序章5
「天上の神々の、より一層の繁栄を願って」
そう言って、月の神は水の女神の腕をつかんだまま、広間を出て行こうとしました。
「待て!」
火の神が月の神の前に飛び出します。
「水の女神を放せ!」
月の神は頭巾の下から、ちらと火の神を見下ろしました。
「そんなに返してほしいなら、返してやろう」
無造作に手を放し、水の女神は広間の扉近くの床に倒れこみました。
火の神は月の神には目もくれず、水の女神に走り寄ります。
しかし水の女神の様子は以前とは全く異なっていました。
泉の底のように青い瞳は虚ろで生気に欠け、ふっくらと長い手足はごつごつと骨張ってこぶが見え、白く美しかった肌は土気色で深いしわが刻まれています。
まるで年老いた老婆のようです。
火の神は射るような赤い瞳で月の神の背をにらみます。
「水の女神に一体何をした!」
月の神は振り向かず肩をすくめます。
「なあに。少し死の国の腐臭を吸わせただけのこと。地下に住む神々と同じ死に満ちた体になっただけだ。だが、一度死の国の腐臭を吸った者が、以前のような若さを取り戻すという保証は無いがな」
月の神は声を立てて笑い、青い衣をひるがえし広間を出て行ってしまいました。
「大丈夫か?」
いつまでもうつむいたままでいる水の女神が心配になり、火の神はその顔をのぞき込みます。
すると水の女神は火の神から顔を背けるようにします。
「どうしたんだ。月の神に何をされたんだ?」
火の神が尋ねると、水の女神は黙って両手で顔を覆い、首を横に振りました。
そのうちに他の神々も心配そうに集まってきます。
水の女神はおもむろに立ち上がり、広間の扉を逃げるように走り出ていってしまいました。
「待て、水の女神!」
火の神が慌ててその後を追います。
扉の外、長い廊下の扉の先には大樹の幹に張り付くように白い螺旋階段が続いています。
その階段は天上と地上、地下にある死の国、三つの国を繋ぐものでした。
少し先に、白い階段を駆け下りる水の女神の後ろ姿が見えました。
火の神は階段を一足飛びに駆け下り、水の女神の背に追いつきます。
そしてその骨張った腕をつかみました。