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5 レトロゲーム

 ■


「セ、セックスってお前……だから、そういう冗談は二人きりのときはやめろって言ったばっかりだろ」


 上ずった声で高坂が言う。霧は白い歯を二ッと見せて笑った後、パンを齧った。部屋の中に響く咀嚼音すら艶めかしく感じられて、高坂は固唾を飲む。体の一部が熱くなっていた。

 彼には目の前の青い髪をした女が、何を考えているのか全く分からない。それは彼女の前髪で隠された左目の形ほど、謎だった。


 それでも高坂には、唯一分かることがある。それは彼女が本当に、「セックス」をしにきた――ということだ。

 けれど彼女が左目を隠すのと同じように、その行為には何らかのコンプレックスが付きまとっている。要するに彼女がいま望むセックスとは、自傷行為にも似た何かだと思うのだ。


 高坂は自分が友人を傷つけるカッターになるなど、ごめんだった。

 だからといって女性にこんなことを言わせて、上手く断る術があるほど彼はこなれていない。だから皿に落ちた目玉焼きを拾い、テレビを付けて「ふぅ」と話を無かったことにしようとして……。


「おい、先輩。テレビ見てる場合か!?」


 ――霧に突っ込まれた。


 まあ、それもそうだろう。だから高坂はため息交じりにうつむいて、何とも言えない言い訳を口走る。


「ゴムが無い。だから無理だ」

「買いに行こうよ」

「付き合っても無いのに、そこまでしてやることじゃない」

「じゃあ、付き合ってよ、先輩」

「嫌だよ。お前と付き合ったらマスコミに囲まれるだろ」

「じゃあ、バンドなんて辞めるから」

「ファンに申し訳ない。ていうか今はお前、仕事だろ。そんな簡単にやめられるもんか」

「死ぬか仕事を辞めるかだったら、迷わず仕事なんか辞めるべきだと思わない?」

「……死ぬほど嫌なのか?」

「今は……嫌」

「だからって、安易にセックスなんか出来ないよ」

「……――あたしの心が死んじゃっても、先輩はどうでもいいんだよね」


 ちょっとした沈黙の後、ベッドの先にある壁掛けテレビに視線を送りながら、霧がつまらなそうに言った。不貞腐れているように見えるのは、彼女が本当に悲しい時だ。

 だからこそ彼女は感情を心の奥底へ沈めて、大きな黒い瞳に日曜朝の情報番組を映していた。

 

「どうしたんだよ、鍋島」


 高坂は霧と呼ばず、あえて彼女の名字を呼んだ。学生時代の頃のように接すれば、先輩後輩に戻れるような気がしたから。

 霧は苦笑を浮かべ、それから自分の指をなめる。それがパンを食べ終えた時の、彼女の癖だった。


「……みんなの求める歌が分からなくて、苦しくて。自分は世界中で独りぼっちなんだって思ったら、誰かと無性に繋がりたくなって――……」

「それで、俺の家に?」

「そう」

「なんでだよ」

「ずっと先輩のことが……好きだったから。先輩とセックスしたら、天国に行けるかなぁって思ったから」


 霧は目を細め、口を横に広げて冷たい笑みを浮かべている。

 高坂は額に手を当て、「ふぅ」と溜息を吐いた。


「ああ、いつもの病み期か」

「そう……悪い?」

「お前さ、よく恥ずかし気もなく、そういうこと言えるよね」

「いあ先輩こそさ、茶化すのやめてくんない。結構ガチなんだしさ、ここはキスしとくとこでしょ。せめて頭を撫でてくれるとか……」

「なあ……ストIIやらね? 四十年くらい前のゲームだけど、結構面白いんだよ」

「あ、知ってる。格ゲーでしょ? やるやる……にしてもさ、先輩ほんとレトロゲーム好きだよね」

「おう。それを買う為に安い家賃のとこ、引っ越したくらいだしな」


 その後、高坂良と鍋島貴理子は二人でベッドに座り、昼食も取らず古い格闘ゲームに熱中して夕方を迎えるのだった。


 ■■■■

 

 一月半ばの日曜日というのは、昼間でも非常に寒い。ましてや家賃の安いボロアパートにはスキマ風という天敵がいるのだ。エアコンの設定温度を二十七度にしてさえ、二人は足に毛布を掛けて寒さを凌がなければならなかった。


 そうして一日中ゲームをやっていた高坂と霧だが、日が沈んでから、ようやくまともな会話を始めている。それまでは、ほぼ無言でゲームを続けていたのだ。


「なあ、霧。お前さ、そろそろ帰れよ」

「ヤダ。まだセックスしてないし」

「俺さ、付き合ってない人とは、そういうことしないことにしてるの」

「なんで? あたし据え膳だよ? 食わなきゃ男じゃないよ」

「ほら。タダほど高いものは無いって言うだろう」

「じゃあ、二万円でいいよ。国民的バンドのボーカルが一回二万円なんて、超安いでしょ、破格でしょ、お得だよ」

「お前な……」


 テレビ画面には空手の道着を着た男のキャラが、拳を掲げたグラフィックが映っている。その向かいで青いチャイナドレスのキャラが倒れ、色っぽい足を晒していた。

 

「まーた負けた……」

 

 ぼやくように言う霧だったが、彼女が真面目にゲームをやっている素振りは全くない。ただぼんやりと時間を過ごす為にコントローラーを動かし、戦っている――そんな印象だった。

 

「今、仕事は大丈夫なのかよ?」


 高坂が訊く。


「うん。レコーディングだし、歌入れはまだ先。それにさ……歌詞が浮かばなくって、それもヤバい」

「もしかしてお前、それで逃げたの?」

「それもある……、でもさ、本当に色々と限界だった」

「――……いつまでに戻れば、間に合うんだよ」

「ぶっちゃけ……今月の終わりくらいまでかな」

「まあ、楽器さえ入れちまえば、究極歌は後でもいいけどよ――……一発録りなんてしないんだろ?」

「しない。でもさ、四月から始まるアニメの主題歌でね。スケジュール的には、わりとタイトなのよ」

「歌詞ならさ、ある時フッと浮かぶだろ。たぶん」

「んー……そう。今まではね」

「今まで? 今はダメってことか?」

「色々あんのよ、あたしにも! あのさ……――ここは黙って抱きしめるべき時でしょ。男なら」


 横に座っている高坂の肩に、霧が頭を靠れさせる。不意に彼女の甘やかな香りが鼻腔を擽り、男の劣情を掻き立てた。けれど高坂は意志の力でそれに反旗を翻し、肩にも力を入れて霧の頭を弾き返す。


「だから、そういう関係じゃねぇだろ……」

「じゃ、なろうよ。そういう関係に」


 霧が高坂に向き直り、ぐっと顔を近づけた。彼女の小さな唇は淡いピンク色で、僅かに濡れている。その口が高坂の唇に近づいてきた。その瞬間だ。

 

 ――――ピンポーン。


 インターフォンが鳴り、部屋の壁に掛けられたテレビモニターに来訪者の顔が大きく映された。そこには昨日と同じくニット帽を目深に被り、黒縁の眼鏡を掛けた秋山=エルフィーネ=陽華が立っている。


 ――――ピンポーン。


「もしかして、彼女? 先輩、付き合ってる人いたの?」


 視線だけをテレビモニターへ向けて、霧が言う。高坂は首を左右に振り、「違う」と言った。


「そんなんじゃないって。ただの高校の時の同級生で、何日か前に隣の部屋へ引っ越して来たらしい。それも――偶然な」

「ふぅん……」


 ともあれ高坂は霧から身体を引き離すと、慌てて玄関へ向かう。そして扉を開くと、手に蕎麦を持った秋山が立っていた。


「引っ越し蕎麦という風習をバイトで聞いた。それで、持ってきたのだが……」


 そこで言葉を切った秋山は、高坂の後ろに立つ女性を見て目を丸くしている。そして言った。


「霧様……ではないか。いつも、その……見てます……聴いてます。良かったらサインを下さい。ではなくて、どうしてここに……?」


 どうやら秋山=エルフィーネは、霧のファンだったらしい。高坂は目頭を揉み、またも「ふぅ」と溜息を吐くのだった。

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