2 エルフが日本人になったワケ
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神奈川県の三浦半島、その南西二十キロの地点にエルフの森が突如として出現したのは、一九七〇年のことだった。
当初は恐るべき地殻変動だと識者も大衆も騒ぎ立てたが、そこに耳の尖った美しい顔の人類が住んでると知り、皆がパニックとなったらしい。
さらに驚くべきことに、森の住人は弓矢を巧みに使い、魔法という不思議な技を使った。これはもはや異常事態であると日本政府は判断し、三浦半島に自衛隊を展開、臨戦態勢が敷かれる。
だがしかし――この森の種族は争いを好まない。彼等はたどたどしい日本語を操り、自分達が異世界から飛ばされた「エルフ」だと名乗った。そして水源の途絶えた森では生活が出来ないと訴え、日本政府に協力を求めたのである。
この時、日本政府とエルフの元老院がどのような交渉を行ったのか、正確に記された資料は存在しない。或いは厳重に秘匿されている為、二〇三〇年現在、詳細を知る術は無かった。
だが厳然たる事実はある。
半径十キロ四方の突如として出現した島は紆余曲折の後、二〇〇〇年に日本国に組み込まれ、神奈川県エルフ市が誕生したのだ。
そして二〇三〇年には人口およそ十二万、そのうち十万人のエルフが暮らす立派な地方都市となった。今やこの街には日本式の学校やコンビニもあり、エルフがセンターを務めるアイドルもデビューして、エルフは日本にとって無くてはならない存在となっている。
その背景には人口減少の一途を辿る日本社会にも、原因の一端はあるだろう。何せエルフ――彼等の特性は労働力が不足しつつある我が国にとって、非常に有用なものだ。
それというのも、彼等の寿命は人間の二倍。つまり労働者として非常に長い期間、社会に貢献してくれるのだ。日本政府としては、願ったりであった。
ただし一方で彼等の使う魔法は、日本本土に入ると殆ど役立たずとなってしまう。例えば火属性の魔法であれば、ライターと同程度の火力しか出せなかったり――といった具合に。
その事実がエルフ達を、エルフ市の外へ出ることを躊躇わせた。だから未だに大半のエルフ達が狭い島の中で暮らしているのだ。
とはいえ知能も肉体も人間と大差なく、何故か弓矢の扱いに秀でたエルフ達。彼等、彼女等のお陰でオリンピックにおけるアーチェリー競技は日本が常にメダルを独占している状況だ。
一方で彼等は料理が下手だ。そもそも「火」というものを極端に嫌う種族だから、主食がフルーツや木の実だったりする。
もちろん、そうは言っても火が無ければ文化的な生活は営めないから料理はするのだが、あくまでも彼等の仕事は必要最小限。つまりエルフの料理とは、鍋に食材をぶっこんで煮る――の一択なのだった。
それから忘れてはいけないのが、彼等の名前である。
もともとエルフ達は文字を持たない文化で、日本語に馴染むのがとても早かった。そのせいか、二〇〇〇年以降に生まれたエルフ達には日本名も与えられているのだ。
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――――ガタンゴトン、ガタンゴトン。
「間もなく〇〇、〇〇。この電車は〇〇まで、急行より先にまいります」
残業が終わり疲れた身体を引きずって、高坂良は電車に乗った。幸い渋谷が始発の列車だったから、座ることが出来たのだ。お陰で足りない睡眠時間を補給することが出来た。しかし列車のアナウンスを聞けば、次の停車駅で降りなければ……。
高坂は重い瞼を強引に開き、今見た夢を脳の奥へと押し込んだ。
忘れもしない高校二年生のあの日――体育館でギターをかき鳴らした記憶が夢となっていた。
そのせいか高坂は今、胸の奥に甘酸っぱい痛みを覚えている。
高校生の頃、高坂にはエルフの同級生がいたのだ。
窓際の席に座り、よく空をボンヤリと見つめていた。金髪をポニーテールに纏めていて、長く尖った耳は感情によって上下する。ときおり誰かと目が合えば、困ったように眉を顰める女の子だった。
高坂は彼女をよく覚えている――秋山という名前だ。
あれから十年が過ぎた。それでも彼女のことを思い出してしまうのは、まだ高坂が青春の残滓に縋って生きているから――なのであろうか。
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慌てて電車を降りた高坂は、その足で最寄りのコンビニに寄った。家に帰って夕食を作る元気など無い。だから弁当とみそ汁を買い、適当に食べるつもりだった。
だがそのコンビニで、高坂はあり得ないものを見た。先ほど見た夢に出てきたエルフの女の子、秋山=エルフィーネ=陽華とうり二つのエルフが働いていたのだ。
白く透き通った肌に緑色の瞳。長い金髪は頭の後ろで束ね、長くとがった耳がピンと自己主張をしている。
――――エルフだから全部同じに見えるのか? そんなはずはない。
「――温めますか?」
揚げ物が大量に入った弁当を手に取り、上目遣いで彼女は言った。
「あ、はい」
「お箸は何膳お付けしますか?」
みそ汁と保存用のカップラーメンを買ったから、そう聞かれたのだろう。
「あ、一膳でいいです」
違う!
高坂が言いたいことは、そんなことでは無かった。しかし会話は、つつがなく進む。
「はい」
店員と客の当たり前の会話だ。そして会話が、それ以上進むことは無かった。
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食事を終えてコーヒーを飲みながら、高坂は頭を振る。
――秋山が、こんなところにいるはず無いだろう。
高坂は今、東京近郊の家賃がかなり安いアパートで一人暮らしをしていた。
当然だが秋山の実家は神奈川県エルフ市で、この街とは何の所縁も無い。であれば秋山が高坂と同じ街にいる確率は、天文学的に低いはずだ。
となれば他人の空似に違いないと結論付けて、高坂は膝を叩く。
コーヒーを飲み終えた高坂は、気分を変えようとシャワーを浴びた。
そういえば明日は休みだ。色々考えたら酒を飲みたくなったが、しかし家にはストックが無い。
――それなら、もう一度コンビニへ行こう。もしかしたら、またあのエルフと会えるかも知れない。彼女が秋山かどうか、尋ねることもできる。
そう思った高坂が部屋の扉を開けたところで、隣の住人とばったり顔を合わせてしまい……。
ここは、築三十年のボロアパート。家賃の安さだけが魅力の1LDKのこの部屋に、隣人はまったく似つかわしく無い存在であった。
美し過ぎる女性なのだ。といって、その美貌を主張するような衣服に身を包んでいる訳ではない。むしろ隠そうとしていた。
彼女は耳元まですっぽりと覆うニット帽を被り、太い淵の眼鏡を掛けていた。上着は地味な色合いのパーカーで、ズボンは色の褪せたデニムである。靴は汚れの目立つコンバースだ。
それなのに眼鏡の奥の緑眼は街灯を反射して宝石のように煌めき、帽子からはみ出た髪は闇を払うような黄金色。雪のように白い肌が幽玄の美を思わせて、思わず高坂の口を衝いて出た言葉が――……。
「秋山=エルフィーネ=陽華?」
「高坂? 高坂良……だな? さっき……店にも来ただろう?」
「あ、ああ……気付いていたのか?」
「気付いたが、違うかも知れないと思って声を掛けられなかった。本当に人間というのは十年足らずで、随分と容姿が変わるものなのだな」
「そんなに変わったか?」
「うむ……随分と変わった」
「そういう秋山は――全然変わらないな」
「わたしはエルフだからな、当然だろう」
「でも、敬語は覚えたんだな」
「……職務上、やむなく」
「俺の事、覚えていてくれたんだな」
「あ、当たり前だ。お前こそ……わたしのことを、覚えていてくれたんだな」
目と目が合った。
高坂は十年の時を忘れ、かつて授業中と言わず登下校中と言わず、陰から彼女の姿を見ていた気恥ずかしさに目を逸らす。
――結局今もまだ、俺は秋山を忘れられていないんだな。
そんな風に思うのだが、高坂はそれが無性に嬉しいのだった。
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ちょっと説明回っぽくてすみません。
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