表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/36

19 君を抱きしめたくて

 ■


 午後五時過ぎ、高坂のスマホに秋山からの着信があった。


「ごめーん! 今日、このままスタッフと飲みに行くから、帰り遅くなる! 陽華ちゃんと適当にご飯食べておいて! あと先輩、ベッドは二階の寝室のやつを使ってね!」

「なんでだよ? ベッドも持ってきたし、もう一緒に寝る必要ねぇじゃん」

「ダメだよ! それじゃ、何の為に一緒に暮らすんだか分からないじゃない! じゃあ、後でね!」


 言いたい事だけを言うと、霧は慌ただしく通話を切った。忙しいのだろう。

 高坂は壁際に設置した本棚に本を並べている最中だったが、霧の電話で作業を一時中断していた。

 といっても背表紙を眺めては中を覗き込み、内容を思い出しながら並べていたので、作業は遅々として進んでいない。

 

 しかし室内を見渡せばテーブルも座椅子も置いてあるし、壁にテレビも掛かっている。あと五個ほどの段ボールが残っているが、何も今日中に全てを開けなければ死ぬという訳でもないのだ。もう、この辺でいいだろう。

 

 首を右手で押さえ、コキコキと鳴らしてから高坂は立ち上がった。いま霧と話した内容を、秋山に伝えようと思ったのだ。


 とはいえ――何か適当に食べると言っても、食材が用意してあるのか。

 あったとして秋山は料理が壊滅的に下手だし、高坂だって同じレベルである。

 となると食事は宅配か、もしくは外食という選択が無難であろう。コンビニ飯は食べ過ぎていて、高坂はもう食傷気味なのだ。


 ――コンコン。


 高坂は隣の部屋をノックし、秋山に声を掛けた。扉には「秋山エルフ」と書かれたプレートが、ぶら下がっている。

 

「秋山ー」

「…………」


 気配はするが、無言だ。高坂はもう一度「秋山」と声を掛け、ドアノブに手を掛けた。どうやら鍵は掛かっていないらしく、無音で扉が開いていく。


 パタパタパタ――というキーボードを叩く無機質な音が、室内に響いていた。

 それが止まり、「うーん……」――秋山の悩ましい声が聞こえてくる。


「主人公がピンチになるのはいいが――このままでは死んでしまう。助ける手立てがないぞ……どうしたものか……」


 彼女は今、小説を書いているようだ。机に座ってパソコンを前に、腕組みをしている。扉を開けた高坂にも気付かないほど集中し、独り言を口にしていた。


 ――邪魔するのも悪いな……。

 

 高坂はそっと扉を閉めて、霧のプライベートスタジオに行く。

 あれほど創作に没頭する姿を見せられたら、自分も何かをやりたくなったのだ。

 というより、彼女の姿が眩しかった。

 今の何でもない自分では、声を掛けることさえ許されないような気がしたのだ。


 高坂は防音扉を閉めてから、ギターをアンプに繋いでいく。エフェクターなんて要らない。ただ歪ませた音で、思うままにギターを掻き鳴らす。


 自分が誰のことを好きで、何の為に働き、どうして息を吸っているのか。

 根源的な疑問が頭蓋の中を駆け巡り、歪んだ音がそれらを吹き散らす。

 いつの間にか高坂の頭の中では新しいメロディーが浮かんでは消え、やがて一つの像へと収束していくのだった。


 ■■■■


 無心でギターを掻き鳴らしていたら、秋山が扉の前に立っていることさえ気が付かなくて。

 高坂がふと振り返った時、そこには珍しく微笑んでいる彼女の姿があった。


「いつからそこに?」


 薄っすらと浮かぶ額の汗を袖で拭い、アンプの電源を落とす。それからシールドを抜いてギターを壁に戻し、高坂は照れ臭そうに頬を掻いた。


「さあ、一時間くらい前から――かな?」

「えっ……」


 高坂が壁に掛けられた時計に目をやると、既に八時も近かった。そういえば腹も鳴っている。

 秋山の作業を邪魔するまいと思ってギターを弾き始めたら、自分の方が没頭してしまったらしい。


「余りにも真剣にギターを弾いているから、声を掛けそびれてな。腹も減ったし、どうしようかと相談したくて来たのだが……」


 微苦笑を浮かべる秋山は美しく、高坂は思わず目を逸らした。


「ああ、そういえば――霧から電話があってさ、スタッフと飲みに行くから、適当に二人で食っててくれって言われたんだよ」

「うむ、やはりそうか。帰りが遅いから霧様に電話をしてみたのだが、出なくてな」

「え――電話って秋山、スマホ持ってないんじゃなかったっけ?」

「うむ、持っていないぞ。だから、この家の電話で霧様に掛けたのだ」

「――そういうことか」


 高坂は、納得したように頷いている。

 妙なところを見られてしまったと思い照れ臭かったが、秋山は特に何も思っていないらしい。そう考えることにして高坂は、何とか落ち着きを取り戻した。


 室内の照明を落とすと秋山を促し、高坂はリビングへと戻っていく。


「ピザでも頼むか?」


 ソファーに座り、高坂が訊いた。ついでにテレビのリモコンへ手を伸ばし、適当なチャンネルを選択する。大音量でギターを掻き鳴らしていた場所から、いきなり無音になるのが辛かった。


 それにある程度の間隔を開けたとはいえ、秋山陽華が隣に座っている。彼女と二人きりで部屋にいる状態というのは、実のところ今日が初めてなので緊張をしていた。


「や――ピザは高い。パスタでも茹でて食べよう」


 ソファーの上に胡坐を組んで、秋山が眉根を寄せている。

 彼女は無職だから、極力お金を使いたくないのだ。そのくせ妙なところでプライドが高いから、奢ると言えば大体嫌な顔をするのが常だった。

 そのことを思い出した高坂は彼女に同意して、立ち上がるとキッチンへ向かう。


「その位なら、俺でも作れるな」


 秋山も高坂の後に立ち上がる。


「いや……ここは二人で作ろう!」


 高坂は背中に楽し気な秋山の声を聞き、少し嬉しくなるのだった。




「ええと、確かパスタはここに……」

 

 大きな鍋を用意して、秋山がパスタを棚から取り出した。

 高坂は冷蔵庫の中をあさり、使える野菜を探してサラダを作る算段だ。

 二人の料理能力がいくら低くても、パスタとサラダ程度なら何とかなるだろう。そういう考えであった。


 しかし二人の能力は本人達が思う以上に低く、パスタを茹でていたら泡が鍋から溢れてきた。それでどうしていいかも分からずに、パニックが起こる。レタスの葉が舞い、ニンジンが床に転がった。


「ははははははッ! どうしてそんな、泡が出てくるんだよ!」


 慌てる秋山をしり目に火力を弱め、高坂が笑う。

 秋山は床のニンジンを拾いながら、「そんなに笑わなくても良かろう!」と頬を膨らませている。拾ったニンジンを高坂の鼻先に付けて、眉を吊り上げていた。


 二人はその時、同時にドキリと心臓が弾むのを自覚して――。


「なあ、高坂――昼間の引っ越し業者がさ、わたしのことを奥さん――なんて呼んだな?」

「ああ、呼んだな」

「もし本当に夫婦だったら、こんな風なのかな? わたし達……」

「本当に夫婦だったら、もう少し違うだろ……」

「どう、違うんだ」


 今が全てを打ち明けるチャンスだと、高坂は思った。

 本当に夫婦なら、今頃彼女を全力で抱きしめている。抱きしめたかった。

 だからニンジンを持ったままの秋山の手を掴み、ぐっと引き寄せる。二人の距離が急速に縮まった。


「そうだな、夫婦だったら多分、こんな風に――」

「ま、待てっ……高坂っ……いきなり何をっ……!」


 高坂良は秋山陽華を、この時初めて抱きしめた。 

 ニンジンが白い手から零れ、床にゴロリと転がっている。

お読み頂きありがとうございます!

面白いと思ったら感想、評価、ブクマなどを頂けると大変励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ