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35 石垣島の夜とオリオンビール

 ■


 自分を見あげる秋山陽華と目が合って、高坂良はドキリとした。「廃エルフ」とプリントされた黄色いTシャツを着た美しいエルフが、外から差し込む月明りに照らされてキラキラと輝いている。

 ほんのりと朱に染まった頬とアルコール分を含んだ呼気が、森の妖精に似つかわしくない妖艶さを付与しているかのようだった。


 秋山はベッドに座り、自分の隣を手でポンポンと叩く。「ここへ座れ」と示しているようだ。彼女の吊り上げた眉に抗いがたいものを感じ、高坂はそれに従った。


「聞きたいことがあってな……その」


 たっぷり十秒ほど沈黙をしたあと、秋山陽華は俯き加減で言った。


「何だよ、改まって。ていうかお前、酔いは醒めたのか?」

「エルフには体内の毒素を浄化する魔法がある。外界に影響を及ぼすものとは違って、これはどこにいても使えるのだ。だから酒を抜こうと思えば、いつだって出来るのだぞ。わたしはこれを、ウコンの力と呼んでいる」

「秋山。お前――……ちょっと何を言っているのか、全然分からない」

「すまん、嘘を付いた。まだ酔っている」

「だ、ろうな。素面でそんなことを言ってたら、お前の評価がダダ下がりだ。だいたい、そんな力がエルフにあってたまるか」

「いや、でも言うほどは酔っていない。平気だ」


 高坂は頭をガリガリと掻いて、立ち上がった。部屋に備え付けられた冷蔵庫から二本のビールを取り出し、一本を秋山に渡す。


「そうか――ほら。平気だって言うなら、水よりこっちの方が良いんだろ?」

「うむ。なんだろう、沖縄で飲むオリオンビールは特別だからな。いくらだって飲める」

「そりゃあ、お前がザルなだけだろ」

「ザル?」

「……何でもない。で、何だよ、聞きたい事って。俺に答えられることなら、何でも答えるぞ」

「うん。これはたぶん、お前にしか答えられないことだ」


 ――プシュ。


 プルタブを開けて、軽く乾杯をする。照明をベッドサイドのアップライトだけにすると、二人は再びベッドに並んで腰かけた。


「俺にしか答えられなことねぇ……」

「ああ、そうだ。その――……高坂は、どうして霧様と付き合うことにしたのだ? 本当に彼女を愛しているのか?」


 秋山陽華はビールの缶を両手で握りしめ、ギュッと力を込めた。缶がペコリと音を立て、たまらず中身が溢れ出る。彼女が言いたかったことは、こんなことでは無かった。


 ――あなたが好きだ。


 その一言が言えず高坂を詰問する自分の醜さが、秋山陽華は耐えがたい。だから首を左右に振って、「いや、すまない。答えなくてもいいんだ、こんな質問ッ!」と吐き捨てた。


 一方で高坂は質問の意図を探し、脳内の迷宮に踏み込んでいる。


 ――どうして秋山が、そんなことを俺に聞くんだ? こいつ、俺の気持ちに気付いているのか?


 ■■■■


 自分を見つめる緑色の瞳が余りにも真剣だったから、高坂は思わず唾を飲み込んだ。まず最初に自らの心に問いかけ、それからビールを一息に飲む。これから言うことの残酷さを思い、高坂の舌は一切の味を感じていなかった。


「霧が――……望んだからだ」

「そうか。だが、それだけでは質問の半分を答えたに過ぎない」

「愛しているか、って質問だったな」

「うむ」

「それは断言できる。愛している」


 瞬間、秋山陽華の細く長い耳が、シュンと下がった。基本的に端然として無表情なエルフは人間に比べ、常から冷静に見える。しかしこの耳が、犬の尻尾と同じように感情を雄弁に語ってしまうのだ。あんがい不便な種族だなぁと、高坂はいつも思っていた。


 エルフの耳は怒っていれば上がり、怯えていれば水平になる。楽しければ上下にピコピコと動き、悲しければ下がるのだ。

 だから高坂は秋山の耳を見て、ハッとした。随分と下がっている。


 ――なんで秋山が、ここで悲しむんだ? そんな要素が、どこにある?


 その疑問は、しかし高坂にとっては天から垂らされた、細い一本の糸のようだった。あるいは秋山陽華と自分を繋ぐ、見えざる感情の糸と言い換えても良い。

 

 ――もしも秋山陽華が、俺のことを想っているのなら……。


 この可能性に縋る高坂は自らを醜くて愚かしいと断罪しつつも、だからこそ霧だけを(・・・・)選ぶことが出来ない。それで、こんな風に無意味な言葉を紡いでしまうのだ。


「日本語の『愛』って言葉には、多様性があるだろ。俺にとって霧は、とても大切な存在だ、失いたくない――……だから彼女を受け入れる。これは、とても必然的なことだったんだ。だから、その、つまり……愛しているってことだろう?」


 秋山陽華の耳が、少しだけ持ち上がって。


「それは高坂、お前にとって霧様は女性として一番ではない、という意味にも取れるぞ。ならば、いったい誰が一番なのだ?」


 高坂の言葉の意味を考えると、秋山の心には薄暗い喜びが湧き上がってきた。

 高坂は悲しそうに眉根を寄せて、静かに言う。


「彼女が一番になるよう、今は努力をしている最中だ」

「そうか。それなら、わ、わたっ、わたしはっ、オホン! そ、そのっ……何番目……なのだ?」


 途中から裏返りそうになる声を咳払いで戻し、秋山が唇をムニムニと波打たせている。


「秋山は……俺にとって……――」

「や、やっぱり答えなくていいっ! わ、わたしもっ、お前にとっては、大切な存在か? あ、愛しているのか? そ、その辺が知りたいだけなのだ。だから……」


 最後は消え入りそうな声で、秋山陽華がモゴモゴと言う。


「大切だ。愛しているに決まっているだろう」


 高坂良は、万感の思いを込めて口にした。どのような形でも、秋山陽華に目の前で愛を語れることは嬉しいのだ。


「それは、友人としてか? それとも――……」

「もういいだろう、秋山。これ以上言えば俺は、もう、お前の友人じゃあいられなくなる」


 大きく息を吸い込み、吐き出して……「だったら、わたしが言おう」

 秋山陽華は身を乗り出し、身体を捻って高坂の横顔を見つめた。手を彼の太腿に乗せている。


「なぁ、高坂。もしもわたしが霧様よりも先にお前に告白していたら、お前はわたしの恋人になってくれていたか? そしてわたしは、お前の一番になれたのだろうか?」


 潤んだ緑色の瞳が、じっと高坂を見つめている。膝の上で握った拳が、小刻みに震えていた。耳は水平――彼女は怯えている。

 

「俺にとってはずっと、お前が――……いや、秋山……俺とお前は人間とエルフだ。普通の男と女じゃあないだろう」

「エルフと人間の差なんて、み、耳の形くらいのものだ。例えばほら、キスをしてみようじゃあないか。わ、わたしはエルフであれ人間であれ、キスしたことなんて無いから、その――……お前が比べてみろ。わたしが、その、人間と随分違うかどうか……」


 秋山陽華は怯えながらも、そっと高坂の唇に自分のそれを寄せている。こんなことは、すべきじゃあない。理屈では分かっていても、彼女のタガは完全に外れていた。石垣島の夜とオリオンビールが、彼女の心を開放したのだ。


 軽く、唇の先が触れた。


 それが引き金となって高坂の理性は決壊し、秋山陽華をベッドの上に押し倒す。そのまま彼は彼女の舌に自分のそれを絡ませ、きつく抱きしめるのであった。

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