33 秋山陽華の免罪符
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日暮れ前にホテルへ戻った高坂達は、そのまま館内のレストランに入った。市街で名物料理を食べても良かったが、霧の「面倒」という一言により、外出しない方向で話が纏まったのだ。
それにホテルのレストランは高級で、基本的には個室になっていた。下手に出かけて一般人に見つかり、サインをねだられたり写真をせがまれたりするリスクを思えば、霧や秋山にとってはホテルで食事をする方が良いだろうと高坂や久も考えたのである。
とはいえ、高級であるからには値段が高い。高坂はメニューを開くとすぐに目を細め、書かれた文字をじっと睨んでいた。一番安い料理で三千円以上だ、高坂の昼食六回分である。
今回の旅行は秋山陽華が旅費や食費の一切を出すと言っているが、だからこそ自分では絶対に食べないであろう金額の料理を頼むことに、高坂は誰よりも抵抗を覚えているのだった。
「ねえ、陽華ちゃん。このお店って高いみたいだから、あたしが払おうか?」
霧が黄金色に輝く不気味なカードをブランド物の財布から取り出し、ヒラヒラとさせている。キャッシングで一千万円、買い物などで三千万円まで使用できる恐ろしいクレジットカードだ。
そんなものを霧は何枚か所有し、高坂が仕事を辞めたらそのうちの一枚を渡すと言っている。そんな会話を思い出し、高坂良はメニューで隠した頭をブルブルと振っていた。
――そんなことされたら、俺、ダメになっちまうだろ。
「いや、大丈夫だ霧様。わたしだって今は、それなりに稼いでいるのだぞ。しかも使い道がないから、金など貯まる一方だ。好きなものを頼んでくれ」
秋山の返事は、男気に溢れるものであった。高坂は「もしかして、この中で一番の甲斐性無しは、俺じゃあないか……」と切ない事実に気付いてしまう。唯一の男性なのに、残念なことだ。
高坂はせめてもの抵抗として、メニューの中で一番安いものを注文することにした。
こうして高坂は霧に、「先輩、なんで石垣島に来てまでハンバーグ食べるわけ?」などと突っ込まれる羽目になり、「石垣牛ってのが、あるんだよ。このハンバーグは、そいつをふんだんに使った……」などと反論を試みている。
「だったら久みたく、ステーキで良かったんじゃない? それだって石垣牛でしょ?」
「分かってないな、霧は。ハンバーグには、ハンバーグの良さがあるんだよ。切った瞬間にぶわっと出てくる肉汁がたまらんのだ」
「――ふぅん。何だかんだ言って、陽華ちゃんに気を使ったんじゃないの?」
霧は納得しかねるという風に、高坂の隣で唇を尖らせている。そうした矢先に、彼女の注文した品が運ばれてきた。近海で獲れた魚介による、刺身の盛り合わせだ。赤い魚の頭から尻尾までが皿には載っており、まだ口や尻尾がピクピクと動いている。どうやら鯛の活造りも含まれているらしい。
「じゃ、お先に。みんなも食べていいからね」
霧はニンマリと笑みを浮かべ、泡盛の入った陶器のロックグラスを掲げている。
「霧様――わたしはどうも、この酒は苦手なようだ」
秋山もせっかくだからと泡盛を飲んでいたが、どうやら口に合わなかったらしい。匂いが苦手ということで、ビールを注文しなおしていた。
正直なところ学生時代のイメージからすると、今の秋山陽華は余りにもかけ離れている。あの頃は、木漏れ日の似合う妖精の姫君というイメージがぴったりだった彼女。
それが今では酒を飲み、小説を書きながらボサボサの金髪を描き回す。ときどき睡眠が極度に不足しているのか、目の下に真っ黒いクマまで作っていた。
――あの頃と変わらないのはピンと伸びた長い耳と、整い過ぎた美貌だけ、か。
頬杖を付いて斜め前の秋山陽華を見つめながら、高坂はこんなことをボンヤリと考えていた。
そんな彼の前で彼女はビールの泡を口の上に張り付けて、「おい、わたしも刺身を頼んだのだぞ」などと店員さんに文句を言っている。
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。早く持ってきて欲しい」
「――お客様の分は炙りがありますので、もう少々お待ちください」
「む……そうか。品物が僅かばかり、違ったのだな」
口の上に付けた白い泡はそのままに、腕組みをして尤もらしく言う秋山の姿。それを見て、「そういえば昔から、間抜けな部分はあったのかもな」などと思う高坂なのであった。
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秋山陽華は食事の間、ずっと高坂の様子を観察していた。見れば見る程、彼の雰囲気はコンビニで再会した頃と変わらない。
もっと言えば高校生の頃の何かに燻っているような雰囲気のまま、彼は年を重ねている。だから彼女は高坂の外見が変わっていても彼だと分かったし、今でも好きでいられるのだ。
それが秋山には喜ばしく、同時に一つの疑念を抱かせていた。
――霧様を恋人にしても、この男は何も変わらないのか?
そもそも高坂と霧は、大学時代からの長い関係だ。それだけでも二人の間には、余人の入りがたい絆があるのだろう。けれど、だからこそ恋愛関係に変わったのなら、何かしらの変化があって然るべきではないのだろうか。
実際、霧の方には変化があった。高坂に対する独占欲が以前よりも比べ物にならないくらい、強くなっている。
――いっそ、霧様の気持ちの方が分かるぞ。
霧の変化を思えば、変わらない高坂は異常だと秋山には思える。むしろ恋人になる前の関係をこそ、大切にしているのかもしれない。
――だとしたら高坂は、霧様と付き合い始めたことを後悔しているのだろうか?
そうであればいい、などと思う自分が酷く醜い存在に思えて、秋山はビールを何杯も飲んだ。
こんな風に心が歪んでいくのは、秋山陽華が未だに高坂良を想っているからである。
けれど彼女は自分の気持ちを、素直に受け入れない。
高坂の気持ちを聞き出すための協力をする――という久との約束を免罪符として、秋山陽華は高坂の心に触れたいと思っている。少なくとも彼女は、そう思い込もうとしていた。
けれど彼の心に手を伸ばそうと考えれば考える程ビールが進み、秋山陽華はついに目を回してしまう。それこそ、罪悪感の証なのであった。
「おい、秋山。飲み過ぎだぞ」
ついに目を瞑りウトウトとし始めたところで、斜め前の高坂に声を掛けられた。
「らいりょうぶら」
「うん、まったくダメだな」
という訳で夕食会はお開きとなり、四人は部屋に戻るのだった。
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