28 南国の風
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八月初旬、高坂の夏季休暇に合わせて秋山と霧は休みを取った。秋山陽華は沖縄本島を希望したが、それは目立ちすぎるだろう、という理由で三人が向かった先は宮古島である。
高坂は、どちらにしても同じだろうと思ったが、結局どちらでも良いので反対はしなかった。
秋山陽華としては、南の島でゴロゴロしながらビールが飲めたら、それで良いらしい。近頃は忙しく働いているが、どうやら彼女は根本が怠惰なエルフのようであった。
昼前に空港に到着した高坂は八月の真っ青な空を見上げ、「おお」と感嘆の声を上げている。気温は東京を上回るほど暑いのに、乾燥した空気が爽やかだった。ぽっかりと浮かぶ雲は綿菓子のようで、ゆったりと青い空を流れている。
「さすが南国だ、いい天気だし風が心地よい」
「良かったねぇ、陽華ちゃん。なんか屋根も沖縄っぽいし」
「うむ」
麦わら帽子を被った秋山が、満足そうに頷いている。
三人が休暇の間、雨は降らない予報だった。それを証明するかのように空が晴れ渡っているから、霧もサングラスの奥で目を細めている。
秋山陽華は大きなキャリケースを引きながら、空港の外を歩いていた。彼女は大きな麦わら帽子で細く長い耳を隠し、色の濃いサングラスを掛けている。近頃気に入っているアロハシャツは黄色地で赤い花の柄があり、大きな胸がそれを持ち上げていた。
霧の方は黒いキャップを被り、黒い長袖のTシャツを着ている。耳にある無数のピアスが昼間の陽光を反射して、ギラギラと輝いていた。どうにも彼女は夏が似合わない女であった。
実際に霧は時々舌を出して「はぁはぁ」と息切れをしていたし、高坂など、「霧のヤツ、本当は来たくなかったんじゃないか?」と思ってしまう程である。
高坂は二人の美女の後ろについて、空港のロビーを出た。外に迎えの車が来ているはずなのだが、見当たらない。そう思ってキョロキョロしていたら、一台のバンが軽く二回、クラクションを鳴らしている。
「あれじゃないか?」
白いTシャツにチノパンという、三人の中で最も冴えない格好の高坂が黒いバンを指さした。国産にしては大きく、いかつい風貌の車だ。
三人分の荷物を積み、かつ居住性を確保するという意味では無難な選択だと高坂は思う。この車を選んだのは霧のマネージャー、久あすかなのであった。
三人が近づくと久は車から降り、軽く会釈をする。それからバックドアを開けて、荷物を入れる手伝いをしてくれた。
久あすかは赤黒チェックの開襟シャツに、黒いパンツ姿という比較的ラフな服装だ。しかし彼女は他の三人と違い、単に遊びに来たわけでは無かった。
バンドを脱退する代わりにソロデビューを約束した霧は、高坂に作曲を依頼している。しかし高坂が首を縦に振らないから、マネージャーである久がこうして彼を説得する為、旅行の便宜を図ってくれたという次第なのであった。
お陰で旅行の計画など立てたことの無い秋山、霧の両名と、出不精な高坂の三人は無事、宮古島まで辿り着けたのである。加えて現地でレンタカーの準備をして貰うなど、至れり尽くせりなのであった。
もっとも久あすかは、元々が高坂のファンである。その意味で彼女はこの仕事を楽しんでいたし、やる気にも満ち溢れているのだった。
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秋山と霧が後部座席に乗り込み、高坂は助手席に座った。有名人の二人が顔の見えない位置に座るのは当然なので、自然な流れであろう。
「いろいろ、ありがとうございます」
「いえ、業務ですからお気になさらず」
高坂が久に頭を下げると、彼女は表情を変えないまま赤い眼鏡を掛けた。車の運転をするのに必要ということだろうが、その後は無言で高坂を舐めるように見つめている。
「あの、出発しないんですか……?」
「あっ……つい、見惚れてしまいました」
「……は?」
思わずゾッとした。
久はスレンダーな美人だが、ときどき獲物を狙う蛇のような目で高坂を見ているのだ。今がそうだった。高坂にとっては自分に「曲を書かせようとしている」相手だから、彼女ことが少し苦手なのである。
けれど久は何事も無かったかのように車のオーディオを操作し、インディーズ時代に発売したシルヴラウの曲を流し始めた。同時に車を発進させて、ホテルに向かう旨のアナウンスもする。
「ホテルはすぐそこですから、まずはお部屋へ行って荷物を置いて下さい。昼食までは各自、自由に行動なさって大丈夫です。その後は砂山ビーチにご案内しますね。夕日がとっても綺麗ですよ」
軽快に車を走らせながら、久は淡々と説明をした。その間も高坂が作った曲が流れているから、彼としては気が気では無かった。何しろ秋山を想って作った曲を霧が歌っているのだ、平静でいられるわけが無い。
「ありがとう、久さん、うん、分かりました。それはそうと、曲、変えませんか?」
「どうしてです、高坂さん。私、このアルバム好きなんですよ。ちゃんとライブハウスで買ったんですから。懐かしいですね」
「あ、それはありがとうございます」
手売りをしていた当時、ライブハウスで買ってくれたのなら本当にファンなのだろう。そう言われたら、いくら苦手な相手だと思っていても、感謝の気持ちがこみ上げてくる。
当時のことをふと思い出して、高坂は胸が熱くなった。そういえばネットで注文してくれた人も多くいたし、そうしたファンから温かいメッセージを貰ったことも結構多いのだ。
――あの頃は、確かに楽しかった……のかな。
高坂が昔を想いながら視線を外の景色に向けていると、久が再び口を開いた。
「そもそも私の目的は、高坂さんに霧のソロアルバムの作曲をして頂くことなのですから、こうして高坂さんの曲をかけるのは、ごく自然なことでしょう」
「作曲って……それはもう、お断りしたでしょう。プロで有名な作曲家さんだって沢山いるんですから、そちらにお願いして下さい」
「そう仰られても、社長も高坂さんの新曲を大変気に入っていまして。高坂さんに曲を書いていただけないと、私の立場が……」
高坂は頭をガリガリと掻き、後部座席の霧を見る。彼女はあえて目を合わせないよう、流れる車窓を見ながら口笛を吹いていた。
「おい、霧ッ! 元はと言えば、お前が変なこと言い出すからだぞ!」
高坂が声を少しだけ荒らげると、霧は苦笑して見せた。
「ねぇ、先輩。久は何も、今の仕事を辞めろって言ってるわけじゃないでしょ。それにさ、ウチに来てから書いた曲、結構あるじゃん。それを使わせて貰うだけだって。仮に売れなくても、先輩は何も変わらないよ」
「会社としては売れないと困りますけど、まあ――私も社長も売れるって、信じていますから」
高坂は両手で頭を抱えた。そうしている間にホテルに到着したらしく、秋山が嬉しそうな声を上げている。
「おお! ホテルにヤシの木が生えているぞ! いかにも南国だな、ここは!」
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