第30話 霧乃コンプレックス
「巡凪先輩は、2017年の時点で赤ん坊だった?」
霧乃はアイスコーヒーをブラックのまま、ストローで飲んだ。
「はい。なので2025年現在、巡凪さんは8歳です」
「いやそんな……」
わけない、と否定してやりたいが、こんなわかりやすい嘘をつく必要があるのだろうか。
からかっているだけの気もするけど。
「前に説明した神の娘の能力について、覚えていますか?」
「奪って与える、とか」
「はい。巡凪さんは物心がつくまえに、無意識に力を発動して周囲の研究者たちから知性と肉体年齢を奪って、自分に分け与えました。子供は憧れて願うものじゃないですか、大人になりたいって」
「年齢を奪う?」
「研究者たちは少し若返り、少し知性が衰えました。代わりに巡凪さんは同世代の子より少し老けて、少し頭が良くなりました」
霧乃はストローをつまむと、コーヒーの底で堆積している氷をかきまわした。
カラカラと音が鳴り、霧乃はそのままストローと氷で遊びはじめた。
「まぁ、いつ、どういった経緯で、そのあとどうなったかなんてことは、一般人である末永さんには関係のないことです。肝心なのは、巡凪さんの子供っぽい性格は、ぽいではなく事実子供だからだと言うことです」
「知性が上がったんじゃないのかよ」
「精神年齢が上がったわけじゃありません。つまりは、そこそこ賢い8歳なんですよ」
説得力はある。
なんせ先輩の言動や性格は、まさしく小学生のようだから。
霧乃が小悪魔な目付きで僕を見つめている。
まるでこちらの反応を楽しんでいるような。
「なんだよ」
「いえ、別に。末永さんは今、なにを考えているのかなーっと」
「……本当なんでしょ?」
「えぇ、誓います」
だとしたら、どうする。
どうするとは? どうしようもないだろう。
8歳を相手にするような態度を取れるほど、僕は器用じゃない。老若男女問わず僕は基本的にこんな感じでしか接することができないのだ。
「一応は、信じる。でも僕は頭の回転が鈍いから、今後のことなんか何にも決められないよ」
一旦巡凪先輩の精神年齢の件から離れよう。
結局のところ、僕がそれを知ったところで、先輩への対応を変えるわけではないのだから。
気になるのは、なぜ霧乃はこのタイミングで話したのか。
先輩が8歳だと知った僕に何を期待しているのか。
あぁ、なんとなくわかったよ。
霧乃のやつは勘づいているんだ。
僕が先輩を異性として少し、ほんのちょっぴり、蟻んこほど小さいくらいに意識していることを。
実は8歳だった先輩に対し、僕が抱える感情がどうなるのか、観察しているんだ。
つくづく、性格の悪いやつ。
「とはいえ、巡凪さんの肉体年齢は17歳そのものですし、子供も産めます。気にしなくてもいいんじゃないでしょうか」
なら話すなよ、はじめから。
そもそも僕は先輩と結婚して子供を作りたいなんて微塵も考えちゃいないんだ。
僕みたいな社会性ゼロに子育てなんてできないしね。
「ふふふ」
「あのさ、情報共有してくれるのはありがたいけど、あんまり僕を茶化さないでくれ。もしお前に好きな人ができたとき、後悔することになるぞ。僕は根に持つタイプだからな」
「おやおや、それは恐ろしい。でも、わたしは恋などしませんよ。なんせ、すべての人間を平等に嫌ってますから」
途端、僕らのテーブルの横を、家族連れの客が横切った。
無意識的に視線を向ける。
「あっ」
見覚えのある高身長の中年男性。
メガネの奥の瞳は暗く、ほっそりとしてやつれた雰囲気の男。
「こ、こんにちわ」
反射的に挨拶をしてしまう。
僕の高校は挨拶に厳しいから。
そう、この人は……。
「確か、2組の」
「あ、はい。奇遇ですね、赤城先生」
英語の赤城先生だ。
後ろにはたぶん奥さんと……小学生ほどの息子さんか。
まさかプライベートで遭遇するとは。
ていうか、僕のこと認識してくれていたんだ。
うわ、地味に嬉しい。クラスメートからも忘れられているから。
英語、もっと頑張ろう。
赤城先生が霧乃を一瞥する。
霧乃も驚いたように、目を見開いていた。
「き、休暇ですか。先生」
「あぁ。……あの娘と映画を見に行くのではなかったかな?」
「予定が変更になりまして」
「そうか」
赤城先生が去っていく。
遠く離れた席に座る。
それを見送る霧乃の瞳は、失望と怒りを孕んでいるような気がした。
「なんで先生がお前の予定を知ってんだ?」
「SOBAのメンバーですからね」
「そうなの!?」
いかん、つい大声を出してしまった。
「わたしから聞いたってことは、ナイショですよ? 前にも説明した通り、あの学校にはいろいろ『いる』のです」
「じゃあ、先生も超能力者?」
「いいえ、彼は技術部です。隊員が使用する結界の装置を発明した人ですよ」
そんな人が一人の教師として学校に潜入しているのか。
巡凪先輩の監視なのか? それとも、単なる表の顔?
奥さんや息子さんも関係者なのだろうか。
その息子さんの声がした。
ハンバーグがすでに品切れで、文句を垂れているようだ。
先生や奥さんが叱る。
霧乃が舌打ちをした。
「耳障りですね」
「まぁ子供だし、大目に見てやりなよ」
「実に不愉快です。末永さん、帰りましょう」
「別にいいけどさ、子供の声が大きいくらいでそんなに怒らなくてもいいだろ」
「そんなことはどうでもいいんですよ。わたしが不愉快に感じるのはその存在そのもの。息子も、奥さんも。……わたしが立てない地位に、あいつらがいる」
「どういうこと?」
霧乃がアイスコーヒーを飲み干した。
そして、怒りを隠すような笑顔で、
「わたしを製造したのも赤城先生なんですよ。でも彼は、わたしから父や男として見られることを極端に気味悪がっている」
先生のとの関係を暴露した。
赤城先生が、霧乃を作った?
それに、男としてって……。
「ふふ、うふふ。あー、せっかく末永さんをからかってストレス解消していたのに、またイライラしてきちゃいました。本当に、どうしてみんな死んでくれないんでしょうかね」
「…………」
「帰りましょう末永さん。あなたといると、つい余計なことまで話してしまう」
「霧乃……」
「余計な気遣いなんてしないでくださいよ。そういうのが一番……イライラするんです」




