17 陽華と霧
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「卑怯だぞ」
眉尻を下げて、ちょっと涙目になりながら秋山=エルフィーネ=陽華が言う。余りの美しさに霧は鼻白み、下唇を噛んだ。
確かに――もしも秋山陽華も高坂良のことを想っているのなら、こんなやり方は汚い。けれど、それならば彼女も自分の意志を表明すれば良いだけの話ではないか。
――そう思うから、霧もぐっと胸を反らして更に問う。
「陽華ちゃんは先輩のこと、どう思っているの?」
秋山は霧から視線を切って、天井で閉じられたシャッターに目を向けた。室内は壁に付けられた間接照明の、仄かな明かりで照らされている。
「わたしは高坂を、どう思っているのだろう……?」
「呆れた……自分が先輩のことをどう思っているのかも分からないのに、あたしに卑怯だ――なんて言ったわけ?」
「霧様は高坂と、どうして、その……セックスをしたいのだ? 子供を作るなら結婚が先だろうし、あ、子供だけが欲しいのか? むむう……その理屈は間違っているぞ!」
激しく両手を上下に動かす秋山に対して、霧は肩を竦めながら両手を広げて見せた。
「エルフの価値観がどうかはしらないけど、今の日本じゃセックスよりも結婚が先なんて考える人の方が少ないよ。でもね――先輩の子供は欲しい、それは合ってる。それだけじゃなく、結婚もしたいよ? だからセックスをして既成事実を作る。そうしたら初めて先輩の目をあたしに……あたしだけに向かせることが出来るんじゃないかなぁって思ってるから――だから、セックスがしたいの」
「つまり高坂は、責任を取る男――ということか?」
「――うん、そう」
「だがなぜ、今なのだ?」
秋山は眉根を寄せて、霧を見つめている。余りにも緑色の瞳が澄んでいたから、霧は「嘘なんて付けないなぁ」と思った。
「限界なの――音楽を仕事としてやるだけの人達に囲まれているのは……」
「まさか、そんなことは無いだろう。多かれ少なかれ、好きだから仕事にした人達なのだろう? 仕事としてだけだなんて……」
「そうね――最初は好きだったんでしょう。でも、どこかで変わっていくのよ。お金の為に音楽をやるようになっていくの。あたしだって、その気持ちは分かるわ。売れなきゃ今の家だって維持できないもの、必死にならざるをえない――……」
「だったら……」
「でもさ、あたしがバンドを続けていたのは、そもそも先輩の意見に従ったからだよ? あたしがバンドを続けていたら、先輩があたしのこと、見続けてくれると思ったから。だけど、違うもん」
「……どういう意味だ?」
「先輩はさ、先輩で必死に生きてるの。会社に入って頑張って働いて――あたし以外の誰かと付き合って、別れて凹んで……会社を変えて、でも連絡もくれなくて。
そんなの、ねえ、あたし……いつまで見ていればいいの?
もう……おかしくなりそうだった、限界だったのよ」
「高坂には、誰か恋人がいたのか?」
しょんぼりとした声で、秋山が言う。長い耳が、少し落ちていた。
「いたわよ」
「……そうか」
さらに秋山の耳が下がり、八の字になっている。
「でも、誰も長続きしていない。先輩が誰か他の人を見ていることが、分かるんでしょうね。みんな自分から去って行くから、それじゃあ先輩だって責任の取りようがないじゃない。
でね、そんな時は大体あたしの名前が出るんだって――それは、聞いていて気持ちよかったよ」
「じゃあ、何でその時に――……」
「ダメなの」
「なんで?」
「先輩が見ているのはあたしじゃないって、あたしだけが知ってたから」
霧はイラっとした。
高坂が見ていたのは、アンタなのよ! といっそ言ってやりたい。
けれどそうしたとき、彼女の感情がどのベクトルに向くのか分からなかった。
「とにかく先輩だって今年二十八だし、あたしも二十七になるの。
あたしが彼のことを一番分かっているし、幸せにしてあげられる! 少なくともあたしには、その自信があるの! だから陽華ちゃん、お願い、協力して!」
■■■■
秋山=エルフィーネ=陽華は悩んでいた。
自分が高坂良を、どう思っているのか。
あの日、文化祭で彼の弾くギターを見て、一瞬で虜になった。
口をポカンと開けて、熱っぽい視線で見続けていた。
あの想いは、今でも変わらない。
けれど人間の寿命はエルフの半分。
人間は人間とつがいになるべきで、エルフはエルフとつがいになるべきだ――そう言われて育ってきた。
実際、人間とエルフの夫婦は未だに数える程しかいない。
それに秋山は、高坂と霧がボーカリスト、ギタリストとして最良とも言える関係であることを知っていた。長年シルヴラウのファンをやっていれば、それは嫌でも分かるというものだ。
――やっぱり、身を引くべきなのかな。
理屈では、そう思える。けれど感情がどうしたって拒否してしまうのだ。だから高坂良と過ごす未来を思い描いてしまう。
――でも、そんなの全部妄想だ。
結局、自分が高坂にとって何なのかと考えてみると、何でもないのだなと思えてくる。
「お隣さん」「同居人」「かつてのクラスメイト」
何かあったとして、せいぜいがそんなところだろう。
何しろ彼はステージに居て、自分は観客だった。数百分の一の存在だ。
――ましてや人間とエルフだし。
高坂良の幸せを考えれば、鍋島貴理子を応援するのが筋だろうと思えた。
だから秋山はコクリと頷き、霧の手をとる。
「分かった――わたしは霧様が高坂とセックスできるよう、応援すればいいのだな?」
「そうよ」
「そうすれば、二人は結婚して幸せになるのだな?」
「そうよ」
「うむ――ならば、協力しよう」
「ありがとう、陽華ちゃん!」
霧は陽華の背中に腕を回し、ギュッと抱きしめた。
陽華も霧の背中に手を回し、軽く叩いている。
二人の間には、確かに友情が芽生えていた。
けれどその裏で、秋山陽華が必至に自らの感情を押し殺している。
そのことを、直感で霧は気付いているのだった。
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