24 好きな人と好きになりたい人
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「あ、秋山」
掠れた声で高坂が言うと、秋山陽華は僅かに頭を振った。揺れる黄金色の髪は、まるで星屑が地上に振ってきたかのようだ。
「じゃ、邪魔をするつもりは無かったのだ。ちょっと髪留めのゴムを取りに来ただけで……」
「髪留めのゴム?」
霧が上半身を起こし、冷たい声で言った。彼女にしてみれば、邪魔をするなと言ったにも拘らず、またも現れた秋山が許せないのだ。いよいよ彼女も高坂のことが好きなんじゃないかと、疑いの眼差しを向けている。
秋山陽華は指を伸ばして、サイドテーブルの一点を差した。
「そこだ……」
霧がサイドテーブルに目をやると、確かにそこにはヘアゴムが置いてあった。
「はぁぁぁぁぁぁ――……」
小さな竜巻が出来るのはないかと思う程、長く深い溜息を霧が吐く。肺の中の怒りを、空気と一緒に全て出したような感じだ。彼女はガシガシと髪を掻きまわして、秋山のヘアゴムを手に取った。
「はい――ヘアゴム。こんなの、自分の部屋にもあるでしょ、わざわざ取りに来なくったって……」
「こ、これがお気に入りなのだ。これでなければ、執筆が捗らぬ」
「あ、そう」
「すまない――邪魔をしてしまって」
秋山はヘアゴムを霧から受け取ると、寂しそうに踵を返した。その背中が泣いているように見えたから、高坂は思わず声を掛けて……。
「秋山――一緒に寝ようって言ってたのは、お前だろ? なのに、これから小説を書くのか?」
「う、うむ……邪魔をしては悪いし」
「邪魔?」
「うむ……その……、お前達はセックスをするのだろう。だから、わたしが居たらじゃまかなぁと……」
秋山陽華は肩越しに高坂を見て、軽薄そうに言った。強引に笑みを浮かべ、肩を竦めて見せる。
暗がりでなければ、その目に涙が溜まっている様を高坂良は見ただろう。しかし今は暗く、彼女の瞳は遠くに見えた。
「秋山は、俺と霧が同じ家でセックスをしても……平気なのか?」
高坂の心に、奇妙な怒りが湧き上がってきた。それで、こんな質問をしてしまったのだ。
抱き合い、唇を近付け合った間柄だから、彼女には自分に対する好意があると思っていた。あるいは――思いたかった。そんな彼の希望が秋山陽華の軽薄に思える言動によって、裏切られたような気がしたのだ。
だから高坂は、たまらなく悔しく、悲しくて、それが怒りに変わってしまったのである。
「気に――ならない。だってお前達は人間で、わたしはエルフだ。例えは悪いが犬や猫が同じ部屋で交尾したところで、気になどなるまい? ――いや、なったとして、それは、その……なんだ……そういう間柄なのだなぁと思うだけのことだろう」
秋山陽華は高坂と霧に背を向け、胸の前で手を組んでいた。ギュッと握った手の平は白くなり、小刻みに震えている。
自分で言っていて、酷く悲しかった。涙がポロポロと零れてくる。「気にならないはずが、無いだろう!」――そう叫びたいのに、高坂の幸せを思えば言う訳にはいかなかった。
言い終えると秋山陽華はエレベーターに乗り、下の階へと降りて行く。彼女はリビングで一人、力尽きたように座り込むのだった。
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「ふぅ」
夜空を見上げながらため息を吐く高坂の腕に、霧がそっと頭を乗せる。
「陽華ちゃんも酷いこと言うよね。まあでもエルフにとっては、あたし達なんて犬や猫と一緒って、確かにそうなのかもだけど」
秋山の態度に満足した霧は、言葉と裏腹の笑顔だった。高坂の服の中に手を入れ、足を絡ませて耳元に甘い吐息を吹きかけている。
高坂は苛立ちからか、そんな霧を受け入れていた。「秋山が気にならないってんなら、好きにしてやる」――そんな気持ちからだ。
しかし反面で、霧を受け入れることには躊躇いがあった。
これが行きずりの女であれば、高坂も躊躇わずに抱いてしまうだろう。だが霧は違う。古い友人であり絶対に失いたくない仲間であった。
そんな彼女を一度でも抱いてしまえば、もう元の関係には戻れない。だというのに秋山へ腹を立てたから――などという理由で一夜の関係を結びたくはなかった。
だから先程から身体を摺り寄せ、唇を肩や首筋に這わせる霧に高坂は諭すように言う。
「なあ、霧――俺にとってお前ってさ、凄く大切な存在なんだ。だけど恋人として見ることは……」
「今は出来ない――って言うんでしょ。でもさ、ちゃんと勃ってたじゃん、お風呂で」
「そりゃ、そうだけど……そういうことじゃなくて」
「あたしのことが大事だから、抱きたくないって言うんでしょ。でもね、あたしは先輩が大切な人だからこそ、抱かれたいの。これ以上傷付く先輩を、見たくないから」
「俺が、傷付く?」
「そうだよ――あたし、先輩の曲をずっと歌ってたんだよ? だから、知ってるんだ……全部」
「霧、お前……」
「だからさ、あたしのことを好きになるように努力してみなよ。そうしたらあたし、先輩の為に何でもする――あたしにはね、先輩しかいないんだ、だから――……先輩も忘れちゃいなよ、もう……」
「忘れろ、か……」
高坂の頭の中で、さっき秋山に言われた言葉が繰り返されている。だからこそ、何かに縋りたくなったのかも知れない。気付けば彼は、霧に頷いていた。
「ああ、分かったよ。お前の事を女性として好きになるよう、努力をしてみる。でも、もしかしたらそれが、お前を苦しませることになるかも知れないぞ」
「いいよ、努力してくれるだけで」
「いやダメだ、やっぱり、こんなの。俺、卑怯だな」
「どうして?」
「だってお前は俺を一途に思ってくれていて、なのに俺は――……」
「いいよ、そんなの。先輩いま、あたしの側にいるって決意してくれたんでしょ? それが凄く嬉しいから……」
「そんなの分かっ――んっ!?」
高坂に最後まで言わせず、霧がその唇を奪った。一秒、二秒と経過していく。けれど今度のキスは、高坂も受け入れていた。
二人の舌が、お互いの心を探るかのように絡み合う。霧は身体の芯が熱くなり、強く高坂の身体を抱きしめた。
高坂も霧を抱きしめ、二人はいつしか裸になる。
愛おしそうに霧は高坂を受け入れて、高坂もまた、霧を愛そうと努力した。
行為が終わると、霧は自分の気持ちを滔々と語り始めて――。
二人は服を着ないまま、空が白み始めるまで身を寄せ合うのだった。
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