02 / 月明かりは強者を照らす
ライル流の心得に、未知の敵に邂逅したときはまず守りに徹しろというものがある。
できるだけ攻撃を回避して、必要なら剣で受ける。
そうして敵の癖や技を読み取り、有利に戦いを進めていく。
それがライル流必勝の心得『防戦見敵』である。
「あれはヤバそうだな…」
カトラスとオークの距離は、事前に馬車からかなり離れておいたおかげでまだそこそこある。
間近に来るまで秒数にして五秒。オークが駆けだしてから二秒で思考を完了する。
残りの三秒で体勢を整える。
「ふんっ!」
鉄製の黒い無骨な大剣がオークの巨体により振られる。よく片手で操れるなとキルドはカトラスから離れた場所で見ながら驚く。
そしてキルドは自分に出来ることを考える。自分の魔術属性は炎と光。炎魔術は使用すれば森に火がついて火事になってしまう。そうなれば異変に気付いた別の魔族が来てしまうかもしれない。
そのように考えたキルドは、やはり光属性魔術を選択する。
「我らが創造主たる神々へ願わん。灯を示せ『イルミネイト』!」
出現させた光球を放ち、カトラスとオークの間の上空に放つ。
これは十分な光を確保してカトラスを戦いやすくするため。オークもやりやすくなってしまうためそこはアレだが、次の魔術に繋がると考えればまあいいだろう。
「くっ――」
大剣の一撃を右にステップして躱す。
―――大剣の一撃は確かに重いが、その分隙も大きい。俺らの師匠であるクイナ姐さんの教えだ。
避けてしまえば、次の一撃は確実に入る。
一瞬で生成した気力を全身、そして剣身へと流し込む。
膨大な力の奔流を身体で感じるカトラス。後はそれを全力で行使するのみ。
まずはその手を切り落として、武器を奪わせてもらおう。そう考えカトラスは剣を抜いた。
上からの切り下げ、腕を両断する。ライル流――『フォールン』という技である。『ベーシング』が水平方向への攻撃なら、『フォールン』は垂直方向での攻撃。共通点はどちらも単発技であるということ。
気力と、剣の重さを利用した垂直攻撃を放つ。
「――ッ!?剣が…!」
全力で放った剣がオークの左手に受け止められた。
剣を素手で受け止められたのだ…。なら少しはダメージが入っているのではないかとカトラスは考え、オークの手に目をやる。
「!?」
「んん…?まさか人間如きの攻撃で俺様の肌を傷つけられるとぉ?」
「硬すぎだろ…!」
全力の剣が肌に刺さらない。
困惑と驚きがカトラスの心中を支配する。そして、次の来るのは恐怖であった。
今のは全力の剣であった。それで落とせないということは勝算はほとんど無いに等しい。
「チッ…!」
掴まれた剣を無理矢理引きはがして、全速力でオークから距離をとる――
「逃がさん!」
だがオークも逃がさんと追ってくる。
大剣を引きずりながら追っているため、地面に直線が引かれている。
「くっ…、アイツ早すぎだろ――!」
――何なんだアイツ、あんな重い剣を引きずっているのに俺より早いぞ。
カトラスが振り返ってオークの姿を見ると、その距離はさっきより縮まっていた。
「待て!」
――カトラスを追わなければ…!
キルドがオークの後を走る。だがその距離は縮まらない。
魔術師は気術による身体強化が行えないので、気術が使えるカトラスや、種族柄脚力が高いオークには追い付けない。だが、魔術の速度ならオークを越せる。
「光球よ、飛翔せよ――!」
―――ここだ、このタイミングがベスト! 光はオークにのみ辺り、カトラスは背後だから直視しない!
『イルミネイト』で生成した光球が文字通り光の速度で…一瞬でオークの前、カトラスの後ろ。二人の間に移動した。隙を伺い続けていたが故に発動する機会を逃した『フラッシュ』の詠唱を開始する。
「光球よ、今その真なる光をさらけ出せ!」
詠唱は小さく、だが魔術名だけは大きく。カトラスに『フラッシュ』を使うと気付かせ次の行動を早めるため!
「『フラッシュ』ッ!」
光球が破裂し、辺りに太陽より眩い光をまき散らした。
だがその閃光は一瞬である、それを食らえば致命傷、だが防御は容易い。見なければいいだけだ。
「ナイスだキルド――!」
光はカトラスの後ろで爆発した。ターンしてオークの方向へ向き直す。
――潰すのは目だ。そこは生体的に脆いから、剣が通るはずだ。
足に集中させた気力をまずは身体全体に均等に流し、剣にも更に流す。
放つのは『ベーシング』、オークの目を横に切り裂いてやる―――!
オークは空いた片手で目を抑えながうろたえている… ――いける!
「うおぉぉぉ!!」
自身の出せる気力を全て乗せて、最高速で剣を放つ。抑えている手ごと切り裂く!
ヤツの目を潰せれば状況は好転する。動きさえ封じれれば―――
「引っかかったな、バカが!」
瞬間、オークが目を開き剣を受け止めた。
その後オークは作戦が上手くいった者特有の喜びを感じ…
「ククク… その表情見ものだな!」
絶望と驚きの混ざった最悪の表情をしたカトラスを、オークはあざ笑う。
片手で大剣を握り、もう片方で剣を受け止める。
そして、残った足でカトラスを蹴り飛ばした。
「ぐぅ…」
数十メートルは蹴り飛ばされたカトラスの身体にはあちこちから地面に身体を擦ったときの血が流れ、大ダメージを受けている。
蹴り一つでこれだ。他のオークとは、格が違う。剣は通らない、片手で大剣を易々と操る筋力。
「何で、フラッシュが、効いてないんだ…?」
カトラスはボロボロの身体でオークに問いかける。
「そりゃあんな大声でフラッシュ!なんて叫んだら誰でも気付くだろ。バカかお前」
言われてみれば当たり前のことだった。キルドはカトラスの為に叫んだが、それが裏目に出た。
ただそんな事実に見当がつかないくらいギリギリの自分が、まだまだ弱いと認識する。
解放軍に来てから半年、数々の任務をこなして、沢山の魔族を殺して自分は強くなったと錯覚していた。
だが少し強い相手と戦っただけで、これだ。
「…なんでお前は、そんなに強いんだ…?」
「ああ?そりゃあ鍛えたからだ」
鍛錬か…。俺は魔族を、弱い魔族を殺しすぎて強いと錯覚していた。だから、鍛錬にあまり気が乗らなかった。だが、今なら分かる。鍛錬の重要性が。
―――もっと俺が強かったらなぁ…
そんな後悔をよそに、オークはキルドの方を向く。
「今のお前なら簡単に殺せると分った。次は、あそこの五体満足の魔術師を殺すとしよう」
そう言い放ち、オークはキルドの元へ地を蹴った。
――クソ、なんとしないと。
カトラスの戦意は消えなかった。ただ一発の蹴りでボロボロになった体を、無理矢理起こし、キルドの方向へ走り出した。
だが、その速度はとてもオークに追いつける物ではない。
「クソッ… カトラスがやられた!」
キルドの目にはオークが自分の元へ走ってくるのが見えた。
――やるしかない。炎魔術を使用する。森に引火するだろうし、それに気付いた魔族が来るかもしれない…、だがその時はその時だ。背に腹は代えられない…! 今を何とかしないと…!
「我らが創造主たる神々へ願わん、希望たる炎を我らが元に…!」
握りこんだ右手に、熱が伝わる。今にも火が付きそうなほどの熱を。
「『フレイム』!」
魔術名を口にした瞬間、手に炎球が出現した。
腕を振り、炎をオークへ投げつける。
中級炎魔術『フレイム』。魔術の内容は簡単で、ボールサイズの炎の球を出現させる。
それをどうするかは術者次第だ。キルドは投げつけた。
「小賢しい!」
だがそんな足掻きは虚しく、火球は片手で簡単に払われてしまった。
「やっぱだめだよな!」
ヤケクソ気味に逃げ出す。当然、魔術師ごときの脚力では簡単に追いつかれてしまう。
「―――!」
視界の端に、大剣が映り込んだ瞬間攻撃されたと本能で感じとり、回避できた。
これほどクイナさんに多少だが戦闘訓練をしてもらって良かったと思った日はないと、キルドは心の中で自分たちの師に感謝する。
「愚者へ裁くのは炎の罰!『フレイム・ゴーア』!」
連続で同属性の魔術を使用する場合、祈祷句は不要となる。
『フレイム・ゴーア』は『フレイム』と同じ炎属性中級魔術である。『フレイム・ゴーア』は炎の柱を出現させる魔術である。
キルドが地面を指差すと、その場所から炎柱が立った。
「ゴアァッ!」
炎の柱をまともに食らったオークは、服に引火し、その苦しみに悶えた。
――魔術が効いた!
希望を見出したキルドはバックステップで後退し、次の詠唱を紡いだ。
「聖者の意志を此処に!『フレイム・エッジ』!」
炎属性中級魔術『フレイム・エッジ』。炎の刃で敵を切り裂く魔術だ。
その技は敵の胸に浅いが傷をつけ、そこを焼いた。
達成感を噛みしめるキルド。だが、与えたのは浅い傷――
「貴様ァ!」
オークが炎をもろともせず、キルドへ猛進する。
その今まで以上の速度と鬼気に圧されてしまったキルドは… オークの気配に圧され転倒し、尻もちをついてしまった。
―――戦いで隙を見せるのは、死を意味する。
「ヒッ…」
「死ねェ!」
大剣が振られた。キルドには、ソレが自分自身を真っ二つにする情景が浮かんだ。
絶望。圧倒的な絶望がそこにあった。
尻もちをついて動けない… 身体がいうことを聞かない。
「うわぁぁぁぁ!」
キルドにオークの影がかかる。
鋭い剣先が、落ちてくるのが分かる。
「おらぁ――!」
落ちてくる剣にカトラスが割って入った。
全力で走ってきたのだろう、息を切らしている。
だがその防御もかなり無理があるのか、カトラスの剣はかなり押されている。
「だめだ!そんな細い剣じゃ大剣を抑えられない!」
「バカ!さっさと距離をとれ!魔術師はこの距離じゃ役に立たないだろ」
その声にハッとしたキルドは身体が起き、距離をとるために走る。
「ぐおおおぉぉぉぉ!」
カトラスは両手に力を入れ、気力を解放する。
キルドがかなりのダメージを入れたのか、さっきに比べオークの力はかなり落ちていた。
だが、そこにはまだ大きな差があった。
「――全力で、気力を回す!!」
ぶつかった剣身がいっそう鮮やかな青になり、そして…
「こんなところじゃ負けられないんだよ!」
足りない分は気力で補え…!
―――人の力は、大抵の魔族にとって微々たる物だ。
それがクイナ姐さんの言葉で… だが、人には魔術と気術がある。それらは人族の足りない力を補ってくれる。
そう続いた!
「うおらぁ!」
剣の色が、青から赤に変わった。
そして―――大剣を弾いた。
出来た、隙が生まれた!
「今だ!」
大上段からの切り下げ―――ライル流『フォールン』を渾身の威力で放つ。
それはオークの肩を切ったが、致命傷ではない。傷をつけただけだ。
「おらぁ!」
身体に気力を集め、渾身のタックルを決める。
ライル流――『コネクト』。剣技と剣技の合間に、体術を入れ込み敵の隙を作り出す基本技。
その効果は確かにあり、オークは身体を大きく揺らした。
「ここだ――!」
決めるしかない!最高の技を叩きこむ!
まず右上から左下に薙ぎ、ついで左上から右下に切る。その剣の軌跡はクロスを描くことから名付けられた名はライル流『ツインクロス』――二連撃技だ。
攻撃は確かに当たった。オークの肌には確かなクロス痕が刻まれていた。
「これで――、決める!」
最後の一撃。クロスの中心点に向って剣を刺す。
ライル流『ストライク』、単発の刺突技であり、『ツインクロス』と『ストライク』を連続で放つことにより、ライル流三連撃『トリニティ』が完成する――
「ハァ…ハァ…」
剣を突き刺したまま、オークは動かない。
倒れていたランタンは、戦闘のいつの間にかに割れて光が失われている。
剣は気力が尽きて光が失われていた。
驚くほど静かな夜中。虫の音さえ聞こえていた。
場を照らすのは星々と月の明かりのみ。
「やるな、人間…」
オークの口から賞賛の言葉が紡がれる。
その言葉にさっきまでの覇気はなく、力が無かった。
カトラスの剣を持つ力はもうほとんど無い。勝負は終わった…
「だが―――」
オークの口からまたも言葉が紡がれる。その声には、さっきとは違い覇気が戻ったようで…
「この程度で勝てると思うなよ!」
「―――! ガァ…!」
オークが思いっきりカトラスを殴りつけ、カトラスは手を剣から離す。
地面に倒れたカトラスは、もう体が動かなかった。
「ク…ソ…」
「いやぁ、ようやったよお前らは。だが、この俺様には勝てないんだよ!」
オークはゆるりと歩みより、カトラスの上に大剣を突き立てた。
―――カトラスは、気を失っていて抵抗できない。
「死ねェ!」
剣が降りてきて、カトラスが死ぬ。―――その直前…
「―――炎を我らが元に『フレイム』!」
炎球がオークに飛翔し、着弾する。
その攻撃にオークは少しよろめいて、その後凄い形相でキルドを睨んだ。
大剣はカトラスに刺さらず、さらに『フレイム』の衝撃で放してしまい少し遠くに落ちた。
「まあコイツはいつでも殺せるからな…」
キルドに聞こえないくらいくらいの声でそう小さく呟いた直後、オークが駆けた。
―――あんだけダメージがあってあの速度!?
「――善なる者には慈愛を、悪なる者には灼熱の雨を…くそっ『バーニング・レイン』!」
驚嘆をよそに、口は確かに魔術を紡いだ。
炎属性上級魔術『バーニング・レイン』―――キルドが使える最強の魔術。だが、未完成。
本来は炎の雨を降らせる魔術…だが、降るのは一粒。
しかしその一粒は、キルドの持つ全ての魔術を上回る。
「これでも食らっとけェェェ!!」
天から一筋の炎がオークに向けて放たれる。
炎はオークの背中を焦がして―――
「まだだ!」
オークの雄たけびが森に木霊する。
確かに『バーニング・レイン』は絶大な効果があった。だが、それは致命傷ではなかった。
オークも相当なダメージを負っている。腹部には剣が刺されており、体中あちこちに緑の血が流れている。
だが、オークは動いた。それは彼の体が強いというのもあるだろう。オークであるため人間のカトラスやキルドより圧倒的にだ。だがそれはあくまでサブにしか過ぎず、本当の理由は絶対に負けないという心の強さだった。
『トリニティ』を食らった時、『バーニング・レイン』を食らった時、オークは倒れるに十分なダメージを受けた。
だが、彼は敗北を拒否した。それは、彼が強者であるからだ。
「ハァ!」
大剣を捨てたオークにはキルドへ詰め寄る十分なスピードがあった。魔術師のキルドに勝つのには蹴りで十分だ。
走りの速度と、オーク自身の体の重さが合わさった蹴り。
「グァァ!」
蹴りが腹に命中。キルドは吹っ飛んで、茂みの奥の木にぶつかった。
そして数秒、キルドは動かないでそこにいた。
それを見て、オークは勝ちを確信して叫んだ。
「ウォォォォォォ!!勝った!」
―――途切れる意識の寸前、キルドはオークの勝利の雄たけびを聞いて悔しさを感じた。
そして、自分自身の終わり。嫌だ、死にたくない。そんな人間の根本的な感情が感情の表層に浮き出す。
薄れていく視界の中、周りを見る。何か無いのか、起死回生の一手が…
カトラスは、だめだ意識を失っている。自分の体はボロボロで、もう魔力の生成なんか出来やしない。
終わりを感じたその時、何かに気付いた。
「あっ……」
馬車の上、明らかな人影がある。
それは数時間前までもう二度と見たくないとさえ思っていた、自分たちの師匠。
その姿にキルドは安堵し、その意識を闇に沈めた。
「―――何だ、こんな雑魚に負けたのか?私の弟子共は」
馬車の上に女が立っていた。
宝石のような月明かりが、彼女の金髪をより目立たせる。
万人は思うだろう。いかに美しい物であっても、真なる物と並んだ時、それは脇役へとなり下がってしまうと。
金髪碧眼、端整な顔立ちの少女がそこにいた。
されど、その少女から発せられる強者特有の覇気はいかなる愚者であろうと気付くほどの物。
「何だ貴様は!」
オークが馬車の上の少女に向って叫ぶ。
その声は、傍から見れば少女に向ってかける声ではないと引かれる程の覇気。
だが、少女は一切畏怖せずに、ただ凛然と――
「人族解放軍四番隊隊長、クイナ=ラインバルトだ――」
その名を言い放った。
―――月明かりは、彼女を照らしている。