29 ビーチ
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食事を終えた高坂達は、砂山ビーチへと向かっている。その最中、霧が真っ先に弱音を吐いた。
「ひぃ……何よこれ、ほんとに海へ向かってるの?」
霧が不満を漏らすのも無理はない。足場こそ砂地だが、植物に囲まれた細い道を上っていると、登山をしているような気になってくる。
「う、うむ……足元は砂だが……しかしこれは、登山のような……」
同調するように秋山も頷いて、首筋に浮いた汗を拭っている。高坂も不平こそ言わないが、内心では秋山と同じ気持ちだった。
そんな中、久あすかは霧の分の荷物も持っているにも関わらず、平然と先頭を歩いている。
――ロボットみたいだな。
久の後ろ姿を見ながら、高坂が軽い溜息を吐いた。律動的で規則正しい彼女に、人間らしい感情があるのだろうか。全ては会社と売り上げの為に動いているような、そんな印象さえ受ける女性である。
しかし三人は疲労した分だけ、海を目にした時の喜びが大きかった。
上り坂が終わり一気に眼下が開けると、そこには晴れ渡った空の下、煌めくようなコバルトブルーの海が広がっている。これを見て、三人が同時に感嘆の声を上げた。
「うわぁ……きれい」
「こ、これは……人間の世界はやはり美しいな……」
「おい、おいおい……こりゃ凄いな」
そうして足を止めた三人を振り返り、久あすかが思い出したように言う。
「ここで写真を撮る人、多いんですよ。ポイントなんです」
秋山はポンと手を叩き、カバンからスマホを取り出している。つられて霧もスマホを取り出し、二人はカシャカシャと海を写真に収めていく。
暫くそうしていると、後ろから何人かがやってきて、はしゃぐ霧を指さして言った。
「あ……霧様」
若い男女だったから、霧の事が分かったのだろう。帽子を被っていても青い髪は見えるし、サングラスをしたところでピアスは隠せない。
ちなみに彼等は男女三人ずつの六人組で、年齢は二十歳前後。まさに青春真っ盛りといった様子だ。バンドだけが唯一の青春だった高坂としては、歯軋りしたい思いで彼等を見つめている。
その中の一人、明るい髪の女性が霧に近づいてきた。
「あの……霧様ですよね? 良かったら写真、一緒に撮って貰えますか」
霧が動きを止めて、腰に手を当てている。若干頬が膨れているから、不満なのだろう。プライべートなのだから、声を掛けないで欲しいと思っているのかも知れない。
しかし霧は肩を僅かに竦めると、笑顔を作り言った。
「いいよ」
霧は声を掛けてきた女性と肩を組み、ピースサインをしている。
女性は頬を紅潮させて、満面の笑顔だ。一緒にいた他の男女もフレームの中に納まって、高坂がカメラマンをやっていた。
――何で俺が……。
などと思い頭を掻いた高坂だが、何となく幸せな気分にもなっている。霧に人気があるという事実が、奇妙に自尊心を擽るのだ。内緒であっても彼女が自分の恋人だから――なのかも知れない。
「ありがとうございます! これからも応援してます!」
「こちらこそ、ありがと! よろしくね!」
それから霧は全員の手帳やタオル、衣服などにサラサラとサインを書くと、手を振って彼等と別れたのだった。
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山を登れば、必ず降りなければならない。それと同じことが、このビーチにも言えた。いくら眼下に見える海が綺麗でも、そこへ到達する為には、それなりの距離を下らなければならないのだ。
そうして下った先にある海は、全員が語彙を喪失するほど美しいものだった。
突き抜けるような青い空に、ぽっかりと白い雲が浮いている。コバルトブルーの海は昼間の陽光を映して輝きに満ち、砂浜にある岩のアーチはどこまでも荘厳であった。
とはいえ――先程のことがあるから、霧は慎重になっている。深くかぶった帽子はそのままに、せっかく水着を着ているにも関わらず、白いパーカーを脱ごうともしなかった。
やはり先程の男女に機嫌よく対応したのは、営業の一環だったのだろう。塩対応などしたら、すぐにSNSで叩かれる時代なのだから。
「久、パラソルとビーチチェアー借りてきて。あとビール」
どうやら霧は、のんびりとバカンスを楽しむようだ。それに酒を飲むだけなら、顔を隠しながらでも十分に可能だった。
「ビールは借りられないわ、霧」
「ねえ、久。アンタ馬鹿なの? それともあたしのこと、実は馬鹿にしてる?」
「まさか。私、霧の馬鹿なところも大好きよ」
「ばっ……いいから、早く買ってきて」
ここで大きな声を出してはいけないと、霧は自制したようだ。
「パラソルとチェアーは買えないわ」
「いいから行けッ!」
結局、霧は白い砂浜の上で地団太を踏み、声を張り上げた。それを見て秋山は口を押さえ、「ぷーくすくす」と笑っている。
サングラスを少しだけ下げて、霧が金髪のエルフをギロリと睨んでいた。「陽華ちゃん……!」
「さて……せっかく海に来たのだし、わたしは少し泳ごうかな」
怯えたように肩を竦めながら、秋山が淡い桃色のパーカーを脱いだ。服の中から現れたのは白い肌と、フリルの付いたグリーンのビキニで、リーフ柄がいかにもエルフらしい水着である。
そんな秋山を、思わず高坂はポカンと眺めていた。
つばの広い麦わら帽子はそのままだが、輝く太陽を反射して煌めく黄金の髪が夏の風に揺れ、背中で踊っている。大きな胸はフリルのせいでさほど自己主張をしている訳では無いが、その下にある少し凹んだ臍が艶めいて見えた。
丸みを帯びた肩と、くっきりとした鎖骨のライン。そこから続く豊かな胸は、誰の目をも釘付けにするだろう。くびれた腰と丸みを帯びた臀部に至る造詣は、まさに神の御業を思わせた。しかも秋山陽華は美貌の内側に、小説賞をとってしまう程の文才まで詰め込んでいる。
――天は二物を与えず、なんて嘘だな。
高坂は思わず、そんなことを思っていた。だが考えてみれば、それは霧にも当てはまることで――……。
「いててて」
どうやら高坂は、随分と鼻の下を伸ばして秋山陽華を見ていたらしい。耳を霧に引っ張られて、思わず体制を崩してしまった。
そこへパラソルやビーチチェアを借りた久が戻ってきて、秋山に忠告をする。
「泳ぐなら、あまり遠くへ行ってはダメですよ。潮の流れが急に変わりますから、流されてしまいます」
「そのようなこと、分かっている。子供ではないのだ」
「むふん」と大きな胸を張り、大股で歩き出す秋山陽華。その姿が不安に思えたから、高坂も急いで海へと向かう。
「あ、俺もせっかく海に来たんだから、少し泳いでくるわ」
霧は缶ビールを口に付けると、ビーチチェアに寝転んだ。
今となってはもう、高坂を完全に射止めたという自信がある。少しくらい二人で遊ばせても、問題は無いと考えているのだった。
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