。
そのすぐ後ろから、三角の目をした白いキツネが迫って来ていた。そいつはアフリカの草原にいるネコ科の猛獣の様に、木陰から獲物に狙いを定めているかのようだ。
電光石火で加名子に襲い掛かると、鏡花高校の制服の、そのスカートの下から、彼女の胎内に飲み込まれるように侵入した。
加名子は一瞬下腹部に違和感を覚えた。
「やだ、またいつものアレかしら・・・、ちょっと早いような気もするけど」
立ち止まって思案顔をしたが、純子に後れを取るまいと、また駆け出した。
加名子の胎内に侵入した三角目キツネは、殊の外上手く行った襲撃にしたり顔でいた。
「この女には死臭がするんだな。五百年前の、あの戦国の世の戦場で嗅いだ臭いだ。あの村の男の臭いだ。落ち武者の首を、ギコギコと切っては敵の陣に持ち込んで、恩賞を貰ってた、あの男の臭いだぜ。五百年経っても消えねーとはな、いやいや俺様の鼻の良さが際立っていると言う事かな、ホ~ホホホホホッ!」
純子に追いついた加名子は、胸を上下させて荒い呼吸で下腹を押さえた。
「大丈夫? 加名子―! 顔色チョウ悪い!」
色白の加名子が、青味を帯びた顔色になっていたので、つい大声に成ってしまった。
「うん、ちょっとお腹がおかしいんだけど・・・、大丈夫いつものアレだと思うから」
純子は、加名子の両肩に手をあてがい、顔を覗き込んで親友の異変に顔を曇らせた。
「オレ様も、この娑婆を嫌に成っちまう程渡り歩いて来たが、五百年て言えば一体全体何世代って事になるんだい? 落ち武者狩りの、しかも割と位の高い武者の首を切っては敵に売りつけるって、そんなに罪深いのかね~。ま~しかし、やられた方にしてみれば、無念ちゃ~無念だろうね。もうちょっとで逃げ切れる所をさ、侍でも無い奴にいきなり不意打ち食らって、挙句の果てに首ちょん切られて、敵の陣に持って行かれて、首切った奴は銭貰ってさ、首は道端にさらし者にされてカラスのエサだもんね。やっぱり恨むわな~それは・・・。この女は祟られている!」
高校に着いた二人は、教室に入ってクラスメイトと挨拶を交わした。いつもと変わらない風景がそこにある。
この日は中間テストの日だ。一般授業は無い為、みんな何処か少し浮かれた様な雰囲気だ。
予鈴が鳴って、担当教師が分厚い試験用紙の束を抱えて教室に入って来た。直後に清秀が教室に飛び込んで来た。
「セーフ!」
両手を野球のアンパイアみたいに広げておどけて見せた。
「同時アウト!」
担当教師が右手を挙げて、間髪入れず突っ込みを入れた。
「我がクラスのエースも到着の様だから、これから中間テストを始めます! 一時限目は数学な、これ自分の取ったら後ろへ回せよ」ぶっきらぼうな教師の言い回しも、緊張の所為で誰もが自分のことで一杯だ。
加名子は違和感のある下腹部を気にしながら、試験用紙を自分用に一部取って、残りを後ろの席に回した。試験が始まり教室は静まり返り、ただシャーペンの音と消しゴムの擦れる音がするだけになった。
「オイオイ! 妙な匂いがするぜ! これは聖なる匂いってんだ。オレが一番嫌いな匂いだぞ!」三角目は加名子の身体を抜けると、教室内の最後尾の天井近くに陣を構えた。空中に浮揚しながら自慢の鼻をレーダー探知機宜しく左右に振って、この忌まわしい、聖なる匂いの主を突き留め様としている。
三角目は目を凝らして、ある一点に焦点を合わせた。その席の生徒の身体から陽炎のような霊気が立ち昇っていたからだ。
「こいつはスゲ~や! 尋常じゃね~霊気だぜ! 一体何もんだこいつは?」
三角目は呼吸を整えて、自分の存在を消す事に全神経を注いだ。
「あ~、終わった~! お前どうだった?」
全てのテストが終わり、クラス中の生徒が、筆記用具をそそくさと鞄に仕舞い込んでいる。誰もが早く教室を出たいのが手に取る様に分かる光景だ。その慌ただしさの中、清秀だけはのんびりしている様に見える。
「出来る人は良いね~、オレちょっくらトイレに行って来ら~」
三角目は天井をスルーして、トイレの手洗いの鏡の後に潜んだ。
清秀が目の前を通って、用を足しに便器の所に立った。三角目は思わず自分の口元を前足で塞いで息を殺したが、自分の行為を馬鹿だな~と思い、自分の頬を叩いた。
清秀が戻って来た刹那、天井から全身太い包帯だらけの女が現れて、彼に襲い掛かかった。彼は一瞬の反撃でそいつを片付けた。
三角目は、ついそれに夢中になってしまい、女が血吹雪吹いて仆れる様を覗き込んで、前のめりになってしまった。
こりゃまずいと悟った瞬間、清秀と目と目が会った様な気がした。瞬間、三角目は五十メーター程後ろに飛び退いた。
そのビビりパワーのお蔭で、実体化が顕著になってしまい、コンクリートの壁にしたたか体を打ち付けてしまった。
「いででで~! あぶなかったぜ~!」実体化した尻を舐めて、痛みを和らげようとしたが、中々痛みが引かず、前足だけで歩き出した。
痺れた後ろ足が言う事を聞かず、校舎の床をモップ掛けするような塩梅になってしまった。
「チッ! こりゃまずいぜ! 誰かに見られたら、にっちもさっちも行かね~」
三角目は急いで言う事を聞かない後ろ足を床に付けて、再度歩けるか試してみたが、未だ痺れていて、力なく腰抜け状態になってしまう。学生達の話し声が近づいて来た。
「え~い、こうなったらこれでどうだ!」
三角目は、前足に渾身の力を込めて逆立ちした。
「ッとッとッとッ!」
バランスを取りながら前進して準備室に飛び込んだ。
「冷や汗もんだぜ、まったく!」
部屋の奥の荷物の陰に隠れて回復を待った。
矢馬崎純子は学生鞄に筆記用具を仕舞うと、加東加奈子の姿を探した。クラス中を見回したが、いつもの席には見当たらない。
「加名子、どこ~」
右手を敬礼するようにひさしを作って、更に爪先立って背伸びをして彼女を探した。
加名子は入り口の引き戸の陰に隠れていた。
「うん、もう~、何してんの! 探したじゃん!」近づいて加名子の袖を引っ張った。
「お腹すいちゃった! 下の店に行こ!」加名子の肩を抱いた。
「恵子も誘っちゃお、ね~けいこ~! 下、下!」
加名子と純子は、まだ席に居る阿尾木恵子へ、大げさなパフォーマンスでいつもの店をアピールした。
校門を出た三人は、ペチャクチャ喋っては大笑いのくり返しをしながら下の店に向かった。その後をストーカーの様に浮遊する三角目!
「さっきはひで~目に遭ったが、ちょっくら加名子とやらの腹にお邪魔して、英気を養うとするかい」サッと、加名子の中に侵入した。
加東加奈子は、ちょっとした違和感を下腹部に抱いたが、二人との会話に紛れてか、朝のような不快感は無かった。
下の店に着いた三人は、自分の家みたいな感覚でそれぞれ飲み物を冷蔵庫から漁った。
「ア~ッ、仕事の後の一杯は効くな~!」
「酒かよ!」
「中間テスト、どうだった?」
「あんなもんじゃね」
突然店が小刻みに揺れ始め、それに伴って発生した霧が床を隠した。
不安そうに店中を見渡す三人と店のおばちゃん。
パン! 破裂音と共に銀色の閃光が放たれると、平常が戻った。
4人! のクラスメイトは、自分の飲み物を飲んでは喋りを繰り返していた。
「ケンザキさんは中間テスト、どうだった?」
「私、転校して来たばかりなので、戸惑ってしまって・・・」
「そうよね! 転校して来て、いきなりテストはきついわよね!」
「ケンザキさん、クラスの中で気になる子いるの?」
加奈子が意地悪そうに目を細めて言ってから、他の二人におどけた仕草をした。
「エッ! まだそんな事・・・、とても・・・、嫌だわ!」
顔を朱に染めて外の景色に体を向けてしまった。
「カナ! ケンザキさん困ってるじゃない、ゴメンね」
恵子は剣先の腕に手を置いて、軽くさする様にした。
そこへ清秀が店に飛び込んで来た。
剣先に目をやって、じっと見ているのをこれ幸いに、三人に揶揄われた。
無関心を装って、店のおばちゃんにコッペパンのアンバタを注文して、それをあっと言う間に平らげると、娘たちに悪態を告げて店から出て行ってしまった。
「アッ!」
剣先は、まるでバネが跳ねたように椅子を蹴ると、手に持っていたビンを放り上げ、脱兎のごとく清秀の後を追いかけた。
彼女の飲みかけのジュースのビンは、空中でフィギュアスケートのスピンの様に歪な回転をして、ほぼ一五〇センチの高さを維持している。
残った三人は、大きな口と目を開けて彼女の後姿を追ったが、空中のビンに目を戻すと、体は石膏の様に固まってしまった。
店内に戻った剣先は、何事も無かった様に空中のビンを取った。ゴックンゴックン派手な音でそれを飲み干すと、膝を可愛く曲げて、静かに空き瓶をイスに置いた。
「御馳走様! 私帰ります」
三人娘に目で会釈をして、店の出口まで来ると、右手で「パチン」と指を鳴らした。
三人娘は大きく開けた目と口を閉じると、魔法が解けた様に普段の会話に戻った。店のおばちゃんは、口から半分飛び出た入れ歯を、舌で器用に元の位置に収めた。
加名子の胎内から、転げる様に外に飛び出した三角目は、バイクで遠ざかる清秀と小走りで逆方向に行く剣先を見比べた。
「オイオイ! 今の技は記憶改変だぜ! いったい何モンだい、あのアマ!」
意を決したように剣先の後を追った。
剣先は高校が建つ丘を小走りで下ると、大通りに出た。鏡花市の目抜き通りを、頭が上下しない歩き方で、と言っても相当早いが、清秀とは正反対の方向と思わせて、迂回しながら王門地区に近づいていた。
「オイオイ、何処に行くんだい! このアマは!」
三角目は、浮遊しながら剣先に悟られないように、細心の注意を払いながら後に付いていた。
剣先は、清秀の自宅からは上白川邸がある丘を挟んで真裏にある神社に来た。神社と言っても周りは杉林で、鳥居と小さい祠があるだけだ。何が祭ってあるかも判らない程荒れたモノだ。
剣先は、歩を止めると辺りを見回して、警戒している模様だ。数回も繰り返し見回してから、納得した様に頷くと、助走をして飛び上がった。木々の枝を見事な脚力で蹴って、丘を登って行った。
三角目は、意表を突かれたのが悔しくて、舌打ちをしてから剣先の後を追った。丘の頂上近くの一番高い杉の木の天辺に座って、彼女の姿を目で追った。
剣先は、呼吸の乱れも無く着地すると、また周囲を見渡した。上白川邸の裏門に近づくと、右手の人差し指と中指をピンと立ててこめかみに当てた。眉間にしわを寄せて祈る様にしていると、裏門の扉が静かに開いた。中からこの家の当主の妻、上白川二三四が姿を現した。
二三四は笑顔で剣先を招き入れると、静かに門の扉を閉めて二人で中に姿を消した。
三角目は息を殺すのに必死だった。この屋敷の異様なまでの殺気と、強烈な聖なる匂いに、吐き気を模様して目に涙を貯めていた。
「もう我慢できね~!」
三角目は、転げ落ちる様に今来た杉林を下った。
「いや~、参った、参った! スゲ~匂いだったぜ! 一体何モンなんだ、あの二人は?」
あの神社の横で、キツネは愚痴を吐きながら、訳が分からないイライラから後ろ足で喉元を掻いている。
「訳分かんね~、一旦加名子のハラに戻って態勢の立て直しだ!」
独り言をブツブツ言いながら加名子の家に向かった。
ある日の鏡花高校、加名子達のクラスで、相変わらず後ろの壁に隠れて、気配を消している三角目だった。このキツネが注目している清秀と剣先が、何やら話をしている場面に出くわした。
「オイオイ、剣先のね~ちゃん、とうとうこのクラス全員を記憶改変しちまったぜ! 一体どこの組織から来ているんだい!」
三角目は、二人の会話を聴こうと、その耳を最大限まで敏感にさせた。
「ホッホー、野郎のヤサに乗り込むって事かえ」
色っぽい話に興奮したのか、キツネは早々にクラスを抜け出して、校門付近で二人を待ち構えていた。
「オッ! お二人さんお出ましだね」
校門の近くにある電柱の天辺から二人を見つけると、ポンと電柱を蹴って三回転して着地するはずが、もう半回転してしまい、頭から道路に落ちてしたたか顔面を打ち付けてしまった。
「イデ~! 死ぬ~!」
両方の前足で顔面を押さえながら、コロコロと転げ回って痛さを押さえようとした。
近くを犬の散歩で通りかかったおじさんが、リードの愛犬が空中に向かって吠えているのを、一所懸命にコントロールしている。
「ぺッ!」三角目は血交じりの唾を吐いてから、二人を見失うまいと全速で走り出した。
リードの犬は後を追おうとして、後ろ足で立って主人に逆らったが、彼の一喝で諦めた。
清秀の家に着いた二人は、彼の母親に挨拶している。その隙に三角目は先回りして、清秀の匂いがきつい部屋に潜り込んだ。
部屋を見回してみると、恐竜のポスターが貼ってあったので、その恐竜に同化して隠れた。
二人が階段を上って来た。三角目は気配を消すべく深呼吸を数回して体勢を整えた。
彼らが部屋に入って来て、ベッドでいちゃつき出したと思ったら、いきなり妹と女が飛び込んで来た。怒号が飛び交う中を剣先がサッサと帰ってしまった。
三角目も、どさくさに紛れて外に転げ出た。
「いや~、参ったね! 痴話げんかとはね。所であの女はどこだ?」
キョロキョロとそこらを見渡すと、丁度この先の角を曲がる所だった。急いで後を追った三角目だったが、角の先には誰も居なかった。
「あれ~ッ? 何処へ行きやがった!」
三角目は当然例の神社がある、あの場所を思い浮かべた。最短距離を行きたい為、屋根の上をポンポンと蹴って上白川邸の丘の麓に来た。
「あのアマ、足が早え~な! それとも追い越しちまったか?」
付近を注意深く見回していると、何やらとんでもなく良い匂いがして来た。よだれが止めどなく流れ出て、何度もすすり上げたがちっとも止まらない。
「アリャリャ! ここに旨そうな油揚げがあるぞ~」
例の神社の祠の前に、器に山盛りの油揚げが供えてある。
「誰がこんな所へ・・・」
訝しそうに其処等を警戒しながら独り言を言ったが、その匂いの魅力にはどうしても勝てないらしい。また、止めどなくよだれが流れ出て来た。
「ジュルルル! 取あえず罠があるか確かめてッと!」
近くに落ちている小枝を口に咥えたキツネは、山盛りの油揚げの半分ほどの所をツンツンと突いてみた。衝撃で数枚が下に落ちた。
「ブワッ! もったいね~」
キツネは咥えていた小枝を、邪魔だと言わんばかりに首を振って打ち捨てると、地べたに落ちた油揚げを、まるで吸い取るように胃に収めた。
「うめ~! 何とも無かったじゃねーか。罠でも無かったし、一体全体何でここにオレの大好物があるんだい?」
ふと目の前の祠に目をやると、格子の扉の奥に白っぽいモノが見えた。近づいてよく見ると、それはキツネの置物だった。左右一対で並んでこちらを見ている。
「何だい! オレ様のご同輩じゃないか! ヨッ! 元気かい!」
ご機嫌になった化けキツネは、残りの油揚げをあっと言う間に平らげた。
「ア~美味かった! 加名子ちゃんのお腹でおねんねでもするか」
ご機嫌で去ろうとした刹那、杉林から剣先が飛び出して来た。
「待て! 化けキツネ!」
ビックリ仰天の三角目は、三間は飛び退いて尻餅を突いた。
「いててて! 何だよこのアマ! 驚くじゃね~か」
「フン! 随分人間の言葉が上手いじゃないか。この私を尾行していたのを知らないとでも思ったか、クソキツネが!」
剣先は腕組みをしながら、斜に構えて目で威嚇している。
「んじゃ何か、この油揚げはお前が置いたものか?」
「キツネごときにお前呼ばれはされたくないな。私の後を付けたのは、誰かに頼まれたからか?」
「誰にも頼まれちゃいないさ! オレ様は一匹オオカミだからな!」
剣先はプーと噴き出して、腹を抱えて笑い出した。
「キツネが一匹オオカミは無いだろう。その程度じゃ誰もお前には頼まないだろうな。よし、これから先お前は私の命令に従ってもらおう。そして絶対に逆らえないからな」
「何言ってやがんだ! お前みたいなアマに誰が従うか! あばよっだ」
剣先に背を向けて立ち去ろうとしたが、どうにも一歩が出ない。体が動かなくなって来た。
「アッ! ア~! どうなっちまったんだ・・・これは・・・」
まるでキツネの銅像みたいに全て止まってしまった。
「魔法入りの油揚げの味はいかがかな? この魔法は鉄鎖従属魔法と言ってな、私には絶対逆らえないし、逃げられもしない。とっても良い魔法なんだよ。オホホホホッ」
「ああ、はいご主人さ・・・、ウオ~ッ! てやんでー、こちとら御免被るわい! アハ~、ごめんなしゃいご主人様!」
「マッ、そう言う事ね! 段々私の命令に従うようになるのよ!」
「ご主人様、私には帰る場所があるので御座います。ある女の腹の中なので御座います」
三角目は、人の身体をねぐらにしているのを、包み隠さず吐いてしまった。
「そんな事はトウの昔に分かっていたわよ」
「え? そんな事までお見通しで御座いやすか、恐れイリヤのクリヤキン!」
「何訳の分からん事を言っているんだ!」
「あっしも随分と長く娑婆に御厄介になっているもんで、古いテレビ番組も観ていたりして・・・、えへへへ」
古キツネは前足で頭を掻きながら照れた。
「そんな事どうでも良い! お前の人間ねぐらはもう無いぞ! あの女子高生はすでに鬼籍に入った」
「エエッ? あの女が死んだ?」
「そうだ! あの子は相当な重い罪を背負った魂の持ち主だったからな。 上からもカーマとバーチのバランスを監視していたらしいが、ある子とのバーチャレジ取引で、過去の罪一切の帳消しを条件に、ツハウス ディア グレイヒジールで妥協されたそうな」
「って事は、あのイイ臭いの罪は帳消し・・・、せっかく居心地のイイお腹ちゃんだったのに・・・、もったいね~こんで」
「馬鹿モンが! お前がちょっかい出して、人の、しかも女の子のお腹を出たり入ったりしたから、上もこれ以上化けキツネに利用されてはかなわんという事で、こういう事態になったのだぞ! 少しは反省しなさい!」
「ゴメンちゃ~い!」
三角目は、乗っ取った身体とは言え、多少ならずとも愛着や懐かしさに似た居心地の良さ、恋心までは行かなくとも、引かれる物はあった。それらがゴッチャ混ぜになって、心の中を電流の様に走るのを初めて経験した。
薄汚い化けキツネでもこんなコトが起きるなんて、自分でも信じられないでいたのだ。
「これから私のやることに、全て従ってもらう。いいか、命懸けでないとできない事だぞ! 心して当たれ! 」
「ハッハ~! ご主人様!」
すっかり術中にはまった三角目は、剣先を背中に乗せるべく巨大化して、空中を駆けるが如く飛翔し、夕暮れの中を海に向かって行った。
第十八章 エピローグ そして新たなる前触れ
鏡花市は残暑も厳しいが、何処か秋の気配も感じる季節になった。清秀は相変わらず寝坊してバイク登校している。
肩の上5センチの所にチェッカーが現れて宣言する。
「カン、カン、カ~ン! バイク登校で五十カーマです、ハイです!」
「相も変わらずうるさいな、お前は!」
ウザいながらも、居ないと何か物足りない、複雑な関係になっている今日この頃だ。
もうすぐ下の店と言う所で、異変を感じた清秀。バイクを止めて異変の正体を見極めようと、五感と六感を使って、まるでレーダー探知機のように顔を左右に振ってみた。
下の店の横に設置されている自販機の様子が変だ。
陽炎の様に揺らいでいる。中の缶飲料の温めすぎかと思ったが、まだそんな季節ではない。それに、いくら缶飲料が熱くなったからって、外にまで熱さが漏れる事は無いだろう。
清秀はバイクを押しながら、自販機の方へ歩き出した。
突然自販機の扉が開いた。
「バ~ン!」
煙と共に、中から見た事も無い怪物達が飛び出して来た。その臭いたるや、動物園のフン溜まりに落っこちたようだ。
「ウウッ! くせ~!」
清秀は、学ランの袖で鼻を押さえて何とか気絶するのを免れた。
怪物達は何か喚きながら、と言うか吠えながら四方八方へ散って行ってしまった。清秀は袖で鼻を押さえながら、怪物達をただ見送るだけだった。
「どこへ行った~! ガキども!」
これまた突然、自販機の中から声がしたと思ったら、一瞬で変な服装と分かる格好の女が登場した。頭部は姉さん被り、しかも手拭いに何とか商店のロゴが。身に着けている物は絣の着物にミディスカート、黒のストッキングに冬用のブーツを履いている。
顔を良く見たら、エキゾチックな中近東系の清秀好みのドストライク美人!
「ソコノオマエ! 今オイラのガキ達がここを通ったと思うが、ミタか?」
その超美人は、ちょっとイントネーションがおかしい日本語で尋ねて来た。
「オレッすか?」
袖で顔を隠して、人差し指で自分を指している黒ずくめの男がいる、初対面のしかも、外国人? が見たら怪しいヤツだと思うだろう。
「オマエ、ダイバの一味か?」
「ダイバ? って何でしょ」
「ダイバダッタ軍だ! シバラクレてもだめぞ! イザ、ジンジョウに勝負!」
彼女は、サッと半身に構えると、左手の指をパチンと鳴らしながら呪文を唱えた。
「南無毘沙門天、早々に槍を創造!」
左手の上に電球大の光が創生されると、次の瞬間六尺の槍が出現した。手慣れた所作でクルクル槍を回すと、歌舞伎調に見えを切って左足をバンと踏み鳴らして決めた。
「掛かって来い!」鋭い目つきで清秀を威嚇した。
「チョッ、チョッ、ちょっと待って下さいよ! 僕は違いますよ、ダイバ―かダイバ―だったかなんて、怖い人だな~」清秀は両手を前に広げて、降参の格好をした。
「ヤヤッ! その構えは調伏の術! おのれこの魔術師め! 成敗してくれるわ!」
超美人は槍を上から打ち下ろし、外せば突き、を繰り返して清秀を攻撃した。清秀は後退しながら槍を避けたが、激しい突きにとうとう空中に飛び上がりバク中した。
辺りを閃光が照らした瞬間、完全な毘沙門天が出現した。右手に金剛槍を持ち鎧甲冑に金色の陣羽織、左手を前に出して大きく広げた。
「暫く、暫く待たれよ! 我は今生に転生したる毘沙門天である! 其方も毘沙門の呪文を唱える者、私は決して其方の敵では御座らぬ!」
超美人は閃光に目が眩み、左腕で顔を覆って左目だけで毘沙門天を睨んでいる。やがて腕をどけて両目でしっかり見えるようになると、彼女の態度は一変する。
「おお! これは! 我が守護神にして我が最愛のお方! 毘沙門天・さ・ま!」
超美人は両膝を地面に打ち付ける様に跪くと、両手を合わせ外縛して、毘沙門天を拝む姿勢になった。
「して、其方の名は何と申す」
「わたくしの名は、ヤショダラン スジャーティア フィーリアで御座います」
「何処から来て、目的は何か」
「ハイ、この世界の三つ隣のコースから来ました。目的は、我らが宿敵ダイバダッタ軍を追撃中、次元嵐に巻き込まれて、我がガキ達、いや、眷族と共にこちらの世界に迷い込んでしまいました」
「そうだったんですか」清秀に戻った姿で話しかけたので、フィーリアは一瞬退いたが、我に返り立ち上がった。
「あなた様は毘沙門天さまの魂をお持ちでしたのですね。ご無礼をお許し下さい」
彼女が涙を浮かべて謝るに姿に、もうメロメロになった清秀は、その両手を握り手元に引き寄せて言った。
「良いんだよフィーリアちゃん、何も心配いらないよ! 僕に任せて置けば大丈夫だかね」ドスケベ心まる出しだった。
「こらこら! そこ!」
突如として現れたのは香庫だった。その隣には二三四の姿も。
「キヨ! あんたって人は油断も隙も無いんだから! こちらはどなたでしょうか!」しょうかの「か」にやたらと力が籠っていた。
「なななななんでここにいるんだい?」動揺してフィーリアの手を、テーブルクロス引きの様に、高速で離した。
「清秀君こんにちは、実は鏡花市の緊急防災無線で、市内に巨大熊が現れたと言う情報が入って来たのよ。それに私の霊感センサーにも反応が出て、急遽香庫にも来てもらったの」二三四の落ち着いた話し方に、漸く清秀も落ち着きを取り戻した。
「オ、お母さん、僕もびっくりなんですよ! 突然色んなモノが現れて。この方はフィーリアさんと仰るんですよ、ね~フィーリアちゃん!」なるべく香庫を見ない様に二三四とフィーリアの方だけを向いていたが、香庫はそれを許さなかった。
「キヨ! 私には説明しないの? ね~! フィーリアちゃんてどういう事? そんなに親しいの? ねえ、そうなの?」香庫の涙交じりの口撃に、清秀はじりじりと後退し始めた。
「待たれよ! そこの娘御! 我が守護神にして最愛の毘沙門天さまに、その口の利き方はちとガテンが行かぬ。その方如何なる係わりか申してみよ」フィーリアは二人の間に割って入り、清秀を自分の後ろに隠す様にして香庫と対峙した。
「まあツ! 一体何のつもりかしら?」
清秀がフィーリアの袖を掴んで、彼女を盾にしたのが一層香庫を狂わせた。
「私は彼と過去にも未来にも夫婦なんですけど、何か?」香庫は、両手を腰に当てて胸を張った。フィーリアは半歩たじろいだが押し留まり、立派な胸を更に突き出して前進した。
「そんなに親密なら、なぜこの人はわたくしの後ろに隠れるのでしょうか? 変じゃない?」
後の清秀を自分の横に寄せると、右腕で抱くようにして自分の体を密着させた。清秀はもう頭から湯気が立つほど顔が紅潮している。
「アンタはこっちに来るの!」香庫は強引に清秀の腕を掴むと、自分の方に引き寄せた。
「ア~~!」清秀は、腑抜けみたいに軽々と引っ張られて、香庫の胸にしがみ付く様に収まった。フィーリアは盗られてなるものかと、清秀を取り戻した。これを数回繰り返すと、見かねた二三四が止めに入った。
「ハイ、ハイ! これまでよ! 二人とも!」清秀を自分の後ろに押しやると、両腕を後ろに回して清秀を「保護」した。
今にもつかみ合いになろうかと言う二人だったが、二三四の登場でようやく我に返った。
「まあッ! 何と言うはしたない真似をしてしまって、お詫び致します、香庫様」
「私こそ、失礼致しました、フィーリアさん」
二人が微笑み合っていると、清秀が恐る恐る二三四の陰から這い出て来た。
「フィーリアちゃん、言葉が、日本語が上手く言える様になって来ましたね」フィーリアちゃんと言う時に、ビクッとして香庫を見たが、無反応だったのでそのまま続けた。
「ええ、言語順応魔法が掛けられていますので、即応出来ます」
フィーリアは姉さん被りを外すと、黒髪を解き頭を振って風になびかせた。その仕草がこの世のものとは思えない程美しかったので、清秀は口を半開きにして見とれていた。が、フィーリアの自己紹介で気になる事柄を思い出した。
「フィーリアちゃん、さっきこの世界の三つ隣のコースから来た、みたいなこと言ってたけど、こちらの世界で言う所の世界線て事なの?」
「毘沙門天さま、その通りでございます。我らの世界でコースと呼ばれる所以ですが、水泳競技でも陸上競技でも、ルールで決められたコースを泳いだり走ったりしますね」
「そうだね、一応みんなルールを守っているね、そうじゃないと競技が成立しないからね」
「はい、我らの世界ではそのルールを破る輩が現れるようになったのです」
「ははー、そいつらがダイバダッタ軍かッ!」
「御察しの通りです、毘沙門天さま。魔術の突然変異と言う、実に厄介な事態が生じたのです。原因は未だはっきりとはしていないのですが、ごく近い恒星の爆発ではないかと言うのが、最近の調査結果になっています」
「フィーリアちゃんの格好と言うか、ファッションがこちらの世界と大分違うので・・・」
「そうかもしれません、過去未来を相当いじられてしまったので、人種も服装もゴッチャ混ぜになってしまいました。文化・言語もミキサー状態です。私はたまたまこちらに迷い込んでしまいましたが、然るべき団体がこの混沌を少しでも元に返そうと、ひな型にしたのがこちらの世界なのです、毘沙門天さま!」
「って事は、然るべき団体の人がこっちに来てるって事?」
「はい、ダイバダッタ軍の阻止もあるのですが、こちらの世界を改変させない様に、コースの枠と言うか境界線の強化・高ハードル化も着々と進んでいます」
「何か、サッパリ分からないけど、次元のと言うか境界線の強化なんて方法あるのかって感じだけど・・・」
「その点は相当進化しています、毘沙門天さま。私には理解できない点もありますが、良い魔法も突然変異したのでございます」
「そうだね! 片方だけって事は無いよね、その点は安心できるか・・・」
「毘沙門天さま、あなた様も少なからず影響を受けていらっしゃいますよね」
「そう言えば、そうかな・・・」
「フィーリアさん、とりあえず市内にいる眷族たちを回収しませんか? 市民を怖がらせてはまずいので・・・、いかがかしら?」二三四の穏やかで的確な言葉に、フィーリアは首に下げているペンダントを胸の中から取り出した。
「御母堂さま、眷族達は一般の人々は絶対に攻撃いたしませんし、構造物も壊すことはありません! そのように訓練したモノだけが主人に従う事が許されます。ですのでどうぞ御安心して下さいませ。これは眷族にしか聞こえない笛で御座います。早速これで眷族達を集合させます。ご心配とご迷惑をお掛けして、大変申し訳御座いません」
深々と頭を下げると、大きく息を吸ってから笛を吹いた。風が電線に当たって鳴るような音がした。
「そんな小さな音で、市内中に届くの?」清秀が心配そうに尋ねた。
「大丈夫で御座います、毘沙門天さま! この音波は半径五〇キロ程届きますので」ちょっと頬を赤らめて答えたフィーリアは、胸の前を少しはだけて笛を仕舞った。それを見ていた清秀はゴクンと唾を飲み込んだ。そーっと近づいた香庫は、清秀の腹を肘で打ち付けた。
「ゲボッ!」腹を押さえた清秀は、くの字になって苦悶の表情だ。
大きく溜息を吐いた二三四は、香庫を目で叱ってから人差し指で自宅へ行くように指示した。
香庫は肩で重いきり息を吐くと、パチンと指を鳴らして青龍の青太を呼び出した。青太の懐に入ると清秀を見て「フン!」と顎を出した。
「青太! お願い!」青龍の腕が香庫を包むとスパっと姿を消した。
「フィーリアさん、ここでは落ち着いてお話しも出来ませんので、わたくしのお家でお茶しましょうよ」笑顔で彼女に近づき、右腕でフィーリアを包むようにして誘った。
「そうだよ、フィーリアちゃん! お茶しよ」清秀は、手を叩いて賛同した。
「ありがとう御座います。そろそろ眷族たちも戻って来ましたので、今回は奴らを引き連れて一旦戻ることに致します」いつの間にかフィーリアの背後には、怪物達が地上に空中に蠢いていた。
「ゲンダップ! カルーラ! キンナーラ! マゴールカ! ドラーゴ! 皆居るな!」
怪物達は呼ばれる度に、「ウェッ!」「ゴボッ!」と、到底返事とは思えない声を発した。
「毘沙門天さま! このような所でお逢い出来たのは、何かの御縁だと感じて居ります。我らが宿敵ダイバダッタ軍が、コースを超えて悪縁のある者達を攻撃している模様です。どうか、油断なさらずにご健勝で居て下さいませ!」
「そのお話しの詳しい事を聞きたいのよ、フィーリアさん!」
二三四は少し語気を強めて言った。
「ハイ、分かります。とてもご心配な事は良く分かるのですが、上の許可も必要ですので、近い将来に必ず御前に参上致します。毘沙門天さまにも会いたいので・・・、こちらに来るのはもう既にラインが出来ているので大丈夫です」相手を説得する時の、目を細めて喋る様子がとても愛らしくて、清秀は真夏のアイスクリームみたいになっていた。
「そうなのね、とても残念だわ。必ず来て頂戴ね、フィーリアさん! そしてそちらの情報を、詳しい情報を教えて下さい!」二三四はフィーリアの手を握り、念を押した。
「フィーリアちゃん! 必ず来てよね、待って居るから!」清秀は名残惜しいのと、一度手にした宝を離すまいと言うスケベ根性丸出しで、フィーリアの手を二三四から奪い取るようにして激しく握った。
「毘沙門天さま! 必ず参ります。お約束致します!」
そう言うと、さっき出て来た自販機に近づいて行った。フィーリアは右手を上に挙げると、「開けゲート! 我がコースまでの道を繋げ!」と宣言した。
自販機の扉が開くと白い霧状の煙が噴き出して来た。フィーリアは眷族達を中に行くよう指示した。あっという間に、巨大な眷族達が吸い込まれるように自販機の中に消えた。
彼女はこちらに振り向くと、小首を傾げて挨拶すると、海に飛び込むように自販機の中にダイブした。「バタン」と扉が閉まって、元の静寂が辺りを包んだ。
清秀は残念そうに腕を何回も叩きつける様に振って、悔しさを露わにした。二三四は腕組みして考え込んでから、深刻そうに言った。
「これは、大災難の前触れね。こちらでも準備に入らないといけないわ」
「お母さん、それはやっぱり戦争でしょうか?」
「恐らくね。清秀君もあの金剛槍が無くても毘沙門天に成れるようになったのも、これが有るからかもね」二三四は清秀に微笑み掛けた。
「僕もビックリなんですけど、いつの間にかそうなっちゃいました」頭を掻きながら照れ笑いする清秀。しかし、二三四はもう笑顔では無かった。指を鳴らして白龍の白子を呼び出すと、とぐろを巻いた白龍の真ん中に入った。
「白子ちゃん、お願い!」
これから起きる災厄を感じ取ってか、二三四の顔は既にカーリテイモに変わっていた。そして白龍と共に白煙を残して消えた。
清秀は二三四を見送ると、倒れたバイクを引き起こした。そして下の店に向かおうとバイクを引いて歩き出した。あの自販機の前に差し掛かって、先程の騒動の突端になった自販機の扉を触ってみた。ふと飲料の取り出し口を見ると、そこに一本のペットボトルがあった。
「オッ、ラッキー! さっきの衝撃で落っこちたか」清秀は扉を上げてそれを取り出すと、青空に透かす様にして銘柄を確かめた。フタを捻って開けるとグビグビ一気に飲み干した。
「プハ―! うめ~! フィーリアちゃんの贈り物だね、これは」
カラのペットボトルを、回収ボックスに投げ入れようとして不安に似た違和感を覚えた。
「ちょっと待てよ! このペットおかしいぞ!」
さっき飲料を飲もうとした時は、喉の渇きとフィーリアの事を思い出して、一連の所作を軽く流してしまったが、よくよくペットボトルのフタを確かめてみると、それは逆回しになっていた。普通開ける時は左に回し、閉める時は右に回すのが世界基準だが、これは逆になっていた。
清秀は、小銭入れをポケットから取り出すと、中から百三十円取り出して投入口に次々と入れようとした。焦って投入口の淵にお金を引っ掛けて、下に落としてしまった。
「チッ!」舌打ちしてそれを拾うと、左手を添えてお金を投入した。OKランプが点いて、さっきと同じ物を押した。派手な音がして取り出し口に落ちた。歯痒さを押し殺して、慎重にそれを取り出した。
清秀は、取り出したペットボトルを、検査するようにクルクル回して外見を確かめた。そして、いつもの通りに左に回してみたが、ビクともしない。ゆっくりと右に捻ると、「シュッ」とガスが抜けてフタが開いた。
清秀は、皮財布を胸ポケットから引っ張り出して、千円札を抜いた。札専用口に差すと耳障りな雑音と共に吸い込まれた。ほぼ全部の銘柄のOKランプが点いた。清秀は、片っ端からボタンを押して買えるだけの種類のペットボトルを落とした。そしてそれのフタを次々と捻ってみた。それらは全て逆回しになっていた。
「こいつはヤバいや! この自販機が境界線か、それとも既にもう向こうのコースに入っちまったのか! 微妙な所だな。いずれにしてもフィーリアちゃん、凄い置き土産を置いてってくれたね」清秀は複雑な笑みを浮かべ、やがて大声で笑い出した。
混沌の始まりを告げる様に!
おわり




