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23 夜空の下で

 ■


 高坂は自室へ戻るとベッドに転り、天井を見つめていた。今まで見上げていた天井とは違う、高く奥行きのある天井だ。LEDのダウンライトに目を細めて、彼はゴロリと寝返りを打っている。

 このまま眠る――などということは出来そうもない。さっき部屋を暗くして目を閉じてみたら、霧の裸体が瞼の裏にくっきりと映っていた。


 もちろん眠れない理由は、それだけではない。

 

 霧が自分のことを想っていた――という事実が受け止め切れないのだ。

 それと同時に、パスタを作っていた時の秋山の反応も気になる。追い打ちをかけるようにバスルームで、彼女は言った。


「……わたしとは、一緒に入りたくないのか?」


 ――あれはつまり、秋山は俺となら風呂に入ってもいいってことだよな。てことは彼女も、俺の事が嫌いじゃあない……と。


 そもそもシェアすら出来ない1Kの部屋で一緒に暮らし、今またルームシェアをしようというのだ。どんな事情があろうと、秋山にとって自分は嫌いな相手ではないのだろう――そうは思うのだが。

 しかし高坂は元来が慎重で臆病な男だった。だから秋山の真意が、はっきり掴めずにいるのだ。


 だからといって彼女に真意を問い質し、「ただの友達だ」などと言われたら立ち直れない。

 それどころか、「友達だから俺の腕に頭を乗せて眠り、一緒の風呂に入りたいって言ったのか!?」とでも言って、高坂は怒りだしてしまうだろう。

 

 とはいえ高坂も、自分の気持ちを言葉にしていなかった。

 好きだという気持ちに偽りは無いが、だからといって先々を見据えた上で秋山と恋人になれるか? と問われると、途端に難しくなってしまう。


 高校生の頃なら、何も考えなかったはずだ。

 しかし、お互い二十七歳になった今、「結婚」という言葉がどうしてもチラついてしまう。

 その時、人間とエルフという種族の差は、どうしても大きかった。

 

 だから、高坂は悩んでしまうのだ。


 ――秋山陽華がいて、霧がいる。


 出来る事なら高坂は、霧の気持ちに応えてやりたいと思う。


 高坂にとって霧は、失うことの出来ない大切な存在であった。

 それはギタリストとして理想とするボーカルだからかもしれないし、そうであったから友人としての絆を感じているのかも知れない。ともかく高坂は霧との関係を、非常に貴重なモノだと考えている。


 だからこそ彼女が自分のことを好きだというのなら、その気持ちに応えてあげたいと思うのだ。それだけのモノを霧は、既に高坂にくれていた。


 けれど霧の気持ちに応えようと考えれば、一方で秋山への想いが膨れ上がってくる。

 高校生の頃からずっと好きだったのだ。

 そして今、一緒に暮らしている。ましてや抱きしめたとき、彼女は拒否しなかった。


 だが――彼女はエルフだ。


 真剣に付き合えば付き合う程、違いが明確に浮き出てくるだろう。


 例えば寿命だ。


 エルフの寿命は人間の二倍。そして二十歳以降の成長は――老化と置き換えてもいいが――半分である。

 当然だが確実に高坂が先に死ぬし、二人の間に子供が出来ても、その子供すら彼女よりも先に死ぬかも知れないのだ。


 このような未来が待っているとして、高坂は秋山に「幸せにする」――とは口が裂けても言えなかった。

 第一エルフは美形揃いだ。自分のような日本人が、彼女と釣り合うわけもない――と思ってしまう。

 だから彼女と結ばれた場合、高坂自身は幸せになれるかもしれないが、一方で秋山を不幸にするのではないか――という不安が尽きないのだ。


 そんな風に悶々としていた時、部屋の外から秋山の声が聞こえてきた。


「高坂、入っていいか?」

「ん――おう」


 扉が開くと同時に、高坂も身を起こす。

 彼の目の前に立った秋山は、どうやら入浴を済ませてきたらしい。黄緑色のパジャマを着て、長い金髪はまだ、僅かに濡れているようだった。


 ■■■■


「また三人で一緒に寝よう」


 秋山にそう言われて高坂が霧の寝室へ行くと、ガラス張りの天井には美しい夜空が映っていた。東京のど真ん中だというのに、星々が降ってくるようだ。

 タワーマンションの最上階というのは、こういった景色の値段も込みでやたらと高いのだろうか――そんなことを思いながら高坂は、霧の隣で横になる。


 大きなベッドの脇には、小洒落たサイドテーブルが置いてあった。上に乗っているのはヴィンテージワインのボトルとグラスが二つ、それから小さなナイトランプだ。


 霧がグラスにワインを入れて、高坂に差し出した。


「まだ飲むのかよ」

「いいじゃん、夜景と夜空を見ながら乾杯しよっ」


 言われてみれば天井と同じくガラス張りの側面からは、色とりどりの光に満ちた東京の夜景を見渡すことが出来た。

 高坂はワイングラスを手に、窓辺に寄る。高速道路を走る車のライトが、次から次へと流れては消えていく。こうして見ると、まるで蛍が列をなしているかのようであった。


「これさ、朝――眩しいんじゃねぇの?」


 あえて高坂が情緒の無いことを言うのは、霧の気持ちに応えられないからだ。自分の気持ちの整理がつかないのに、妙な雰囲気になりたくはなかった。


「ん……カーテンが自動で閉まるから、問題ないよ」


 霧が高坂の隣にやってきて、頭を肩に乗せる。それからグラスを差し出し、乾杯をした。

 高坂の気持ちを知ってか、逆に霧は積極的だ。


「乾杯なら、秋山が来てからの方が良かったんじゃないか?」

「ああ……陽華ちゃん、夜の方が小説書くの捗るって言ってたから――何時に来るか分からないしね」

「いつも一緒に寝てたんじゃないのか?」

「さあ、あたしが出かけた後、寝てるのかもしれないね――陽華ちゃん」

「おい、じゃあ三人で寝ようってのは――……」

「それ、陽華ちゃんが言ってたんでしょ? だったら来るんじゃない?」


 そっけなく言いニヤリと笑って、霧がワインを飲み干した。

 高坂は呆れたように頭を振って、ベッドへと戻る。

 夜景を眺めつつワインを飲むというのは、やってみると案外すぐ飽きるものだ。

 というより、そういった趣味に高じられるほど、高坂の精神は金持ちに馴染めないのかも知れない。


「まあいい、とりあえず寝るわ」


 ワインを一息で飲み、横になる。

 どうせこれ以上は飲むつもりも無かったので、高坂はすぐに目を瞑った。

 しかしその上に霧が身体を被せ、彼の首筋にキスをする。


「先輩――あたしお風呂で先輩がどうなってたか、見たんだよ」

「どうなってたかって……何がだよ?」

「なにって決まってるじゃん……アレだよ。すごい勃ってたじゃん」

「お、おまっ……!」

「したいんでしょ? だからさ、今、二人っきりなんだし、しよ? キスだってもう、したんだし……」


 高坂も健康な男だ――先ほど彼女の裸を見て、大きくなってしまったのは仕方がない。

 しかも今、暗がりの中で霧が身体を密着させている。彼女の胸が高坂の胸に当たり、風呂上がりの爽やかな香りが彼の鼻孔を擽っていた。


 当然、高坂の脳裏には霧の裸体が蘇り、抗しきれない欲望が鎌首を擡げてくる。それで思わず霧の身体を抱きしめ、身体の上下を入れ替えてしまった。


 だが、そこで秋山の悲しそうな顔が瞼の裏にチラ付き、寸でのところで理性を呼び戻す。再び仰向けになると、高坂は言った。


「だからさ、セックスってこんな軽い感じでやるもんじゃないだろ……特にお前とは」

「なんで、あたしとはダメなの?」

「だってセックスした途端に、今までの関係が全部崩れるだろ。そんなの――勿体ないじゃねぇか」

「あたしはさ、壊したいんだよ。壊してから――新しく作りたい……友達じゃあなく、恋人として……ねえ、それってダメなの?」


 霧の震える声が、高坂の胸に突き刺さる。

 

 ――霧が恋人になる……それも、いいのかもな……。


 そう思った瞬間、暗い部屋の中に黄金色の光が浮かび上がる。それは星空を反射して輝く、秋山陽華の金髪なのだった。

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