30 溺れるエルフ、高坂を掴む
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――秋山って、あんなに泳ぐの得意だったっけ……?
思わず高坂が目を疑ってしまうほど、秋山陽華は凄まじい勢いで泳いでる。コバルトブルーの海に白い飛沫が立って、ぐんぐんとエルフの美女は沖へと進んでいた。
だが、それも僅かの時間。いきなり動きを止めると、シンクロナイズドスイミングのように片足を海面に出し、ブクブクと泡を立てて沈んでいく。
「な、なんだッ!?」
少し離れた場所で泳ぎ秋山陽華を見守っていた高坂は、慌てて彼女が沈んた地点へと向かう。すぐに到達したが、秋山は一向に浮かんでこない。息を止めて海中へと潜る高坂の胸に、どす黒い嫌な予感が広がっていく。
だが幸い、すぐに秋山の姿を見つけることが出来た。もともと水深が二メートル程度の場所だったらしい。少し潜ると、秋山の鮮やかな金髪はすぐに見つかった。
高坂は焦った自分を恥じながら、秋山陽華を抱えて海面へと顔を出す。僅かに遅れて、ぐったりとしたエルフの頭も海面へと飛び出した。
「おい、秋山!」
「うっ……」
呼び掛けると彼女は口から水をぴゅーと吹き、目をショボショボとさせていた。
「おい秋山、大丈夫かッ!?」
「普段運動不足だから……溺れた」
意識がようやく戻ったのか、長い睫毛をヒク付かせながら薄っすらとエルフが目を開く。新緑のような瞳が涙と海水に塗れ、潤んでいた。その姿を見て高坂はホッと胸を撫で下ろし、安堵の息を吐いている。
「ふぅ……ま、そうだろうな」
「で、でも普段のわたしなら、こんなことにはならんぞ。水竜の加護を受けているのだ、本当だぞ」
「じゃあアレか。水竜に足でも引っ張られたのか?」
秋山の言い草に、高坂が首を左右に振っている。「砂浜まで泳げるか?」と問えば、「いや、足が攣ってる。ちょっと無理だ」と彼女は弱音を吐いていた。
「水竜に頼んで、治して貰えないのか?」
「治癒は白竜の仕事だ、管轄ではない」
「ったく、じゃあ水竜は役立たずじゃないか」
「それは……その……そうだが、今は高坂良の庇護下にあるからして……」
「それはさ、秋山。俺に砂浜まで運んで欲しいってことか?」
「う、うむ……」
目を逸らしながらも、秋山陽華の頬がほんのりと赤く染まる。
「そうか。じゃ、頑張らんとな」
高坂は今、秋山陽華を抱えて立ち泳ぎをしていた。足も付かない場所だし、正直しんどい。それでも苦笑して見せたのは、彼女に良いところを見せたいと思ったからだ。
秋山陽華も、本当は片足で泳ぐことが出来た。けれど高坂と密着している今を大事にしたいと思ってしまったから、より一層ぎゅっとしがみ付く。
高坂良は肌を焼く陽光を背に、冷たい水と暖かな秋山陽華を全身で感じ幸福だった。今なら力が無限に湧いてきそうだ。水を力強く蹴り、波を手で掻き分け懸命に泳ぐ。
二人の距離はベッドで共に眠る時よりも近く、そして鼓動は力強いものだった。
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何とか浜辺に辿り着くと、霧が駆け寄ってきた。高坂は秋山に肩を貸しながら歩いていたが、流石に限界だった。秋山を霧に委ねて、自分はドサリと音を立て砂浜に倒れ込む。仰向けだ。
流石に人を一人背負って海を泳ぎ、そのあと抱えて歩いたせいか、高坂の体力は限界だった。胸を大きく上下に動かして、荒い呼吸音を響かせている。
けれど、この疲労による倦怠感は心地良いものだった。
高坂はどこまでも高い青空を見上げ、笑みを浮かべている。背徳的で自嘲に満ちた笑みだった。
――なんだよ俺、ぜんぜん秋山のこと、忘れられていねぇ……。
泳いでいる最中、高坂はずっと秋山陽華の素肌に触れていた。そのせいか彼女の心が、自分に入り込んでくるような気がしていたのだ。
もちろん、科学的な証明なんて出来ない。だが秋山陽華の気持ちは、自分に向いている。それは疑いようの無い事実、そんな気がした。そう思いたかった。
「はぁ、はぁ……はは、はははっ」
「先輩、大丈夫!? ……って、なに笑ってんの? 意味わかんない。酸欠で頭、おかしくなっちゃった?」
霧がそんな高坂の顔を覗き込み、眉を顰めている。
恋人に心配させておきがなら、酷い男だと高坂は我ながら思っていた。
「すまない……わたしが遠くまで行ったせいで……」
「そうよ、陽華ちゃん! 久の言ったこと、ちゃんと聞いていなかったの!? 沖の方は急に流れが変わるし、サメもいるって言ってたじゃない!」
ションボリと項垂れ謝る秋山陽華を、霧が叱りつけている。
「だいたい陽華ちゃんはね、いっつも考えなしに動くから他人に迷惑をかけるのよ!」
「それは流石に言いすぎだろう。わたしだって好きで溺れた訳では無いのだし……」
「うっさいわね! 現に先輩に迷惑掛けてんでしょ!」
金髪エルフは更にモゴモゴと何かを言いかけたが、自分に非があることを認めて俯いた。というより、途中からは高坂に迷惑を掛けたくて掛けていたから、彼の恋人である霧に言われたら、もはや反論の余地が無いのだ。
「いいって、霧。秋山だって、それほど沖へ行ったわけじゃないから。ただ足が攣ったらしくて、泳げなくなったんだと。で、俺もほら、運動不足だからこのザマってだけで、そんなに大したことじゃあないからさ」
弱々しく親指を立てながら、高坂が強がりを言っている。そのせいか霧も秋山を責めるのをやめて、恋人の頭を自分の膝に乗せた。途端、高坂は罪悪感に襲われて。
――霧はこんなに俺を大事にしてくれているのに、俺は――……。
見つめ合う高坂良と霧を見て、秋山陽華は下唇を噛んでいる。そんな彼女の横顔を、かき氷を口に含んだ敏腕マネージャーが見つめているのだった。
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