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26 好きと言って

 ■


 秋山陽華がキョトンとして、高坂と霧を見つめている。まるで珍しい生き物を見つけたかのような、そんな表情であった。


「恋人になったというのに、二人だけの時間を大切にしようとは思わんのか?」

「それは、秋山に心配されることじゃないだろ」

「むしろあたし達と一緒にいるの、陽華ちゃんが気まずかったりする?」

「いや、わたしは――……」

「んー、違うよね? だってエルフにとってはさ、あたし達人間なんて犬や猫と一緒なんでしょ? ねぇ、ねぇ~~~」


 霧が秋山に抱き付いたまま、彼女の白く柔らかな頬を指でツンツンとつついている。


「そ、それは――……ちょっとした言葉のあやでだな……」

「じゃあ、気まずいの?」

「……んむ、いや、多少は気にするが、まあ――実際のところ邪魔だと言われたら、正直困るところであった。わたしとしては無職だし働きたくも無い。しかし高坂と霧様が二人の時間を大切にしたいということであれば、流石に考えねばならんからな」

「だから、そんなこと無いって言ってるだろ」


 高坂が眉間に皺を寄せて言う。

 彼としては霧と恋人になってもなお、秋山陽華と一緒に暮らしたいと思っていた。願望に醜さを感じつつも、高坂良はまだ、高校生の頃の自分と決別出来ないでいる。


 一方、秋山陽華は目を瞑り唸っていた。

 どうやら「――ここにわたしがいることは、邪魔なのではあるまいか……?」というのは、彼女なりに気を使った発言であったらしい。

 

 もちろん肯定されれば、本気で出て行くつもりで言っている。だから、いっそ二人には頷いて欲しかった。好きな人が自分以外の誰かと愛し合う姿を見てしまうのは、とてつもなく辛いことだからだ。

 しかし否定されたことで秋山はホッと胸を撫で下ろし、頷いている。たとえ辛くても、高坂とは離れたくないらしい。その心理が、自分でも理解できなかった。

 

 高坂は野菜ジュースを飲み干すと、溢れそうになる感情を抑えるように、抑揚のない声で秋山を横目に言った。


「三人でも持て余しそうなほど広い家なのに、俺と霧の二人だけで暮らすってのもな。秋山が居てくれた方が、何かと楽しいと思うんだ」

「そう言ってくれると、安心する。せかっく引っ越して来たのに、また出て行くのは嫌だしな」


 高坂と秋山の理性は、お互い側にいてはいけないと警告している。けれど感情が離れることを拒んでいるから、こうしたまどろっこしい言い方になってしまうのだろう。


「そうだよ、陽華ちゃん。最初から三人で住もうって話してたんだから、遠慮しないでいいんだよ。約束も守ってくれたし、出て行く必要なんて少しも無いんだから」

 

 霧が食器を洗いながら、真剣な眼差しで秋山を見つめていた。

 どうやら霧が秋山に抱いた友情は本物のようで、これは心からの言葉のようだ。

 高坂と結ばれた今、霧の彼女に対するライバル心は下火になったらしい。

 

「はは、そう言って貰えると、気が楽になるな。さて――と」


 秋山は朝食を食べ終えると、立ち上がった。


「寝るのか?」

「いや、今日はキリの良い所まで書こうと思っている。だからまだ、寝ないつもりだ。ただ――」


 高坂の質問に首を振って答え、それから瞼を左手で擦った。


「ただ、なに?」


 食器を洗い終えた霧が、小首を傾げている。


「今夜は、わたしも一緒に寝るぞ。やはり高坂に頭を撫でて貰わないと、ゆっくり眠れん」

「え? 陽華ちゃん、あなたには遠慮とかないの? あたし達、超付き合いたてなんだけど」

「わたしは約束を果たした。であれば、この程度はいいだろう」

「え、あ、う、うん、そうだね――分かった、今夜は三人で寝よう」


 霧が表情を引きつらせながらも、頷いている。

 高坂には何のことか分からなかったので、頬を指でポリポリと掻きながら、二人を見守るのだった。


 ■■■■


 再び二人きりになった高坂と霧は、どちらからともなくプライベートスタジオへと向かった。扉を閉めてアコースティックギターを手に取ると、高坂は無言でいくつかのコードをなぞっていく。


 決められた曲を演奏する訳でもなく、ただ気が向くままにギターを奏でる。その上に霧が「ラララ」と声を重ねれば、それだけで十分に人々を魅了する音楽になるのだった。


 といって、この場所には高坂と霧が二人だけ。誰に聞かせるでもないメロディーが空気を震わせ、確かな熱量となって彼等の周囲を包んでいく。


 高坂の弾くギターを一本の柱に例えるならば、霧の声はそれに絡みつく紫色の大蛇であった。だからと言って禍々しいものではなく、翼を持たず竜になれない悲哀を漂わせる、それはまるで紫水晶アメジストのように美しい大蛇であった。

   

 そうかと思えば霧が清楚な少女のように澄んだ声で歌う。すると高坂のギターは彼女を彩る純白のワンピースのように、柔らかく彼女を包み込んでいく。

 要するに二人の息はぴったりで、非の打ちどころがないのだった。


 三十分程して高坂が演奏を止めると、霧もソファーに座って一息を付く。示し合わせた訳ではなく、ごく自然な流れであった。

 

「くっ、あははッ!」

 

 唐突に霧が笑い始めたから、高坂もつられて笑う。「はは、あはは」


 ギターを壁に掛けて、高坂は霧の隣に座った。少しだけ汗ばんだ彼女の首筋が、昨夜の行為を思い起こさせてドキッとする。

 

「先輩がくれたギター、あそこにあるよ」


 霧がクリーム色のテレキャスターを指さし、ニヤリと笑っていた。


「昨日、弾かせて貰ったよ。調整もされてて、弾きやすかった」

「当たり前だよ――いつかさ、先輩がここに来ると思ってたから」

「なんで?」

「また一緒に音楽やるんだって、そういう運命だって思ってたから」

「お前さ、俺と音楽がやりたくって、セックスしたの?」

「いいね、そういう歪んだ考え方。あたし――嫌いじゃないよ」


 目を細めて笑い、霧が高坂の首に両腕を回した。そのまま唇を寄せて、二人はキスをする。ソファーの上でもつれ合い、絡み合って。


「ねぇ、先輩。今夜は陽華ちゃんと一緒に寝るから、ここでヤっとこうよ」

「お前さ――昨日の今日で凄いな」

「先輩だって、ほら――」

「そんなの、お前が乗っかるから……」

「ねぇ、先輩――好きって言って」

「お前が言えよ」

「やだよ、そういうのは男の人が先でしょ」

「そういう価値観、好きじゃないね」

「あたしのことは?」

「大事な人だ……たぶん、一番」

「あたしは好き、先輩の事が地球の誰よりも」


 こうして二人は空に赤みが差してくるまで、たっぷりと愛し合った。それから高坂はテレキャスターを手に取り、アンプへ繋ぐ。上半身は裸のままだった。

 何とはなしに昨日出来上がったリフとメロディーを弾くと、ソファーに身を沈めて猫のように丸くなっていた霧が、両目をパチリと大きく見開いている。


「先輩――なに、その曲!?」

「え、曲って程のもんじゃないよ。昨日、何となく思い付いたからさ」

「それ、録音しようよ」

「いや、そんないいもんじゃないからさ。するっと忘れてくれ」

「いや、これはいいもんだ! 録音しとくべきだね!」

「あ、あぁ……? 面倒くさいなぁ」


 高坂はしぶしぶ頷き、霧がシステムをセットした。

 簡単にループさせたリズムに合わせ、高坂がギターを弾く。

 曲として構成される程に洗練されてはいなかったが、やってるうちに高坂も面白くなったのだろう。街が薄紫の闇に包まれる頃、いつの間にか一曲としての体裁が整っていた。


「名曲になるよ、これ……」


 霧は打ち震えて、幾度も聞きなおしている。

 高坂は照れ隠しに「おー」と拳を上げて、部屋を出て行くのだった。

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