第27話 霧乃と別れてから……。
帰宅して早々、妹のサアヤが自室からひょっこり顔を出した。
なにやら僕をじーっと見つめている。しかも不機嫌そうに。
なんだよ、こちとら青春真っ盛りの高校生なんだよ。帰りが遅くなることだってあるだろうに。
ちなみに僕の青春における青っていうのは澄み渡った空ではなく、汚いポリバケツみたいな青である。
春は散った桜が土で汚れる頃の春ね。
「あにちゃん、女の匂いする」
「僕だって常に男ばかりに囲まれているわけじゃないんだよ」
「あにちゃん」
「なんだよ」
「あたし、覚悟できてる。この前あにちゃんが抱きしめてくれた日から、あたしは本当にあにちゃん専用サキュバスとして生きると決めた。あたし、大人になる。いひひ」
「大人になる覚悟ができているならまず家を出て登校しろ」
「あたしはゆたぼんの意思を継ぐ者」
「そのゆたぼんだって最近じゃ学校に行くことを推奨しているんだよ」
「いひひ……。あにちゃんはあたしで女を知るんだ」
女……。
霧乃の胸を揉んだことを思いだす。
人生初の、女性の胸。
今でも手に残っている、服越しの下着の感触。胸の柔らかさ。
「あにちゃん?」
「え? あ、いや、なんでもない。なんだっけ? お前を蟹工船に乗せるって話だったっけ?」
「あたしが釣るのはあにちゃんの……ハート♡♡」
「頼むからいい加減僕以外の男に発情してくれ」
「いひひ。あにちゃんが構ってくれるたびに、あたしはあにちゃんにとって都合の良いサキュバスなんだと思い知らされる」
ならもう無視します。
ていうか定期的にお前にパシられている僕の方がサアヤに都合の良い男じゃないかよ。
サアヤを部屋に戻し、冷蔵庫に入っていた野菜炒めをチンして、温め直した味噌汁&白米と一緒に食す。
それからシャワーを浴びて部屋でゆっくりするころには……すでに日付が変わっていた。
ん、先輩からメッセージが届いている。
普段SMSは通知を切っているから気づかなかった。
【アヤメくんへ。まさか隊長が地底人のスパイだったなんて驚きだったわ。さすがの私も死を覚悟したけれど、やはりこのクイーン・オブ・アイスマン。自慢の氷属性サイコキネシスで地底人を一刀両断。隊長を逃したのは残念だけど、無事に富士山噴火作戦は阻止できたわ。帰りに山梨でほうとうを食べたわ。部隊のみんなで食べたけど、合計金額は8950円。なんとSOBA本拠地最終ゲートの暗証番号と同じだったのよ。凄くないかしら?】
いやこれ絶対外部に漏らしちゃいけない情報だろ。
ていうか4桁なのかよ。スマホの暗証番号じゃねぇんだぞ。
だいたいさも当たり前のように隊長やら地底人やら富士山噴火作戦やら説明もなしに書かないでほしい。
地底人なんていたのかよ。僕の住んでいるマンションの地下にもいるのか気になっちゃうだろ。
【そんなわけで今度の土曜日、お休みをもらったの。デートの練習をしましょう!!
あくまで練習ね!! でも山梨へ行くバスで酔っちゃったから、乗り物はしばらく遠慮したいわ。近場にデートスポットとかあるかしら?】
そういえば今日、学校に先輩いたよな。
いつ山梨行って地底人と戦ったんだ? 放課後?
送信日時は今日の21時だけど。
どうでもいいか。
「デートねぇ」
先輩には悪いけど、今月お金ないんだよね。
新作ゲームを二本も買ってしまったから。
なので金のかからない、子どものお遊びみたいなデートしかできないよ。
ははっ、大人っぽいデートがどんなものかも知らなかったわ。
ははは……。
気晴らしにSNSを開く。
ほーん、大谷翔平はまた野球界に激震を走らせてるのか。
「大谷翔平か……」
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数日後、本来はダラダラゲームをする予定だった土曜日。
僕は近所の土手で先輩を待っていた。現地集合である。
ほどなくして巡凪先輩がやってきたのだが、
「ふふふ、わたしも来ちゃいました。末永さん」
「霧乃……」
何故か霧乃もセットだった。
なんでいるんだ? 先輩はとくに不満げな表情をしていないようだし、無理に参加したわけではない?
「アヤメくんおはよう!! 指示通り動きやすい服で来たわよ!!」
ピンクのシャツにジーパン。
真っ白なスニーカー。こういうラフな格好だと余計目立つ。
先輩の大人っぽいスタイルが。出るとこ出ている、刺激の強い肉体が。
「おはようございます。えっと、なんで霧乃まで?」
「霧乃ちゃんは、アドバイザーよ!!」
「はい? アドバイザーは僕では?」
「そ、そうなんだけど、アドバイザーのアドバイザーというか……」
先輩が照れながらもじもじしている。
意味がわからない。恋愛のセカンドオピニオンか?
そりゃあ僕は実戦経験ゼロの口だけ番長だけど、ならば僕なんか切り捨てて霧乃にぜんぶ相談すればいいじゃないか。
とか思っていると、霧乃が小声で話しかけてきた。
「わたしは巡凪さんを監視する立場でもあるので、適当な理由をつけてついてきちゃいました」
「適当な理由って?」
「女性視点の恋愛アドバイザーです。今回の演習デートを、第三者の立場で批評する。ということにしてあります」
「あっそう」
ちなみに霧乃は動きにくそうな白いスカートに、ヒール。
先輩が身を乗り出す勢いで訪ねてきた。
「それでアヤメくん、土手で何をするの? バーベキュー?」
「いいえ。もし先輩が、元気な男の子を産んだときにも役立つかもしれません」
「うん?」
大きめのリュックを地面に起き、開ける。
そこに入っているブツを取り出す。
さっきホームセンターで買ってきた、安めのグローブだ。
「キャッチボールをしましょう」
「キャッチボール?」
「金がない、走るのはやだ、でも適度な運動になるし、喋りながらできる。以上の点で、キャッチボールは案外デートとしてアリなのです」
「へー」
と、ネットに書いてあった。
たがそんなものは建前。
実はこのキャッチボールには裏がある。
僕はこのキャッチボール中、ほとんど喋らないつもりでいる。
野球部でもない限り、無言のキャッチボールほど退屈なものはない。
あえてうんざりするようなデートをすることで、反面教師的に巡凪先輩に教え込むのだ。
どういう男性が理想的なのか。
というのも裏の建前。
本当のことを暴露すると他にデート内容を思いつかなった。
「どうですか、先輩」
先輩のことだ、『くっくっく、このクイーン・オブ・アイスマンの氷の投球を見せてやるわ』とか言い出すだろうね。
賭けていいよ。五臓六腑を賭けていいよ。
「……」
「先輩?」
「くふふ、アヤメくん、覚えててくれたのね」
「へ?」
「まずはアヤメくんとふたりで運動がしたいって言ったこと」
あぁ〜、言っていたような。
「アヤメくんを見つめながら運動できるなんて、楽しみ!!」
「そう……ですか」
五臓六腑、持ってかれるな。
先輩がワクワクしながらグローブをはめた。
霧乃のやつもニヤニヤしている。
失敗したかもしれない。
先輩の言う通りだ。キャッチボールは常に相手と向かいあうもの。
耐えきれないかもしれない。




