第4話 魔女の晩餐(前編)
仕事が忙しくて更新が滞っておりました。申し訳ありません。
「そっちに3匹行ったぞー!」
同僚の騎士が馬上から叫ぶ。
アルは剣を高く掲げて応じ、こちらに向かってくる3匹分の小さい影に意識を向ける。
アルの胸の高さほどある雑草の野原を掻き分けてやってくるのは、ゴブリンだ。草むらの色とは明らかに違う黴色の肌と、ツンと鼻をつく異臭に、えもいわれぬ不快感を覚える。
今日の任務は、ビフレスト近くの草原で先日見つかったゴブリンの巣の駆除だ。先週から幾度となく近辺の村で農作物や家畜を盗んでおり、被害報告を受けた駐在騎士団が捜索したところ、草原内に穴を掘って住み着いていることが明らかになった。場所さえ分かれば武装した村人でも充分なのだが、団長の指示で、訓練の一環として騎士たちが駆除する運びになったのだ。例の人身売買集団との一戦を意識してのことではないか、とアルは睨んでいる。
ゴブリンの1匹がアルの存在に気付くが、喚く前にアルの放ったクロスボウの矢が頭を貫いた。仲間が殺されてアルの存在に気付き、残る2匹は慌てて真横に進路変更するが、その無防備な背中をアルの剣が易々と切り裂いた。1匹は即死したが、もう1匹はまだ息がある。何とか逃げようとふらつく体で前進するゴブリンの目の前を、何か別の動物が横切った。
それに怯んで足を止めた隙に、アルの剣がゴブリンの喉を刺し貫いた。ついでとばかりにアルはクロスボウを構え、横切った動物を射抜く。
「仕留めたぞー!」
「了解、こっちも巣を潰した!これで充分だろ!」
巣穴を埋め立て、馬の足で踏み固めながら同僚が叫ぶ。討ち漏らしが居るかもしれないが、所詮低級魔獣の単体だ。群れることが出来なければ野垂れ死にするだけだ。放っておいても支障はない。
アルが仕留めた3匹のゴブリンを麻袋に入れて、仲間のところへ持っていくと、その手にもった別の獲物に同僚が気付く。
「お、そりゃ栗鼬か?」
「ああ、たまたま近くに居たのを射止めたんだ。ラッキーだろ?」
アルは射殺した鼬の細長い躯を自慢げに見せびらかす。
栗鼬はこの大陸中に広く分布して生息しているポピュラーな生物だ。肉は臭みがなくて美味しく、毛皮は柔らかいので高く売れ、捨てるところがないとされる。一方警戒心が高くて、とにかくすばしっこい。鼠のように草むらを駆け抜け、リスのように木の幹を駆け上り、川獺のように水上を掻き泳ぎ、兎のように穴を掘って潜るため、狙って獲るのは熟練の狩人でも難しい、と専らの噂だ。
アルが仕留められたのは偶然中の偶然だが、同僚の騎士たちがそれを物珍しそうに眺めながら、口々に思い出話をする。
「生きてるラタトスクは、ガキの頃1回目の前を通り過ぎたのを見ただけだな。後は毛皮でしか見たことねえや」
「昔ラタトスクが集落のど真ん中を横切ったら、大災害の前触れだって言い伝えがなかったっけ?」
「俺は食べたことがあるぜ?狸用の罠に偶然引っ掛かって、お袋が炒めてくれたっけ。ありゃあ美味かった…」
「そういえば何かの本で、ラタトスクの肉は角煮にすると絶品だって読んだことがあるな」
「ああ、そりゃ本当だ。俺の実家は肉屋だからな。たまにラタトスクの肉が手に入ったら、貴族に売る分少しくすねて晩飯に出してくれたんだよ。滅茶苦茶旨かったぜ!」
(へえ、角煮か…)
仲間たちの会話を聞いたアルは、刺さったままの矢を抜いてその場で血抜きをし、手持ちの麻袋にラタトスクを入れた。
「アル、それどうするんだ?食べるの?売るの?」
「売るよ。毛皮と肉に分けて売る。良い金になるだろうから―――」
「お、一杯奢ってくれるのか!?」
「違うよ!お袋に仕送りしようかなって!」
生真面目なヤツだな、いいだろ別に、と笑いあいながら帰路につく。
本当はもちろん、母への仕送りではなく、リリーへのお土産にするつもりだ。
兵舎に戻ってゴブリン退治の報告をし、リリーの店に着いたのは、日が暮れる少し前だった。この日は朝から周辺村落の巡回をしていたので、昼食も外で済ませている。「いぬごや」で昼ごはんを取るのが当たり前になっていたアルには、非常に味気ない昼食だった。
なので、「いぬごや」に向かうアルの足は弾んでいた。ラタトスクの毛皮と聞いて喜ばない女性は居ないだろうし、リリーに肉を料理してもらって、そのご相伴に預かれれば言うことなしだ。そう考えながら、いつもより勢いよく扉を開く。
「お待ちしてま…あれ、アルさん?いらっしゃいませ。今日は遅いご来店ですね?」
扉が開いた瞬間嬉しそうな声を出したリリーだったが、それがアルだったので声の勢いが萎む。予想外の来客だったようで、リリーの目はまん丸になっていた。その反応に少し傷つきながら、いつものようにカウンター席に腰掛ける。
「昼は巡回任務で街の外に出ていたので来られなかったんですが、お土産が出来たので持って来たんです。…どなたかいらっしゃる予定でしたか?」
「はい、けれど少し遅れているみたいで…お土産って、その腰に提げている麻袋の中身ですか?何かの動物みたいな…?」
「え!?そ、そうですけれど、何で分かったんですか!?」
リリーの鋭すぎる推察に、アルの目が驚きで丸くなる。
「はい、いつも花や草の匂いを嗅いでますので、匂いには敏感なんです…血抜きした獣の匂い、ですかね?後微かですけれど、変な匂い…失礼ですけど、ゴブリンの体臭のような…?」
「ええ…その通りです。先ほどまで、ゴブリンの巣の駆除をしてきまして…」
麻袋の中身はともかく、ゴブリンと戦ったことまで嗅ぎ当てられるとは思わず、絶句する。しかし言われてみれば、この店はいつも、リリーが育てている花や植物の香りで溢れている。そんな中一戦闘終えた後の自分が入ってくれば、放つ匂いは異物として浮くことだろう。それにしても、自分では全く気付かなかったが、そんなに強く臭いが染付いているのだろうか。
「それで、その袋の中身は何なんですか?」
リリーが小首を傾げて尋ねてきたので、初めて彼女が中身を「具体的には」言い当てていないことに思い至り、袋の中身を出してみせた。
「わあっ、ラタトスク…!」
「今日のゴブリン駆除のついでで捕まえたんですが、リリーさんこれ料理出来ます?角煮が美味しいって聞いたんですけれど」
「はい!もちろん出来ますよ!」
すでにリリーはエプロンを装着し、ラタトスクを受け取って捌く体勢に入っている。その目はアルがこれまでに見たことがないほど爛々と輝いている。やはりこの作戦は成功だったと、アルはカウンター席の下でグッと拳を握った。
「角煮ももちろん美味しいんですけれど、私は丸焼きの方が好きなんですよね。毛皮を剥ぐ時に皮一枚分だけ残して、口から尻尾まで鉄の棒を突き刺して、暖炉の火で炙り焼きにするんです。こんがり焼けたら鉄棒を外してぶつ切りにすることが多いんですけれど、あえてそのまま齧りつく方が美味しいんですよ。焼かれた薄皮はパリっとしていて、肉は鶏肉のように柔らかくて、かむほどに旨味と脂があふれ出してきて、けれど口にしつこさが残らないから、いくらでも食べられちゃうんです!昔は貴族の晩餐会でラタトスクの丸焼きを出すことがステータスの証明になってて、人数分のラタトスクを用意出来たら爵位が上がる、なんて噂も立ってたくらいでしたね。他にも魚みたいに開きにして焼いたり、ナイフで薄く切り分けてステーキにしたり、肉を骨ごとミンチ状にしてハンブルグにしたり、ラタトスク一匹で料理人の腕が試され―――――」
熱弁を振るっていたリリーが、ポカンとした表情のアルと目が合った瞬間我に返り、顔を真っ赤に染めながら縮こまった。
「…えっと…角煮ですよね。今から用意しますから…」
「いえ丸焼きで。ぜひ丸焼きで。今俺はどうしようもなく、ラタトスクの丸焼きが食べたくて仕方がないんです。どうか丸焼きでお願いします」
「わ、分かりました、分かりましたから!そんなに何度も力強く繰り返さなくていいです!うう…恥ずかしい…」
リリーは相当ラタトスク料理が好きらしい。あんなにも一方的に喋り続けるリリーを見たのは初めてだ。彼女の好物であったことといい、見たことのない一面を見れたことといい、ラタトスクを狩れて、持ち込んでよかったと、心から思った。
なお先ほどの一人語り中に、リリーが「貴族の晩餐会でラタトスクを食べたことがある」旨の発言をしていた事には気付かなかったフリをしている。以前からリリーは貴族の血統だろうと睨んでいたので、その予想が裏付けられただけのことだった。しかし口ぶりから察するに、晩餐会に招かれたのは一度や二度ではなさそうだ。となると、伯・侯・公爵クラスの高位貴族が関わっていることになる。
詮索はするな、というロヴの忠告を思い出すが、予想を巡らすことはどこまで許されるのか。
そんなことを考えていると、鐘の音とともに玄関の扉が開いた。今度こそリリーの待っていた人物らしいが、アルもよく知る人物であった。
「マチルダ婆さん?」
「おやおや、久しぶりだというのにご挨拶だねぇ、アル坊。邪魔するよリリーちゃん。あの婆さんはまだ来てないようだね?」
「お久しぶりですマチルダさん。すみません、師匠ったらどこほっつき歩いているんだか…」
マチルダはこのビフレストの街で数十年薬屋をやっている老婆だ。子供の頃は自分の怪我や病気のたびにここに薬を買いに来ていたが、未だ健在とは恐れ入る。アルが子供の頃にはすでに曲がっていた腰はさらに曲がり、乳母車を押す手と頭の距離がより近くなっている。
「シナモンフレーバーとウロコヨモギのクッキーを頼むよ。食べきる前に来ればいいけどねぇ、あの婆さん」
「かしこまりました。ところで、ラタトスクのお肉が手に入ったんですが、マチルダさんも食べません?」
「ほう、そりゃまた…けど、せっかくの申し出だけど遠慮するよ。最近は脂っこいものが消化し切れなくてねぇ。若い2人で食べなさいな」
そう言ってアルにウインクしてみせる。年はとっても茶目っ気はあるらしい。
一応謝意は示しておくが、それよりも気になっていたことを尋ねる。
「リリーさん、今日は待ち合わせなんですか?マチルダ婆さんと、その…」
「はい、私に植物や薬草の知識や活用術を教えて下さった師匠がいらっしゃるんです。この喫茶店の開店も師匠の勧めでして、月に1度足を運んできてくれるんですよ」
へぇ、と頷きながら、店に入った当初のリリーのちょっと残念そうな様子を思い出す。彼女は師匠の来店を心待ちにしていたのだ。そう納得すると、先ほど傷ついた心が急速に癒えていくのを感じた。我ながら現金なものだ、と苦笑する。
「リリーさんの師匠って、マチルダさんのご友人なんですか?」
「よしとくれ、そんなんじゃないよ。ただの商売相手さ」
マチルダはさも嫌そうに大きく手を左右に振ってみせる。
「あの婆さんはウチの開店当初からの付き合いでね。珍しい薬草やら植物やら持ち込んできて、金に換えろと言いやがるのさ。その態度が気に食わなくて当初は追い返してたけど、実際アイツの持ち込む植物から作る薬はよく効いてねぇ。渋々受け入れたんだよ。けどアイツは衆目に晒されるのを嫌がるから、大抵街の外れや近くの村で取引だ。面倒くさいったらありゃしないよ」
ぶつぶつと顰めっ面で愚痴を垂れるマチルダ婆さんだったが、紅茶とクッキーを用意しながらその様子を見るリリーは、楽しそうに微笑んでいる。本人たちは認めたがらないが、傍から見れば仲の良い友人同士らしい。
「この店が出来た時だって何にも言いやしないで、突然取引場所をここにするって言い出して、弟子の店だって紹介してさぁ。自分が教えたリリーちゃんの腕前を見せびらかしたかったんだよ。悔しいねぇ、リリーちゃんがウチの門を叩いてくれてれば、アタシの70年分の技術を余す所無く伝えられたってのに…何だってあんな因業な婆さんのところに…」
その時、チリンチリン、と入口の鐘が鳴った。
「因業、とはまた随分な言い草だねぇ。一月見ないうちにまた老け込んだじゃないか、マチルダ?」
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