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ミッドナイト・ブルー ──dream a dream──

作者: 幾乃 葉

「ミラ」

 アイルが声をかけると、彼女は振り返って首を傾げた。

「緊張してる?」

 その問いに、ミラは苦笑した。

「もちろん、緊張してるよ」

 ミラはステージへと顔を向けた。ステージライトがミラの双眸に入り込み、淡い紫の瞳を煌めかせる。

「でもね、それ以上にわくわくしてる」

 再び、ミラはアイルのほうを向くと、少し微笑んだ。

 ──ああ、この、たったの二年間で、この子はこんなにも表情豊かになった。

「行ってきます」

 ミラは、ステージ上部に続く階段を静かにのぼり始める。一段のぼるたび、肩胛骨のあたりまで伸びた、白に近い銀髪が揺れる。シンプルな白の衣装とあいまって、彼女は天使のようだった。

 否、ミラは、この舞台においては正真正銘の天使なのだ。


    *

 アイルがミラと出会ったのは二年前、レシアークと呼ばれる、雪に埋もれた辺境の村でのことだった。

 アイルたちサーカス団『グラーツィア』は、公演でレシアークを訪れた。村の人口は少なかったが、公演は盛り上がった。

 しかし、舞台も佳境というとき、ピエロが観客から一人、助手を求めた。それがミラだった。

 村人のほとんどが茶髪黒目である中、ミラだけは銀髪紫目。浮いているのだろう、ということは容易に想像がついた。

 アイルはミラに興味を持ち、公演が終わってから話しかけた。彼女は、年齢のわりには大人びた子どもだった。村から出ていきたいけれど、出ていけないと語った彼女の瞳は、諦観にふちどられていた。

 だからだったのだろう、気づけば、一緒に来ない? と尋ねていた。

 その髪が、瞳が、綺麗なものだと、自身の見た目を忌む彼女に、気づいてほしかったのかもしれない。

 それから、ミラは、グラーツィアの一員になった。


 団員になったはいいものの、すぐにパフォーマンスを教えてもらえるかというと、そうではない。基礎運動能力をつけて、はじめて教えてもらえるのだ。それまでは、下働きのようなことをしながら日々練習をする。

 このサーカス団にいる限り、誰もが通る道なのだ。ミラも鍛錬をしながら、サーカス団の雑用などをこなしていた。


 ミラは、感情が表に出ない子だった。入ったばかりのころは自己主張もなく、なかなか笑わなくて、団長をはじめとする年長者たちがひそかに頭を悩ませるほどだった。

 しかし、時が経つにつれ、ミラは少しずつ感情を見せるようになった。雑用で、様々な人と話をすることも、良い方向にはたらいたのかもしれない。

 そして、ミラが団員になって一年が経ったとき、団長の招集により全団員──ミラを含め十三人だが──が集められた。

 アイルはそのときのことを、今でも鮮明に覚えている。


「本来なら、基礎を身につけるのはもっと時間がかかる。しかし、ミラはたった一年で、演技を学べるほどになったと俺は思う。異論はあるか」

 そう言ったのは、招集をかけた団長。団長はぐるりと団員を見渡し、異論がないのを確かめると、ミラに向き直った。

「そういうわけだ、ミラ、なにかやりたいものはあるか?」

 しかし、ミラは感情こそ表に出るようになったものの、まだ自己主張をしたことがないのをアイルは思い出した。

 団長も同じことに気づいたようで、別になければゆっくりでいいが、と付け足した。

 しかし、ミラは少し考えてから、口を開いた。

「空中ブランコを、やらせてくれませんか」

 そのとき、誰もが動きを止めた。

 誰もがその言葉に呆然とした。

 ────ミラが、初めて自己主張を。

 一瞬、沈黙が広がった。しかし、団長の拍手を皮切りに、みんな口々にミラを祝福した。頭を撫でる、抱きしめる、様々な形でミラは祝福された。

 みんなの喜びようについていけないミラは、口を半開きにしてぽかーんとしていた。ミラはその表情のまま、一番の仲良しであるアイルを見る。

 アイルも例にもれず喜んでいた。嬉しくて、涙が出そうなほどだった。

「……みんなね、ミラが主張してくれたことが嬉しいの。ミラが、本当に心を開いてくれたようで、喜んでいるの」

 そう言って、アイルもミラを抱きしめた。アイルにとってミラは妹も同然であるので、その感激はひとしおだった。

 ミラは、団員ひとりひとりを見回した。

 誰もが、ミラを優しく見つめていた。

「……ありがとう」

 少しうつむいて、頬を染めて、ミラははにかんだ。

 自然と拍手が起こる。

「そうと決まれば今夜はパーティーだ! みんな準備にかかれ!」

 団長の言葉に、みんなが顔を見合わせる。それから笑顔で、拳を振り上げた。

「「「おー!」」」

 ミラも控えめながら、楽しそうに手をあげていたのを、アイルはしっかりと記憶している。

    *


 それからさらに一年経った、今。

 今日はミラの舞台デビューの公演だった。

 グラーツィアのサーカスには特徴がある。それは、その公演のメインとなるパフォーマンスに、シナリオがあること。

 今回のメインパフォーマンスは、もちろん空中ブランコ。元々ブランコ乗りであるエリスとアルフレッドに、ミラを加えた三人で宙を舞うのだ。


 奇抜な色のテントに、多くの人が集まり始める。

 時刻は、日没直前。空が真っ赤に燃え上がる。

 ──さあ、開演だ。


「レディース アンド ジェントルメン!」

 朗々とした声が響くと、真っ暗だった舞台に、ぱっとライトがついた。その中心には、我らがムードメーカーのピエロが、相変わらず派手な格好で立っていた。

 ピエロが現れると、会場は歓声につつまれる。人の心をつかむのはすっかりお手のものだ。

 そうして始まった、グラーツィア・サーカス。

 はじめはピエロによる玉乗り、それからジャグリング。途中で団長も加わり、二人は熱いパフォーマンスを繰り広げる。最後はどちらが速くジャグリングできるかで、ピエロが勝利した。

 アイルの順番は団長の次。アイルが舞台袖から舞台を見ると、ちょうどピエロが退場して団長が舞台に残ったところだった。

 ──そろそろ準備をしよう。

 アイルは踵を返し、自分の舞台を手伝ってもらう『彼ら』を迎えに行った。


 アイルが『彼ら』を連れて舞台袖に戻ってくると、団長が、およそ五メートルに積み上げた椅子のてっぺんから飛び降りたところだった。

 床にクッションはなにも無い。観客の悲鳴が響くが、それはすぐに歓声へと変わった。

 団長は、階段を数段分飛び降りるかのように、スタッと着地すると、なにもなかったかのように歩いて退場した。歓声は止むことを知らない。

 そうして、舞台には積み上げられた数脚の椅子だけが残った。

 ──出番だ。

 少しの緊張と、大きなワクワク感。

 アイルが合図すると、数匹の猫たちが舞台へ走り出た。猫たちは、舞台を歩き回ったり、椅子によじ登ったりしている。

 アイルはまだ舞台袖で待機していた。舞台で遊ぶ猫たちは、アイルがパフォーマンスのために訓練した猫たちだ。

 ──みんな、行こう。

『猛獣使い』のアイルは、虎や猿、馬などを連れて、舞台へと登場した。


 ──眩しい。

 ステージに上がるたび、アイルはそう思う。そうして光に慣れたころが、パフォーマンスを始める絶妙のタイミングなのだ。

 目が光に慣れると、アイルはすぐに指示を出し始めた。

 まずは猿たち。もはや定番となった皿回しをさせ、次に簡単なジャグリングをさせる。それから縄をアイルと猿で持って、先程の猫たちに数回縄跳びをさせる。

 それが終わると、猿は礼をし、猫は一斉にニャーと鳴いて、退場する。猿の後ろを猫が並んでついていく姿は、観客の笑いを誘った。

 それから、虎に火の輪くぐりをさせる。アイルの虎は小さいころからこの訓練をしているので、失敗することは万が一にもない。今回も、観客が散々悲鳴を上げても、虎は炎が燃え上がる輪を平然とくぐっていた。

 アイルはほかに数種の動物とパフォーマンスをすると、馬を残してほかの動物を退場させた。

 動物たちと入れ替わるように、ピエロが舞台に上がる。ピエロはアイルに弓と矢を渡すと、自身は的を持って、舞台の端に立った。

 アイルは鞍もなしに馬に飛び乗ると、馬の腹を蹴り、ピエロの持つ的に向かって矢をつがえた。

 客席が水を打ったように静まりかえる。テント内に響くのは馬の足音だけ。

 馬が走り出す。それと同時に、アイルは弓を引き絞る。馬がちょうどステージの中央を走り抜けたとき、

 アイルは矢を射た。

 ひゅん、と空を切って、矢は飛んでいく。それは、寸分の狂いもなく、的の中央へまっすぐ刺さる。

 アイルが馬から飛び降り、ピエロが的を掲げると、爆発的な歓声がステージに届いた。

 アイルは馬とともに礼をして、舞台から退場した。


 アイルの後には、『歌姫』リヨンが舞台に立った。

 グラーツィア・サーカスでは、歌姫が歌うと、いよいよメインパフォーマンスが始まる。

 客席には、今までの歓声が嘘のように、静寂が広がっている。皆リヨンの歌に聴き惚れているようだ。

 アイルが動物たちを移動させ、戻ってくると、そろそろ歌が終わるかというところだった。

 舞台袖にいたのは、白い服に銀髪の後ろ姿。

 ──ミラの、初めての舞台だ。

 アイルは、ミラになにか声をかけたくて、思わず名前を呼んだ。


 

 歌が終わり、舞台が暗転する。しかし歌姫は、まだ退場しない。

 歌姫は、真っ暗な舞台で朗読を始めた。

 ──あるところに若者がおりました。彼には想いを寄せている少女がおりました。しかし、若者は勇気を出すことができません。そんな若者の元に、天からの使いがやってきました──

 歌姫が退場する。そしていよいよ、ステージライトがついた。


 ミラはアルフレッドと同じ、ステージ上部の台に立っていた。ミラはアルフレッドを説得するような動作をする。しかしアルフレッドは気弱そうにそれを断るばかり。

 ミラはあきれて、反対側にいるエリスのもとへ、空中ブランコで移動する。反対側のブランコはエリスがタイミングを合わせて出している。

 白銀の髪の天使が宙を舞うと、観客席からは、それまでとは違う歓声が響いた。例えるなら、天使に見惚れているような。

 ミラは、今度はエリスにアルフレッドのことを伝える。──彼はいい人です、会ってみたいとは思いませんか?

 しかし、エリスは考えるばかりで一向に良い返事を見せない。

 ミラは諦めて、再びアルフレッドのいる台へと舞う──。

 そう、それはミラの独壇場だった。

 話が進むにつれて、ミラの技の難易度も上がっていく。逆さまにブランコに乗ったかと思えば、今度はひねりを加えて宙を舞う。観客を魅了するには十分だった。

 そして、ついにアルフレッドがエリスに想いを伝える場面がやってきた。

 アルフレッドは、それまでの気弱な様子からは想像できないほど、ダイナミックに飛んだ。その勇気に、エリスは心を射抜かれる、というシナリオだ。

 そしてついに、アルフレッドの想いはエリスに届いた。

 それから二人は、華やかなパフォーマンスを繰り広げた。二人で手を取り合ったり、回転したりしながら宙を舞った。

 ミラ扮する天使は、それを嬉しそうに見つめる。そのとき、結ばれた二人から手招きされ、ミラは再び飛んだ。

 そして反対側のブランコをつかみ、三人そろったところで退場、の予定だったのだが。

 反対側のブランコへ移るとき、ミラは、ブランコのバーをつかみ損ねた。

 それは、反対側の台にいるアルフレッドとエリスからも、観客からも、舞台袖にいた全団員からも見えていた。

 落ちる──

 誰もがそう思った。観客の中には目を覆うものもいた。

 しかし、そうはならなかった。

 ミラは、バーをつかみ損ねた反動で半回転すると、今度は足でバーを捕まえた。そのまま逆さ吊りで、二人のいる台まで行くと、勢いよく体を起こして、飛んだ。

 観客の目には、時が止まったかのように、その様子がスローモーションに映った。

 ミラの髪が広がる。ミラは軽やかに台に着地すると、観客席に向かって、優雅にお辞儀をした。それにつられて、アルフレッドとエリスも慌てて礼をした。

 あっけにとられていた観客たちは、誰かの拍手をきっかけに我に返ると、盛大に拍手をした。

 その拍手は、舞台が暗転しても続いていた。


 舞台が無事に終わり、観客が完全にいなくなったころ。アイルは一人、テントの外に立っていた。

 すっかり日は落ち、深い藍色の空が広がっている。コートを着ていても肌寒い。

 はあ、とアイルは白い息を吐きだした。

 アイルは、今日の舞台のことを考えていた。

 ──ミラは、初舞台にしてはすごくうまかった。技はもちろん、演技も。

 いつのまに、あんなに成長していたんだろう?

「……アイル?」

 突然名前を呼ばれ、思考が中断する。アイルが振り返ると、そこにはミラ本人が立っていた。

「団長が、反省会するから来いって」

 そう言いながら、ミラはアイルの隣に来た。

「どうか、した?」

 心配そうな薄紫の瞳に、自分の顔が映り込む。自分の表情は予想以上に疲れているように見えて、アイルは思わず苦笑した。

「少し、疲れちゃって。ミラも今日はお疲れさま」

 そして、頭ひとつぶん下にあるミラの頭を撫でた。ミラは驚いたようにアイルを見上げたが、そのあと、アイルに飛びついた。

「今日、緊張したけど、本当に楽しかった!」

 満面の笑みを浮かべるミラに、今度はアイルが驚かされた。それから、胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。

 ──私、もしかして、嬉しくて寂しいのかもしれない。

 ミラが成長して、自分のもとを離れてしまう気がして。

 そう思ったら、気づけば、アイルはミラに尋ねていた。

「ミラは、グラーツィアに入って、よかった?」

 ミラは、私が連れてきたようなものだから。

 その問いに、ミラはアイルから離れて、にこっと笑った。

 その唇が動く。

「アイルに出会えて、よかった」

 それからミラは照れているのを隠すように、アイルの手を取って、団員が集まっているほうへ引っ張った。

「……ありがとう」

 私もミラに出会えてよかった、という言葉は飲み込んでおく。

「アイル、早く行こうよ、団長に怒られちゃう」

 急かすミラの頬が赤いのは、寒さのせいか、はたまた。

 二人は手を繋いで、みんなの待つ場所へ走っていった。


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