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北の風、昆布と笑いの香り

掲載日:2025/10/30

旅には、二種類あると思う。

「予定を立てて行く旅」と、「気づいたら始まっていた旅」。


今回の主人公・悠の旅は、まぎれもなく後者だ。

静けさを求めてたどり着いた礼文島で、まさかの相部屋。

しかも相手は関西ノリ全開の女性旅人――。


一人旅のつもりが、なぜかツッコミ担当に回る羽目になった青年が、

海風と昆布と笑い声に包まれて、少しだけ人生の味を思い出す物語。


潮の香りと笑いの音を、どうぞごゆっくり。

六月の礼文島。

フェリーが香深港に着くころ、霧がゆっくりと晴れていった。

潮の香りが濃くて、思わずくしゃみが出る。


「へっくしょん! あ、すみません!」

隣の女性がくしゃみをした。バンダナに登山リュック、まるで“旅人のテンプレート”みたいな格好。

彼女はティッシュで鼻を押さえながら笑って言った。


「海の塩、鼻に入るタイプですわ?」


……初対面なのに、もうボケてる。

俺はただ静かに旅がしたいだけなのに、なぜか一抹の不安を感じた。


宿は、木造の小さな民宿「浜の風」。

チェックインを済ませると、女将さんが申し訳なさそうに言った。


「すみませんねぇ、今日は混んでまして。相部屋になっちゃうんですよ」


「……え?」

まさかと思って横を見ると、さっきの登山リュック女が手を振ってきた。


「うちら、運命ですな!」


いや、運命はもう少し慎重に決めてほしい。


部屋に入ると、畳に布団が二組。

窓の外は海。波の音が心地いい……はずだったのに。


「私、いびきかくかもしれません!」

「大丈夫です、耳栓持ってます」

「さすが旅慣れてる?。ほな、私のいびきBGMにどうぞ!」


……すでにコメディの波が押し寄せている。


夕食の時間。

テーブルの上には、ホッケの炙り、ツブ貝の煮込み、そしてウニ丼。

女将さんが胸を張る。


「全部、今朝港で仕入れたの。昆布も自家製ですよ」


千夏は箸を握ったまま叫んだ。


「うわっ、これ東京で食べたら一泊二万円コースちゃいます!?」


「そこまでじゃないと思いますけど」


「いや、絶対そうですよ! ウニの密度が高い! ほら、もう一粒で米三口いけます!」


女将が笑っている。

俺はウニを口に運び、思わずため息をついた。


「うま……」


「やろ? これ、ウニ界のゴッドやわ」


そんな言葉があるのか知らないが、妙に説得力があった。


食後、宿の外に出ると霧が再び立ちこめていた。

港の灯がぼんやり光り、どこか幻想的だ。


「散歩行きましょ!」

千夏が言う。


「霧の中を?」

「霧って、ロマンチックやないですか」


「いや、遭難フラグですよ」


「だいじょうぶ、私方向音痴ですけど勘だけはええんです!」


……その自信はまったく頼りにならない。


(10分後)


「……完全に迷いましたね」

「ふふふ、旅ってこういうハプニングが醍醐味ですよ」


「醍醐味っていうか、もうホラーですよ」


霧の中で笑いながら、俺たちは港の方向を探した。

遠くで波の音がして、やっと宿の灯が見えたときは、なぜか少し名残惜しかった。


夜。

布団を並べて寝転ぶと、天井の木目が海に揺れて見えた。

波の音の代わりに聞こえるのは、隣の千夏の寝息――と思ったら。


「すぴー……ズズ……ホッケうま……」


寝言。

ホッケを夢で食ってる。


俺は笑いをこらえながら、枕をひっくり返して目を閉じた。


翌朝。

女将さんが出してくれた朝食は、ウニ丼と昆布味噌汁。

テーブルに座った瞬間、千夏が叫んだ。


「昨日よりウニ増えてません!? うわ、勝った気する!」


勝負だったのか、それは。


口に含むと、海の香りが広がる。

昆布の出汁が優しく体に染みて、思わず笑みがこぼれた。


「ほんま、礼文島ってうまいもんしかないなぁ」

「ほんとですね」


彼女が笑うと、なんだか朝の光まで明るく見えた。


昼前、フェリーの時間が来た。

港で手を振りながら千夏が言う。


「またどっかで相部屋になりましょ!」

「……次は耳栓忘れません」

「言いましたね!?」


彼女の笑い声が、潮風に溶けていった。


フェリーが動き出す。

霧の中に島が遠ざかる。

潮風の香りが、昆布と、少し笑いの匂いを残していた。


END

礼文島の風は、思っていたよりも優しい。

そして、出会いはいつも予定外にやってくる。


一人旅って、孤独を楽しむためのものだと思ってたけど――

たまにこうして誰かと笑い合う瞬間があると、「また旅したいな」って思える。


旅先のごはんは、味よりも“誰と食べたか”で記憶に残る。

ウニの味も、昆布の香りも、そして彼女の笑い声も。

きっと潮風と一緒に、少ししょっぱいまま、心の奥で生き続ける。

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