21 バスルーム
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高坂良は久しぶりの湯船に浸かりながら、ぼんやりと湯気に曇る天井を見つめていた。
広い風呂だ――キレイで、玩具まである。
キャビネットに整えられたシャンプーやリンス、トリートメントの類。玩具はアヒルやイルカ、何故か潜水艦まで完備されていてた。
さらにジャグジーがあり、モニターも正面に見える。望めば風呂に入りながら映画も見ることが出来る、そんな仕様のバスルームなのであった。
ここなら何時間風呂に入っていても、きっと退屈しないだろう。
――霧のやつ、こんなに良い家に住んでいて、よく俺の部屋で暮らしてたよな。三日に一回床で寝てまで。
こんなことを考えながら湯船に浸かっていると、脱衣所の方から物音が聞こえてきた。タオルは事前に準備して入ったはずだが、そうと知らない霧がわざわざ持ってきてくれたのだろうか。
だとするならば、タオルがあることに気付けばすぐに去って行くだろう。暖かな湯に浸かりマッタリした頭では、それ以上のことなど考えられない。
高坂はボンヤリと目を閉じ、ゆっくりと息を吐いていた。
――ガチャ。
扉が開く音がして、湯気が一気に外へと流れ出る。それと同時に白いバスタオルを身体に巻いた青髪の女が、目の前に現れた。
「き、霧……!?」
「やっほー、先輩!」
小さく手を振り、シャワーを手に取る霧。それから徐にバスタオルを取り、彼女は裸になった。
丸い肩のラインから曲線を描いてS字を描く背中。キュッと締まった腹部と、やや筋肉質で上向いたお尻は、彼女がボーカリストとして日々のトレーニングを欠かしていないことを物語っている。
それから霧は徐に正面を向いて、ニヤッと笑って見せた。小ぶりの胸の先端に、小さな突起が見える。鮮やかなピンク色のそれが、つんと上を向いていた。
湯煙で霞む下半身は、濃く無く薄く無く――……ここで高坂は頭を抱え、叫び声をあげて。
「お、お、おまー……! 何やってんだぁああああああああ!」
高坂良は立ち上がろうとし、再び湯船の中へ――。
何しろ彼も裸であった。ここで湯船の外へ出れば、即ちブラブラとした股間を晒すことになる。それならいっそ、湯の中へ逆戻りして後ろを向けば良いと思ったのだ。
それに今、思いっきり叫んでしまった。ということは、秋山陽華が来るかもしれない。
彼女がもしも「どうした!?」と心配しながら脱衣所にやってきて、その時に裸だったら恥ずかしすぎると思ったのだ。
が――こうした高坂の反応を、霧は完璧に読んでいた。
「せんぱーい! 今、しっかりとあたしの裸、見たでしょ? どう? 先輩好みだった?」
「ば、馬鹿野郎! 何で入ってくるんだよ!? 俺が入ってるの、知ってたくせに!」
「知ってたから来たんだよ――あたしの裸を見れば、ちょっとは欲情するかと思ってさ」
「お、おま――せめて隠せよ……! 恥ずかしく無いのかよ……!」
「……恥ずかしいよ、凄く。だから先輩だけ――先輩だけにしか、見せないから……」
「お、お前……」
「なーんて! あはは! 驚いた!?」
霧は余裕綽々で身体を洗い、頭も洗った。それから湯にゆっくりと足を付け、そっと高坂の隣に座る。肩と肩が触れ合い、高坂が「うっ」と声を上げた。
慌てて高坂が立ち上がろうとすると、霧が腕を掴んで湯船の中に引き戻す。何となく、拒むことが出来なかった。
ニッコリと笑い、霧が高坂の横顔を見つめている。
高坂は殊更顔を反らし、「何考えてんだよ」と文句を言った。
股間に手を当て、彼は見えないように隠している。
「見てもいいよ、先輩。ていうか、見ろ――どうせ勃ってんだろ?」
瞬間、高坂の頭をグッと両腕で包み込み、霧は彼の頭を胸元に寄せる。
高坂は霧の身体を離そうと藻掻いたが、そのせいで股間を隠していた手が外れ、自己主張するそれが露になるのだった。
■■■■
霧は自分の胸を高坂に押し付けている。
サイズに自信がある訳ではない――ただ心臓の音を聞いてほしかった。
洒落や冗談でやっているのなら、こんな風に早く鳴ったりしないから。
「あたし、真剣なんだよ」
高坂の髪を両手で掻きまわし、霧が泣きそうな声で言う。
高坂も霧の心音を聞けば、言わんとすることは理解出来た。
高坂の両腕が、だらりと下がる。
もう霧を強引に引き離そうとは思えなかった。
八方塞がりとは、このことだ。
霧の気持ちを知ってしまった今も、欲望に塗れた股間は膨張を止めない。
そんな自分が情けなくて、彼は溜息を吐いた。
これでは断っても、説得力なんてありはしないだろう。
霧は膨張した高坂の股間を見て、気持ちを高ぶらせている。拒否されてはいない――そう思うから、攻め時だと思ったのだ。
両腕を高坂から離すと、すぐに顔を近付けた。彼の頬に、肩に、キスをする。そのまま霧は彼の唇を奪おうと、顔を正面に向けた。けれど高坂は顔を背け、「止めろ」と言う。
「なによ、先輩。世界の霧様がキスしてやろうっていうのに、顔を背けるわけ?」
「あのな、俺達、そんな関係じゃねぇだろ?」
「あっそ。でもさ、先輩――あたしとヤリたいんでしょ?」
「ヤリたくねぇよ!」
「じゃあさ、このおっきくなってるの、なに?」
勝ち誇ったように言う霧に、高坂は声を張り上げて反駁する。
「こ、これは生理現象だ! 女の裸を見れば、そうなっちまうんだよ!」
「嫌いな女でも?」
「嫌いな女には……ならないと思うけど……」
「良かった――あたしは先輩のこと本当に大好きだから、こうなってくれて嬉しいんだよ」
霧が高坂に抱き着き、浴槽の中の湯が揺れる。ちゃぽん――音が鳴った。
高坂の胸に、霧の心音が伝わる。ドキドキドキドキと、先程よりも早くなっていた。
肌を寄せる彼女が、嘘を言っているようには思えない。けれど高坂は、霧とこんな関係になりたいと望んだことは、一度だって無かったはずだ。
大学時代――高坂は霧の歌声に魅了された。だから彼女とバンドをやって、曲を作って――満たされることの無い秋山への想いを、彼女に代弁して貰ったのだ。
それが唯一、高坂にとって埋められない穴を満たす方法だったから。
この時ふと、高坂の心に疑問が湧いた。
――霧の気持ちは、一体……。
「……いつから?」
高坂の声が、二人きりのバスルームに響いた。
「最初の夏――先輩の曲を歌い始めた、その日から」
「そんなに前から……お前」
「うん、ずっと好きでした――狂っちゃうくらいに……」
茫然とする高坂の唇を、霧が唇で塞ぐ。
この話が本当なら、高坂は他のバンドメンバーより、よほど霧を苦しめていたのだろう。
彼は大海に沈む船のような気持で今、彼女のキスを受け入れているのだった。
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