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「俊一!あなたいつになったら陸上なんて辞めて受験勉強に集中してくれるの?」
「母さん、俺だって勉強してないわけじゃないって。あともう少しで引退だから、それまでやらせてくれよ。」
「そんなこと言って――。」
俺が中学三年に上がる手前頃だったか、このような会話が日常的に繰り返されるようになった。
学歴主義志向のある母は俺に青麗に入学してほしいらしく、部活を辞め勉強に集中してもらいたい。俺は受験に向けてやるだけのことはやるつもりだから、陸上を最後まで続けさせてほしい。お互いにこれらの主張で延々と平行線を辿るのが常だ。
母は真面目で厳しく、そしてなによりも俺の将来のことを考えて言ってくれていることは、自分が一番よく理解している。
仕事で忙しいのにも関わらず行事があれば必ず参加してくれたこと。小学生の時、家計が苦しいながらも陸上部への入部を許してくれた上、高いスパイクも買ってくれたこと。
幼い頃父が病気で他界し、女手一つここまで育ててくれたことには感謝してもしきれない。
そんな尊敬してさえいる母と毎晩のように衝突するのは、とても心苦しかった。
だから提案した――。
「もし、青麗に入学できなければ高校では部活に入部しない。母さんが望む大学に入れるよう、勉強にだけ集中する。」
――と。
そこからはもう意地だった。引退試合が終わったその日から机に噛り付く。
周りと比べ大分遅いスタート。今からやっても間に合わない、遅すぎるのではないかと何度も思った。でも、諦めるわけにはいかない。なんとしても青麗に入る。その一心だった。
ご飯や風呂、トイレ以外では部屋からでない生活。今思えば母は食事に凄く気を使ってくれていたのだと思う。夜食なんかも胃に優しいものをよく用意してくれていた。
それに――。
入試試験前日の夜、扉の前に置かれていた御盆。そのお粥の横に置いてあった手紙の内容は今でもよく覚えている。
「あなたの人生よ。悔いのないように行きなさい。…部活やめろなんて言ってごめんなさい。」
そして合格発表当日――。
俺と母は青麗の掲示板を一緒に見に行った。
人混みをかき分け自分の番号を発見した時、はじめて母の泣いている姿を見た。
今までどれだけ大変なことがあったとしても愚痴一つ、弱音一つ吐かなかった母が声を圧し殺して泣いているのを見て、やっと俺は親を安心させてあげられたのではないかと思った。
もう我が儘は言わない、言えない。十分させてもらった。
母を安心させるために、俺なりの親孝行をしたい。青麗に入学が決まったあの日、そう誓った。
周りに振り落とされないよう必死にしがみつき、学力もキープし、念願の大会への切符も手に入れた。
――全ては陸上を続けて良かったと思いたい。母と自分のために国立大学への授業料免除枠を勝ち取るため。
だけどーー、
母さん、俺はまだ大人になりきれていなかった。もう少し、もう少しだけ…、我が儘を許して下さい。