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13 霧のターン! そう思う霧

 ■


 その日、高坂が帰宅したのは二十二時も近くなってからだった。


 秋山は十八時頃に帰宅すると、シャワーを浴びてからベッドの上に陣取り、小説の執筆に没頭していたらしい。霧の方は作詞の為に頭を悩ませ、ついには本日三度目のお昼寝をしていたようだ。


「ふぅん」


 ネクタイを解きながら二人の話を聞いて、高坂が相槌を打っている。昨夜寝不足だったから、既にウトウトしている状態なのであった。


「歌詞――秋山に相談したらいいんじゃねぇか」

「それだ! なんであたし、気付かなかったんだろう!」


 スーツのジャケットを壁に掛け、バスルームへと向かいながら言った高坂の一言に霧が大きく頷いている。


 高坂が風呂から出ると、恒例の晩酌が始まった。


 毎日酒を飲む習慣など無かった高坂だが、美女二人と共に素面で夜を過ごせるほど、彼の神経は図太くない。

 いずれはこの環境に慣れなければいけないとしても、今は酒を飲むという行為に、ある種の有難さも感じているのだった。


 それに二人がいると、一人わびしくコンビニ飯――という切なさも無い。秋山の料理はエルフなのでお察しだが、霧が意外と何でも作れるという事実に高坂は驚いていた。


「料理と音楽は似ている」などという妙な哲学を語り、今日の霧は肉じゃがを作ってくれている。もしかしたら外見とは正反対の、家庭的な一面があるのかも知れない。


 霧の作った肉じゃがは、高坂にも秋山にも好評だった。

 よく煮えたホクホクのジャガイモに甘しょっぱいタレがしみ込んで、とても美味い。これを頬張りビールを胃に流し込めば、一日の疲れも吹っ飛ぶというものだ。


「――美味いよ、霧」

「でしょ! ニンジンやお肉も食べて!」

「おう。でもなあ、コメはないのか?」

「あんね、先輩! 夜にコメ食うと太るからね!」

「だからって酒だけってのも、なんかなぁー」


 そんな二人の会話を緑色の瞳で眺めつつ、秋山が豚のバラ肉を箸で摘まんでいる。若干眉間に皺を寄せているのは、エルフだから動物を食べたくない――という理由かも知れなかった。


「秋山、無理して肉を食べる必要は無いぞ」

「あ、いや――すごく美味しいから、どうやって作っているのかなぁと」

「え、秋山って肉、平気なの? エルフなのに?」

「うむ。全然平気だ。むしろ好きだぞ」

「へ、へぇ」

「まぁ、だから長老連中には、近頃の若いエルフはダメだ――などと言われるのだがな、しかし……」

「しかし?」

「日本人だって、昔は獣肉を食べなかったと言うではないか。文化などというモノは、些細なキッカケで変わる。見よ、わたしの胸を。かつてのエルフは貧乳が主流であったが、わたしのように肉を好む世代は、このように大きくなっておるのだ。成長しておるのだ……!」


 言いながら、パクリと豚バラ肉を口の中へ入れ、モグモグと美味しそうに食べる、金髪緑眼の美しいエルフさん。

 それを横目で見る青髪の有名女ボーカルは、「あによ、陽華ちゃん。あたしに喧嘩売ってんの?」と、自分の小さな胸に手を置き、肩をフルフルと震わせているのだった。


 ■■■■


 明日も仕事ということで、一時前には三人とも床に就く。一人霧は不満そうに口を尖らせていたが、それは今日、高坂と秋山が出かけたあとで、一人お昼寝をした弊害なのであった。


「なによ先輩。せっかくあたしとベッドに入ったのに、すぐ眠っちゃうわけ?」

「順番だから、仕方なく入ってるだけだ。早く眠れよ」

「やだやだぁ~~~! セックスするぅ~~~!」

「うるさい、黙れ」


 高坂は霧に背を向け、早く眠ろうと目を瞑っている。今日の睡眠不足を取り戻す為にも、それは必須の事であった。

 しかし霧の方は昨夜、高坂と秋山に何かがあったと疑っている。となれば自らのアドバンテージを取り戻す為にも、夜の間に高坂を篭絡すべく持てる技の全てを尽くす所存なのであった。


 まず霧は、高坂の背中に身体をピッタリとくっつける。主に胸を背中に付けて、その弾力を存分に味わって貰う作戦であった。


「ねえ……昨日さ、陽華ちゃんと何をしたの?」

「な、何もしてねぇ」

 

 高坂の背中が、ピクリと揺れた。

 霧は可愛らしい美人である。

 そんな彼女に密着されれば、流石に彼も平静ではいられない。

 

 だがしかし惜しむらくは、霧の胸のサイズである。明らかな火力不足であった。

 しかも今は冬であり、二人とも厚手のスウェットに身を包んでいる。

 そのような中でちっぱいに属する霧の胸では、敵の城壁を打ち破るには至らない。


 要するに高坂は、「胸を押し付けられている気がする……」と思うだけで、それ以上の感覚にはならなかった。

 

 次に霧が考えたのは、なりふり構わぬ抱き付き作戦だ。

 手足を高坂の身体に絡めて、強引に唇を奪う。既成事実さえ作ってしまえば、先輩は落ちると考えたのである。


 だがしかし――その前に高坂は寝返りを打ち、霧の顔を正面に見た。それから彼女の青髪に手を添え、そっと撫でる。突然のことに霧は茫然として、高坂の為すがままであった。


「ちょっと、先輩――いきなり……何よ……」


 不満そうに眉を吊り上げながらも、霧の頬は紅潮している。まさか高坂が、いきなり自分に触れてくるとは思っていなかったから。


「いや――昨日秋山のさ、頭を撫でたんだよ。そうしたら眠れるっていうから……」

「なんで今、そんなこと言うの?」

「だって霧、お前――俺と秋山の間に何かがあったって思ってるんだろ?」

「……うん」

「だから、頭を撫でただけだって」

「本当に?」

「嘘ついて、どうすんだよ」

「そっか……そうだよね。先輩と陽華ちゃん、ただの同級生だもんね」

「……ああ」

「じゃあ、あたしはただの後輩?」

「いや……大切な友人だと、今は思っているよ」

「そっか。うん――ならまあ今日のところは、これで勘弁してやんよ!」


 高坂が霧の頭を暫く撫でていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。昼間眠っていても、まだ霧は眠れるようだ。

 すると霧の目から、一筋の涙が零れる。


 ――眠っていても、何かに押しつぶされるような心境なのだろうか。


 高坂は小さな溜息を吐く。


 ――多分、いっぱいいっぱいなんだろうな、色々と。


 そう考えたとき、バンドを一緒に辞めるという選択をさせなかった自分にも責任があるように思えて、高坂は胸が苦しくなった。

 

 ゴソッ。


 床の方から衣擦れの音が聞こえる。それから暫くして、もう一つの寝息が聞こえきた。

 どうやら秋山は、つい先ほどまで起きていたのかもしれない。

 別に聞かれて困る話はしていなかったはずだが、何故だか高坂は霧の言った「ただの同級生」という言葉を否定したい気持ちになっている。


「なあ、秋山――俺達、ただの同級生……なのかな?」

 

 答えなど期待していない。というより、独り言のつもりだった。

 けれど秋山の細く長い耳がピクリと動き、掠れたような声が聞こえてくる。


「わたしは……ただの同級生だと思う男の腕に、頭など乗せたりはせぬ」

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