#2
*** 2698年11月10日
惑星フェルタ 北パルミナンド大陸
アイブリー準州 トアイトン特別区
その朝、クリス・エルフェはキングトン・ホテルの玄関の車寄せで上司の車を迎えたのだったが、車のドアが開くや一言も口を開くことなく一人でホテルへと入っていくテオドーラ・ビルソンの後姿を、困惑の表情で見やることとなった。
そんなクリスに、運転席からホテルのスタッフに車を預けて出てきた随行秘書――つまり運転手――のレイ・ディーマーが今朝の朝刊を〝手の付けられないくらい不機嫌だ〟といったジェスチャーを添えて放って寄越してきた。――一面の見出しは『テオ・ビルソンは保守党の〝獅子身中の虫〟か?』。
クリスは口の端を歪めて渋い表情を作った。
冴えない五十男のディーマーはなんとも言えない表情でクリスを見た。〝互いに相憐れむ〟ように頷き合う。それから二人とも諦めた表情になり、共通の暴君となった女主人に置いて行かれてしまう前に、その場を駆け出した。
テオドーラはまだ2階のクラブラウンジに上がってはおらず、ロビーの一画、客の視界から外れる位置のカフェチェアにその姿があった。
勘気を被らぬよう静かに近付く。彼女の視線は手許のタブレット端末に注がれていた。
クリスの視線を感じたテオドーラは端末の画面を向ける。クリスは手を伸ばし端末を受け取った。
高指向性スピーカーがクリスの顔に向けられると、ケーブルニュースのキャスターの声が耳に滑り込んでくる。
『……先の院内総務選挙におけるビルソン陣営の選挙不正疑惑について、保守党本部からお伝え――』
「――これはあなたのミス」
画面がスタジオから党本部内の会見場へと切り替わるより先に、テオドーラが言う。断言だった。
それから詰問。
「首席補佐官でしょう、こんなことになるまで、何をしていたの?」
クリスは、このタイミングで弁明はしなかった。
『――次の議会での院内総務の辞退を要求します。州代表選挙を控えていた状況で、ビルソン下院院内総務は全党大会の開催を恣意的に延期し、党内の分裂を徒に助長しました。また院内総務の選挙で不正を働いた疑いが……』
画面の中では〝売り出し中〟の中堅議員、アントナン・マスロンが熱弁を奮っていた。
準州代表選挙が終わったが、保守党は進歩党の現職エヴェリーナ・ノヴォトナーの再選を阻むことは出来ず、上院下院の議会多数党の座は維持したものの下院の議席数は選挙前の230から219に減じ、28議席あった進歩党との差は3議席にまで縮まった。
その下院の議席を失った責任を、マスロンは問うているのだ。
新任の院内総務であるテオドーラ・ビルソンに、その責任の一端は確かにあった。
選挙戦の終盤に、倫理委員会で11名もの告発者を出した。これで都市部の下院選挙区は窮地に陥った。実際、倫理委員会で告発が受理された議員は9名が落選した。……院内総務選で使った〝策〟の影響だ。
だがすべてがテオドーラの責任でもないだろう。
党大会の開催が遅れたのは、スキャンダルで退陣することとなった前任者の遺した混乱を引き受け、その収拾に追われたからだ。その点については彼女は最善を尽くした。
控えめに言って、彼女が責任のすべてを被らされるのは理不尽といってよい。
兎にも角にも、議会における多数党の座は維持しているのだ。
言葉を選ぼうと慎重な面差しとなったクリスから、テオドーラは目を逸らさないでいる。
「マスロンを動かしているのは誰?」
「フハルデン議員でしょう」
その名を引き出して、テオドーラは忌々し気に息を吐いた。
「あなたの後始末が不十分だから、こんなケチをつけられるの」
噛んで含めるように言われた。
クリスとしては、黙って頷くしかない。
「フハルデンは〝政権の側〟とも繋がりがある。司法長官は彼の〝友人〟よ。放っておくとまずい」
クリスの目を睨めるように見上げるテオドーラの目には剣呑な光がある。
「もし、フハルデンが〝そういうこと〟を考えたら、私たちは終わり」
保守党内部での告発合戦。少数党の政府を巻き込んでの泥仕合…――。そんな不毛な争いが現実味を帯びつつある。
だが、そのきっかけを作ったのはテオドーラで、そうすることを進言したのは他ならぬクリスだった。
こうなることはわかっていた。
こちらが爪を見せた以上、あちらも牙を剥くのは当然だ。
……ならば勝たなければならない。生き残るために。
ホテルの上級スタッフが呼びに来るのを見て、テオドーラはカフェチェアの上で組んだ脚を下した。
そろそろ2階に上がる頃合いだった。
クラブラウンジでは『ファーザーランド』――アイブリーの政界と財界の重鎮、そしてお抱えのロビイストらのグループ――の朝食会の準備が整ったらしい。
秘密結社めいた彼らとの関係は、今後の野望の成就に必要不可欠なものだ。
テオドーラは立ち上がると、ホテルスタッフに片手を上げて応え、それからクリスの耳元に問いかけた。
「クリス。……私と一緒に〝代表府の白い官邸〟に行くのでしょ?」
それは問いかけの形の確認だ。
「――こんなところで足止めを喰らってどうするの」
一拍を置いて、クリスは応えた。
「……ご心配なく。打開してみせます」
テオドーラは満足げに微笑み、肯いた。
「ええ。そうでしょうとも」
テオドーラはクラブラウンジのある2階へと昇る大階段へ視線をやった。
そこ――『ファーザーランド』のメンバーの集い――は、彼女の〝戦場〟だ。
クリスは一歩下がって一礼し、テオドーラが大階段へと歩を進めのを見送った。
女主人が階段を上り終えラウンジの扉に姿を消すのを待って、ジャケットの内ポケットから携帯を取り出し〝とある〟番号を押す。
「俺だ。資料を流せ」
繋がるや短くそう伝え、通話を切った。
◆ ◇ ◆
リーチャことアリーシア・カーサスは、あまり着こなしているとは言い難いネイビーブルーのジャケットの裾を直すと、大きく深呼吸をしてからドアの開いたままの〈ビルソン下院議員事務所〉へと足を踏み入れた。
年明け1月3日の正午から始まる次期議会を前に、下院多数党院内総務の事務所は、いまからもう〝てんてこ舞い〟というところだった。
フロアのあちこちにホワイトボードが引っ張り出され、数名ずつスタッフが輪を作り、それぞれの所掌の事柄を論じている。電話機もリンリンとあちこちで鳴っていた。
リーチャは不覚にも気圧されて、その場に立ちすくむことになった。
「失礼――」
背後から、魅惑的なハイ・バリトンに耳打ちされた。
それで、ひゃっ! と瞬間的に脇に飛び退くと、細身ながら長身の男が、彼女の横を、器用にステップを踏むようにして抜けていった。
「あ……いえ」
リーチャは曖昧に応じ、彼の背中を目で追いながら入り口から退いた。
視線の先で、彼は、事務所のスタッフの1人からメモを受け取り、素早く確認すると頷いてスタッフを仕事に戻させて、受け取ったメモをホワイトボードに磁石で留める。
その一連の所作が、なんとなくかっこいいな、と見惚れてしまった。
そんなリーチャに振り向いた黒い巻き毛の下の端整な顔には、愛嬌のある笑みが浮いていた。
「それでご用件は?」
リーチャは我に返った。
「ああ! 面接に伺ったカーサス、アリーシア・カーサスです」
◆ ◇ ◆
リーチャは通された会議室の開け放たれた扉の向こう側で、先の長身の男が採用の担当者らしい中年の女性と話し込んでいるのを、目立たぬように観察していた。男がこちらを指さして中年女ともどもこちらを向いたので、慌てて目線を伏せる。ローテーブルの上には、彼女の応募書類がそのまま広げられていた。
それからいくらもしないうちに彼――ショーン・スケールと自己紹介された…――は戻ってきた。
ショーン・スケールは、少し前に自分でテーブルの上に放った応募書類を再び手に取った。
「待たせて申し訳ない…――クェンティン・バージェスの紹介だって?」
「はい」
「26歳? ずいぶん〝遠回り〟したね」
「ロースクールに――…」
「それは書いてある。……確かにMBAって顔つきじゃない」
言われて、リーチャはどう応じてよいのか思いあぐねて、結局、曖昧に笑って返した。
「……ここ向きでもない感じだ」
ショーンはにっこりと、そう応じた。
この時点でリーチャは、どうやらこの面接は失敗しそうだと悟った。……でも何で? 〝顔つきの話〟しかしてなくて、まだ何のアピールもさせてもらってない。おかしなことを言ってもいないと思うんだけど。
そう……。どうせ失敗なら…――
「あ、あの……」
リーチャは思い切って、この男の言の意を質すことにした。
「わたしは面接にきて、あなたの評価を受ける立場ですが、能力に関係のないことでそういう言われ方をされるのは心外です。顔のことを本人の目の前で、そんな明け透けな物言い…――失礼じゃないですか」
そう言われて、ショーンは初めて頷いた。
「失礼? ……僕としては、むしろ誠意をもって言ったんだけれどね」
「はい?」
「あくまで第一印象だけど、僕には、君はこの仕事に向いているようには思えなかったんだよ」
リーチャは面接官の方を黙って見やった。
「OK。ちゃんと説明しよう」
こちらを見る見習い志望の〝女の子〟に、ショーンは言葉を続ける。
「君の顔がおとなしいのが気になった。そう、顔の造形が幼いし、おとなしげでやさしげだ。おとなしいのはここじゃ舐められる――」
〝女の子〟は首を傾げ、同時に口の端を持ち上げて見せた。
それでショーンは、これは第一印象とは違うな、と思い始めた。
「それに、君はすぐに感情が表に出るようだ。それも減点」
〝女の子〟の眉根が寄ってくる。ショーンは内心の動揺を押し隠して続けた。
「そもそもの大前提なんだけど、僕がバージェス教授に頼んだのは〝僕のアシスタント〟なんだよ。〝この世界での経験が豊富な〟人材……駆け引きのできる、できれば〝強面〟のね。……ロースクールを出たての新人じゃない」
言い訳がましく聞こえないよう努めたが、果たして、効果はあったろうか……。
アリーシア・カーサスが口を開いた。
「おっしゃることはわかりました。でも、反論させてください」
〝どうぞ〟とジェスチャーを返したショーンを、彼女はまっすぐに見返して言う。
「おとなしい顔つきは生まれつきで変えようがないです。でもその〝使い方〟は学んできました。経験上、見た目で相手を舐めるような相手は、舐めさせておけばいいんです。そういう人間は、絶対に足元をすくわれますから。そしてわたしは、おとなしくない」
これにはショーンも言葉がなかった。
リーチャも口を噤むと室内は無言となった。
しばらくして、ようやくショーンが口を開いた。
「これは一本取られたかな? でも、感情がダダ洩れなのが減点だ」
「…………」 リーチャは目線を外すとため息を吐き、ぎこちなく頷いた。「確かに……」
それから肩をすくめて、活力の失われた表情になってショーンに訊いた。
「終わりですか?」
「ああ。終わりだ」
言って、ショーンは席を立った。
これで〝失敗〟が確定した。
つらい現実を受け入れ、リーチャも席を立つ。そうしながら思った。
こういう失敗は、他の議員事務所の面接にも影響するのかしら……。
「ありがとう、ございました」
なんとかそう述べて会議室を退室しようとするリーチャは、ショーンの声を聞いた。
「明日からだ。毎朝8時45分までには机についていて」
え? とリーチャが振り返る。ショーンは彼女を向いて頷いた。その表情は少しバツの悪い感じだったかもしれない。
「――経験者が見つかるまでだよ。経験者が見つかって、それまでに仕事を覚えていれば、事務所で然るべきポジションをさがす。……がんばって」
最後の〝がんばって〟は、なんだか取ってつけたような感じだったが、リーチャは構いはしなかった。
「あ、ありがとうございます! がんばります」
自然に言葉が口をついて出てきた。
アリーシア・カーサスは、こうしてショーン・スケールのアシスタントとして〈ビルソン下院議員事務所〉の見習い秘書に採用された。
...こういう政治劇ってどうでしょうか? この続きを読みたいって人いますかね?
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