15 引っ越し
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「高坂、わたしと一緒に暮らすのは嫌か?」
秋山が新緑を思わせる緑色の瞳を潤ませて、高坂を見ている。
嫌とは言えない――いえるワケが無い。
何しろ高坂は今でも心の奥底に、彼女への想いを秘めているのだ。
しかしだからこそ、高坂には後ろめたさがある。三人で暮らす分には、それも緩和されていた。だが二人となれば、緩衝材が無くなるのだ。正気を保てる自信さえなくなっていく。
そう思ったら、霧を緩衝材にしていたのだと罪悪感まで湧いてきた。頭を振る。
「嫌じゃ……ない。でも……」
高坂は絞り出すような声で、言った。
「うー……!」
霧が高坂と秋山を交互に見て、唸っている。時刻はもう十一時を回っており、三人で過ごす最後の夜も終わろうとしていた。
そこでふと、霧が何かを閃いたように人差し指を立てる。
「じゃあ、こうしよう!」
黒々とした霧の目に、高坂と秋山が顔を向けた。
高坂は「どうせ、ろくでもないことを言いだすに決まっている」という表情。
秋山は「そんなことより高坂、でも、とはなんだ?」と思いながらの無表情だ。
「二人ともあたしの部屋に引っ越してきなよ。先輩は職場が近くなるし、陽華ちゃんはそうだな――毎日掃除してくれたら、家賃、いらないからさ! ほら、良いことづくめでしょ!?」
この提案に眉を上げたのは、高坂だった。
霧の部屋がどこにあるのかは、会話の中で聞いている。都心の一等地に立つタワーマンション、しかも上階だと言っていた。
正直なところ高坂はタワーマンションにも都心の一等地であることにも興味が無かったが、確かにそこは職場から近いのだ。有難い。
さらにもう一つ――高坂良は、秋山陽華と一緒に暮らしたかった。それは彼女の事が好きだからで、しかしだからこそ二人きりになるのが怖い。その意味で三人で暮らすのならば現状が続くのだから、彼にとっては本当に有難い提案だったのだ。
だが、問題はある。高坂は眉根を寄せ、言った。
「でも霧、家賃高いんだろう? 俺の給料じゃ――……」
「いいって、先輩。ここの家賃と同じ金額を払ってくれたら」
「でも、それじゃあ……」
「だから、いいんだって。もともと一人で住んでたんだし、部屋も広すぎるくらいだもの。それに二人が一緒に暮らしてくれたらハウスキーパーをお願いしなくても済むから、それだけでも有難いってもんだ!」
笑顔で言う霧に、今度は秋山が不審気な視線を向けた。
「しかし、また週刊誌に写真を撮られないか?」
「大丈夫――そもそもセキュリティがしっかりしているから安全だし、仮にそこで撮られてもあたしの家なんだもん、問題ないって」
「でもだな……また女同士、禁断の愛! なんて書かれたら……」
「あたし、ノーダメージだったよ。むしろファンが増えた!」
両手を前に突き出し、霧が二つのピースサインを作っている。
「霧様、いったいファンにどう思われているんだ……?」
「さあ? 陽華ちゃんは、どう思ってる?」
「少し頭のネジが飛んでいるが、世界でも通用するボーカリスト……」
「……ねぇそれ褒めてる、貶してる?」
「概ね、褒めている」
腕を組み、高坂が秋山を見た。
「なあ、この話、秋山は反対なのか?」
「こ、高坂こそ、いいのか?」
「いいって、何が? 秋山は家賃無しで、最高の物件に住めるチャンスだろ? 断る理由は無いんじゃないかと思うんだけど」
「わ、わたしは別に、ここで不自由しているわけではないし、いい物件に住みたいわけでもない」
「じゃあ、ここで俺と二人で暮らすってのでも、いいのか?」
コクンと頷き頬を赤く染めた秋山を見て、高坂は顎に指を当てた。
彼女が自分と二人で暮らしてもいい――と言う理由を高坂は計りかねている。
それは自分を男として認識していないから言えるのかも知れないし、或いは霧の申し出を遠慮しているだけのようにも思えた。とにかく秋山は無表情だから、感情が読みにくいのだ。
しかし逆に、彼女が自分と二人で暮らしたいというのが女性としての望みだったとしたら……高坂にとっても大チャンスである。
高坂は悩み、煩悶としていた。
そうしていると霧が、パンと手を叩く。
「先輩は職場から近くなり、陽華ちゃんは家賃がタダでここより広い部屋。あたしはまた、二人と一緒に住めるんだから、ウィン=ウィン=ウィンじゃない? 悩む理由、どこにあるのよ!」
ここまで言われて秋山も、ようやく「わかった」と納得をした。ただし少しだけ、高坂を責めるように見つめながら……。
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引っ越しは、翌週の土曜日ということになった。といっても無職の秋山は先に霧の部屋へ行き、既に一緒に暮らし始めている。荷物は水曜日に運び出したようで、今、高坂の隣はもぬけの殻だ。
なので自分が引っ越すまでの一週間ほどを、高坂は久しぶりに一人の部屋で過ごすこととなった。しかし一人で飲む酒は空しく、趣味のゲームさえつまらなく感じて愕然としている。
いつの間にか秋山と霧のいる日常が、普通のものとなっていた。とても狭かったはずの1ⅮKが、今ではとても広く感じられる。
土曜日、良く晴れた午前のこと。部屋のインターフォンが鳴る。引っ越しの業者だった。
既に荷物は全てダンボールに詰めてある。男の一人暮らしだ、大した荷物がある訳でもなかった。
業者が手早く段ボールをトラックに積んでいくと、一時間も掛からず部屋が空っぽになる。
大して長く住んだ訳でもなかったが、秋山と霧――二人の女性と僅かの間でも共に過ごした空間だからか、妙な愛着が生まれていた。
「ありがとう」
何となく、がらんとした部屋に向かって高坂が頭を下げる。カーテンを失った窓からは、暖かな陽光が部屋に降り注いでいた。
そして高坂は都心へ向かい、電車に乗る。これからまた三人で一緒に暮らすのだと思えば、不思議と胸が高鳴った。そんな自分に苦笑しながら、久しぶりにスマホで音楽を聴く。
選んだ曲は、数年前に作った自分の曲だ。それは秋山への想いを込めて作り、霧が歌うものだった。
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