第17話 なりたくない
家に帰り、リビングのソファに身を委ねる。
いい加減、本当に頭がどうにかなってしまいそうだ。
湯白は、マジで大丈夫なのか。
霧素はよくわからんけど、うまいことやっているのか。
くそ、せめてユーイチロウにパンチの一つでもお見舞いしてやりたかった。
たぶん僕の腕の方が衝撃で折れるだろうけどよ。
先輩は何をしているのだろう。
巡凪先輩はーー。
「あにちゃん」
サアヤが話しかけてきた。
「顔色、悪いよ」
「なぁ、サアヤは普通の人間だよな?」
「……」
「普通ではないけど、人間だよな?」
「ううん。あにちゃん専用サキュバス」
「ふーん、あっそ、おもしろいね、おやすみ」
「いひひ、実はあにちゃんが寝ているときこっそり……」
「家庭内暴力じゃん」
はぁ、シャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。
僕みたいなのが考えたってしょうがないんだ。
湯白は無事。なら、もういい。
宿題は……いいや、朝のHR前にやれば。
誰とも話さないし、やる時間ならたくさんある。
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寒い。
眠っていたのに、寒くて意識が冴えてきた。
掛け布団は?
「あーーっ!!」
うるさいな、誰の声だよ。
サアヤか。珍しく大声だしやがって。
「アヤメくん!!」
僕をそんなふうに呼ぶのは……。
ハッと瞼を開ける。
上半身を起こす。
「会いたかったわアヤメくん!!」
誰かに抱きつかれた。
違う、正体ならわかってる。
「先輩」
「また夢で会えたわね」
周囲を見渡す。
あの日のショッピングモール。
また夜のモール。
夢じゃない。
霧素の話が本当なら、僕と先輩はワープしてきたんだ。
それぞれの部屋から、先輩の力で。
土曜の夜のように。
「ちょ、しょせん偽物の彼氏なんですから、抱きしめるのはどうかと思います」
「はっ!! それもそうね」
ササッと僕から離れると、先輩はにっこり笑った。
はじめてだった、家族以外に抱きしめられるの。
寝ぼけているからギリ耐えきれたが、意識バッチリだったら血が沸騰して水蒸気爆発を起こしていたかもしれない。
「聞いてよアヤメくん!! 今日健康診断受けさせられたのよ。私、もしかして病気の疑いがあるのかしら」
「それは精神的な……知能的な……」
「でも代わりに、くっくっく、見て!!」
左手首のブレスレットを見せつけてきた。
どことなく、前より太い?
「新調してもらったのよ。なんだかわかる? これ」
「さぁ?」
「私の氷属性サイコキネシスの威力を上げる脳波増強装置なのよ!!」
「あ、ふーん」
霧素曰く、神の娘としての力を抑える装置らしいけど。
またモールで会えてしまっている以上、どうやらソレはポンコツらしい。
「相変わらずアヤメくんはクールね。夢のなかでも。くふふ、私ってば、アヤメくんの夢を見るのが得意なのね」
「ぶっちゃけちょっと眠いんですよ」
「そうなの? 眠たげなアヤメくん、疲れた子犬みたいでかわゆいわね!!」
犬はどちらかといえばあんただろう。
あと可愛いはやめてほしい。僕だってカッコいいに憧れる年頃なのだ。
「くふふ」
先輩の独特な笑い声。
あれ、なんだこれ。
頬がピクピクする、っていうか、笑みが溢れそうになっている。
嬉しいのか? 先輩に会えて。
また先輩と喋ることができて。
なんで僕は、元気そうな先輩を見てホッとしているんだ。
「私、怖かったのよアヤメくん。もし悪い病気で、余命1週間ですなんて言われたらどうしようって」
「さすがに死ぬには若すぎますからね。30でぽっくり逝くのが理想ですよね」
「えぇ!? 私は120歳まで生きたいわ」
「そんなに長生きしてどうするんですか」
「そんなに長生きしても人生は足りないわ。まだまだ、知らないことばかりだもの」
「このネット社会で?」
「私は経験がしたいのよ、アヤメくん」
元気で陽気な人らしい考え方だ。
インドアの僕からしたら、ネットで調べてはい終わりで充分さ。
疲れたくないし、失敗もしたくない。
先輩が僕の隣に座った。
肩と肩が触れ合う。
近いんだよパーソナルスペースが。
学園ラブコメのヒロインかよ。
「私ね、中学まではずっと組織の寮で過ごしていたの。組織のカリキュラムやトレーニングやら健康診断をこなす毎日。外に出るのは、任務のときくらい」
きっと大切にされてきたのだろう。
神の娘だから。
「でもユーイチロウや霧素ちゃんと出会って、もっともっと同じ世代の人と交流したいってお願いしたら、高校からは通わせてもらえることになったのよ」
「どうでした?」
「世界が広がった瞬間だったわ。最初の一年はビビっちゃって、ロクに遊べなかったけどね。みんな知らない話題や知らない音楽の話をしたりでついていけなかったし、賢いお買い物の仕方も学ばなくちゃいけなかったわ。とくにバスがね、毎回後ろから乗るんだっけ? 前からだっけ? って悩んじゃう」
「それはわかります。僕もパニックになりますから」
「なるわよね!!」
さしずめ、箱入り娘のお姫様。
きっと退屈ながらも何不自由ない生活を送っていたのだろう。
しかし霧素という影武者が現れたおかげで、組織としても少しくらい自由にさせてみようと、一般人らしい生活をはじめさせたのかもしれない。
「だから今年からが本番。私、もっともっと知りたいわ。とくに人間関係。複雑よね。気を使うって大変」
「そうですか? 気を使う相手もいないのでわかりません」
「くふふ。あとね……恋」
ほんのり、小っ恥ずかしそうに先輩が告げた。
「恋愛を知ってみたいの。だからユーイチロウのこと、気になるのよね」
「え、それって……」
前後関係が逆じゃないのか?
てっきり、ユーイチロウに対する恋心が芽生えてから、恋愛に興味を持ち始めたのかと。
「今年はたくさん経験したいわ。もちろん、SOBAのBクラス超能力として、この世界を守りながらね」
「まずはユーイチロウと恋人にならないとですね」
「うーん」
なんで悩むんだ。
「それよりアヤメくん、次のダブルデートはどこに行く? またモールでも楽しいでしょうけど」
「と言われましても、僕だって定番のデートコースは知りませんし。だから、もっと恋愛経験のある男子に頼んだ方がいいんじゃないですか?」
「いやよ、アヤメくんがいいわ」
「な、なんでっすか」
「面白いしかわゆいし、私と正反対だから」
なんて、また笑う。
前半二つは否定させていただくが、後半は当たっている。
僕と先輩はまるで正反対だ。
僕は一般人で、妹に比べたら割と雑に育てられてきたし、卑屈で、チビで、冒険とか挑戦とか冷笑しちゃうタイプの根暗。
本当に真逆だ。
霧素や湯白は僕と少し似ているところがあったけど、この人は……。
「あ、かわゆいだけじゃないのよ。アヤメくん、ときどきカッコいいときもあるんだから」
やめてくれ。
期待させないでくれ。
「って、なんか褒めすぎちゃったわね。でもアヤメくんはなんか不思議な感じなの。ユーイチロウとは違う感じ。私……あ、あれ? 違うのよ、変な意味じゃないのよ、あはは。わー、なんだか暑くなってきたわね!!」
どうせ一過性の興味だろ。
僕より面白くてかわゆいやつなんていくらでもいる。
簡単に僕の心をかき乱さないでくれ。
このままだと僕は、先輩に憧れてしまう。
好きになってしまう。
「あー、やっぱりいたよ、巡姉ちゃんに末永」