レベル8 『この手は決して離さない』
「いやー、楽しかったなー」
戦争に勝利し、再び登録所へと戻ってきたリュウガは椅子に座って、そう言った。
「確かに……悪くなかったね」
蒼太は小さな声で、リュウガの考えに同調を示す。
リュウガを見直さざるを得ないだろう。
ただの馬鹿だと思っていたリュウガがイチヤという男に代わって、オウルの前に立ったときは、正直に言うと、震えた。
どうやって奇襲をかけようと策を凝らしていた蒼太を笑うかのような男らしい姿。
本当にリュウガなのか、と疑ってしまいそうなぐらいに。
――どうしよう! もし本当にすり替わってるなんてことがあったら……。
オウルと戦う前までのリュウガと今のリュウガが別人だという可能性。
勝手に登録所に入って、勝手に全財産を使って登録した、あのリュウガじゃないなんて。
「…………」
――いや、別にいい、かな? 馬鹿なリュウガに利点はないからね。うん、もうそれでいいよ。
そんな失礼な想像をされているリュウガの背後に、誰かが立つ。その人物は蒼太にとって見覚えのあるものだった。
「もしかして……リュウガ君?」
「ん?」
声が聞こえ、リュウガが後ろを振り向くと、赤い髪の少女、ミキがえへへ、と笑みを浮かべていた。
「あー! お前はさっきの!」
「やっぱり! レベル1だからこの登録所にいるんじゃないかなー、って見に来たんだ! 最初に見つける登録所はここだし」
「そうか、そうか。よくわかんねーけど、また会えてよかったよ」
――よくわからないんだ……。うん、やっぱりリュウガだね!
戦闘中はかっこいいとすら思っていたけれど、リュウガは相変わらず馬鹿で、蒼太は、針に刺されて破裂した風船のように気が抜け、しぼんだ体をソファに預けた。
そうしてから気づくのだが、いつもなら戦闘が終わると共に休憩モードに入るところを、蒼太はずっと画面に齧りついていたのである。自分が思っていたよりもこのゲームに興奮していたらしい。
――ああ、楽しいな。
やはり、と言うべきか。
7年も我慢したアルトヘヴンというゲームはこの短い人生の中で最高といえるものだ。キャラクターは最高とは言い難いけど、これからもやっていけそうだ。
「さて」
感傷に浸るのはここまでとし、休憩モードのままゲームに意識を戻すと、リュウガとミキが会話を続けていた。
「さっきはありがとな。最後は助かった」
リュウガがお礼を述べると、ミキはハッとして、手をブンブンと横に振った。
「そんなことないよ。リュウガ君がいなかったら、あの戦い負けてたもん。それでね、その……ご飯でも……食べに、行かない?」
もじもじと、終いには消え入りそうな儚い声でミキに言われ、リュウガはお腹をさする。
「ご飯? あー、確かに腹減ったなぁ」
しかし、ご飯と言うからにはお金がかかるのだろう。お金がかかるからには、それを許さない人物がいる。
「ダメダメ、無駄遣いは厳禁だよ。リュウガはお金を使っちゃったんだから」
蒼太である。
「だよなー……」
ガックシと肩を落とすリュウガ。
そこに、天使のような囁きが訪れる。
「んふふ、奢るよ?」
「えー! いいのかぁ!?」
リュウガに肩を掴まれ、ミキは赤くなった顔を隠すように俯いた。
「えっと、あの……その」
何やってるんだよ、と蒼太がため息混じりに声を上げようとしたとき、バシンッと登録所のドアが力強く開かれた。
何だ何だ、と注目を浴びる中、一人の男がリュウガの元へ歩み寄る。
「リュウガ、だよな?」
「ん? 何だ?」
名前を呼ばれ、よく見れば、その男は先程の戦争で味方として参加していた、イチヤであった。
何でここに、とは思わない。それはもちろん、ミキと同じようにリュウガの居場所を特定しただろうから。
では何の用か、と口を開こうとしているリュウガを止めるかのように、突然、イチヤが手を差し出す。
どういうことかわからない、といった様子でリュウガが首を傾けていると、イチヤが口を開いた。
「お礼を言いにきたんだ。君があいつを倒してくれたときは嬉しかったよ。ありがとう」
「ああ! それほどでもねぇさ」
得心がいったリュウガが握手に応じる。
そして、手を離すと、イチヤが疲れたような笑みを浮かべて、言った。
「君は強いね……俺は何も出来なかったよ。俺は、弱いから……さ」
同情を引くようなイチヤの言葉を受け、しかし、リュウガが返した言葉は、実にあっさりとしたものだった。
「うん、そうだな」
「否定しないのか!?」
驚き、イチヤは目を見開く。
確かにイチヤは弱いが、ここは普通、そんなことない、お前はよくやった、と言うものだろう。
第一、操作するのはプレイヤーなのだから、リュウガがオウルに勝てたのだって、プレイヤーの力だ。何を威張ってるのだろうか。プレイヤーに恵まれたから、俺は強い、と調子に乗ってるのか。
感謝の気持ちから一転、憤りすらも感じられるイチヤに、リュウガは不思議な顔をしながらも、「そんなことより」と言って、訊ねた。
「女の方はどうしたんだ? 一緒だったんじゃねーのか?」
「え? ああ、彼女とは別れたよ…………」
「別れた?」
「俺は……彼女にふさわしくない。彼女はいずれもっとすごい人間になる。それなのに俺なんかがいたら、邪魔になるだろ?」
「よくわかんねーけど……おめーはそれでいいのか?」
リュウガがそう問うと、イチヤは首を横に振った。
「仕方ない……俺は、彼女を悲しませてしまった。俺が弱いせいで……。こんな俺が彼女といる資格なんてないのさ」
「だから、資格とか、弱いとかどうでもいいんだって。本当にそれでいいのか、って俺は聞いてんだ」
「それは……」
イチヤは言いよどんで、レイコの顔を思い浮かべた。
騎士としての誇りを常に持ち、いつもキリッとしたかっこいい表情。
でも、時折、笑うのだ。
乙女のようなそれではないけれど、イチヤの心をガッチリと掴んだ笑顔。
それが、なくなる。
「…………」
いい、わけがない。
イチヤとて、レイコと離れたくはない。
しかし、ダメなのだ。
弱いくせに、レイコの恋人でいるなんて情けない真似はしたくない。
「でも、俺に資格は……」
考えた末に、そんなことを言い出すイチヤを、リュウガは全力で殴り飛ばした。
ガラガラと音を立てながら、丸テーブルと丸椅子を押し退けて、イチヤは倒れる。
周りにいた連中が、よそでやれよ、と迷惑そうな顔をして脇に避難していく中、突然殴られたイチヤはわけもわからず、怒号を飛ばした。
「なッ! 何でこんなことすんだよ!」
「なんとなくだ」
「なんとなく!?」
別に痛みがあるわけではないが、なんとなくで殴られたのでは、納得いかない。
文句を言おうと、イチヤが立ち上がったとき、リュウガは核心を突くような言葉を発した。
「なんでそんな顔してんだ。本当は嫌なんだろ」
「……! そりゃあ、嫌さ! 離れたくないに決まってる! でも、俺は弱いんだから、どうしようもないだろッ!」
「弱いからダメだってんなら、強くなればいいだけの話だ」
「そんな簡単に強くなれたら、苦労は……」
しない、と言いかけたところでイチヤは否定する。
違う。さっき見たじゃないか、自分を貫き通す、強さを。
もし仮に、プレイヤーが弱かったとして、リュウガはオウルに立ち向かうのを止めただろうか。いいや、止めない。リュウガはプレイヤーが諦めてなおも、戦おうとする。
ただ地面を殴るだけのイチヤとは違う、強さを持っている。
自分も、その強さを持てばいい。たとえ、どんな強敵とまみえようとも、曲げない、強さ。
キャラクターにとって本当の強さとは、プレイヤーの腕によるものじゃない。きっと、曲げないことなんだ。
曲げなければ、誰よりも、強い。
「そうか……そうだったんだな……だから、俺は弱いのか……」
「おめーはどうしたいんだよ?」
「彼女と……離れたくない」
「だったら、離れるな」
「そうだな……簡単なことだったんだ」
そう。簡単なことだ。
本当に好きなら、離れたくないのなら、情けないという理由だけで曲げちゃいけない。
そのことに気づき、イチヤは駆け出す。
そして、出口の前で思い出したように体を反転させると、リュウガに向かって頭を下げた。
「ありがとう! この恩は、絶対に忘れない!」
「あははっ、いいよ。気にすんな」
陽気に笑いながら、リュウガが手を高く上げる。
そのときにはもう、イチヤは登録所を飛び出していた。
*
イチヤは走る。
目的の背中を捉え、声をかければ、その背中は立ち止まり、振り返る。
追いつき、目の前で息を切らすイチヤに、レイコが戸惑いを見せた。
「な、何? 何なの?」
「…………訂正する」
イチヤはそれだけ口にしてから、しっかりと目と目を合わせ、レイコの手を強く、されど、優しく触れるように握った。
「俺は強くなってみせる! 君を守れるぐらい強く! 決して、手放さないようにッ!」
オウルに立ち向かって何も出来なかったときの悔しさが滲み出て、ポタポタと、流れる涙が灰色の地面を湿らせ、黒く変色させる。
イチヤの実力は弱い。でもきっと、曲げずに突き進めば、オウルを打ち破ったあの少年のように、強くなれるのだ。
「だから……君と、一緒に……いさせてほしい……!」
ふさわしくなってからじゃない。
これからふさわしくなるから、なんて情けない宣言。
けれど、イチヤが必死で考えて、至った、プロポーズに近い言葉。
それに対するレイコの返答は、プンプンと怒ったような表情だった。
「もう! 私だって悔しかったのよ?」
「え?」
「イチヤだけじゃない……私も一緒に強くなるわ! いいでしょ?」
「……! ああ! もちろんだ。強くなろう! 一緒に!」
「ふふ、ありがとう」
一度も見たことのない可憐な笑みを見せられ、ドキリと心臓を高鳴らせるイチヤに、レイコはフワリと近寄り、恥ずかしそうに言った。
「でも……私のことは守ってね。約束よ?」
そして、道行く人が見る中で、レイコはイチヤと唇を重ねた。
彼女は恋人として見られるのが嫌いだった。
彼女は騎士であり、か弱い存在とされるのが嫌なんだそうだ。
そんな彼女が、恋人としか見られないような行為に及んだ。守られる存在になるという、彼女の決意を示した。
そのことが本当に愛おしく思い、イチヤは誓う。
こうしてなおも握られているこの手を、絶対に離さない。
たとえ、何が起ころうとも、物理的に距離を離されようとも、この手だけは、離さない。
その誓いを表明するかのように、イチヤはレイコの手をギュッと力強く握った。