表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/36

18 痛む指先、気付かない心情

 ■

 

 高坂が霧のマンションに到着してインターフォンを押すと、鍵を開けてくれたのは秋山陽華だった。

 既に勝手知ったる我が家という感じで、秋山はエントランスに降りてくると、高坂の虹彩をマンションのセキュリティシステムに手際よく登録していく。


 そんな秋山だが、時刻はもう昼過ぎだというのにピンク色のパジャマにパーカーを羽織っただけの、いかにも寝起きという恰好である。どうやら彼女は仕事を辞めてから、生活が乱れに乱れてしまったらしい。


「寝起きなのか?」

「うむ――どうしても夜の方がな、よく書けるのだ。それで朝眠って、こうなってしまう」

「そっか」


 高坂は――「まぁ、分かるけどな」と思っていた。

 彼も学生の頃は、よく昼夜が逆転していたものだ。どうしたって夜の方が創作意欲が湧いて、曲も書き易かった。お陰で一限目の授業は単位を、よく落としていた気がする。


 部屋に入ると、その広さに高坂は感嘆の声を上げ、キョロキョロと辺りを見回した。とはいえ、あまり見過ぎても悪いと思ったのか、すぐにリビングの隅で置物のように固まっている。まずは家主に挨拶を――と思ったのだ。


「なあ、秋山――霧はいないのか?」

「うむ、今日は何かの収録があると言っていたな。夜には帰ってくるそうだ」

「ふぅん。一応、もうすぐ引っ越しの業者が来ると思うんだけど、俺の荷物、どこに入れればいいか、秋山は聞いてるか?」

「うむ、むろん聞いているぞ。こっちだ――」


 秋山はディフォルメされた熊柄のスリッパを履きペタペタと音をさせて、長い廊下の方へと歩いていく。玄関から向かって二つ目の扉を開けると、そこにはガランとした部屋があった。


「おお……」


 またも感嘆の声を上げ、肩にぶら下げていた黒色のバッグをその部屋の中央へ置く。大切な物は業者に任せず、肩に掛けて持ってきた高坂なのであった。


「あ、それから――こっちの部屋にも来てくれ」

「こっち?」

「うん――霧様がな、自分が帰ってくるまでに、案内しておいて欲しいと言っていた。凄い部屋だぞ、ほら、来い」


 広いリビングにいったん戻り、カウンターキッチンの横を通り過ぎると、分厚い扉の前で秋山が止まった。どうやら防音扉のようで、非力な秋山が両手で「うんせ」と開けている。一枚あけて、奥にもう一枚の防音扉があった。


 リビングに立っていた時から察していたが、この先には高坂が今まで、あえて避けていたモノがある筈だ。つまりこの先は間違いなく、霧の作業部屋だろう。

 実際、秋山陽華に導かれて行きついた先は、楽器やパソコンがビッシリと並ぶ、音楽好きなら誰もが羨むようなプライベートスタジオなのであった。


 ■■■■


 デスクには複数のモニターとミキシングコンソール、それからシンセサイザーが乗っている。その奥、左右にスピーカーが置かれていた。

 思わず高坂はそれらの機材に手を触れ、「ほぉ」と笑みを浮かべてしまう。


 昔、霧はDAWを苦手としていた。

 だから高坂が全てを管理し曲を作り、霧が歌って録音をするだけだったのだが――どうやら今の彼女は複数のDAWシステムを併用しているらしい。


 左右の壁にはびっしりとギターやベースが並び、掛けられている。そこにはかつて高坂が霧にプレゼントした、ヴィンテージのテレキャスターも残っていた。

 

 ふと高坂は、クリーム色をしたそのギターを手に取り、いくつかのコードをなぞる。軽く爪で弾いた。電気を通さない小さな音のアルペジオが部屋に響き、高坂は儚げなメロディーを口ずさむ――。


 そんな高坂の姿を秋山は、じっと見つめていた。胸元に手を当てた彼女は、懐かしさで身体の芯が熱くなっていく。

 高坂のライブをこっそりと見に行った、大学時代。声を掛けようとして、けれど仲間に囲まれた彼の姿が眩しく、いつも何も言えずに去った日々が瞼の裏に蘇って……。


「――その曲は……」


 思わず秋山は曲名を言いそうになって、はっと口を噤む。

 今、その曲の名を口にすれば、自分が彼のインディーズ時代を知っていると公言するようなものだった。


 別に言っても構わない――とも秋山は思う。

 というより、なぜ出会ってすぐに言わなかったのだろう。

 だから、言う機会を失ってしまった。今更だ。

 ましてや霧の応援をすると決めた以上――その曲を知っている、などとは口が裂けても言えなかった。


「あ、そうだ、高坂。霧様がな、いつでもこの部屋を使っていいと、そう言っていたぞ」


 秋山陽華は湧き上がってきた感情を嚥下し、いつもの無表情を貫いた。今ほど自分の無表情に感謝したことはない。


「……そうか」


 高坂はギターを壁に掛けると、自分の左手を見た。もう指先が硬くない。このところ全くギターを弾いていなかったから、それも当然だ。けれどそれが妙に空しくて、溜息を吐いた。

 

 部屋にはドラムセットもあり、マイクも設置されている。霧は多少ドラムも叩けるから、その気になれば一人でも全ての楽器がレコーディングできる部屋だ。

 むろん――高坂も全てのパートが演奏できる。それくらいには学生時代、音楽にのめり込んだからだ。


 ――今更、こんな部屋を自由に使ってもいいと言われてもな。


 高坂は頭を掻きながら、この部屋を出た。


 ■■■■

 

 それから暫くすると、引っ越し業者がやってきた。

 高坂が彼等に指示を出し、先ほど使っていいと言われた部屋に荷物を運んで貰う。

 段ボールがあらかた運び込まれたところで、最後にベッドが運び込まれた。それを見て秋山が現れ、腕組みをしながら、やや不満そうに言う。


「高坂――それは捨てて貰えないか」

「ん?」

「寝室は上にあって――だから、それは不要だ」


 ベッドを置きながら、引っ越し業者の二人の男が顔を見合わせている。


「あの、奥さん――そういうことは最初に言って貰わなきゃ……。それにね、捨てるならこのサイズですと、別途料金が掛かりますよ?」


 二人のうち年長と思しき方が、眉根を寄せて言った。高坂も同情的で、わざわざ運んで貰ったのに、悪いな……と思っている。

 だが秋山の方は、そんなことより自分の中で重要な点に反応を見せていた。


「奥様!? そ、そう見えるのか!? わ、わたしはエルフだぞ!?」


 秋山の細く長い耳が、ピンと天を衝く。それからむず痒そうにムニムニと唇を動かし――「ええと」と口ごもる。


「そりゃまあ、エルフでしょうけど……こんなにいい部屋に引っ越して、新婚なんですよね?」

「う、うん、まあ……その……そうだな……」


 秋山が顔を真っ赤にしながら去ったので、高坂はこれ幸いと業者に言った。


「いいですよ、ここに置いといて下さい」


 業者の二人はホッとした表情を浮かべ、明細を提示した。電子マネーで支払いを済ませると、高坂はリビングで「へへ」と謎の笑みを浮かべる秋山の肩を軽く叩き、「どうした?」と声を掛ける。


「あ、ああ? な、何でもない、何でもな! そんなことより寝室だ――これを見せていなかったから……」


 こうして秋山は、改めて高坂をペントハウスの寝室へと連れていく。


「ほら、大きなベッドがあるだろう? ここで一緒に寝ようと霧様が言っていたから、あのベッドは不要だと言ったのだ」


 少し寂しそうな表情で、秋山が言った。


「確かに、ここなら三人並んで寝ても大丈夫そうだな」


 高坂は無駄に広いベッドを手で押しながら、「なるほどね」と納得をしている。


「じゃあ、わたしは部屋で小説の続きを書くので……」


 秋山は言うと、そそくさとエレベーターに乗り込んだ。彼女は肩を落とし、項垂れている。

 けれど高坂は広いベッドに感心してばかりで、そんな秋山の変化に気付かないのだった。

お読み頂きありがとうございます!

面白いと思ったら感想、評価、ブクマなど頂けると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ