第25話 ピユシラは群馬の水道水が嫌い
女子を後ろに乗せて自転車を漕ぐなど、人生ではじめてだ。
肩を掴まれたのも、当然はじめて。
どうせなら後ろから抱きしめてくれてもよかった気もするけれど、さすがにそこまで馴れ馴れしく触ってこないし、触られたくもない。
うん、絶妙に矛盾しているな。
訂正する、抱きしめてくれてもよかった気はしない。
「ピユシラ、落っこちないようにしっかり掴まっててね」
「ん」
軽い段差によって自転車が揺れた。
一瞬、背中に柔らかいものが当たった気がした。
たぶん……胸。
ピユシラは小さい割には意外と、ある。
いや、違う!! たぶん違う!!
きっと空からビーズクッションが落ちてきたんだろう!!
せっかくできた初めての友達に邪な感情を抱くな、僕!!
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ピユシラの家は雑草生い茂る中にポツンと建てられた、ボロいアパートであった。
大地震が発生したら間違いなく倒壊するであろうし、なんだったらすでに外壁には亀裂が走っている。
つーか傾いてね?
「ここに一人で?」
コクリと頷く。
おいおい、オートロックはないにしても、せめて監視カメラがあるようなマンションに住んでいてほしかったな。
僕だったら妹のサアヤをこんなところには住まわせない。
ちなみに僕はシスコンではない。
「助かった、スエナガ」
「あ、うん」
「お茶を出す」
いいよそんなの。とカッコつけたいけど、正直喉が乾いているので助かる。
サビだらけの階段を上り、2階へ。
端っこにある扉を開けて、中に入る。
地味に人生初の女子の部屋だ。
ピユシラはただの友だちで異性として意識しているわけではないが、緊張してきた。
電気がつけられる。
「わーお」
一言で表すと、勉強熱心な家庭に生まれた小学生男子の部屋、だろうか。
本棚に収まりきっていない小難しそうな小説や図鑑。
壁には世界地図、日本地図、周期表、アルファベット表、それに世界遺産の写真付きカレンダーが飾られている。
家具はベッドに丸机に……おぉ、テレビと以外にもBlu-rayレコーダー。
あと地球儀。これでドラえもんの学習マンガがあれば完璧だったな。
「いろいろあるんだね」
「勉強、しないとだから。この世界のこと」
そうだ、異世界から来ているんだった。
「そうか、勉強にも金が掛かるし一人暮らしだし、そりゃたくさんバイトしたいよな」
ピユシラはキッチンに向かうと、小型の冷蔵庫から茶色い液体の入ったピッチャーを取り出した。
水出しの麦茶だろう。
助かる。麦茶助かる。
「水道水、便利。でも、飲めたものじゃない。金がもったいないけど、味を足したい」
「なんとなくだけど、ピユシラの故郷って自然豊かなイメージ」
「文明レベルは、この世界より劣っている」
勝手なイメージだが、ネット小説のヨーロッパ風な世界を想像してしまう。
コップに注がれた麦茶を、僕は一気に飲み干した。
くぅ〜!! 麦が喉に染み渡る!!
「ならビックリしたでしょ、この世界に来て」
「アタシの理解を超えて、今でもめまいがする」
「群馬の桐生市でビックリしているようなら、都心部なんて歩いたら腰を抜かすね」
普通にピユシラを異世界人として見ているな、僕。
自分の発言に驚かされるよ。
しかしてピユシラは無益な嘘はつかないし、僕だってもうファンタジーは存在するのだと信じることにしたのだ。
というか、信じるしかない。
ファンタジーに殺されかけたし。
「あっ、そうだ。アレを渡そうと思ってたんだ。ちょうどいいや」
「?」
バッグからポーチを取り出して、さらにそこから古いスマートフォンを抜き取った。
SIMフリーの中古スマホだ。
「店長から聞いたよ。履歴書に書いた電話番号にかけても出ないって。そもそも持ってないんでしょ、電話」
「…………あるにはあった。なぜか使えなくなった」
「そこんとこの真相や経緯は聞かないでおくよ。とにかく、連絡手段は必要でしょ? これ、あげる」
「…………」
ピユシラの丸い瞳が、じーっとスマホを見つめる。
「使い方、わかる?」
首を横にフラれた。
「教えるよ。とりあえずラインだけでも覚えて」
あらかじめインストールしてあるラインアプリを起動して、説明する。
友だち登録されているのは僕だけだし、電話帳も僕とバイト先の番号しか登録されていない。
そういえば、巡凪先輩にも教えていないな、僕のライン。
電話番号は交換しているけど。
「てなわけ。わかった?」
「うん」
試しにピユシラがメッセージを入力する。
たどたどしい手つきで、僕に文字情報を伝える。
【ハマチ】
異世界人からのファーストメッセージがこれだよ。
寿司が食べたいのだろうか。
言うてピユシラとて日本の外で生まれ育った外国人。寿司イズワンダホー的なリアクションをしたのだろうか。
【ハマチ、How much?】
「にひひ」
「嘘だろピユシラ。まさかのダジャレキャラだったのかお前!!」
「近しいイントネーションを用いて文を作るのは、勉強になる」
「少しくらいは勉強への意欲を抑えてくれ」
なんだったら僕にくれ。
「これ便利」
「でしょ? 気軽に送ってくれ」
「うん。……ありがとう、スエナガ」
「だから、感謝するな。僕は感謝されるのが嫌いだ」
「スエナガは、アタシに優しい」
「気のせいだよ」
雰囲気が妹に似ているせいか、どうも構ってしまう。
さて、そろそろ帰りたいけど、一応ダメ押しに尋ねてみよう。
「それで、その怪我はどうしたの?」
「……」
答えないか。
「追手と、揉めた」
「追手?」
「アタシは、罪人だから」
異世界から逃げてきた。
と、こいつは僕に説明してくれた。
いったい何をしたのかまでは、教えてくれなかった。
追手とは、同じ故郷の警察のようなものなのか。
「ピユシラが自己中心的な理由で犯罪を犯すとは思えない。止むに止まれぬ理由があるんでしょ?」
「ない。自己中心的な動機」
「何を……」
数秒したのち、ピユシラは口を開いた。
「この世界の時間で2年前、アタシには好きな人がいた」
「う、うん」
「……なんでもない。もう寝たい」
帰ってくれ、と含まれたセリフを受けて、僕は潔くピユシラの家を後にした。
2年前に、ピユシラは悪いことをした。
そしてこの世界に逃げてきた。
つまり2年でこの世界の言葉や文化を学び、日常生活に溶け込めるレベルになったわけ?
相当努力したのだろう。
それにしても。
「好きな人とかいたのか」
地味にショック。
そりゃあピユシラだって恋愛くらいはするだろう。
謎の疎外感。ピユシラに比べて、僕は恋愛の『れ』の字もない枯れた人生を送ってるよ。
「……」
一瞬、巡凪先輩の顔が脳裏を過ったが、無視することにする。
「その好きな人となんかあったんだろうな」
自転車に乗り込み、ペダルを踏んだところで、
「末永さん」
背後から声をかけられた。
長い灰色の髪、薄い体。
暗闇の中でも目立つ、整った顔立ち。
「霧乃」
「こんばんわ。少し話しませんか?」
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※あとがき
霧乃ちゃんは今後ともずっと霧乃ちゃんの予定です。
霧素という名前は、たぶんもう使われることはないでしょう。
霧乃が末永くんを嫌いにならない限り。