第15話 霧素の番号
午後もまったく授業に集中できなかった。
今日もバイトがあるが、下手なミスを連発しそうで怖いな。
霧素は先輩に何と話したのだろう。
先輩は、どうなってしまうのだろう。
気になる。会って直接話してみたい。
そうこうしているうちに、放課後。
日直の日誌を先生に届けて、下駄箱へ向かっていると、
「末永さん」
階段の踊り場で、霧素と鉢合わせた。
「霧素……」
「そんなに急いでも、巡凪さんとは帰れませんよ。脳波とか調べておきたいので、お伝えした通り組織の健康診断とブレスレットの検査を受けさせることにしました。……適当な理由をつけてね」
適当な理由。
そんなに本人には内緒にしたいのか。
「ブレスレットって、あの左手につけてる?」
「はい。神の力を抑制するためのもので、神の力を抑えることは不可能でも、能力の発動を巡凪さんの脈拍から察知し電気信号を……って、わかりませんよね」
あぁ、さっぱりわからない。
科学は苦手だ。
「別に先輩を探していたわけじゃない。単にバイトがあるから、急いでいただけだ」
「そうですか。……ピユシラ(湯白)さんとは何を話したんですか?」
なんで知ってんだよ。
「言わない。チクらないって約束したからな」
「真面目ですね。彼女のことは気にしなくていいです。しょせんはハグレ者なので」
「異世界人、だったか。ごめん、これまでいろいろ疑って」
「いえいえ、普通の感性をお持ちなら信じませんから」
「湯白みたいな人、まだ僕の身近にいたりするの?」
「えぇ、この学校にも数名。というか、この街全体に結構な数。すごいですよ、いまこの桐生市とその周辺は。超能力者に魔法使い、幽霊に宇宙人、数種類の異世界の住人に悪魔族、タイムスリッパーから無能力者自警団など、様々な勢力が集まる伏魔殿です」
よりにもよって群馬にな。
退屈だろう山ばっかりで。
せめて千葉だったらディズニーランドや海で遊べただろうに。
ていうか敵のジャンルが多すぎるだろ。後々にガチガチに固めすぎた設定のせいで展開作りに困るタイプのラノベみたいだ。
「みんなで赤城山でも登ろうか」
「うふふ、素敵ですね」
「山が崩れるほどの大戦争とか、起きないのかよ」
「結界があるので表面的な被害は少ないですよ。それに、どの組織も基本的には小競り合いこそすれ、神の娘を奪い合う戦争を熱くしたくはないんです。協定を結んでいる以上、先走って悪目立ちするのは愚策ですから」
「あっそう」
「知性がない敵は、ガンガン攻めてきますけど。……堪え性のない少数戦力とか」
平和が維持されているのなら何でも良いです。
ていうか堪え性がない少数精鋭って、湯白のことを指している?
さっさとあいつの望みを叶えて……やれないのか、霧素は本物の神の娘じゃないから。
「それで、僕はどうなるんだ。組織とやらに連れて行かれるのか? いよいよ記憶を消されるときが来たのか」
「うーん。どうしましょうか。わたしが上に報告すれば、そうなります。でも……惜しいですね、愚痴をはける相手を失うのは。ストレスを溜め込むのはお肌に悪いですし」
「好きにしてくれ。どうせ僕が原因とか抜かすんだろ? 僕が先輩と仲良くしたから、おかしなことになったんだ」
「察しがいいですね」
「お決まりの展開さ」
「迂闊でした。まさかこれほど早く一気に巡凪さんの心を奪ってしまうなんて」
「奪ってない。少しだけ仲良くなっただけだ」
「いいんですか? 巡凪さんのこと、忘れてしまって」
「勘違いしないでくれ。僕はあの人と関わりたくないんだ」
ずいっと、不敵な笑みを浮かべながら距離を縮めてきた。
湯白と反対に、こいつはおしゃべりでよく笑う。
「本当に? 例の夜間デートで、なにも起きなかったんですか?」
「べ、別に」
「忘れちゃうんですよ?」
夜のモールでのこと。
先輩に腕を引かれて、走り回ったこと。
たくさんお話したこと。
名前を褒めてもらったこと。
僕のはじめてがたくさん詰まった夜。
全部忘れる? 構うものか。
覚えていてなんになる。いずれ先輩とユーイチロウが本物のラブラブカップルになったとき、端から眺めながら思い出すしかできないだろ。
「僕みたいな日陰者には重すぎる記憶だよ」
「うふふ、強情ですね。自分を徹底的に卑下するところ、男としては残念ですけど、わたし個人としては好印象です」
「そうかい」
「忘れてしまうのはわたしたちのことだけじゃあありませんよ。もはやピユシラさんのことも含めてです」
それは困る。
あいつは僕のたった一人の友達なんだ。
「組織としては、本物の神の娘である巡凪さんが、力を覚醒させてしまうことは避けたい。自覚もさせたくない。理由はわかりますよね。破壊と創造を司る力を扱うには、巡凪さんはあまりにも未熟すぎる」
なんとなく察せるさ。
あの人の子供っぽいメンタルじゃあ、自分の力のプレッシャーに押しつぶされて暴走するかもしれない。
精神的に病んでしまう恐れがある。
みんなが欲する核爆弾の発射スイッチを、唯一持っている6歳の少年みたいなものだ。
「そしてあの人の力の目覚めに、あなたが絡んでいるのは間違いない。わたしが報告しなくても、いずれ組織は嗅ぎつけて、記憶を消去することでしょう」
「…………」
「ですが、たったひとつだけ回避する方法があります」
「聞いておく」
「わたしの恋人になるんです。巡凪さんとはただの知り合い。本命はわたし。そうなれば巡凪さんのメンタルもしょんぼりして、力の覚醒を阻止できるかもしれません。おそらく神の力は、巡凪さんの興奮度に比例して覚醒しますので」
平然と凄いセリフをはいてきた。
つまり今度は霧素の偽彼氏になって、先輩を悲しませようってわけか?
「冗談だろ?」
「本気です」
「関係を断つだけじゃダメなの? だいたい、先輩が好きなのはユーイチロウだ。僕がお前の恋人になったって、関係ない」
「本当にそう思っているんですか? 昨晩、どうして巡凪さんがユーイチロウさんではなくあなたとデートをしたのか、薄々感づいているんじゃないですか?」
「僕と反省会をしたかっただけだ」
「うふ、うふふ」
変な勘ぐりはやめろ。
僕に期待させるな。
あの人の瞳に写っているのはユーイチロウだけなんだ。
「ならいいじゃないですか、わたしと付き合っても。わたしなら、あなたに合わせた恋人になれますよ?」
「ずいぶん必死だな」
「そっちこそ、巡凪さんからの好感度を下げたくないみたいですね」
「…………」
「…………あー、だる」
霧素は僕の横を通り過ぎると、階段の手すりの部分に座った。
「じゃあ作戦変更。同情で誘っちゃいますね」
柔らかな口調から、低く冷たい声に変わる。
「ぶっちゃけ、半分は巡凪さんへの嫌がらせなんですよ。彼女の代わりに神の娘を名乗り、多くの勢力に狙われながらずーっと組織の任務を忠実にこなしてきたのに、あいつはわたしの気も知らないで、いきなり出てきたポッと出の童貞くんに発情して力の一端を発動しちゃうし」
出た。霧素の裏の顔。
というか、本来の性格。
天使とは程遠い、小悪魔な一面。
「ムカつくなー。ユーイチロウにバレたらどうするんだよ。あー、マジでダルい」
「ユーイチロウは頼れるヒーローだろ。どうにかしてもらったらいい」
「どっちつかずのコウモリ野郎ですよ。ほとんどの陣営と通じている中途半端天パ。自分がすべての中心にいるのが心地良いんでしょうねえ。きーも」
なら、教えられないか。
あいつの口から巡凪先輩の秘密が広まるかもしれない。
「とはいえ、ユーイチロウさんの存在にはかなり助けられています。ユーイチロウという希望があるから、巡凪さんは『願う』のではなく、ユーイチロウに『頼る』ようになったわけですから」
困ったらユーイチロウがなんとかしてくれる。
故に無自覚に力を封印していた?
「先輩への嫌がらせってのは、どういう意味なんだよ」
「いっちょ巡凪さんが気にかけている男を奪ってやろうかって話しなんですよ、末永さん。興奮が起因になるならそれを抑えられるし、巡凪さんへの嫌がらせにもなる。残念ですが、巡凪さんが恋を成就させることは、ありえない」
「お前の苦労を理解してやることはできないが、ハッキリしたな。巡凪先輩が羨ましいんだ、霧素は」
「羨ましい? そんな優しい感情じゃないですよ。妬ましいんです。好き勝手に恋愛やってる巡凪さんとユーイチロウさんが。だから言っているじゃないですか。わたしは、あのふたりが嫌いだって」
家須霧素は言った。
自分はホムンクルスだと。
つまり、科学的に生み出された人工生命体。
冷めたツッコミなどせずに素直に信じてみる。
他人のために生まれて、自由など存在しない人生。
神の娘と自称して、おそらく度々危険な目にも遭ってきたのだろう。
湯白に襲われたみたいにな。
なのに辞めるともいえず、本物の神の娘のメンタルコントロールを強いられる日々。
性格が歪むのも致し方ない。
こいつは、誰からも愛されるオーラを出しているけれど、孤独なんだ。
だから僕みたいなのをぬいぐるみ扱いして、愚痴をこぼす。
心の声を聞いてほしいから。理解してほしいから。
寂しさを紛らわせたいから。
僕が頭のなかで世間への不満をグチグチ呟いているのと、対して変わらないのかもしれない。
「霧素……」
「うふふ、うふふふふ。冗談ですよ。付き合う必要なんてありません。変にショックを与えて、巡凪さんの精神が乱れるのは危険ですし。わたしだって……無駄に今の生活をぶち壊す気はないですから。退屈でも、たまに楽しいですし」
霧素が立ち上がる。
僕に背を向けて、階段を降りていく。
「すみませんね、またストレス発散の相手にしちゃいました。巡凪さんのことはわたしにお任せください。なんとかします」
「……」
「仮にあなたの記憶を消されても、同じクラスメートとして仲良くしてくださいね」
「待って」
「?」
あれ、なんで引き留めたんだ僕は。
無意識だった。ただ、僕からも何か一つ言ってやりたかったのかもしれない。
「僕も、ユーイチロウは嫌いだ。ていうか、大多数の人間が嫌いだ。モテない僻みさ。僕より背が高い男は全員死ねって思っている」
「……」
「正直ちょっぴり、お前の愚痴を聞くと安心する。こんな美少女でも世間にイライラするんだなって、謎の仲間意識を持てるから。だから……まぁその……これからも愚痴をはく相手になってやっても……いいよ」
「うふふ、もしかして、わたしを好きになっちゃいました?」
「そういうのじゃない。これはあの、だから、大変そうなお前への労いというか」
「そうですか。うふふ、さっきの同情作戦、成功かもですね」
「僕は話を聞いてやることしかできないけど、応援してるよ。巡凪先輩のこと、がんばって」
霧素が目を見開く。
一瞬、唇を噛んだような気がした。
「はじめて誰かに応援されました。うふふ、どうもです」
「最後に、質問したい」
「なんですか?」
「家須霧素は、本名なの?」
一泊間をおいて、霧素が答えた。
「わたしの製造番号はRGS430C-15B。家須霧素なんて安直で恥ずかしい呼び名は、コードネームみたいなものです。人間らしい本名なんか、ありませんよ」
なんて、いつものような天使の笑み。
言葉が出なかった。
地雷を踏んだ気がした。
「なら、恥ずかしくないあだ名を考えておく。製造番号でも、神の娘の影武者としての呼び名じゃない、お前が気に入るような名前」
「…………期待しています」
と最後に、霧素が笑った。
嘘のない、本当の笑顔な気がした。