02話 王太子妃候補の私に届いたのは――呪いか、希望か
仮面が暴走したら、王太子の溺愛も止まらなくなりました。
仮面×本音×王宮ロマンスの短編連載。
庭にひゅうっと風が走り、木漏れ日の下で私の木剣が美しい弧を描いた。
「……はっ」
最後の一太刀を振り抜くと、胸のもやもやがほんの少しだけ晴れる。
(やっぱり剣を振ってると、気持ちがすっきりするわね)
最近は、考えたくもない“噂”のせいで、頭の片隅がずっとざわついている。
アレンとビアンカの婚約――。
社交界は今、この噂で持ちきりだ。
“薔薇姫ビアンカが王太子妃に選ばれるらしい”――そんな話が毎日のように飛び交っている。
(美貌も社交力も完璧だもの。世間が騒ぐのも無理ないわ)
木剣の先で草をつついたその時、庭の入口から豪快な声が飛んできた。
「おーい、ルシア! 今日も元気にやってるな!」
「お父様、お帰りなさいませ」
騎士団長であるクロフォード侯爵――つまり私の父は、鎧姿のまま庭に踏み込んできた。
私の頬の赤みを見て、すぐに目を細める。
「ずいぶん気合いが入ってるじゃないか。何かあったのか?」
「別に。ただ……ちょっと体を動かしたかっただけですわ」
「“ちょっと”でその息切れか?」
じぃっと探るように見られる。
(ほんと、こういう時だけ無駄に鋭いんだから……)
観念して、私はぼそりと漏らす。
「……噂のことが気になっているだけですわ」
「噂?」
「殿下とビアンカ様の婚約話、です」
父は「ああ」と軽く頷いた。
「耳に入ってるぞ。“公爵令嬢が殿下に選ばれたらしい”とな」
「……やっぱり」
胸の奥が、きゅっと縮む。
そんな私の心の動きを、父は見逃さない。
「ルシア。お前が筆頭候補なのは変わらんさ。心配するな」
「し、心配なんてしてませんわ」
即答したのに、父は“はいはい”と言わんばかりの笑顔。
「殿下とは一緒に剣術を習った仲だろう? あの頃のふたりなんて、息ぴったりだったじゃないか」
「昔は……そうでしたわね」
父は楽しげに、いらない昔話を始める。
「ほら、ふたりで泥だらけで帰ってきた日なんて――」
「お父様! 本当にやめてくださいまし!」
反射的に遮ると、父は「ははは!」と豪快に笑った。
(もう……やめてよ。あの頃のアレンは“王太子殿下”じゃなくて、ただのアレンだったのに)
子どもの頃のアレンは、剣術で負ければ「反則だってば!」と涙目になったり、
私が他の男の子と喋れば、子犬みたいにヤキモチを焼くような子だった。
胸の奥がふわりと温まると同時に、切なくもなる。
(ずるいわ。私はあの頃と変わってないのに。アレンだけ、どんどん“完璧な王太子様”になって……)
王太子という立場上、仕方ないとはいえ、どこか手の届かない場所へ行ってしまったみたいで、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。
そんな私の肩を、父がぽんと叩いた。
「ルシア。お前が努力してきたこと、父さんは知ってる。胸を張れ」
ぶっきらぼうな声なのに、不思議と心に沁みる。
「……はい」
私が答えると、父は満足そうに頷いて屋敷へ戻っていった。
庭に一人残され、私は木剣を片付けながら、そっと息を吐く。
(胸を張れって……どう張ればいいのよ)
***
自室へ戻ると、机の上に厚手の封筒が置かれていた。
金糸で星が刺繍された――
聖星祭の仮面舞踏会の招待状。
(そうだった……今年は仮面舞踏会なのよね)
建国記念の聖星祭では、毎年さまざまな舞踏会が開かれる。
今年のテーマは――「仮面舞踏会」。
社交界では「この舞踏会で王太子妃が決まる」なんて大盛り上がりだ。
ビアンカの完璧な笑顔がふと脳裏をよぎる。
(頑張ってきたつもりなのに……彼女を見ると一瞬で自信がなくなるわ)
はぁ……とため息をついた、その時。
扉をとんとん、と控えめに叩く音。
「お嬢様、マリツィオ商会の方がお見えです」
「……マリツィオ商会?」
(あぁ、今日の約束だったわね……)
応接室に向かうと、ダリオ・マリツィオが完璧な営業スマイルを浮かべて立っていた。
灰金の髪と灰青の瞳。整った顔。
けれど目だけは、なぜか笑っていない気がする。
(相変わらず令嬢受けする優男だけど、妙に胡散臭いのよね)
「クロフォード侯爵令嬢。本日は、聖星祭に向けて舞踏会用の仮面をお持ちいたしました」
丁寧に桐箱を開け、いくつもの仮面を並べていく。
宝石の煌めき、繊細なレース、華やかすぎる羽根。
(さすがね。どれも“貴族令嬢のツボ”を押さえてるわ)
「こちらなど、いかがでしょう」
差し出された仮面を見た瞬間、息が止まった。
白地に淡い紫のグラデーション。
縁は銀糸で、夜空の星みたいにきらりと刺繍されている。
「……綺麗」
思わずこぼれた声に、ダリオの微笑みがわずかに深まる。
「“勇気の出る仮面”と呼ばれております」
「勇気?」
「身につけた方が、大切な想いを伝えられますように――という願掛けでございます。もちろん保証はできませんが」
典型的なセールストーク。
……だけど。
仮面に触れる指先が、ほんの少し震える。
紫と銀の光が、吸い寄せられるように揺れた気がした。
(不思議……心がすっと澄んでいく)
ビアンカの噂。
仮面舞踏会の招待状。
幼い日の記憶。
磨き続けた“淑女の顔”。
そして――アレンへの、ずっと胸の奥にしまってきた想い。
散らばっていた心の粒が、ひとつの線で結ばれていく。
(アレンに……ちゃんと気持ちを伝えたい)
怖くても、逃げたくない。
もし選ばれなかったとしても。
この気持ちだけは、なかったことにしたくない。
仮面を両手で包み、静かに息を吸う。
「こちらを、いただきますわ」
ダリオは満足げに微笑んだ。
「光栄です、侯爵令嬢。きっと良い夜になりますよ」
(良い夜、ね。……玉砕覚悟だけど)
小さく毒づきながらも、私は仮面を胸に抱きしめた。
次回、妖しい仮面が本領発揮。ルシアの“本音”とアレンの“溺愛”が動き出します。
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