レベル9 『迷子の女の子』
川のせせらぎのように、静かに流れる心地よいBGMと、時折、カチャンッと音を奏でる食器。
ここは、静かなレストランを目指す、駆け出し冒険者のための憩いの場。
「ぎゃっはははは!」
そのはずだった。
静かな空気、その全てが、粗野な者達の笑い声でかき消されていたのである。
店主は涙目だろう。どうしてこうなった、と。
騒ぐ連中がいるなら追い出せばいいのだろうが、それをしてしまえば、客がほとんどいなくなるという、悲しい現実があるのだ。
それもそのはず。
この店は街の外へと繋がる四つの門の内の一つ、東門の目の前に存在するのだ。
街の外での狩りから帰ってきた者達が興奮したまま入ってくれば、当然、騒ぐし、これから、狩りに出ようとする者も立ち寄るからもちろん、騒ぐ。
今日も今日とて大騒ぎ。静寂とは無縁のレストラン。
そんな店で、リュウガとミキは食事を取っていた。
「ふーん、じゃあ本当に来たばかりなんだ」
そう話しながら、ベーコンが具材として乗っているだけのカルボナーラをクルクルと巻くミキ。
対して、リュウガは肉をフォークで刺し、口に運んでから、声を発した。
「おお、ひょうらな」
――言えてないよ。
蒼太は顔を顰めながら、リュウガのマナー違反を注意する。
「リュウガ、食べ物を口に入れたまま喋らないで」
「んー」
気のない返事をしながらも、リュウガはモグモグと食べることに専念したようだ。
ミキは、その様子にクスッと笑みをこぼして、カルボナーラを食べ始める。
やがて、うるさかった客が会計を済ませ、店の中にBGMが聞こえる程度には静かなものになる。
これには店主もニッコリだ。そうそう、これを待ってたんだよ、という満足気な表情をしている。
しかし、再び店内に、ガラの悪そうな客が入ってくると、店主は露骨に嫌そうな顔で出迎えていた。
――気持ちはわかるけど、顔に出しちゃダメでしょ!
そうして、ひと時の静寂の後、ミキが紙ナプキンで口を丁寧に拭いてから、声を弾ませる。
「ねぇねぇ! 二人で小隊組んで、戦争やらない?」
「……小隊?」
リュウガがゴクリと肉を飲み込んで、頭にクエスチョンマークを浮かべると、ミキは待ってましたとばかりに、説明を始める。
「うん、戦争はね、ランダムに選ばれるわけなんだけど……小隊を組めば一緒に戦えるんだよ。あ! ちなみに、小隊組めるのは三人までね」
「へー、楽しそうだなぁ……! よくわかんねーけど」
――やっぱりわからないんだ……。
苦笑する蒼太と、ガックシと肩を落とすミキ。これからもこの光景が続くことだろう。リュウガがミキの説明を理解出来るようになるのはいつになることやら。
「そういえば、今お金あんのか?」
この場で唯一話の流れを掴めていない男、リュウガにそう聞かれ、蒼太は即座にメニューを開き、答えた。
「今は……3g。チャンスは三回ってところだね」
戦争では成績に応じて、お金がもらえる。
ボトムレベルの身でありながら、トップレベルの敵を倒したため、3gも手に入ったが、負けたり、戦闘不能になったり、活躍できなければこうも稼げてはいないだろう。
とりあえず、お金に困るということはなさそうで、結果オーライである。勝手に登録したことは今でも許さないが。
それに、収支ではマイナスとなってしまったものの、次からの参加費は1gだし、何よりも経験値を得たことに意味がある。
なんと、今の戦いで、レベルが3になったのだ。
――ステータスはほとんど変化なかったけどね……。
げんなりと今後に不安を覚える蒼太に、リュウガが声を割り込ませる。
「で? 小隊は組んでいいのか?」
「え? ああ、そうだったね。うん、大丈夫だよ」
「わかった」
リュウガは一度頷いてから、肉にフォークを突き刺し、
「じゃあ、小隊組んでみるか」
と言って、六つ目のサイコロステーキを口に入れようとした、そのとき。突如、カミナリが落ちたかのような怒鳴り声が店内の空気を一変させた。
「ダメだダメだ! 金がなきゃあ! 飯は食わせらんねぇ! 子供だからってのはここじゃ通用しねーんだよ!」
「あ!」
バシンッと店主に叩かれ、小さな女の子が小さな悲鳴を上げながら、店の外へ弾き出される。
「俺はな、ガキってのが大っ嫌いなんだ! 力関係は対等なくせして、子供だからなんてのが理由になると本気で思ってんのかッ!?」
店主は道端で倒れている女の子をさらに蹴り飛ばし、店内へと戻ってくる。
「…………」
リュウガが面白くない顔をしながら、ガタンと椅子を鳴らして、立ち上がる。
「リュウガ?」
ツカツカと無言で店主に近づくリュウガ。
周りもリュウガが放つただならぬ空気を感じ取っている。
そして、リュウガに気づいた店主が営業スマイルを浮かべようとした、その頬にめがけて、リュウガは、強く握られた己の拳を、振り抜いた。
「うぎゅるッ!?」
店主が壁に叩きつけられた衝撃により、花瓶が落ちて、耳を斬るかのような鋭い音が鳴り響く。
静まり返る店内。
あまりの驚きで、声も出ない。
――ちょ! 何やってんの、この人!?
ミキもオロオロと挙動不審でいたが、やがて、何かを決意したかのように、リュウガに続いた。
勢いのままにリュウガは店を出ると、未だ倒れたままポカンッと口を開けている女の子の手を掴んで立ち上がらせ、声をかける。
「大丈夫か、お前?」
「う、うん……ありがとう。お兄ちゃん」
女の子は俯きながら、不安そうに両手を胸に抱く。
そこから、顔を上げ、リュウガを見上げると、恐る恐る声を発した。
「お兄ちゃん、その……」
「どうした?」
「あんなことして……大丈夫、なの?」
「大丈夫だ」
――そんなわけないよね!?
今のリュウガは正当な理由なくして、店主を殴った、明らかな加害者である。
大丈夫なわけがなかった。
「えっと……ありがとう…………」
「はは、気にすんな」
――君はもっと気にしようね!? かなりヤバいことしてるよ!?
さっさとこの場を離れるように指示するが、既に手遅れだった。
店主が店から出てくる。
「あわわ、どうしよう……」
現実での友達がゲーム内の仲間に対して、失礼な対応したときのような心境だ。
――大丈夫! 僕ならフォローできるはずだ!
と、ここで重大なミスに蒼太は気づく。
往来のネットゲームと違って、蒼太がチャットで発言することが出来ないのだ。キャラクターはプレイヤーの顔であり、口でもあるということだ。
完全なる詰みだった。
――あ、もう終わったな。
こうして、蒼太の楽しい楽しいゲームライフは幕を閉じ、低レベル帯でありながら、どの店からも入店拒否される暗く、辛い、孤独のアルトヘヴン攻略が始まるのである。
「……って! そんなの認められないよッ!」
リュウガが蒼太の口ならば、上手く誘導すればいいだけのこと。
思考を巡らせ、蒼太は言葉を続ける。
「リュウガ、僕の言うことをよく聞くんだ。いいかい? まずは……ん?」
蒼太の口が止まった。
よく見ると、店主の様子が少しおかしい。
殴られて怒ってるかと思いきや、どうにも戸惑っているようなのである。
ゲームのキャラクターは痛みを感じないため、殴られてもそこまで怒るようなことではないのだろうか。
――そんなわけないよねー……第一、それならリュウガが怒る理由もないしなぁ……。
わけのわからない状況のまま、店主は申し訳なさそうな顔をしながら、手もみをしてリュウガにすり寄ると、顔色をうかがうように言った。
「お客様、何かお気に召したでしょうか?」
どうやら、リュウガはまだ客である、という認識らしい。
殴られても、客に対しては寛容な態度。痛み入る。
――店に対して都合のいい人間以外には露骨な人間だけどね……。
なんとも限定的な寛容さだった。絶対真似したくない。
そんな店主に、リュウガは言い放つ。
「この子に謝れ」
「は、はい?」
さすがの店主も顔が引きつっている。
そろそろ、客ではないと、判断を下される頃合いだ。
それは、非常にまずい。
なんとしてでも店のブラックリスト入りだけは阻止すべく、蒼太は言った。
「これ以上はダメだよ、リュウガ」
もう、手遅れのような気がしないでもない蒼太だったが、そこは店主の限定的な度量の大きさに感謝だ。
後は身を引くだけで解決する問題なのだが、当然のごとく、リュウガは反論する。
「何でだよ!」
「いいから」
「……わかった。蒼太がそう言うんなら従う。でも、俺はあいつを許せねぇ!」
「はぁ……素直で助かるよ……」
――僕も何も思わないわけではないんだけどね。
確かに、この世界では子供とかは関係ないのかもしれない。力関係はあくまでシステムで決められ、大人であればあるほど強いというわけではない。
それでも、小さな子を店外に叩きだし、あまつさえ、追い打ちをかけるというのは、いくらなんでもやり過ぎだ。あるいは、大人であっても、許せるかどうか。
ただ、その反面、仕方ない、と思う気持ちも蒼太にはある。
あの店主はマリオネットではなく、意思を持っているキャラクターだ。しかし、戦いの道ではなく、ああして料理店でお金を稼いでいるのは何かしらの理由があるのだろう。
となれば、生きていくためには厳しくならなければいけないのかもしれない。
見せしめとして、あのような強気な態度で接したのかもしれない。
したがって、憤慨するということは蒼太にはない。リュウガは違ったようだが。
「俺はムカついたぞ! もう二度とあんな店行かねぇッ!」
――他人の奢りで飯食わせてもらってる身なのに、偉そうだなぁ。
「あはは」
これには、巻き込まれたミキも苦笑を浮かべている。
このゲームにおける最小通貨単位は1gである。しかし、どうやら1gとは相当価値が高いらしく、食事一つで、1gを取るなんてことはありえないそうだ。
ならばどうするかというと、1g分の食事券を買うのだ。
他にも、このゲームは1gより価値が低い物が多いらしく、それらもすべて1g分買わなければならないらしい。
どうして、こんな価値の高い通貨にしたのか、やはり謎だ。
とにかく、ミキは今後あの店には行きづらくなってしまう。せっかく、食事券を買ったというのに、それはあんまりだろう。
――お金が貯まったら埋め合わせをしてあげよう。
そう心の中にメモを取っていると、リュウガが少女に声をかけていた。
「おめー、あんなところで何やってたんだ?」
「お腹すいたから、食べ物をもらおうと思って……でも、お金がなかったから……」
「なんだ、金がねーのか?」
「……うん」
コクリと小さく頷く少女に、ミキは中腰になって、訊ねる。
「お父さんかお母さんがどこにいるかわかる?」
「お父さんはいない。お母さんは…………わかんない」
それを聞いて、リュウガが何かを思いついたかのような顔をしていた。
――嫌な予感しかしないんだけど……。
「ははーん、迷子ってわけか」
「え? 別にそういうわけじゃ……」
戸惑う少女に、リュウガはさらに詰め寄る。
「迷子ってんなら、おめー、暇だろ? な? な?」
「う、うん。やることはないけど……」
「じゃあよ、一緒に小隊組もう!」
蒼太の予感は的中し、リュウガは両手を上げて、そう言うのであった。