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それは突然現れた

〜歩み寄る小さな足音〜


神の悪戯か偶然か…それは突然現れた。



小さな町医者をやっている木嶋のところには今日も沢山の患者がやってきていた。

「もう最近はめっきり足腰も弱くなってねぇ〜。あちこち痛くて仕方ないよ。」

「あのねぇ〜玉木さん、ここ内科なのよ。足痛、腰痛は整骨院とか整形外科に行ってもらわないと〜。」

「行ったのよ。だけど湿布出されて終わり。それならここに来ても一緒じゃない。」

待ち時間長いだけでロクに調べてくれないんだから…と玉木はブチブチと文句を言っていたが、近場で済ませたい、ってのが大きな要因だろう。

「だけど酷くなってもここじゃ湿布くらいしか出せないし、ちゃんとしたところに通った方がいいですよ。」

「大丈夫よ。湿布貼ってれば生活に支障はないんだし。酷くなったらちゃんと行くわよ。」

玉木はそう言うとニコニコと笑い、顔馴染みの看護師に挨拶すると診察室を出て行った。

『とりあえず1週間分の湿布を出しておこう。』

木嶋はいつも通り湿布を処方して、次の患者の診察を行う。

いつもと変わらない日常。その中の歯車が少しずつ軋んでいってることにその時は気づかなかった。



2週間後、木嶋は思わず目を見開いた。

『これが玉木さんか⁇』

目の前の玉木はげっそりとやつれていて、診察室の椅子に座る時も足をふらつかせている。

「どうしたんですか⁇体調が悪いならこんなになる前に来院してください。」

心配する木嶋をよそに玉木はどこか上の空だ。

「玉木さん、玉木さん、大丈夫ですか⁇」

「…え⁇あぁごめんなさい。…最近首筋から腰にかけて痛くて痛くて…ロクにご飯も作れないもんだから…ちょっと痩せちゃったのよ。」

「…ちょっとって…痛み以外にはどこか異変は無いんですか⁇」

「…。」

玉木はまたボーッと足元を見つめて黙り込んでしまう。

「玉木さん、大きい病院に紹介状を書くんで娘さんに電話してそちらに向かってください。このまま帰すのはちょっと危険なくらい顔色が悪いです。」

「…えぇ⁇なんですか⁇」

「娘さんに電話して、大きい病院に行ってください。」

「…えぇ、嫌ですよ。ただほんとにちょっとご飯を食べてなかっただけなんですから。」

何度説得しても玉木の首が縦に振られることはなく、木嶋は仕方なく点滴だけして、玉木を帰らせた。体調が悪くなったらすぐ救急車を呼ぶように念押しし、さらに前に連絡先を聞いていた娘さんにも一報を入れておいた。

『しかし、やっぱり明日大きい病院に行くよう説得しに行こう。』

そう思い、ふと先ほどまで玉木が点滴を受けていた診察代を見ると一滴の血痕とその周りに小さな蟻が集まっている。

「すみません、玉木さんの点滴の際流血しましたか⁇」

「いえ、玉木さんは針を刺しやすいですしそんな血が垂れるなんてことはないですよ。」

『どこか別の場所を怪我していたのか⁇』

「ぎゃっ‼︎蟻が‼︎」

大の虫嫌いの看護師が後退り、それを見た木嶋は小さく笑うとティッシュで蟻を全て取り除き、シーツを交換したが、何故かこの光景が頭から離れなかった。



次の日休診だった木嶋は玉木の娘の有紀と共に玉木の家へと向かった。昨日夕方に有紀が説得したそうだが、やはり病院に行く気が無いと断られたらしい。そんな時にちょうど自分が電話した為、説得に付き添ってくれることになったのだ。


部屋に入って木嶋は息を飲んだ。昨日会ったはずなのに玉木の顔色はより青黒く、目が落ち窪み赤く血走っている。

「玉木さん‼︎救急車を呼びますのですぐに病院へ向かってください‼︎」

有紀も携帯を取り出して救急車を呼ぶ手配をする。

「えぇ……なんですか⁇あぁ…木嶋先生、わざわざ家まで来てくれたんですか…すみませんねぇ。」

玉木はフラフラと体を起こし布団の上で座ると弱々しくもニコリと微笑んだ。

「すみませんねぇ、こんな汚いところに…。」

「玉木さん、貴方の今の顔色は明らかに異常です。有紀さんが救急車を呼んでくれましたので、すぐに病院へ行ってください。」

玉木は木嶋の言葉が聞こえていないのか、視線を落とし何やらブツブツと呟いている。ふと木嶋は玉木の布団の血痕に目がいった。ちょうど頭の位置だろうか…500円玉サイズの血のシミに、やはり蟻が集っている。

「玉木さん、どこか怪我をしていませんか⁇ちょっと頭に触れますね。」

木嶋は玉木の後頭部に触れ、確認するが何も異常は無さそうだ。木嶋は立ち上がり、玉木の左側に座ると髪をそっと耳にかけ…そして思わず悲鳴を上げた。

「うわぁぁぁ‼︎」

それは信じられない光景だった。玉木の耳の中で大量の蟻が蠢いているのだ。

「はっ⁉︎えっ⁇」

どういうことだ⁇まさか蟻が玉木さんを食べて…木嶋は競り上がってくる吐き気をなんとか飲み込むと、有紀を連れて玄関から飛び出した。

「有紀さん‼︎家の影で服を脱いで急いで払って来てください‼︎その際に体に蟻が這っていたらすぐに殺してください‼︎決して家に入ってはダメです‼︎」

「はっ⁉︎なんですかいきなり‼︎」

有紀は一瞬顔を顰めたが木嶋の表情を見て、小さく、分かりました、と答え裏へと歩いていった。

木嶋もすぐに服を脱いでバンバンと払うと体に蟻がついていないかを確認し、服を着直すとすぐに役所に電話をかけた。

こんなことがあるのか⁇何故蟻が人を喰らう⁇木嶋の頭の中はパニック寸前だ。なんとか平常心を保てたのは医者としての経験と度胸があったからだろう。

電話が終わると木嶋は頭を抱えるように座り込んだ。役所はすぐに処置班を送ってくれるらしいが…玉木さんはどう病院に搬送すれば良い⁇あの蟻が人を喰らうなら…どこの病院が受け入れてくれるんだ。

「…木嶋…せん…せぇ。」

声の方を振り向き、木嶋は言葉を失った。

「せんせ…ぇ…なんだか左目が見えなくなって… 耳鳴りも酷くて…どこか…悪いんですかねぇ…。」

木嶋の頬に一筋の涙が流れ、決壊したダムのように溢れ出し止まらない。

これは…もう…

「…あらあら…せんせぇ…どうしたの⁇辛いこと…でも…あったんですか⁇」

玄関前に立つ玉木は眼球が落ち、蟻が這い回る顔でにっこりと微笑んだ。それは診察室でいつも見る優しい笑顔。

玉木は木嶋の涙を拭おうと手を伸ばし、そのまま地面に倒れ込んだ。

「お母さん‼︎」

裏から戻ってきた有紀が慌てて駆け寄るのを木嶋は止めた。

「有紀さん、触ってはダメです。お母さんはもう…助かりません。」

「何言ってんですか⁉︎医者なんでしょう⁉︎早く母を助けてください‼︎」

泣き叫び暴れる有紀を引きずり木嶋は門の外へと連れ出し、その時ちょうど遠くから赤色灯の灯が向かってくるのが見えた。

「有紀さん落ち着いて聞いてください。玉木さんを緊急搬送は…できません。」

「…なんで…何でなんですか‼︎今だって何で倒れている母を助けてくれないんですか⁉︎何で…まだ生きているのに…今ならまだ助けられるかもしれないのに…」

「玉木さんは…蟻に…中から喰われています。」

「…はっ⁇何を馬鹿なこと…。」

有紀は言いかけた言葉を飲み込み、その場に崩れ落ちる様に泣き叫んだ。

自分の肩を強く掴み訴える木嶋は、自分よりもボロボロの顔で泣いていたから。

木嶋は袖で雑に涙と鼻を拭くと、やってきた救急隊員に事情を説明し、玉木に触れない様に指示を出す。

救急隊員たちは身体中から蟻が噴き出している姿に思わずその場で嘔吐してしまっていたが、木嶋は有紀を救急隊員に任せると玉木の部屋へと庭から回り込む。先ほど枕元に殺虫剤が置かれていたのを思い出したからだ。

きっと玉木さんは枕元にいる蟻をあれで殺していたんだろう…まさか自分の中から出てきているなんて夢にも思っていなかったはずだ。

『玉木さん、土足ですみません。』

木嶋は部屋にある殺虫剤を手に取ると、玄関前で横たわる玉木の元に戻り殺虫剤を玉木に向けた。

「…せん…せぇ…。」

「…ごめん…なさいね。」

そう呟くと玉木の呼吸が止まり、その瞬間、蟻たちが一斉に玉木の体を覆い尽くした。

「うわぁぁぁぁぁ‼︎」

木嶋はこぼれ落ちる涙を拭うことなく殺虫剤をかけ続けた。薬剤が無くなり、シューとガスだけが漏れる音が響く家の前には、瞼を真っ赤に腫らし座り込む木嶋と、顔の周りが蟻の死体で黒く縁取られた玉木が横たわっていた。



あれから1ヶ月…玉木の遺体は遺族に会うことなく荼毘に付され、家には専門の業者が入り隅々まで殺虫剤を撒いた上で取り壊された。

この事件は報道規制が引かれ、世に出ることはない。

木嶋は玉木のカルテを手に取ると持つ手に力が入る。

本当にこれで終わりなのか⁇そもそも変異した蟻はあのコロニーだけなのか…もし他に繁殖し…寄生していたら…。

木嶋の背中に冷たい汗が流れ、そんな考えを振り払う様に頭を振った。

こんな歪な変異がそうそうあるもんじゃ無い…

報道規制が引かれたこの問題は誰にも知られることなく自分の胸の中にだけ残り続ける…その時はそう思っていた…


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