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4 霧の目的

 ■


 高坂が目を覚ましたのは、午前十時を過ぎた頃だった。彼はカーテンの隙間から入る陽光に目を細め、ゆっくり身体を起こす。まだ少しアルコールの残った頭はぼんやりとして、現状をハッキリとは認識できないようだ。


 そんな高坂の耳朶に、ジュウと何かが焼ける音が飛び込んでくる。それと同時に香ばしい匂いが鼻をヒク付かせたせいで、昨夜現れた招かれざる客の事を思い出した。


「霧――……!」


 高坂は立ち上がると廊下に繋がる扉を開けて、その横にあるこじんまりとしたキッチンを見る。案の定、鍋島貴理子がフライパンに卵を二つ落とし、目玉焼きを作っていた。


「あ、先輩、おはよう! 今朝ごはん作ってるから、座って待っててよ!」


 昨日とはうってかわり、爽やかな笑顔を高坂に向ける霧だ。彼女の肝臓は余程アルコールの分解が得意なのか、元気いっぱいな様子であった。むしろ一人で飲んでいた高坂の方が、どんよりとした重い頭を抱えている有様だ。


「お、おう」


 高坂は彼女の勢いに押されて頷き、すごすごと部屋へ戻る。そこでふと霧の格好に驚き、振り返った。黒いニットのセーターを着ているのはいい――しかし彼女はスカートを履いていなかった。

 パンツは流石に履いていると思うが、ここ数年女性に縁の無かった高坂としては、余りにもパンチの効いた光景である。


 目頭を揉みながら扉を閉めて唯一ある部屋へ戻ると、高坂は小さなテーブルを用意し、部屋の片付けを始めた。

 とりあえず二人で向かい合い、食事が出来る程度のスペースを確保しよう。家に帰るよう説得するのは、食事の後ででいいと問題を先延ばしにして。 


 ■■■■


 霧が作ったのは、ベーコンエッグトーストだった。トーストを載せた皿の隅にはプチトマトとレタス、それから切ったバナナが置いてある。

 一応健康に留意して冷蔵庫に置いておいた野菜だが、高坂はこんな風に並べたことなど無い。


 彼であればレタスとプチトマトにはドレッシングをぶちまけ、バナナは皮を剝いてそのまま食べるというのが関の山。だから霧の作った朝食を見て、彼は素直に関心して目を見開いた。

 といって、彼女も大した作業はしていないのだが……。


「――さ、召し上がれ!」


 高坂の向かいに座った霧が、にこやかに言う。相変わらず霧は素足で、高坂は目のやり場に困った。しかしすぐに彼女はベッドから毛布を掴み、自分の膝に掛けている。

 彼女は高坂の視線に気付いていたが、あえて今まで素知らぬ顔をしていたのだ。


「寒いなら、何か履けよ」

「その何か、貸してくれるの?」


 不敵な笑みを見せて、霧が人差し指を立てる。酔っている時とは違い、今の彼女は高坂に対してもタメ口だった。

 もともと先輩後輩の間柄とはいえ、二人は同じバンドにいたのだ。友人関係という方がしっくりくるし、実際に高坂は彼女に対して友情めいた感情を抱いていた。


「ああ、好きにしろよ。その辺にあるだろ、スウェットのパンツなら履いていいぞ」

「これ、洗濯してある?」

「当たり前だろ」

「だったらさ、何か入れ物にしまうとかしなよ」

「その入れ物が――ねぇの」

「買いなよ、ちゃんと働いてるんだからさ」

「あのな、お前は俺のお母さんか。いいんだよ、そんなもん適当に置いときゃ……」

「ダメ! そんな風だと、ちゃんとした大人になれないんだからッ!」

「もう、いい大人だっつの」


 高坂はまたも目頭を揉んで、首を左右に振っている。それから「いただきます」と声を掛け、まだ暖かいパンを齧った。そこで飲み物が無いことに気付き、湯を沸かしに行く。


「――霧もコーヒーでいいか」


 高坂の家にある飲み物と言えば、昨日飲みきれなかった酎ハイとビール、それからインスタントのコーヒーだけ。だから朝食時ともなれば、必然的に選択肢は一つしか無いのだった。


「うん、いいけど……」

「いいけど、何だよ」

「先輩の家って、マグカップ一つしか無いよね?」

「あ……、ああ、そうだな」

「それであたし、コーヒーは入れなかったんだけど。それ――……あたしも同じの使っていいのかな?」

「あー――……」


 既にマグカップにはインスタントの粉末を入れ、小さなIHに置いたヤカンの湯も沸騰していた。今更自分だけがコーヒーを飲むというのも感じが悪く、しかしだからといって、霧と同じカップを使うというのも躊躇われる。

 だというのに身体はいつものルーティーンだからか、自然と湯をカップに注ぎ、コーヒーの香ばしい匂いを立ち上らせていた。


「お前が嫌じゃなければ……」


 結局、高坂はこう言うしかなかった。そもそもバンドを一緒にやっていたころは、酒の回し飲みだって平気でやったものだ。今更照れる間柄じゃあないと内心で言い訳をして。


「嫌じゃないよ。むしろ嬉しいっていうか……」


 だというのに、返ってきた反応は意外性に富んだもので。

 高坂はコーヒーを入れたマグカップを持って部屋に戻ると、二人の中間にそれを置く。 

 そしてパンをもう一口齧り、「ふぅ」と溜息をついた。


「そういう冗談は、二人きりの時に言うもんじゃねぇだろ」

「冗談じゃないよ」

「は……?」

「ていうか、聞かないんだね。あたしが何で、ここに来たのかって」

「これから聞くとこだったんだよ。物事にはタイミングってもんがあ――……」

「セックス。あたしね、先輩とセックスしにきたの」


 高坂の言葉が終わる前に、被せ気味に言う霧。その表情は切羽詰まったように悲しげで、テレビに映る彼女の面影はどこにもなく。

 高坂は言葉の意味がよく分からず、彼の手にあるパンの上から、ベーコンエッグがズリズリと落ちた。

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