22 秋山陽華の堂々巡り
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「おーい、霧様! 電話だぞ!」
秋山のくぐもった声が聞こえた。
高坂は霧の背中に回しかけた手を止め、慌てて彼女から身体を離す。
完全に霧のペースに飲まれていたが、考えてみればこの家には秋山もいるのだ。万が一今の状況を見られたら、どう思われるだろうか。
最悪だ――と直感的に高坂は思った。
霧への申し訳ない気持ちと同時に、高坂の中には未だ消せない秋山陽華への想いが燻っている。それどころか先程彼女を抱きしめた時、再び燃え上がったと言っても過言では無かった。
だからこそ、この状態を秋山には決して見られたくないと思ったのだ。
ザバッ――
霧が細く整った眉を吊り上げ、立ち上がった。
高坂の目の前に彼女の下半身が露になって、どうしようもなく欲望が鎌首を擡げてくる。
そんなことにも霧は構わず、バスルームの扉を少しだけ開いて彼女は言った。
「電話なんて、そんなの、わざわざ言いに来なくていいって!」
「あっ、なんだ霧様――高坂と一緒にお風呂か?」
「そうよ! だからあっちへ行ってよ! 邪魔しないで!」
バンッと乱暴に扉を閉めて、霧が再び湯船へと戻ってくる。彼女の内心は、どうしようもない怒りが渦巻いていた。
――邪魔しないでって言ったのに! 陽華ちゃん、何なのよ!
声に出すことが出来ないから、余計に腹が立つのだ。だというのに陽華は人の気も知らず、更に扉の先から言い募る。
「ずるいぞ、二人とも。わたしも一緒に入るからな――……」
スルリ、スルリと服を脱ぐ音がする。
霧は両手で頭を抱え、ガリガリと掻き毟るような仕草をしていた。
「なんなのよ、陽華ちゃん……!」
流石に高坂も慌てふためき、「お、おお……?」と声を裏返らせている。
「ま、待て、秋山! これは事故なんだよ! わざわざ一緒に入ろうと思って入ったワケじゃない! ここでお前まで入ってきたら、俺、風呂から出られなくって完全に逆上せちまうだろ!」
高坂は立ち上がり、さきほど霧が脱ぎ捨てたバスタオルで股間を隠して扉の前まで行った。そこでチラリと顔だけを出し、「もう限界なんだよ! ほら、顔だって真っ赤だろ!」と情けない表情で訴える。
「……わたしとは、一緒に入りたくないのか?」
そう言う秋山陽華は、シャツに手を掛けたところであった。
「そうじゃない――ていうか、霧と入ってたのだって、望んで入ったワケじゃない!」
「じゃあ、わたしとなら望んで入るか?」
おずおずとした上目遣いで、秋山が言う。照れ臭いのか、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
高坂は何とも言えず、小さく頷いている。「入りたい」と素直に言えないのは、背中に霧の視線を痛いほど感じているからであった。
「……む、ならば、分かった。今は退散する」
秋山は小さな笑みを浮かべ、コクンと頷いている。それから再びパーカーを羽織って、脱衣所を後にした。
高坂はチャンスとばかりに脱衣所へ出ると、急いで身体を拭き自室へと逃げるように駆け去って行く。後ろを振り向いたら、裸の霧から逃れることが出来ない――そんな気がしたからだ。
「何なのよ、陽華ちゃん……」
霧は浴槽の淵に腕を乗せ、その上に顎を置いて奥歯を「ぎりッ」と噛みしめた。
■■■■
秋山陽華は自室に戻ると、机を前にPCの画面をじっと見つめていた。
小説の続きを書くつもりであったのに、真っ白い画面には一文字たりとも書かれていない。彼女はさっきから三十分程、そのままの状態であった。
決してPCがフリーズしてるのではない、本人が固まっているのだ。
――やっぱり、わざとらしかったであろうか?
――しかし霧様の電話は鳴っていた、それは事実だ。
秋山陽華自身、先程は霧と秋山の入浴を邪魔する意図が明確にあった。けれど霧に高坂との関係を応援する約束をしてしまった手前、罪悪感がある。
何より自分自身の気持ちを、霧には伝えていない。だから邪魔をすることが、酷く後ろめたかったのだ。
それと同時に、「人間は人間と結婚するべきだ」と結論付けた自らの価値観にも、反することをした。
これが秋山を悩ませ、フリーズさせる主な原因となっているのである。
――結局わたしは、希望を抱いてしまったのだ。高坂の気持ちが、わたしに向いているような気がして……。
こんなことを考えながら煩悶として、秋山はボンヤリと画面を見つめていた。
何も考えないようにしようと思えば思う程、小説の続きを書こうと思えば思う程、秋山の心には高坂への想いが溢れていく。先程パスタを作っていた時の出来事が、何度も脳内で繰り返し再生されていた。
もしもあのまま霧様が帰って来なければ、キスをしていたかもしれない――と思う。
そうだとしたら、霧を応援するなどということはナンセンスだ。自分の恋人を他人に差し出す馬鹿者が、一体どこにいるというのだろう。
けれど仮に霧様が帰って来なくても、どちらかが顔を逸らしたような気もする。
というより、その可能性の方が濃厚だろう。
何しろエルフと人間だ――価値観も寿命も違い過ぎるし、今ここでキスをしたところで、未来が明るいとは思えない。エルフと人間が結婚する為には、いくつものハードルを越えなければいけないのだ。
もし仮に高坂と恋人になれたとして、結婚に至る途中で挫折などしたら、自分はもう立ち直れないのではないか。そう考えたら結局、人間は人間と結婚し、子を産み育てた方が良いと思ってしまうのだ。それが高坂の為でもあるし、自分の為のような気がする。
だが――そう思うと今度は再び、いや、違う――と考えて。高坂を諦めたら、今度は誰も好きになれない気がするのだ。
結局、秋山陽華は三十分ばかり、こんな思考の堂々巡りを繰り返していたのである。
――コンコン、コンコン、コンコン。
暫くノックの音が続いていたが、秋山が気付いたのは何度目の事だったであろうか。
「あっ、開いているぞ」
「もう、寝ちゃったかと思ったよ!」
扉を開けて入ってきたのは、湯上りの霧であった。
彼女は水色のパジャマを着て、髪にタオルを巻いた状態だ。だというのに左目だけは相変わらず、青い髪で隠しているのが陽華には不思議だった。
「起きている。小説を――……」
「っていう割には画面、真っ白じゃない」
「うっ……」
ガシガシと髪を拭きながら近づいてきて、霧が画面を覗き込んでいる。
「ねえ、何でさっき邪魔したの?」
「じゃ、邪魔などしていない。電話が鳴ったから、知らせねばと思っただけだ」
「ならなんで、一緒に入るなんて言い出したの?」
「そ、それはいつも一緒に寝ていたし、お風呂もいいなぁと……」
「ふぅん、それだけ?」
「む、むろんだ――エルフは嘘などつかんぞ」
「そっか。まあ、それはいいよ。それよりさ、今夜あたしと先輩を、寝室で二人っきりにしてよ。そしたらセックス、しちゃうから」
「しかし高坂は、部屋にベッドを置いてしまったぞ。霧様の寝室には行かんだろう」
「大丈夫――多分だけど陽華ちゃんが、また三人で寝ようって言えば、先輩、あたしの寝室にきっと来るから」
「三人で、寝るのか?」
「ううん――言うだけ言って、陽華ちゃんは来なきゃいいの。そうしたら、あたしと先輩が二人っきりになるでしょ!」
「なるほど、分かった。しかし――高坂がそう簡単に、霧様と、セ、セックスするかな?」
「大丈夫、あたし今日は自信あるの! だって先輩、お風呂であたしの裸見て、すごい興奮してたから!」
目を細めて秋山の表情を伺いながら、霧が勝ち誇ったかのように言う。
「そ、そうか……」
秋山は何故だか悔しくて下唇を噛み、その表情が分からないように顔を背けて俯いた。
「分かった――今夜わたしは、この部屋から出なければいいんだな……」
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